ソクラテスと固有名詞で呼べば個別化することは可能であろう。
ソクラテスと名の付く生命体は人間である、という命題があるとき、これはソクラテスと名の付く生命体全体を指している。特定のソクラテスが人間であるという命題があるときと同じく個別化は図られない。
人間であると類の概念を述語に位置するとき、これは個別性がないと言える。
A区の今笑ったソクラテスは笑い方に好評がある、という命題があるとき、個別性が滲み出ている。
すべてのソクラテスは笑い方に好評がある、という命題を立てるとき、"すべての"ソクラテスに笑い方の好評があるという普遍性があり、個別性があるわけではない。すべてのソクラテスは、というとき、これは普遍性のある主語である。
ソクラテスAは、と特定的に言うとき、個別化がありそうだと懸念される。ソクラテスAはガムを噛んでいるという命題があるとき、ソクラテスAはガムを噛んでいてある程度の個別性が考えられる。