ソクラテスは人間である、という命題のソクラテスは個体であるが、人間という概念は類の概念である。
人間の胎内から産まれた赤ちゃんはみな人間である、という命題の赤ちゃんという概念も類の概念である。
ソクラテスという名の普遍性は経験によって判断されうる内容である。経験によってはソクラテスという名を持つ存在が複数いると判断されうることが考えられる。
赤ちゃんという単純概念を使うとき、それは個体であることもあれば赤ちゃん全体を指すこともある。
もし個別性と普遍性を明確に区別するなら、ソクラテス全体について吟味することや赤ちゃん全体と書いて全体という言葉を添えることが懸念される。
ソクラテスという人間とソクラテスというカルガモの透明人間が存在するなら、ソクラテス全体が人間とは言えないはずである。
赤ちゃん全体と書いて赤ちゃん全体が人間であると言いたくても、透明人間の赤ちゃんは人間ではないから、一概に赤ちゃん全体が人間であると言えないのではないか。
人間の胎内から産まれた赤ちゃん全体は……とここまで明確化して、述語は人間である、と説明することが、普遍性の命題である。
カルガモの透明人間のソクラテスは複数いるか。人間であるソクラテスも複数いるか。いずれにしても、A区の今笑ったソクラテスは一体である、という明確化はできそうである。こうした個別性を内在的に持たせる明確化が分析においては要請されるのである。