【体操】栄光の5年、足掻いた8年 加藤凌平を奮い立たせてきた「チーム」というキーワード
昨年8月に現役引退を表明した体操男子の2016年リオデジャネイロ五輪団体金メダリストである加藤凌平さんが、5月18日、東京体育館で引退セレモニーに臨んだ。
「怒濤(どとう)の競技人生だった」と語った加藤さん。彼が、自身最後の世界大会出場となったリオ五輪以降、8年もの間、苦しみながらも現役を続けてきたのはなぜかーー。
■21年間の体操人生。リオ五輪の金メダルを「一生忘れない」
5月18日、東京体育館。NHK杯2日目の試合が始まる直前の時間に、加藤さんは壇上でこのように語った。
「9歳から体操を始め、21年間という体操人生だった。その中で、ロンドン五輪に初代表として選出され、リオ五輪では小さい頃からの夢であった金メダルを獲得することができた。あの瞬間は一生忘れません」
加藤さんは元日本代表選手だった父・加藤裕之さんのもと、埼玉県草加市に体育館を持つコナミスポーツで小学4年生から体操を始め、草加市内の中学を卒業後、埼玉栄高校を経て順天堂大学へ進んだ。
順大の1年生だった2012年にロンドンオリンピック団体総合銀メダル。2013年アントワープ世界選手権では個人総合で銀メダル。2014年南寧世界選手権で団体銀メダル、種目別平行棒で銅メダル。大学4年生の時に出た2015年グラスゴー世界選手権では、1978年ストラスブール大会以来37年ぶりとなる世界選手権の団体金メダルに貢献した。
競技成績で右肩上がりの大学生活を送り、卒業した2016年には出身クラブであるコナミスポーツに社会人選手として入社。同年8月のリオ五輪では、内村航平さん、白井健三さん、山室光史さん、そして今も現役を続けている田中佑典(田中体操クラブ)とともに、2004年アテネ五輪以来の団体金メダルを獲得した。栄光に満ちあふれた5年間だった。
■体が人一倍硬く、痛いところがどんどん出てきた
けれども、リオ五輪を境にその後は苦しんだ。2017年は4月の全日本個人総合で9位、5月のNHK杯で8位。最後の望みだった6月の全日本種目別ゆかで2位の谷川航に0・1点及ばず、2012年ロンドン五輪に18歳で出場して以来、5年間続いていた日本代表入りを逃した。
「ずっと代表に入り続けたことで、いろいろと疲労してきていた。だから今は良い機会だと思っているし、正直、ほっとしているところがある」
肩の荷が下りた身軽さに心地よさを感じていたのは本音だったが、その後は思うようにいかない日々が続いた。
もともと、体が人一倍硬かったため、あちこちに痛みが出るようになった。過去に負ったケガの影響も出ていた。2015年世界選手権の前、加藤さんは跳馬の大技「ロペス」の練習中に左足首を負傷。懸命な治療でどうにか世界選手権に間に合わせたが、急ピッチで仕上げたツケが後から出てきた。リオ五輪は乗りきったが、一度落ちた足の筋肉がなかなか戻らなかったのだ。
内村さんに次ぐオールラウンダーの選手としてつねに6種目をやってきたことで負荷も大きく、肩にも痛みが出た。2018年以降は上位に名を連ねることができなくなっていった。個人総合にエントリーしても種目によっては棄権せざるを得ないこともあった。
■すべてノーミス演技でリオ五輪金メダルに貢献
引退セレモニーでは、リオ五輪の時に男子強化本部長を務めた水鳥寿思さんに花束を渡され、ねぎらいの言葉を送られた。
水鳥さんはこのように語っていた。
「加藤選手は僕にとって、とても重要な選手だった。彼に任せたら絶対に失敗しないという自信を僕は持っていた。一番手でやってもらうことが多かったが、失敗した記憶が全くない」
水鳥さんの言葉通り、加藤さんは本当にミスのない選手だった。その系譜はパリ五輪で金メダルに輝いた“失敗しない男”萱和磨主将に受け継がれている。
加藤さんのハイライトはリオ五輪。団体決勝で内村さんの6種目に次いで2番目に多い5種目を任され、すべてノーミスという会心の演技で、金メダル獲得に大きく貢献した。
狙った試合で100%の力を発揮できる調整能力と、どんな大舞台でも揺らぐことのない強靱なメンタル。内村さんは「凌平、お前はやっぱりさすがだよ。凌平がMVPだな」と笑顔で加藤さんのお尻を蹴り上げ、はしゃいだ。加藤さんも静かに微笑みながら本当にうれしそうだった。信頼し合う仲間たちとの、最高の時間だった。
■「引退するなら全日本団体選手権で、と思っていた」
振り返ってみれば、大学1年生でロンドン五輪に出場し、社会人1年目にはリオ五輪で金メダルを手にするという、まばゆいばかりの5年間を過ごしたが、その後の苦しい時の方が長かった。
これほどの栄光を知る加藤さんが、苦しみながらもいつか復活する日を信じて体操を続けて来られたのはなぜか。加藤さんはこう言った。
「弟(加藤裕斗)と一緒にチームを組むというのも含めて、僕はやっぱりコナミでチームを組みたいという思いがあった。だから限界まで頑張ってみようと思って続けてきた」
体操ニッポンにずっと息づいてきた「団体を大事にする思い」が加藤さんの競技人生のベースにあったのだ。
「小さい頃からコナミの選手たちを見てきて、選手が引退するのは11月の全日本団体選手権と決まっていた。団体選手権を最後に、みんなに胴上げされて終えていた。僕も引退するなら団体がいいなとずっと思っていたけど、結局組めず、もう限界だというところで辞めることを決めた」
加藤さんの心を奮い立たせてきたのは「チーム」への思いだった。後輩たちからねぎらわれ、団体のタイトルという置き土産を残して現役を退く。それを最後の最後まで追い続けていた。
■4歳下の弟・裕斗のコーチとしてロサンゼルス五輪を目指す
コナミスポーツ体操競技部の社会人部門廃止にともない、今年2月に同社を退社した。現在は草加市の地元企業であるエスシーエス株式会社のスポンサードの下、4歳下の弟・裕斗のコーチになり、ともにロサンゼルス五輪を目指している。
加藤さんは「練習内容は人それぞれだが、自分では気づけない技への取り組み方や試合の流れの運び方、あるいはメンタルの部分だったりで、自分で気づかないような部分をコーチとして教えられればいいと思う」と抱負を述べている。
「怒涛の体操人生だった。ロンドン五輪の時は本気で目指していた訳ではなく、実力的に無理だからその次のリオ五輪を照準にしようと思っていたところ、選考方法がうまくはまって代表になった。18歳で右も左もわからない頃からリオ五輪までは怒涛の毎日だった」
この5月いっぱいでコナミスポーツ体育館の使用ができなくなると通知を受けており、現在は裕斗との練習を続ける場場の確保に向け、コナミスポーツととの交渉を含めて道を開拓しているところだ。
「これからはしっかりとその課題をクリアし、地に足につけ精進していきたい。素晴らしい体操を世界に広げ、日本に伝えていくために、体操の普及活動も頑張っていきたい」
加藤さんの“第二の体操人生”にエールを送りたい。