第1章 社会問題研究における「クレイム申し立て」アプローチの再考
1. はじめに
問題意識:
個人の「問題」「生きづらさ」の経験。
問題の感じ方や解決への行動は人それぞれ。
社会的な問題化とその困難性。
「社会の現状」を変えようとする行動(他者への「語り」)。
本章の焦点は、社会の現状について感じる「問題」を他者へ語る実践とその困難さ。
困難の理由:
社会的に少数者や不利な状況に置かれる者が直面する切実な問題。
言葉が耳を傾けられず、否定され、かき消される現実。
状況の問題化・変化に対抗する社会的な力の作用。
社会問題研究の視野をより繊細に拡大する理論的・方法論的関心。
「クレイム申し立て」として認知されずに排除される事態と過程への注目。
問い:
人は他者との相互行為過程でいかに「問題」に言及し「クレイム」を申し立てるのか。
「問題」をめぐるやりとりはどのような相互行為なのか。
2. 社会問題研究における「クレイム申し立て」へのアプローチ
構築主義の概念:
社会問題研究者は、社会の現状について感じる「問題」を他者に語り、現状を変えようとする実践を「クレイム申し立て」と呼称。
社会問題研究の対象を、社会状態の客観的研究から「ある状態が存在すると主張し、それが問題であると定義する人びとによる活動」へと転換。
「クレイム申し立て」は、相互行為の一形式であり、「ある活動主体から他の者に向けての、ある想定された状態について何かをすべきだという要求」。
「社会問題の構築」の再提案:
P・R・イバラとJ・I・キツセによる「道徳的ディスコースの日常言語的な構成要素相互作用論の立場からの社会問題研究のための一提案」。
研究対象をより厳格に言語的次元に設定し、「状態のカテゴリー」や「社会問題の言語ゲーム」といった概念装置を整備。
人びとが社会問題を訴えるために用いる日常言語的な資源、クレイムのレトリックとその応酬に焦点を絞る。
レトリックをイディオム、対抗レトリック、モチーフ、スタイルの四つの次元で研究(例: 喪失のレトリック、権利のレトリック、危険のレトリック)。
構築主義研究の課題:
切り詰められた対象(非言説的なものの除外、言説の同定手続きの問題)。
「クレイム」の同定が相互行為過程で争われうる点。
本章の関心は、語られた「クレイム」の言説よりも、「クレイム申し立て」が実践される過程、語りが生み出されたり否定されたりする過程。
仮説的枠組み:
「リアリティ定義の競合」(D・R・ロウスキ)の概念を導入。
「問題」をめぐる人びとの応酬をリアリティ定義の競合として捉え直し、実践が微妙で不確かな構築物であることを示す。
3. リアリティ定義としての「クレイム申し立て」
「クレイム」の定義:
ある状態を問題であると主張し、その改善を要求すること。
常識の一部であり「社会的に構成されたカテゴリー」。
社会のメンバーによって決定され、申し立てる主体によって一義的に決定されるものではない。
二重の定義:
申し立てようとする者が、ある「状態」を「問題」として定義すること。
相互行為過程において、その定義活動が「クレイム」として定義されること。
この二つの定義は必ずしも連結しない。
第一の定義(「状態」の「問題」定義):
「状態」をいかなるものとして経験しているかの表明。
「同じ」事態を「問題」と感じる人と感じない人がいる前提。
オルタナティブなリアリティ定義の提起(例: セクシュアル・ハラスメント、夫婦別姓)。
「問題」の語り手は、他者にリアリティ定義の変更、リアリティ経験の変更を迫る。
異なるリアリティ定義が競合する可能性。
第二の定義(「クレイム」としての定義獲得):
語り手の言葉が、相互行為過程で「クレイム」であるという定義を獲得する必要性。
「問題」の語り手は、自分のしていることが「クレイム申し立て」であるというリアリティ定義を打ち立て維持する必要がある。
「いまここで起こっているのは何か」についての定義(語りの内容だけでなく、状況、相互行為、アイデンティティ、関係性、振る舞い、形式、互いの経験や知識など広範な要素が関与)。
例: 郵便局のずさんさに関するスピーチが「奇行」と定義されるケース、女性運動の「クレイム申し立て」が「からかい」や「嘲笑」の対象となるケース。
三重の定義:
「クレイム申し立て」は、語り手の「問題」経験を焦点とするリアリティ定義の実践。
同時に、その実践が相互行為過程で「クレイム」として定義されてはじめて「クレイム申し立て」となる。
「問題」が語られている「いまここ」を語り手と受け手がどのようなものとして経験しているかという二重の相におけるリアリティ定義の競合。
言説としての「クレイム」の応酬は、リアリティ定義の競合の一形態。
イバラとキツセのレトリック研究は、「状態のカテゴリー」の競合に注目。
しかし、この応酬にはそれ以上の定義(実践それ自体がどのように経験され定義されるか)が関わっている。
4. 「問題」をめぐるリアリティ定義の競合
リアリティ定義競合の過程:
「問題」をめぐる人びとの応酬は、二重のリアリティ定義の競合。
ロウスキの議論(夫に虐待された妻たちと保護施設のワーカーとのやりとり)を参考に考察。
ロウスキのケーススタディ(「妻の虐待」研究):
二つのリアリティ:
専門家の定義する公式リアリティ(公式定義: 夫による激しく、繰り返され、身体的・心理的に傷つける意図的な暴力)。
妻の側の生きられたリアリティ/主観的リアリティ。
妻の経験は、専門家の公式定義を通じて再定義、分類、対処される。
競合の二つの形:
個人のパーソナル・アイデンティティをめぐる競合: 一方の定義が他方のアイデンティティを規定(例: 「虐待された妻」という自己認識が否定される)。
直接経験の意味をめぐる競合: 一方の定義が他方の経験を意味づける(例: 妻の経験がワーカーによって再解釈されたり無視される)。
競合において、一方の定義が他方を凌駕し、巻き込まれた者は自分のアイデンティティと直接経験の意味に対するコントロールを失う。
リアリティ定義権の失効過程:
「問題」の語り手の実践は、他者の「ここに問題はない」というリアリティのなかで経験され、定義を与えられる。
例: 娘の感情表現を母親が「騒ぎ立て」として受け取るケース。
「クレイム」は社会的なカテゴリーであり、受け手によって「問題」として定義されなければならない。
「問題」の語り手その人に付与される定義(「人カテゴリー」)が、語り手自身の自己定義をも凌駕しうる(例: 「騒ぎ立てる困った人」)。
自分の経験する「問題」が、自己の属性に由来するものとして解釈されるように促される。
個人の「クレイム申し立て」の試みは、リアリティ定義の競合において、その「問題」経験とともに無効化されうる。
自己が自分にとってのリアリティを定義する権利(「リアリティ定義権」)が失効する。
5. 三重の定義
競合の作動メカニズム:
他者のリアリティ経験を不適切、誤り、有害、是正すべきものと見なし、自らの定義を適切、正当、有効と見なす認定によって作動。
この認定もまたリアリティ定義の一部。
リアリティ分離(M・ポルナー):
世界について相矛盾した複数の経験があること。
競合する経験の中からどれが正しくどれが誤っているかを決定する。
人は自分自身の直接経験を世界の決定的経験として選択し、相手の経験を誤りや不完全なものと見なす(例: ペンが見えないと主張する者)。
この選択の正当化はトートロジーにすぎないが、これにより自分の経験を「以後の推論の頑強な基盤」とし、競合する経験を失墜させる。
リアリティ定義のメタレベル:
一方のリアリティ定義(専門家の客観的な定義)が、他方(妻の主観的な定義)よりも確かであると見なされる。
リアリティ定義の定義というメタレベルで、一方のリアリティ定義を「客観的」「正当」などと定義し、競合する定義を「主観的」「誤り」などと失墜させる。
これによって一方の他方に対する優位が確保され、排除の根拠も与えられる。
三重の定義の争い:
ある「状態」を「問題」であるとする定義。
それを表明する実践が「クレイム申し立て」であるという「いまここ」のリアリティ定義。
それらの定義が「適切」なものであるというリアリティ定義のメタ定義。
「問題」を経験し「クレイム」を申し立てようとする者は、この三重の定義における競合をくぐり抜けなければならない。
6. 何が「問題」なのか(夫婦別姓を事例に)
事例の背景:
夫婦同姓制度に対し、「夫婦別姓」という選択を求める動き。
「夫婦別姓」運動は民法改正運動として認知されているが、日常生活の場も舞台。
クレイムはアリーナ(法制度論議の場、私的アリーナ、メディアなど)によってスタイルが異なる。
反論の例(「夫婦別姓」を求める側へのカウンタークレイム):
「破壊的結果の警告」: 「家族の一体感を損なう」「家族が崩壊する」ひいては「日本の伝統文化」「秩序」「国」にまで及ぶ破壊的結果が警告される。
「人格への還元」: 「夫婦別姓」を求めることが本人の人格の問題に帰せられる(「わがまま」「大人げない」「子供っぽい」「現実離れしている」「特殊な人」など)。
価値剥奪: 好ましくない人格・性格を表すラベルを貼る。
特殊化: 一部の「特殊」な者の言い分にすぎないと問題が還元される。
戯画化: 滑稽な、見当違いな振る舞いとして描き出される。
「弱者配慮の要求」: 子どもや親など、弱者への配慮を理由に「夫婦別姓」が否定される。
「グランドルールの宣示」: 「自然」「合理」「道徳」「社会」「世間」といった上位の拘束力をもって個々人の選択が否定される。
リアリティ分離における反論者の対処:
反論者は、彼らにとって自明な現実(夫婦同姓)が「問題」化される事態に直面。
意見の対立というよりも、生きている現実の隔たり。
「人格への還元」は、リアリティ分離に説明を与え、自らの現実を守る切実な方法。
反論者は、相手の人格、経験主体としての質を疑い、その適切さを否定する。
「夫婦別姓」を求める者は、自己と経験の二重否定(自身のリアルな経験に基づいて表明することが、身近な他者から不適当と言い渡される)に直面する。
結論:
ある人びとにとって自明な「現実」が他の人によって「問題」化されるところで、ここで見たような反論の方法が対抗的に行使されうる。
「問題」を感じた者は、二重否定の力にさらされ、それに抗って自己と経験を肯定し、クレイムを申し立てる可能性へと開かれていく。
7. 「社会問題」の「構築」されない過程
「問題」の語り手の試みは、他者の「ここに問題はない」というリアリティにおいて経験され、定義され、却下されうる。
人びとのリアリティが自明であればあるほど、オルタナティブな定義は逆定義され、排除される。
「クレイム申し立て」は、相互行為過程において「クレイム申し立て」として構成されえず、その「問題」の定義は挫折する。
個人の「問題」経験とその表明は、競合するリアリティ定義のなかで逆に「問題」化され、「社会問題」を必ずしも「構築」しえない。
社会的に可視化された「クレイム申し立て」の過程の一方には、個人の「問題」を「クレイム」へ、また「社会問題」へと可視化させない現場がある。
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