普遍論争

プラトンイデアが本質存在でありアリストテレスの現実存在より優位なものと主張した。アリストテレスはこれを受けて普遍は名にすぎないという唯名論を主張し、プラトンに勝利したとされている。イデアはただの言葉にすぎない、とも言われ、現実存在のほうが大事に決まってる、と考えた。論争はそれほど盛り上がらずに、アリストテレスの著作をアラビア語からラテン語に翻訳されると、こんなことを語ったのか、とアリストテレスの哲学を大学生が補修するようになり、トマスら哲学者に普遍論争として再び火花を飛ばすことになった。

 

二十世紀になるとニーチェにも本質存在より現実存在が重視され、『神は死んだ』と宣言した。神の図というものを崩壊させることにより、キリスト教的価値観の転倒に侵食しました。これを受けてハイデガーサルトルが現実存在(実存)は本質に先立つとする実存哲学、あるいは実存主義を唱えるようになりました。本質存在から現実存在(実存)の優位への転換はいわば神中心から人間中心の世界へと転倒したという重要な歴史観がうかがえる。

 

神は死んだ、という言動は、神のイマージュを無にすることに関連する。神は死んでいるから、もう頼れないぞ、と警告する。神は死んでいないから、助からないぞ、神はいないから救われないぞ、と考えさせる。神に頼ることのできない社会では、デカルトやカントの神に対する信仰というものは本末転倒であることが見受けられる。