なぜわが子を預けるのか 東京「赤ちゃんポスト」密着の記録

なぜわが子を預けるのか 東京「赤ちゃんポスト」密着の記録
「命をなくすのはできなかった」「この子にはどうか生きてほしい」

病院に赤ちゃんを預けた、母親たちのことばです。

ことし3月末、東京 墨田区の賛育会病院が、親が育てられない子どもを匿名で受け入れるいわゆる「赤ちゃんポスト」と、妊婦が医療機関以外に身元を明かさずに出産する「内密出産」を同時に開始しました。

女性たちはどんな事情を抱えていたのか。NHKは病院の協力を得て、2か月にわたって現場に密着しました。
(「赤ちゃんポスト」取材班)
相談先リストへのリンクは文末にあります

ケース1「ベビーバスケット」に預けられた赤ちゃん

運用が始まった翌月(4月)。

預け入れを知らせるアラームが病院内に鳴り響きました。
預けられたのは、バスタオルにくるまれた産まれたばかりの赤ちゃん。

看護師が急いで部屋に駆けつけると、預けた人の姿はすでにありませんでした。

赤ちゃんがいたのは、親が育てられない子どもを匿名で預けられる専用の部屋。24時間出入りが可能な病棟の通用口の先にあり、生後4週間以内の新生児を匿名で預けることができます。
病院は、この仕組みを「ベビーバスケット」と呼んでいます。

赤ちゃんはへその緒もついたまま。呼吸がやや不安定でしたが、医師が診察し、健康状態に問題はないことがわかりました。

赤ちゃんはなぜ預けられたのか。

その唯一の手がかりは、赤ちゃんのそばに置かれていた母親がしたためたとみられる手紙にありました。

病院によりますと、1枚の紙に手書きでこうした内容が書かれていたといいます。
「この子は自宅で産みました。お金がなく、育てることができません。身勝手で申し訳ありませんが、この子にはどうか生きてほしいです」
赤ちゃんの対応をした看護師
「産まれてから、24時間もたっていない子が放っておかれたら本当に死んでしまうだろうけど、きちんとここに連れて来てくれた。この取り組みを必要としている人がいるのだと実感しました」
病院はその後、東京都の児童相談所と連絡を取り、赤ちゃんは乳児院に引き取られました。

赤ちゃんがくるまれていたタオルや母親の手紙なども一緒に渡されました。

母子のために何ができるか 病院の模索

この病院では、預けにきた人に接触できた場合、できるだけ話を聞きたいと考えています。
赤ちゃんがいつどこで生まれたのかや、親の情報などを赤ちゃんのために残したいという思いがあるからです。

さらに、母親が出産直後の場合、母体に異常がないか診察も勧めたいとしています。

取り組みの開始前、病院はこの方針を踏まえ、赤ちゃんが預けられた時の訓練を重ねていました。
確認していたのは、医療者同士の連絡のフローや、赤ちゃんへの処置の流れ、そして、訪れた人への声のかけ方や聞き取る内容などです。

医療者たちは、この取り組みを「赤ちゃん」と「母親」、双方を守る取り組みにしたいと理想を掲げていました。

しかし、今回のケースでは、母親とみられる人との接触はできませんでした。

対応した看護師の中には、複雑な思いを抱いた人もいました。
看護師
「診察もしてあげられず、話も聞いてあげられなかった。ここまで来るのは相当な気持ちがあったはずで、誰にも言えず抱えたまま生きるのは、苦しいだろうなと思います。今回のようなケースでは『母親には何もアプローチできない』と実感しました」

病院はなぜ「ベビーバスケット」を始めたのか

18年前、熊本市の慈恵病院が困難を抱えた女性と赤ちゃんを支援しようと、国内で初めてとなるいわゆる「赤ちゃんポスト」、「こうのとりのゆりかご」を設置しました。預けられた子どもは、ことし3月末までで193人に上ります。

全国で2例目となった、賛育会病院の「ベビーバスケット」。
病院が取り組みを始めたのは、予期せぬ妊娠などで追い詰められた女性たちの姿を目の当たりにしてきたからです。

この病院の去年の分べん数は743件で、そのうちおよそ10%が、若年や貧困、DVや虐待など困難を抱え、出産前から支援が必要な「特定妊婦」です。また、妊婦健診を1度も受けないまま、出産直前になって搬送されてくる「飛び込み出産」も珍しくありません。

さらに、大きな動機となったのは、赤ちゃんの遺棄事件が後を絶たないことです。

産まれて1か月未満で殺害や遺棄などされた赤ちゃんは、2022年度までの20年であわせて228人にのぼります。
賀藤均院長
「赤ちゃんの命を奪うなら、ベビーバスケットに預けてほしい。この取り組みを必要としない社会を目指すべきだとは思いますが、ずっと同じことが繰り返されている中で、まず東京に1つできないと、物事が前に進まないのではないでしょうか」

ケース2 赤ちゃんを預けにきたけれど…母親の決断は

こうしたなか、ベビーバスケットの存在を通して、母親がみずからの気持ちと向き合うケースもありました。
4月のある日。病院を訪ねてきたのは、スエット姿の若い女性。タオルでくるんだ生後まもない赤ちゃんを抱えていました。

「ベビーバスケットに赤ちゃんを預けたい」

そう告げたといいます。産後の貧血があったことから看護師が入院を勧め、そのまま院内で過ごすことになりました。

私たちは数日後、この女性に話を聞くことができました。
女性は20代。交際相手との子どもを妊娠しましたが、2人とも就職を控えていたため、相談して中絶することを決めたといいます。

しかし、女性は踏み切れませんでした。
女性
「中絶薬を飲んでしまうと、生まれてくるはずの命がなくなってしまうと思うと、飲めなかった」
その後、不正出血やつわりがおさまるなど体調の変化があり、流産したと思い込んでいたといいます。

しかし7か月後、ひどい腰痛やむくみの症状で、流産していないことに気づきました。
家族にも話せないまま、自宅で1人で出産した女性。

その後、交際相手に打ち明け、2人で関西地方から車でおよそ10時間かけてやってきたのです。
女性
「両親に迷惑をかけたくないというのが一番強くて、誰にも相談できませんでした。交際相手やその家族にも影響があるし、喜ばれないという気持ちが大きかった」
女性は、病院に向かう途中におむつを買って交換したり、ミルクも飲ませたりしていました。

病院に到着したとき、赤ちゃんの体温は下がっておらず、健康にも問題はありませんでした。

対応した看護師たちは女性が赤ちゃんをケアしていたことで、愛着を持っていると感じていました。
そして、女性の気持ちにも変化が生まれていました。

病院のスタッフからかけられた言葉で、気付いたことがあるといいます。
女性
「自宅で産んだあと、子どもが産まれたことも親になったことも実感がないままでした。でも、病院の人たちに『病気もなく、無事ですよ。連れてきてくれてありがとう』と言われて、この子が元気に生きようとしているんだと感じることができました」
女性は両親に出産したことを伝え、児童相談所の支援を受けながら、赤ちゃんを育てていくことになりました。

病院で安全な出産を 「内密出産」も開始

東京で始まった「ベビーバスケット」。

賛育会病院は具体的な件数は明らかにしていませんが、これまで紹介したケースを含め、ベビーバスケットを利用した事例は数件あり、そのすべてが医師などの立ち会いがない自宅などでの「孤立出産」だったということです。

母子の命を危険な状況にさらす孤立出産のリスクを踏まえ、今回、病院がベビーバスケットと同時に始めたのが、妊婦が医療機関以外に身元を明かさずに出産する「内密出産」です。事前に医療機関と相談したうえで、安全に出産してもらうことが目的です。

熊本市の慈恵病院でも2021年12月から導入していて、ことし3月末までに47人の赤ちゃんが産まれています。

一方、国内では内密出産に関する法律はありません。

国は、3年前にガイドラインを策定し、その中では身元を明かして出産することが原則で、内密出産を推奨するものではないとしています。

医療機関が説得してもなお、内密出産を希望する場合は、市区町村長が子どもの戸籍を作成することや、母親に関する情報は医療機関が長期間保管するなどの対応が示されています。

ケース3「内密出産」にしてもいいのか 苦悩する病院のいま

「誰にも妊娠を知られたくないけど、命は救いたいと思い悩む女性の体を守り、赤ちゃんの命も守れる仕組み」

取り組みの開始前、内密出産の意義をそう話していた賀藤院長。

一方で、開始後は頭を抱えている様子を見ることも少なくありませんでした。
そのケースのうちの1つを取材することができました。

5月、夜になって病院に駆け込んできた女性。両親に知られたくないと、内密出産をしたいと告げました。

一度も妊婦健診を受けていないと話し、すでに破水していました。診察後、合併症があることが判明。自然分べんはリスクが高いとして、帝王切開の手術が行われました。
女性が病院に到着してからおよそ5時間後、手術室には大きな産声が響き渡りました。

体重3000グラムを超えた元気な赤ちゃんです。対面した女性は、赤ちゃんの手に触れ「大きい」とほほえみました。

なぜ内密出産を希望したのか。女性に話を聞くことができました。
女性は大学生。子どもの父親は元交際相手だといいます。金遣いの荒さなどをめぐって別れたため、妊娠後も連絡は途絶えたままでした。

遠方に住む両親との関係は悪くありませんでしたが、妊娠を知られたくないといいます。

かつて貧血で倒れて救急車で搬送されたとき、両親から心配されるとともに次も同じことがあれば退学して自宅に戻るよう言われるなど、過干渉な一面があったことが理由です。
女性
「1人暮らしで次にこういうことがあったら、もう大学は辞めて連れ戻すと言われて。目標があって入った大学だったので、辞めるのは嫌だなって」
一方、病院は女性の家庭環境などを踏まえ、内密出産の意向を受け入れるべきか頭を悩ませていました。
両親に対して、出産の事実を秘密にし続けることが本人にとって最善の選択なのか、その事実を背負い続ける覚悟があるのか、はかりかねていたからです。

その後、病院は女性に対して再度、身元の情報を明かすことを考えてみるよう伝えました。
女性は私たちの取材に、気持ちが揺らいでいると打ち明けました。

内密出産を選べば、赤ちゃんとの法的な親子関係が断たれる。その現実と向き合っていました。
女性
「自分で産んだ子だから、当たり前にかわいいです。学校のことを気にしなくていいなら、今すぐやめて働いて、一緒にいたいくらいですけど、やっぱり今はできない」
出産からおよそ1週間後。出産を内密にする女性の意思は変わりませんでした。

ただ、女性は赤ちゃんが18歳になって身元の開示請求があった場合、自分の情報を明かすことには同意。書類にサインしました。

母子を守るために何が求められるのか

妊娠や出産によって追い詰められる女性が相次いで病院に駆け込む現状と、そこで産まれてくる命。

どう向き合っていくのか、病院の模索は続いています。
賛育会病院 賀藤院長
「さまざまな事情で、出産したことを誰にも知られたくないという女性たちの中には、私たちの想像を絶するような環境に置かれている人もいます。赤ちゃんの将来を考えるのであれば、そうした女性たちを社会がどうサポートするのか考えないといけません。一民間病院だけが抱え込む問題ではないと感じています」
妊娠や出産で追い詰められる女性や、その子どもの命を救うために、いま社会には何が求められているのか。

そして病院の実情をどう考えるか。

熊本・慈恵病院の事例の検証にも携わってきた、大阪総合保育大学特任教授の山縣文治さんに聞きました。
山縣文治さん
「人口密集地の東京では、利用者が熊本の慈恵病院に比べて増える可能性があり、病院や職員にとって大きな負担になったり、子どもに関わる個人情報をどう預かり、残していくのかなどの課題が顕在化したりすることが予想される。事業について賛否両方の意見があるだろうが、待ったなしで子どもたちを守らなければいけない状況下で、子どもの育つ環境をどう確保していくのか、個人情報をどう残して管理していくのか、社会全体で広く考えるきっかけになってほしい。民間事業ではあるものの、子どもの養育など、行政との連携が不可欠な部分もある。熊本と東京での2つの取り組みをモデルにしながら、自治体や国がどのように関わるべきか、議論を進める段階にきているのではないか」
予期せぬ妊娠に悩んだときは、各地に自治体やNPOなどの相談窓口があります。

厚生労働省のホームページでは、地域の相談先リストを紹介しています。
首都圏局記者
桑原阿希
2015年入局
富山局を経て現所属
首都圏局記者
金ノヨン
2022年入局
通信社記者などを経て現所属
首都圏局ディレクター
田中かな
2018年入局
秋田局を経て2021年から現所属
首都圏局ディレクタ-
高松夕梨子
2023年入局
社会番組部ディレクター
安世陽
2015年入局
新潟局、政経・国際番組部など経て現職
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なぜわが子を預けるのか 東京「赤ちゃんポスト」密着の記録

「命をなくすのはできなかった」「この子にはどうか生きてほしい」

病院に赤ちゃんを預けた、母親たちのことばです。

ことし3月末、東京 墨田区の賛育会病院が、親が育てられない子どもを匿名で受け入れるいわゆる「赤ちゃんポスト」と、妊婦が医療機関以外に身元を明かさずに出産する「内密出産」を同時に開始しました。

女性たちはどんな事情を抱えていたのか。NHKは病院の協力を得て、2か月にわたって現場に密着しました。
(「赤ちゃんポスト」取材班)
相談先リストへのリンクは文末にあります

ケース1「ベビーバスケット」に預けられた赤ちゃん

運用が始まった翌月(4月)。

預け入れを知らせるアラームが病院内に鳴り響きました。
預けられたのは、バスタオルにくるまれた産まれたばかりの赤ちゃん。

看護師が急いで部屋に駆けつけると、預けた人の姿はすでにありませんでした。

赤ちゃんがいたのは、親が育てられない子どもを匿名で預けられる専用の部屋。24時間出入りが可能な病棟の通用口の先にあり、生後4週間以内の新生児を匿名で預けることができます。
病院は、この仕組みを「ベビーバスケット」と呼んでいます。

赤ちゃんはへその緒もついたまま。呼吸がやや不安定でしたが、医師が診察し、健康状態に問題はないことがわかりました。

赤ちゃんはなぜ預けられたのか。

その唯一の手がかりは、赤ちゃんのそばに置かれていた母親がしたためたとみられる手紙にありました。

病院によりますと、1枚の紙に手書きでこうした内容が書かれていたといいます。
「この子は自宅で産みました。お金がなく、育てることができません。身勝手で申し訳ありませんが、この子にはどうか生きてほしいです」
赤ちゃんの対応をした看護師
「産まれてから、24時間もたっていない子が放っておかれたら本当に死んでしまうだろうけど、きちんとここに連れて来てくれた。この取り組みを必要としている人がいるのだと実感しました」
病院はその後、東京都の児童相談所と連絡を取り、赤ちゃんは乳児院に引き取られました。

赤ちゃんがくるまれていたタオルや母親の手紙なども一緒に渡されました。

母子のために何ができるか 病院の模索

この病院では、預けにきた人に接触できた場合、できるだけ話を聞きたいと考えています。
赤ちゃんがいつどこで生まれたのかや、親の情報などを赤ちゃんのために残したいという思いがあるからです。

さらに、母親が出産直後の場合、母体に異常がないか診察も勧めたいとしています。

取り組みの開始前、病院はこの方針を踏まえ、赤ちゃんが預けられた時の訓練を重ねていました。
病院で行われた訓練
確認していたのは、医療者同士の連絡のフローや、赤ちゃんへの処置の流れ、そして、訪れた人への声のかけ方や聞き取る内容などです。

医療者たちは、この取り組みを「赤ちゃん」と「母親」、双方を守る取り組みにしたいと理想を掲げていました。

しかし、今回のケースでは、母親とみられる人との接触はできませんでした。

対応した看護師の中には、複雑な思いを抱いた人もいました。
看護師
「診察もしてあげられず、話も聞いてあげられなかった。ここまで来るのは相当な気持ちがあったはずで、誰にも言えず抱えたまま生きるのは、苦しいだろうなと思います。今回のようなケースでは『母親には何もアプローチできない』と実感しました」

病院はなぜ「ベビーバスケット」を始めたのか

18年前、熊本市の慈恵病院が困難を抱えた女性と赤ちゃんを支援しようと、国内で初めてとなるいわゆる「赤ちゃんポスト」、「こうのとりのゆりかご」を設置しました。預けられた子どもは、ことし3月末までで193人に上ります。

全国で2例目となった、賛育会病院の「ベビーバスケット」。
病院が取り組みを始めたのは、予期せぬ妊娠などで追い詰められた女性たちの姿を目の当たりにしてきたからです。

この病院の去年の分べん数は743件で、そのうちおよそ10%が、若年や貧困、DVや虐待など困難を抱え、出産前から支援が必要な「特定妊婦」です。また、妊婦健診を1度も受けないまま、出産直前になって搬送されてくる「飛び込み出産」も珍しくありません。

さらに、大きな動機となったのは、赤ちゃんの遺棄事件が後を絶たないことです。

産まれて1か月未満で殺害や遺棄などされた赤ちゃんは、2022年度までの20年であわせて228人にのぼります。
賛育会病院 賀藤均院長
賀藤均院長
「赤ちゃんの命を奪うなら、ベビーバスケットに預けてほしい。この取り組みを必要としない社会を目指すべきだとは思いますが、ずっと同じことが繰り返されている中で、まず東京に1つできないと、物事が前に進まないのではないでしょうか」

ケース2 赤ちゃんを預けにきたけれど…母親の決断は

こうしたなか、ベビーバスケットの存在を通して、母親がみずからの気持ちと向き合うケースもありました。
4月のある日。病院を訪ねてきたのは、スエット姿の若い女性。タオルでくるんだ生後まもない赤ちゃんを抱えていました。

「ベビーバスケットに赤ちゃんを預けたい」

そう告げたといいます。産後の貧血があったことから看護師が入院を勧め、そのまま院内で過ごすことになりました。

私たちは数日後、この女性に話を聞くことができました。
女性は20代。交際相手との子どもを妊娠しましたが、2人とも就職を控えていたため、相談して中絶することを決めたといいます。

しかし、女性は踏み切れませんでした。
女性
「中絶薬を飲んでしまうと、生まれてくるはずの命がなくなってしまうと思うと、飲めなかった」
その後、不正出血やつわりがおさまるなど体調の変化があり、流産したと思い込んでいたといいます。

しかし7か月後、ひどい腰痛やむくみの症状で、流産していないことに気づきました。
家族にも話せないまま、自宅で1人で出産した女性。

その後、交際相手に打ち明け、2人で関西地方から車でおよそ10時間かけてやってきたのです。
女性
「両親に迷惑をかけたくないというのが一番強くて、誰にも相談できませんでした。交際相手やその家族にも影響があるし、喜ばれないという気持ちが大きかった」
女性は、病院に向かう途中におむつを買って交換したり、ミルクも飲ませたりしていました。

病院に到着したとき、赤ちゃんの体温は下がっておらず、健康にも問題はありませんでした。

対応した看護師たちは女性が赤ちゃんをケアしていたことで、愛着を持っていると感じていました。
そして、女性の気持ちにも変化が生まれていました。

病院のスタッフからかけられた言葉で、気付いたことがあるといいます。
女性
「自宅で産んだあと、子どもが産まれたことも親になったことも実感がないままでした。でも、病院の人たちに『病気もなく、無事ですよ。連れてきてくれてありがとう』と言われて、この子が元気に生きようとしているんだと感じることができました」
女性は両親に出産したことを伝え、児童相談所の支援を受けながら、赤ちゃんを育てていくことになりました。

病院で安全な出産を 「内密出産」も開始

東京で始まった「ベビーバスケット」。

賛育会病院は具体的な件数は明らかにしていませんが、これまで紹介したケースを含め、ベビーバスケットを利用した事例は数件あり、そのすべてが医師などの立ち会いがない自宅などでの「孤立出産」だったということです。

母子の命を危険な状況にさらす孤立出産のリスクを踏まえ、今回、病院がベビーバスケットと同時に始めたのが、妊婦が医療機関以外に身元を明かさずに出産する「内密出産」です。事前に医療機関と相談したうえで、安全に出産してもらうことが目的です。

熊本市の慈恵病院でも2021年12月から導入していて、ことし3月末までに47人の赤ちゃんが産まれています。

一方、国内では内密出産に関する法律はありません。

国は、3年前にガイドラインを策定し、その中では身元を明かして出産することが原則で、内密出産を推奨するものではないとしています。

医療機関が説得してもなお、内密出産を希望する場合は、市区町村長が子どもの戸籍を作成することや、母親に関する情報は医療機関が長期間保管するなどの対応が示されています。

ケース3「内密出産」にしてもいいのか 苦悩する病院のいま

「誰にも妊娠を知られたくないけど、命は救いたいと思い悩む女性の体を守り、赤ちゃんの命も守れる仕組み」

取り組みの開始前、内密出産の意義をそう話していた賀藤院長。

一方で、開始後は頭を抱えている様子を見ることも少なくありませんでした。
そのケースのうちの1つを取材することができました。

5月、夜になって病院に駆け込んできた女性。両親に知られたくないと、内密出産をしたいと告げました。

一度も妊婦健診を受けていないと話し、すでに破水していました。診察後、合併症があることが判明。自然分べんはリスクが高いとして、帝王切開の手術が行われました。
女性が病院に到着してからおよそ5時間後、手術室には大きな産声が響き渡りました。

体重3000グラムを超えた元気な赤ちゃんです。対面した女性は、赤ちゃんの手に触れ「大きい」とほほえみました。

なぜ内密出産を希望したのか。女性に話を聞くことができました。
女性は大学生。子どもの父親は元交際相手だといいます。金遣いの荒さなどをめぐって別れたため、妊娠後も連絡は途絶えたままでした。

遠方に住む両親との関係は悪くありませんでしたが、妊娠を知られたくないといいます。

かつて貧血で倒れて救急車で搬送されたとき、両親から心配されるとともに次も同じことがあれば退学して自宅に戻るよう言われるなど、過干渉な一面があったことが理由です。
女性
「1人暮らしで次にこういうことがあったら、もう大学は辞めて連れ戻すと言われて。目標があって入った大学だったので、辞めるのは嫌だなって」
一方、病院は女性の家庭環境などを踏まえ、内密出産の意向を受け入れるべきか頭を悩ませていました。
病院で行われた会議
両親に対して、出産の事実を秘密にし続けることが本人にとって最善の選択なのか、その事実を背負い続ける覚悟があるのか、はかりかねていたからです。

その後、病院は女性に対して再度、身元の情報を明かすことを考えてみるよう伝えました。
女性は私たちの取材に、気持ちが揺らいでいると打ち明けました。

内密出産を選べば、赤ちゃんとの法的な親子関係が断たれる。その現実と向き合っていました。
女性
「自分で産んだ子だから、当たり前にかわいいです。学校のことを気にしなくていいなら、今すぐやめて働いて、一緒にいたいくらいですけど、やっぱり今はできない」
出産からおよそ1週間後。出産を内密にする女性の意思は変わりませんでした。

ただ、女性は赤ちゃんが18歳になって身元の開示請求があった場合、自分の情報を明かすことには同意。書類にサインしました。

母子を守るために何が求められるのか

妊娠や出産によって追い詰められる女性が相次いで病院に駆け込む現状と、そこで産まれてくる命。

どう向き合っていくのか、病院の模索は続いています。
賛育会病院 賀藤院長
「さまざまな事情で、出産したことを誰にも知られたくないという女性たちの中には、私たちの想像を絶するような環境に置かれている人もいます。赤ちゃんの将来を考えるのであれば、そうした女性たちを社会がどうサポートするのか考えないといけません。一民間病院だけが抱え込む問題ではないと感じています」
妊娠や出産で追い詰められる女性や、その子どもの命を救うために、いま社会には何が求められているのか。

そして病院の実情をどう考えるか。

熊本・慈恵病院の事例の検証にも携わってきた、大阪総合保育大学特任教授の山縣文治さんに聞きました。
大阪総合保育大学特任教授 山縣文治さん
山縣文治さん
「人口密集地の東京では、利用者が熊本の慈恵病院に比べて増える可能性があり、病院や職員にとって大きな負担になったり、子どもに関わる個人情報をどう預かり、残していくのかなどの課題が顕在化したりすることが予想される。事業について賛否両方の意見があるだろうが、待ったなしで子どもたちを守らなければいけない状況下で、子どもの育つ環境をどう確保していくのか、個人情報をどう残して管理していくのか、社会全体で広く考えるきっかけになってほしい。民間事業ではあるものの、子どもの養育など、行政との連携が不可欠な部分もある。熊本と東京での2つの取り組みをモデルにしながら、自治体や国がどのように関わるべきか、議論を進める段階にきているのではないか」
予期せぬ妊娠に悩んだときは、各地に自治体やNPOなどの相談窓口があります。

厚生労働省のホームページでは、地域の相談先リストを紹介しています。
首都圏局記者
桑原阿希
2015年入局
富山局を経て現所属
首都圏局記者
金ノヨン
2022年入局
通信社記者などを経て現所属
首都圏局ディレクター
田中かな
2018年入局
秋田局を経て2021年から現所属
首都圏局ディレクタ-
高松夕梨子
2023年入局
社会番組部ディレクター
安世陽
2015年入局
新潟局、政経・国際番組部など経て現職

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