縮限

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縮限
@decontractio
これらの呟きは私自身の発言であることを保証されるものではなく、また私個人の見解を代表するものでもありません。
socio-logic.jpJoined August 2024

縮限’s posts

ちなみに千葉雅也先生の『現代思想入門』には、フランス現代思想の特徴として「逆張り」が挙げられていて、これは本当に的確な指摘だな、と思ったところでした。
「本は最初から最後まで順に全部読まないといけないものではない」って研究者は言いがちだけど、それは研究の資料として使ってるからそういう読み方になるのであって、 読書人ならば最初から最後まで順に読んだ方がよく、なので問題は、「どうしたらそんなことができるのか」の方なのであった。
「博論本て、そのテーマに詳しくなくても読めるのかしら?」みたいなことが気になる人は、 まず最初に、「博論の最も重要な読者である主査と、副査のうちの半数は、そのテーマには詳しくないのが普通」という決定的な事情について勘案するところから始めるのがよいと思いますよ。
「なぜ働いていても本が読めるままなのか」という趣旨の講演をしなければならなくなったっぽい。
60年前の日本の哲学地図は ・マルクス主義 ・実存主義 ・科学哲学 だったんだから、 「現代思想と分析哲学」は、当然ながらどっちも消えることが可能な思潮だと考えておかないとおかしいよ。 そして実際、近いうちにどちらも消えると私は思います。
スライド作るの下手な人、 この過程↓ができないのかと思っていたら、その手前の「リストする」ができていないことが最近わかってきた
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関係ないけど、 「本は私を自由にしてくれる」というのは書籍愛好者の典型的な語りの一つだけど、 これの前提には、「現前性に弱い」があるはずで、 ということは、 本にだけ頼ってないで、「現前性に弱い」の方もなんとかしたほうがいいんじゃねーの? といったことはよく思うところです。
修士の人と話すときは必ず「レビューは大事な仕事だし修論はそれだけでもいいくらいだよ」という話をするようにしている。
・新刊は買わない ・刊行から十年経っていないものは読まない って決めたら人生は楽になるよ。 せっかく学者や物書きじゃない人生を送ってるなら、その方が楽しく生きられるよ。
「自分を疑う」とか「知的謙虚さ」とか難しいので そんなところで頑張らずに 本は他人と読むのがいいよ。
「前提知識は不要」という教科書を本当に作ったらすごく分厚くなるはずで、実際、合衆国で刊行される教科書は少なからずそうなってる。 厚くなってないのに「不要」って言ってるのはなんか誤魔化してない?? ──くらいの話はして欲しい。
『歴史学はこう考える』は 科学論(科学史、科学社会学、科学哲学)に属する仕事を歴史家自身がやっている というタイプの本でしょうね。
人文社会くんたちの使う語彙で信用ならないものはたくさんあるが、 なかでも「物質」は信用ならないものの筆頭だろうね。
私が思うのは、人文系の人たちには期待できない、ということです。 あの人たちは雰囲気でレジュメを作っている。
丸山眞男を読んで「難しかった」と言っているひとは たぶんそもそも本が読めないんだと思うので、 そっちの方をなんとかしたほうがいいと思うよ。
先日、またもや「本を読んでいてわからないときはどうすれば?」という質問が出たので、 いつものようにまたもや「平凡社百科事典を引く」と答えたところ、 いつものようにまたもや笑われたのですが、 この答えが笑いを誘うのはなんでなんですかね???
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「本は最初から最後まで順に全部読んだ方が良い」と言える最大の理由は、 「その本が実際にそのように書かれているから」 である。
フランス現代思想で産湯を使った編集者たちが引退して世代交代するのを待つしかないんじゃないでしょうか。 その間に将来の編集者を分析哲学の産湯から育てるしかありません。
〈権威に従うか/権威に従わないか〉という二分法でしか事柄を考えておらず、 「いつ・どんな権威になら従うべきなのか」 という問いを立てたことがないからでしょうね。
敬称として「さん」を要求してしまうと、 「名前を知らなくても(覚えていなくても)話しかけることができる」という 語「先生」の決定的なメリットを相手に手放させることになるので相手の負担が増えるよ。
フーコーとか読んでて鼻白むのは、批判すべき政治体制がたかだか全体主義だということなんですよねぇ。
ちなみに、進捗報告会の案内を見て 「執筆は独りでするものだ」 「研究は独りでするものだ」 という冗談のような感想をよこす人というのが世の中には本当にいるんですよ(現代社会の複雑性)。 当方からは、 「そういう人生があってもいいですよね」 以外の返答をすることはありません。
「誰に何を説明しなければならないか」は 「誰をパトロンにするのか」によって決まるのでは。 人類は 「実家の太い人だけが科学研究する」とか 「貴族のお金で絵を描く」みたいのをやめて 国家をパトロンに選んでしまったのだから、もう引き返せないよね。
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私の観察範囲だと、本をたくさん読んでるのは文学部だと史学と思想史で、このうち思想史の人に対しては「たくさん読めばいいってもんじゃないんだな」と思ってました。 反面教師としては大変参考になった。
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したがって博論は、建前上では必ず、「自分よりものを知らん人に向けて、自分よりものを知らん人でもわかるように書く」という制約のもとで執筆されるのです。
「社会福祉はあって欲しいアナキスト」が知的ミリューの大勢を占めている状況でニクラス・ルーマンが蛇蝎のように嫌われたのは当然のことで、でも世の中の方が変わってしまったので、いまやルーマンが蛇蝎のように嫌われていたこと自体が想像できなくなってしまいつつある
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大学時代に哲学科の講義やゼミなどに潜っていて気がついたことの一つは、哲学科の学生はほとんど本を読んでないということ。これパブリックイメージとは違うので、けっこうびっくりしない? ともかくも、学生時代から本読んでないんだから「働いたら〜」とか関係ないのよね。
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博論というのは、建前上、「そのトピックについてはその人が世界で一番詳しい」という条件のもとで執筆されるものなのです。
哲学書や社会学書の出会い方として、 「これこそ私の考えていた(けどうまく言えなかった)ことだ!」 「私のことが書いてある!」 「私のための本だ!」 みたいなものがあることまでは気づいていたけど、こんなに多いとは若いころには知らなかった。
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読書マウントしてくるやつらはだいたい思想史
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Adam Takahashi
@adamtakahashi
実体験にもとづいて『本はたくさん読めばいいってもんじゃない』という本を書きたいと思います・・・。 x.com/decontractio/s…
わたくしの人文主義ならびに人文界隈嫌悪については文學界連載にて少しずつ開陳しておりますのでどうかご一読を。
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「わかりやすい本」を求める人たちにまず確認したほうがよいのは、  貴方がその本を読めないのは、その本が難しいからではなく、  貴方が本を読めないからだ、ということはないですか? ということだよね。
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私の見聞の範囲では、就労後も本を読み続けているのは金融系とIT系の人たちで、 金融系の方は資格取らなくちゃいけない(とると給与が上がる)から、らしい。 IT系にも資格はあるけど重要性が金融系とはずいぶん違う。
多くの人はそもそも「文書構造」とか「書式」といった観念を持たずに文章を書いている模様。 WORDを「すごく重いエディタ」として使っている。
セジウィックの『男同士の絆』読書会、本来的な意味において大変だったなぁ。 読書会が進むにつれて著者を擁護する人が誰もいなくなり、最後の方では私にはだんだんと希死念慮まで生じてきた。
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長い間、日本の人文社会系学科では、 ・教育なんかしていなかった(選抜をしていた) か、もしくは、 ・我々が教育という名前で想像することとは別のなにかをしていた かのどちらかなんである。
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ただいま『歴史学はこう考える』の合評会を準備中です。 評者は井頭昌彦さん(科学哲学)と浦野茂さん(社会学、エスノメソドロジー)にお引き受けいただきました。 十二月の休日で日程調整中です。続報を待て。
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哲学者ではない人が哲学を学ぶべき理由の一つは、 そういうことをしないでいられるようになるため、です。
「あなたの主張は国民国家を前提にしたもので〜」 「そのとおりです。なにか問題がありますか?」 ・・・みたいなやりとり。1990年代に死ぬほどやったなぁ(そして俺の魂の何割かはそこで死んだ)。
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著者がそこで苦労しているのだから、 その本を読むための最初の方針は、 その苦労を受け取ることから獲得すべきなのですよ。
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佐藤剛裕
@officesatojapan
しかし本を書く方は、一般の読者に分かるように最初から最後まで順に考えていることを並べ替えて書くのに苦心しているという。人間の思考など、それほど線形の論理構造に従って行われているものではないだろう。 x.com/decontractio/s…
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芸術のすごいところは、 得体の知れない何だかわからないものを見た時に、普通なら戦うか逃げる崇め奉かといった選択を迫られるであろうところ、 現代人である我々は芸術の観念を持っているので、 「なんだアートか」 で済ませて気にしないでいられる、というところ。