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MarryAnne
無題 - MarryAnneの小説 - pixiv
無題 - MarryAnneの小説 - pixiv
4,710文字
無題
007
2025年6月11日 18:19

連日東京は35度越えで、太陽がじりじりと俺たちの体力を奪っていく。それもあってか、最近結衣の様子がおかしい。異常気象ともいえる気の早い夏の陽射しに、本人は夏の暑さが食べ物を受け付けなくてと言っている。ご飯を目の前にすると「晃太郎、ごめん。お手洗い」といって席を立ち、吐き気と戦っている。最近は急に席を立ったと思ったら、お手洗いに走っていく。
「本当に大丈夫なのか。全然食べてないんだろう」
「…吐き気がすごくって。ごめん。せっかくご飯作ってくれたのに」
吐き気に伴い、食事の準備もままならなかった。結果、晃太郎が引き受けることになる。
「それはいいって。気にすんな。でも1回ちゃんと病院で診てもらってきて?」
「…いい。精神的なものって片付けられちゃうだけだから。ごめん…」
「ごめんは禁止。結衣のせいじゃないだろ。俺はご飯食べられないなら、点滴なり、何とかしないと倒れるんじゃないかって…心配なんだよ」
「ん…。週末になったら休みだし、その時行くから」
「俺もついていこうか?」
「何で晃太郎が来るのよ。1人で行けます。子どもじゃないんだから」
「無理するなよ。俺に何かできることあったら言えよ。遠慮しなくていーから」
「もう大丈夫だって。晃太郎、心配しすぎ」

********

「東山さん、昼飯行ってきます」
「はぁい。ゆっくり行ってきて」
結衣はすっかり慣れてしまった吐き気と闘いながら、端末を叩く。食べ物の匂いの次に、このモニターの画面はヤバい。凶悪な破壊力がある。
「…東山、このところ顔色悪いけど大丈夫なの?」
「あれ。先輩、今日は外行かないんですか?」
「うん。旦那がお弁当作ってくれたからさ」
「へえー。見てもいいですか?」
「どうぞ。大したもの入ってないけど」
綺麗に巻かれた卵焼き、唐揚げ、ブロッコリーとベーコンの炒め物もの、人参のソテー。
「いや、私のより全然クオリティ高いですよ。さすが、陽介さん」
「最近は料理にハマってるみたいで。今日、休みだったから。…種田さんも料理するんだっけ?」
「はい。私が苦手なの、知ってますよね?…種田さんの方が上手ですよ」
「わっ…のろけ話?もう、暑いのにそんな話やめてよね。酒の肴には幾らでも聞くけど。そういえば…お昼ご飯は?もしかしてダイエット中?」
「夏バテか…食あたりなのか…吐き気がすごくって。食べれないんです」
「病院行った?」
賤ヶ岳の顔が曇る。
「明日の休みに…行こうかなと…」
「あ、この近くにいい病院あるよ。私も診て貰ってたの。凄く丁寧で優しい女医さん」
スマホを見せられて、思わずぎょっとする。
「あの…先輩、ここ産婦人科ですけど」
「…東山、まさか本当に夏バテって思ってるわけじゃないよね?」
「え…。そう思ってたんですけど」
「結婚して、どれくらいになるんだっけ?」
「えー、9月に入籍したので、そろそろ1年ってとこですかね」
「その間に夜の営みは?」
さすがに声のトーンは落としてくれている。
「なくはない…ですが」
「ちゃんと生理きてる?」
「……」
思わず言葉を失った。
「…行った方がいいよ、病院」
「…そう、ですよね…」
まさかね…。期待しちゃダメ…でも病院は行っとこうかな…。

********

「よお、ユイユイ。おめでとう!」
管理部の部長、石黒が入ってくる。
賤ヶ岳と2人で顔を見合わせる。──まさか、聞かれた?
「…おめでとうって、何?」
「種田、…お前も種田か。えっと…お前の旦那の種田、試験受かったんだってな!さすがだよな、1発合格って。はー、妻帯して益々やる気になったってこと?嫁らしいこと全然してないんじゃないかって心配してたんだけどな…お前らいい夫婦だよな」
「…え?」
おそらく社内試験のことだろう。しかし試験受けるなんて言ってなかったし、参考書開いてるのも見たことがない。
「どうした?」
「試験に受かったの、私の夫の種田ですか?」
「お前の旦那以外に種田って名前の奴いるか?いないだろ」
「…そう、ですね」
──もう何よ、何で言ってくれないのよ。
「お祝いに俺の奢りだ。飲みに行くぞ」
「…彼だけ誘ってあげて下さい。…私、ちょっと体調悪くて。ごめんなさい。お手洗い行ってきます」
晃太郎は石黒のことが苦手だし、そもそも社内の人と飲みに行くのも好きじゃないけど。

晃太郎からメッセージが届く。
【クライアント訪問から直帰する。ご飯食べれそうか?遅くなりそうだけど、晩御飯は俺が用意するから】

──ご飯のことより他に言うことあるでしょう。何よ、もう。
帰り道、ドラッグストアで妊娠検査薬を買って帰宅するも、どうも気が進まない。夢に出てくるほど晃太郎との赤ちゃんが欲しいと思っていたのに、いざそうかもしれないと言われると複雑だ。

********

「よお、お疲れさん」
「…遅くなってすみません。お待たせしました」
晃太郎はそう言いながら軽く頭を下げ、石黒の隣に座る。
「そんなに待ってないから」
畏まらなくていいって、と鷹揚に石黒は笑う。晃太郎は石黒が苦手だが、石黒は晃太郎の入社時から目をかけている。時間をかけて説得し、自分がヘッドハンティングして来たからかも知れない。
「ユイユイも誘ったんだけどな」
晃太郎のビールを注文した後で、石黒が言った。ああ、と晃太郎は苦く笑う。
「夫婦喧嘩でもしたか?」
「体調不良って、本人から聞いてますよね?」
はい、生お待たせしました!とテーブルにジョッキが置かれる。
「では、種田。昇任試験おめでとう!乾杯!」
高らかにジョッキがぶつかり、涼し気な音を立てた。

「──美味い!夏はやっぱりこれに限るな」
石黒が破顔する。
「で、ユイユイどうしたんだよ?喧嘩したってわけじゃないんだろ?」
「体調が悪いみたいです。ずっと夏バテだって言って吐いてばっかりで」
「そういや…今日も昼飯食ってなかったな。トイレ行って来るっていうのはそれか」
「昼も食べてなかったんですか?大丈夫かな…」
晃太郎の顔が曇る。
「なんか俺が種田の話したときも複雑な顔してたよ。お前ら、大丈夫なのか?」
「大丈夫かというと?」
「試験に受かったのは本当にお前なのか?とか言ってたぞ」
「言ってなかったんですよ。試験のこと」
「え…俺、ユイユイに言っちまったけど」
石黒のビールを飲む手が止まった。大丈夫です、と晃太郎は苦く笑う。
「なかなか言うタイミングが掴めなくて。それこそご飯作っても吐いてばかりでしたし…」
「でもそれってユイユイからしたら、ショックなんじゃないじゃないの?」
「…何で?」
「何でって、そりゃ…種田の試験結果を旦那本人からじゃなくて、他の人から聞かされたら」
「そういうもん…ですかね?」
晃太郎は肝心なことを言わなさ過ぎ──出会った頃から何年も言われ続けていた言葉が蘇る。
「まぁ俺に女心聞かれてもなぁ。でも試験受けたとは言ってたんだろ?」
「いや、言ってないです。内緒にしてたんで。落ちたら幻滅させちゃうじゃないですか」
「はぁ?お前バカだな。…それだ。ユイユイが怒ってるのは。何で試験受けたこと教えてくれないのかだ」
「え…そうですかね。そんなことで怒りますかね」
「種田ってほんっと残念な奴だよな。そこは俺でもわかるぞ」
石黒がからかうような表情になる。晃太郎は軽く首を傾げ、舐めるようにしてビールを飲んだ。
「…種田、ユイユイは吐いてばかりいるって言ってたけど、病院は?」
「次の休みに行くって言ってましたけど」
「ふーん…。もしかして…できたんじゃないか?」
「いやいや。何も聞いてませんけど」
「夫婦なんだから、さすがにやることはやってるんだろ?」
「…まぁ」
「そう恥ずかしがるな。当たり前だ。してない方がおかしい」
石黒が豪快に笑う。
「今日帰ったらちゃんと聞け。それでお前も試験のこと、ちゃんと話せ」
「…わかりました。今日はもうこれで失礼します」
晃太郎はそう言うと、鞄の中から財布を取り出す。いい、と石黒は手を上げてそれを制した。
「呼んだのは俺だから。それに試験の合格祝いだし。俺、偉いから」
晃太郎より年下だが、会社での序列はかなり上。中途入社組の晃太郎と違い、石黒は創業メンバーの1人だ。
晃太郎は少し迷ったが、一礼して、店を出る。
──結衣、大丈夫だよな。

********

玄関やリビングの電灯はついているが、リビングに結衣の姿はない。寝室にもいないようだ。
「…結衣?」
洗面所とトイレから明かりがもれている。洗面所にはいない。ノックしようとした時、結衣がトイレから出て来た。
「あれ、もう帰ってきたの?グロさんと飲みに行くんじゃなかった?」
「あー、途中で帰って来た」
「…何で?」
不思議そうに結衣が晃太郎を見上げる。
「結衣が…心配で」
「そう…」
「……あのさ、」
「ん?」
「怒ってるよな?」
「何を?」
「試験のこと。黙ってて」
上目遣いに、結衣が晃太郎を軽く睨む。
「どうして言ってくれなかったの?」
「…期待させて落ちたら、幻滅するだろ」
「私は受けたことないけどさ、難しいっていうのは知ってる」
「うん…」
結衣の手が伸びてきて、晃太郎の右手を包み込んだ。
「落ちるとか受かるよりも、隠れて勉強させてたって、気を遣わせてたんだな…ってことの方、がショックだった」
「結婚したばかりで旦那が家で勉強ばっかりしてたら嫌だろ?」
「試験までの我慢でしょう?別にずっと続くわけじゃないし」
「…ごめん」
「晃太郎、私も話したいことある…」
「ん…」
結衣は晃太郎の手を軽く睨む引き、リビングへ入っていく。
「できたかもしれない…赤ちゃん」
晃太郎に向かって差し出されのは妊娠検査薬。だが、初めて見るので見方がわからない。
「…嬉しいよ。いるのか?ここに」
そっと結衣のお腹に手を触れてみる。
「まだ病院に行ってないから、何とも言えないんだけど。たぶんそうだろうって。先輩が」
結衣が『先輩』と呼んで慕う賤ヶ岳は、数年前に双子を産んだ母だ。
「…そっか。今度病院ついていこうか?」
「もうそればっかり。1人で行けるってば」
結衣の身体を抱き寄せると、結衣も素直に晃太郎の胸に身体を預けた。
「無理するなよ。今は具合どう?」
「だいぶましなの。先輩がね、フライドポテト買ってきてくれた」
「…フライドポテトなら食べれるの?じゃがいもあったっけ?」
「作ろうとしなくていいから。大丈夫だから。あのね、晃太郎…。あの…試験合格おめでとう。頑張ったね」
結衣が思いっきり背伸びをしてキスをした。──キスも久しぶりだ。抱き寄せると少し痩せたのがわかる。
「…結衣、まだスーパーやってるし、食べたいもの買いに行こう」
「買いに行かなくてもいいから。…でも、久しぶりに晃太郎の炒飯が食べたい。残り物炒めたやつ」
「そんなんでいいの?」
「あれがいいの。シンプルで美味しいんだから」
「ん…じゃあ作ろうかな。結衣、先お風呂入る?汗流したいだろう?」
「もう…。何よ…久しぶりに一緒に入ろうとか言ってくれないの?」
「んー…じゃあ、一緒に入るか。…3人で」
「気が早すぎ!まだわかんないんだから」
晃太郎の言葉に、結衣が照れたように笑った。
「お願いだからまだ誰にも言わないでね。ちゃんと検査して貰うから」
「わかってるよ」
晃太郎の腕に力がこもる。結衣はそっと身体を預けて、見つからないようににじんだ涙を拭った。

(終)

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2025年6月11日 18:19
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