第108話 救世合意
僕の世界は、急におかしくなってしまった。
「おお! みんな喜べ!」
「勇者だ! 新たなる勇者の誕生だっ!」
「邪神を滅ぼす勇者! 伝説の再来!」
ここのところ、みんなは空に現れた黒い点を見上げて、不安そうな顔をしてた。
中には、あれが物凄くでかい蜘蛛で、四勇者の伝説に出てくる邪神そっくりだって言う人もいて、大騒ぎになってた。
おかしいよ。
あんなシミみたいなのより、もっと大変なことが、ちょっと前まであったのに。
僕のお父さんとお母さん、そして妹は、魔王の戦争に巻き込まれて、死んだ。
魔物に襲われたわけじゃない。もっとついでみたいな、些末なこと。
僕を助けてくれた、教会の人は言ってた。
魔王軍は空を飛ぶから、余計な村や街は襲わない。
けど、滅ぼされた街から逃れてきた人が、食べるものを手に入れるために、周りの小さな村を襲うんだって。
僕の家族を殺したのは、お腹を空かせた人間だった。
住処を奪われて、動物みたいになって、……魔物さながらに、僕の村を壊したんだ。
お腹が空くと、人は人ではいられなくなる。
だからしょうがないんだって、だから憎んじゃダメだって、教会の人は言った。
悪いのは、戦争を起こしてる、魔王――ジャック・リーバーなんだって。
なのに。
「救世合意! 救世合意の成立だ!」
「勇者誕生! 新たなる勇者が世界を救う!」
「救世の勇者――ジャック・リーバーに祝福あれ!」
僕の世界は、急におかしくなってしまったんだ。
みんな、僕と同じはずだった。
魔王の戦いに巻き込まれて、家族を、故郷を、居場所を失って。
みんな恨んでたはずだった。
みんな憎んでたはずだった。
なのに――ある朝起きたら、みんな変わっていた。
僕だけが、悪い夢を見ているみたいだ。
「ねえ! みんなどうしちゃったの!? ジャック・リーバーは悪い魔王じゃないか!!」
同じ教会に保護されている大人たちに、僕はそう訴えたけれど、みんな不思議そうな顔をするばかりだった。
「何を言ってるんだ? リーバー伯が魔王だなんて!」
「君は何かを勘違いしているんだ。不安にならなくてもいいんだよ」
僕がどれだけ必死に説明しても、みんなはまともに聞いてはくれない。
僕のほうがおかしいのだと。
僕が――夢でも見ていたのだと。
違う。
悪い夢を見ているのは、みんなのほうだ。
僕はおかしくない。
絶対に――僕は、おかしくない!
「おい! 勇者様お披露目の式典が、この街で行われるらしいぞ!」
「そりゃあ運がいい! 精霊の思し召しだ!」
それを聞いたとき、これは運命だと思った。
この街――スノーモーが、いろんな国の人々が出入りする特殊な街だとか。
救世合意の式典は、できる限り三国に公平な場所で執り行わなければならなかったとか。
そんな、大人の都合なんか関係ない。
本物の勇者になれ、と。
他ならぬ僕が、そう精霊に導かれているのだと、思ったのだ。
その日は、青い――青い、空だった。
空の真ん中にぽつりとある、黒い点を除いては、青以外の何もない空だった。
まるであの黒い点が――邪神が、雲を全部どけて、新しい勇者を見ようとしているかのように……。
「ジャック様ぁ!」
「救世の勇者、ジャック・リーバー!」
「邪神を倒して! この世界を救って!」
昼の陽射しが降り注ぐ大通りに、たくさんの人が、ぎゅうぎゅうにひしめき合っている。
僕はその中を頑張って通り抜け、ようやく一番前まで来た。
大通りの真ん中に道が開いていて、その中を鎧を着た兵士さんたちが、地響きみたいに足音を揃えて歩いてくるのが見えた。
目の前を、大勢の兵士さんたちが横切っていく。
壁みたいなそれの向こう側に、そいつの姿は見えた。
陽の光を照り返す、真っ白なマントを靡かせて。
ギラついた目でみんなを見やり、馬鹿にするみたいに不敵に笑い。
ジャック・リーバーは、兵士に守られて歩いていた。
僕は、懐に差し入れた手をぎゅっと握り締める。
ここでは……ダメだ。
周りの兵士たちに、すぐに捕まってしまう。
チャンスはあるはずだ。僕がやるんだ。
僕が、悪の魔王を倒し。
本物の勇者として、……世界を、平和にする。
お父さんとお母さんと、そして妹が、辿り着けなかった平和に……。
僕は人だかりの後ろにいったん戻ると、兵士の揃った足音を追いかけた。
ジャック・リーバーが行く先には、大きな広場がある。
そこに作られた大きな舞台の上で、新しい勇者が人々に決意を語るのだ。
そのとき、ジャック・リーバーは壇上に一人になる。
狙うとしたら、そのときしかない……。
僕は走る。
兵士たちの足音は速い。
どうにか広場まで辿り着くと、より一層ぎゅうぎゅうになった人だかりに、僕は身体を捻じ込ませた。
どうにか一番前まで来る。
そこには、兵士の壁があった。
広場の舞台の周りに兵士たちが輪を作り、人が舞台に近付かないようにしているのだ。
その向こう側で、ジャック・リーバーが一人、もったいぶるようにゆっくりと、舞台を上がっている。
この兵士の壁を抜けなきゃ……。
そのときだった。
やっぱり僕は、導かれていた。
「おお! 勇者様ばんざーい!!」
すぐ横で、お酒の匂いを漂わせたおじさんが大声で叫びながら、兵士の壁を越えようとしたのだ。
兵士たちが慌てて集まり、広場に入っていこうとするおじさんを食い止める。
それによって――僕の前に、道ができた。
今だ。
天啓のように閃いた言葉に従い、僕は地面を蹴った。
「あっ!」
「君!」
全力で走る。
こんなにも速く走れたのは、生まれて初めてだった。
誰も追いつけない。兵士たちが動けないでいるうちに、僕はその間を通り抜ける。
階段に足をかけた。
舞台上のジャック・リーバーが振り返った。
その直後には、僕は舞台の上に駆け上がり、懐からそれを出していた。
教会の台所から持ってきた、包丁。
どこにでもある、ありふれた刃物が、僕にとっての神器だった。
ジャック・リーバーが目を見開く。
僕は躊躇わなかった。
勢いそのままに、包丁の切っ先を魔王に向けて、僕は突っ込んだ。
「ジャック!!」
悲鳴が聞こえる。
けど、それはきっと歓声に変わる。
みんな、騙されているんだ。
世界は、この魔王にめちゃくちゃにされたんだ。
邪神なんて嘘っぱちだ。勇者なんてどうかしてる。
この悪者を――誰かが、倒さなきゃいけないんだ!
ずぶり、という感触があった。
手が、温かくなっていく。
それは、包丁の柄を濡らしていく、真っ赤な真っ赤な血だった。
銀色の刃が、深々と、……ジャック・リーバーのお腹に、突き刺さっていた。
――や、……やった……。
やったぞ。僕はやった!
倒したんだ……! みんなを騙した悪者を!
父さんと、母さんと……妹の仇を!!
込み上げる感動に笑いながら、顔を上げた。
そこに。
まるでお父さんのように優しい、微笑みを見た。
「……え……?」
ジャック・リーバーは、柔らかに笑っていた。
お腹を突き刺した僕を見下ろして、本当に、優しく……どこか、安心するかのように。
そして、その唇をゆっくりと動かす。
脂汗を滲ませながら。
けれど、確かに――こんな風に。
――頑張ったな。
僕は自然と、包丁の柄から手を放していた。
それは、僕が想像していた、悪者とは違う。
なんで、笑うの?
なんで、嬉しそうなの?
わからなくて。
わけが、わからなくて。
もしかすると、僕が――どうにかなっているんじゃないかと思えて。
一歩、二歩と、……僕は、その人から後ずさった。
「き……きゃあああああああああっ!!」
「勇者様ぁ!!」
「何をするんだ、あのガキ!! この罰当たりめがッ!!」
広場は大騒ぎになっていた。
誰もが僕を罵って、お前が間違っていると、そう言って。
……いや。
「――違う」
間違っていない。
間違っているものか。
僕に今、お父さんもお母さんも、妹もいない。
この現実が、間違ってなどいるものかッ!!
「お前が……お前が奪ったんだ! お父さんも、お母さんも、妹もっ!! お前がっ! お前さえ、お前さえいなければっ……!!」
「何言ってんだクソガキぃ!!」
「自分が何をやってるかわかってるのか!?」
「勇者様は俺たちを救ってくださるんだ!」
「死んで詫びろォおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」
「――――はは」
お腹に包丁が突き刺さったまま。
ジャック・リーバーは、声を出して笑った。
「はは。はははは。ははははははは! ははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――ッ!!!」
呵々と。
朗々と。
何もない青空に向かって、魔王は大笑いする。
唖然と、誰もが沈黙した。
僕だけは、その笑い声に、言い返さずにはいられなかった。
「何がおかしいんだっ!!!」
「いやいや、勘違いするな」
くく、と笑いを噛み殺しながら、魔王は僕の顔を見る。
「お前じゃあない。――後ろの間抜けどもを、笑ったのさ」
そして、ジャック・リーバーは右手を頭上に掲げた。
パチン! と音高く指を鳴らし、
瞬間、世界が元に戻った。
「――え……?」
「俺たちは……」
「え? 勇者様――え? 魔王……?」
「ダイムクルド……? 魔王、ジャック・リーバー……?」
みんなの顔に一様に浮かぶ戸惑いを見て、僕は知る。
思い出したんだ。
魔王の存在を。自分たちが今まで、何をされていたのかを。
勇者と讃えていたこいつが、誰だったのかを。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『たった1ヶ月足らずで救世合意を成立させるには、イカサマを使うしかない』
魔王城の空中庭園で、ジャックはエヴェリーナにそう告げた。
エヴェリーナは嗜虐的に笑い、
『【舌裏の偽詞】を使って、ラエスとロウを洗脳しようってのかい?』
『それ以外に方法があるか?』
『ないねえ。確かにない! 人道にはもとるがね! ……だが、玉座のジジイどもを操るだけなら、あんたの大好きなエルフのコピー技で充分だろう?』
『国王だけ味方につけたって、その下で実際に働く国民が動かなきゃ意味がない。センリの魔女――お前には、世界中の人間から「魔王」を忘れさせてほしいんだ。今回、〈アンドレアルフス〉の暴走でそうなったみたいにな』
『……へえ? なるほどねえ。確かに、邪神と戦うには、最前線となるダイムクルドの領主――あんたが勇者になるのが、一番都合がいい。となると、魔王としての経歴が邪魔になるってわけかい』
『それだけじゃない』
他に誰の姿もない魔王城の頂上で、それでも魔王は、一人の人間として言う。
『これが俺なりの、責任の取り方なのさ』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「思い知ったか? 忘れる恐怖を」
魔王は。
ジャック・リーバーは。
包丁の突き刺さった腹から血を流しながら、それでも堂々と両の足で立ち、民衆に語りかける。
「人間たちは簡単に忘れる。一時の幸せに溺れ、儚い希望に目を眩まされ、どんなに暗い歴史も、簡単に忘れてしまえる。
忘れるな、己の傷を。
忘れるな、失ったものを。
そして忘れるな――己の身の程を!」
ジャックは、自分の腹部に突き刺さった包丁を掴む。
そして一息に引き抜くと、自身の血で濡れたそれを、高々と頭上に掲げた。
鮮血の赤が、陽の光に照らされて、鈍く輝く。
その輝きに、人々の目は惹きつけられた。
「……この通り、俺は貴様らに何をされようとも、こゆるぎもしない」
それは証明だった。
魔王たる者の、強さの証明だった。
そして同時に――
「――せいぜい、邪神と相打ちになるのを願っておくんだな」
この日、史上最強にして、史上最悪の勇者が誕生した。
その名はジャック・リーバー。
勇名ではなく悪名でもって、世界の救済を保証する者。
人々は忘れない。
魔王の恐怖を忘れない。
それがゆえに知るだろう。
邪神を倒せるのは、魔王以外に存在しないと。
振り撒いた悲しみは戻らない。
あったことは、なかったことにはできない。
それでも、未来に進むために。
悪をもって、邪を制す。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
[首の鎖]――――[???]
[右腕の鎖]―――[救世合意/勇者ジャック・リーバー誕生]
[左腕の鎖]―――[基点特定/シトリー=結城沙羅]
[右足の鎖]―――[【因果の先導】の覚醒]
[左足の鎖]―――[恋愛証明/薬守亜沙李、記憶返還]
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
式を終え、ダイムクルドの後宮に帰還したジャックは、すぐにくずおれた。
腹部の傷口はすぐにラケルが【癒しの先鞭】で塞いだが、失った血はすぐには戻らない。
彼は青い顔色のまま、壁際に座り込み、かろうじて意識を繋いでいた。
「……あなたは、まさか」
そんな彼に問いかけるのは、ディーデリヒ・バルリングだった。
魔王軍にて轡を並べる、世界終焉の輩たちを代表して、彼は問う。
「邪神を倒した後……己が死をもって、民衆の恨みを癒すつもりなのか。そのために……最期の最後まで、世界にとっての『悪』であり続けるつもりなのか」
その場に居合わせた、ラケル、エルヴィス、アゼレア、ルビー、ガウェイン、ベニーにビニーたちも、沈黙して答えを待った。
ジャックから、この式典での計画を聞かされて以降、誰もが考えていたことだった。
彼はもはや、邪神亡き後の世界に、生きるつもりがないのではないか、と。
「……くく」
ジャックは笑った。
青白い顔色のまま、それでも不敵に、魔王は嘯く。
「そんなもん、トンズラするに決まってんだろ?」
声音は、軽いジョークのようだった。
「俺の本当の生死なんて、誰にもわかりやしないさ……。邪神との戦いが終わった後、俺が姿を見せなければ、連中は俺が死んだものと思い込む。実際にはピンピンして、愛する妻と過ごしているとも知らずにな!」
ディーデリヒは少しだけ目を見開く。
それは弱々しくも、魔王たる者に相応しい嘲声だった。
「なあディーデリヒ、これ以上に間抜けなことがあるか?」
悪い遊びに誘うように、魔王は部下に言う。
「奴らは俺の死を笑うだろう。その姿こそ一番の道化。そのときは、腹の底から嗤ってやろうじゃないか――お前ら、本当に馬鹿だな、ってさ!」
ディーデリヒは、しばし唖然と、口を開けた。
かつて民衆は、英雄と讃えた彼を、酒の肴として貶めた。
それを、今度は、こちらが嗤ってやるというのか。
しかも、一切傷付けず――むしろ救ってやった上で!
「――は」
虐殺英雄の唇が緩んだ。
そして、実に数年ぶりに、ディーデリヒの喉から、心からの大笑が溢れ出るのだった。
――一方で、エルヴィスたちは察していた。
邪神との戦いを首尾良く終えたとしても、魔王ジャック・リーバーの居場所はこの大陸にはない。
それが彼の、責任の取り方だった。
勇者となり、邪神を倒すことで、魔王としての悪名を覆すことはできたかもしれない。
しかし、ジャック・リーバーを讃える世間に、魔王軍の被害者となった人々はどう思うだろうか。
自分たちの傷だらけの人生をなかったことにされ。
つらさも、怖さも、悲しみも、戦勝ムードの中で歴史から葬られ。
怒りの行き所を失った彼らは、どうやって生きていけばいいのだろう。
ジャックに刃を突き立てた、あの名も知らぬ少年は強かった。
世界すべてから間違いだと言われても、立ち向かうことを選び取った。
彼のような存在がいることを確かめるために、ジャックはきっと、世界にかけた欺瞞にあえて隙を作っていたに違いない……。
だが。
ほとんどの人間は、あれほどに強くない。
ジャックが英雄と讃えられるようになれば、きっと魔王の被害者たちは、この世界から居場所を失うだろう。
向かう先は、ここではないどこか。
それに名を付けるなら、……死者の国、とでも呼ぶべきか。
彼らを死へと駆り立てないこと。
自身の悪行、自身の悪名を誤魔化さないこと。
誰もに罵られて然るべき『悪』であることを、貫き通すこと。
それがジャックにできる唯一の、責任の取り方だったのだ。
だからもう、彼は、魔王は、この世界にいてはいけない。
この戦いを生き残ったとしても、彼は自分たちの前からいなくなる。
邪神を倒し、世界に平和をもたらす――
それは、親友との永遠の別れを、意味していた。
エルヴィスは、その覚悟を認める。
ルビーは、そりゃそうかと受け入れる。
ガウェインは、さもありなんと耐える。
そしてアゼレアは――
「……………………」
彼女は、献身的にジャックの傷を治す、ラケルの顔を見つめていた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……よく言うねえ。あたしも舌を巻く大嘘つきだよ、あんたは」
手当てが一通り済んで、ベッドに横たわったジャックに、エヴェリーナ・アンツァネッロは語りかけた。
他に人の姿はない。
今は、結城沙羅に人生を奪われた者、ただ二人の『被害者』しかいなかった。
「精霊さえも消し飛ばす、あの【巣立ちの透翼】の絶大な力――まさか、何の代償もなく振るえるものでもあるまい?」
「……………………」
ジャックは目を開けたまま、静かに沈黙していた。
その姿は、どこかおぼろげで――
――今にも霧のように、吹き消されてしまいそうだった。
「……それが、どうした」
それでも決然と、ジャックは言う。
「決着を、つける。その後のことは、その後に考える。それだけのことだ」
「そうかい。……ま、あたしは何も言わないさ。あんたがどうなろうが、知ったこっちゃないんでね」
魔女は椅子から立ち上がった。
横たわった魔王に背を向けて、別れの挨拶もなく、部屋を去る。
一人になったジャックは、天井を見上げながら心を整えた。
これで、終わりにする。
俺のすべてを懸けて。
世界さえも巻き込んで。
妹と、この世界。
どちらが強く、生き残るか。
――――全面戦争だ。
TO BE CONTINUED TO
決戦の勇者期:それでも、わたしは