性的同意やコンドームは「×」 性教育授業の資料に市教委から注文

編集委員・大久保真紀 狩野浩平 山本知佳

 「性的同意」という言葉に二重線が引かれ、その下には手書きで「自分と相手を守る距離感」と記されていた。

 予期せぬ妊娠に関する相談窓口を運営するNPO「キミノトナリ」(仙台市)代表の東田美香さん(56)は、自分のスライドを見てあぜんとした。

 社会福祉士の資格を持つ東田さんは、助産師、思春期保健相談士の男性と3人で、年に約20回、学校などで性教育の講演もしている。昨秋、仙台市立中学のPTAから、PTA行事の授業として3年生に性教育をしてほしいと依頼があった。保護者や先生と打ち合わせをし、スライドを準備した。

 ところが、講演の数日前。仙台市教育委員会が市立中学の校長を訪ね、学習指導要領に沿っていないとして、スライドに様々な注文をつけた。指導要領には、妊娠の経過は取り扱わないとする「はどめ規定」がある。

NPOが作った性教育講座のスライドの内容について細かく指摘する仙台市教育委員会の反応の背景には何があるのでしょうか。
このシリーズの次回の配信では、性教育についての全国の自治体アンケートの結果や取り組みについてお伝えします。

 「SEXのリスクとは?」などと書かれたスライドにも斜線が引かれ、欄外に「×」と書き込まれていた。コンドーム、低用量ピル、中絶できる時期、出産予定日の数え方などのスライドも「×」だった。

 PTAと校長が相談して、講演の延期を決定。結局、授業ではなく教育課程外の講座として、今年3月の卒業式後の自由登校日に実施した。当日は元々のスライドを使って講演したが、参加したのは学年の約半数だった。

「学習指導要領を踏まえて」と市教委

 スライドに注文をつけた市教委教育指導課の新妻英敏課長は「指導ではなく校長への助言。学習指導要領を踏まえ、教科書に準じた内容でやってほしいということ」と釈明。さらに「(学習指導要領にある)『はどめ規定』は、必要があればそれを超えてできるということは理解している」としつつも、「(スライドに)教科書の表現を超えるところがあるので、授業の中でやるなら修正してもらうか、スライドをカットして口頭で言ってもらってはどうかと助言した」などと説明する。

 「市教委は何を守ろうとしているのか」と東田さんは首をかしげる。中学生からの妊娠したという相談は、毎年数件ある。「性教育は喫緊の課題。性的同意に×をつけている場合ではない」

 企画した保護者によると、講座に参加した息子は「聞けてよかった」と感想を語ったという。保護者自身も子どもたちが知っておかなければいけない内容で、通常の保健体育の授業で教えるべきものだとさえ思ったといい、市教委の対応には「教育を受ける権利を子どもたちから奪っている。大人の責任を放棄しているのではないか」と疑問を投げかける。

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「教育委員会は何を守ろうとしているのか」と疑問を呈するNPO「キミノトナリ」代表の東田美香さん=2025年2月6日、仙台市、大久保真紀撮影

背景にある性教育バッシング

 学習指導要領を理由にした市教委の対応の背景には何があるのか。

 日本では、1980年代後半にエイズウイルス感染者が確認されたことを受け、学校でも性教育が進められた。だが、2000年前後に学習指導要領に違反しているといったバッシング運動が相次いだ。

 象徴的なのは、03年に起きた「七生(ななお)養護学校事件」だ。知的障害のある生徒に人形などを使って性教育をしていた都立七生養護学校(現特別支援学校)を自民党都議の古賀俊昭氏(故人)らが視察し、「不適切」と批判。都教委が学習指導要領を踏まえない内容だったとして、同校教員を厳重注意する事態となった。

 古賀氏は視察に先立つ2月、都議会で「男女のあるべき姿」があるとし、「日本や家庭という共同体を敵視した新たな革命運動」があると主張。複数の小中学校の性教育を例示して「革命運動のもう一つの顔」と断じていた。

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七生養護学校事件に関する書籍=2023年11月25日、東京都千代田区、塩入彩撮影

 同様の動きは国政でも広がった。05年には自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が発足し、後に首相となる故・安倍晋三氏が座長に就いた。当時の報道によると、安倍氏や古賀氏が同年5月に登壇したシンポジウムでは、性別にとらわれない生き方を目指すジェンダーフリーの考え方や性教育は共産主義につながる、という主張が相次いだという。

 こうした政治の動きは、学校で進められていた性教育の流れにブレーキをかけた。しかしその後、性暴力や性の多様性などへの社会的関心が高まり、風向きは変化しつつある。

 18年には古賀氏が再び都議会で学校の性教育を批判した。足立区のある中学校の授業が学習指導要領などに照らして問題があると指摘。都教委は「指導する」などと答弁した。

 しかし、このときは足立区教委が「不適切だとは思っていない」と表明。都の教育委員からも性教育について「否定すべきものでない」「萎縮せずに積極的にやってほしい」といった意見が出て、結局、都教委は指導しなかった。

 当時の校長は、処分を覚悟したものの、保護者や区教委からも意見をもらって作ってきた授業だという自負があったと振り返る。授業内容をチェックし、区教委に逐一報告していたとし、「生徒のために何が必要か考え、組織として取り組むことを意識したから理解を得られたのだと思う」。

 翌年、都教委は性教育の手引を改訂。学習指導要領にない内容を授業で教えることも想定し、保護者の理解を得る方法なども紹介した。

歴史観批判との結びつきを指摘

 それから6年たち、公然と性教育を批判する声は減った。しかし、今でも再燃する可能性がある、と性教育バッシングの歴史に詳しい井上恵美子・フェリス女学院大学特任教授はみる。

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井上恵美子・フェリス女学院大学特任教授=本人提供

 井上特任教授によると、00年代の性教育バッシングは、戦後の歴史観批判と結びついて過熱したという。

 90年代には、いわゆる「自虐史観」を批判する教科書が作られる動きがあった。保守的な価値観を重視する動きが強まる中で、性別にとらわれない生き方や性の多様性などを教えることは「過激な性教育」とされ、「革命」「転覆」といった言葉も使って非難された。

 井上特任教授は、ジェンダーや多様性に対する反動はいつでも起きる可能性があり、特に性教育は標的にされやすいと指摘する。「00年代のバッシングでは、学習指導要領が批判の根拠とされてしまった。大切なのは目の前の子に必要な学びを考えることのはず。もっと子どもたちの実情に応じた自由な教育ができるよう、まずははどめ規定を見直す必要がある」と話した。

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この記事を書いた人
大久保真紀
編集委員
専門・関心分野
子ども虐待、性暴力、戦争と平和など
狩野浩平
東京社会部|教育担当
専門・関心分野
いじめ、不登校、子どもの権利、ニューロダイバーシティー、幼児教育、性暴力
  • commentatorHeader
    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2025年6月11日12時0分 投稿
    【視点】

    A-stories「子どもへの性暴力」連載第11部「教育編」は、子どもたちはどう感じているかという視点からも気づきを得られる内容になっている。この記事では<大切なのは目の前の子に必要な学びを考えること>と表現されている性教育を考える上で「子どもたちがいかにして性に対する考えを育ててゆくか」という観点が重要ではないだろうかという指摘は、インターネット上で性的な情報が氾濫し、それに関連する性的な人権侵害の問題が深刻化するよりはるか以前の1950年代の文献資料にも見いだせる。

    …続きを読む
  • commentatorHeader
    太田啓子
    (弁護士)
    2025年6月11日12時0分 投稿
    【視点】

    正しい性教育を行わないことは、子どもの幸福度を下げ、人生における様々なリスクを増やしているとさえ思う。性教育バッシングは非科学的で根深いが、なんとかこれに抗い、包括的性教育を公教育で実現できるように闘わなくてはならないとずっと考えている。 特に実際に子育てをしている保護者層には、公教育における性教育の必要性を感じている人は少なくないはずだ。例えば子育て層を主な読者層とする女性誌で性教育の読み物企画を組むと、読者の反応が熱いといったことを何度も耳にしたことがある。「自分たちが教えてほしかったけれど教えてもらえなかったことはこれだ」と実は少なからぬ大人たちは感じているはずだ。それなのに、一部の熱心な性教育バッシング勢がずっと阻害し続けている状況である。 日本弁護士連合会は、2023年1月20日付で「「包括的性教育」の実施とセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツを保障する包括的な法律の制定及び制度の創設を求める意見書 」を発出している。 https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2023/230120_2.html 更に今年の3月10日付で、当連合会は、中央教育審議会に対し、学習指導要領の改訂に当たり、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に準拠した「包括的性教育」を盛り込むことを求める会長声明を発出している。 https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2025/250310.html (2025/3/10日本弁護士連合会会長声明一部抜粋) 「同ガイダンスに基づく包括的性教育は、子どもや若者たちに、科学的に正確であり、かつ人権やジェンダー平等を基盤とした性に関する知識やスキル、態度や価値観を、年齢や成長に即して、包括的なカリキュラムに基づき学習する権利を保障することを目的としている。 包括的性教育の実施は、単なる教育政策や政策判断に委ねてよいものではなく、性の健康と権利、子どもの教育を受ける権利、男女差別撤廃とジェンダー平等の実現に対応するものであり、包括的性教育を受けること自体が人権の一つとして位置付けられるべきものである。」 公教育における包括的性教育の導入に向けた世論を盛り上げるべく、あらゆる方面の努力が必要である。

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