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阪神暗黒時代伝説②~ベテラン選手の移籍編

阪神暗黒時代には、大量のベテラン選手がやってきた。

その多くが活躍することなく、阪神を去っている。

打者で書くと、田尾安志、高橋慶彦、石嶺和彦…

投手で書くと、星野伸之、山沖之彦、藤本修二…

などが阪神に来て、そのまま終了している。

今回は、阪神に移籍してきたベテラン選手の特集です。

 

田尾安志(1987-1991)

1987 打率 .211 打点 12 本塁打   6

1988    .300    21       4

1999    .286    27       5

2000    .280    50     11

2001    .155      1       0

 

阪神入団時点で 33 歳。

中日時代は安打製造機として大活躍する。

余計な一言のせいで西武に移籍することになる。

西武でも森監督との確執から阪神に移籍する。

 

中日時代が凄すぎて、西武・阪神の印象が薄い選手。

特に、阪神では若手の台頭もあって二軍が多かった。

(村山監督との確執もあったが…)

移籍組の中では、在籍年数が長かった選手の一人。

 

阪神の村山監督時代に、ミーティングで村山監督が、

「チーム強化のため意見を聞かしてくれ」と発言する。

掛布雅之「監督の意見を新聞を通して知ったりするので、あまり正確に伝わっていないように思う」

柏原純一「若手もベテランも同じように叱ってください」

 

と選手が発言する中で、田尾さん…

「勝つための野球をしてください」

と発言して、村山監督の逆鱗に触れてしまう。

以降二軍が多くなり、次の中村監督の時に引退をする。

 

高橋慶彦(1991-1992)

1991 打率 .206 打点 2 本塁打 0

1992    .240    2     0

 

阪神入団時点で 35 歳。

日本を代表するスイッチヒッター。

走攻守三拍子そろった全国区の人気を誇るスター選手。

遊び人風に見えて、実は、練習の虫でもある。

また、チーム内での衝突が多かった選手でもある。

 

阪神に移籍した時に、正直「あの高橋喜彦が?」と少し喜んだりもしたが、広島時代の俊足好打の活躍を見ないまま引退することになる。

阪神時代の思い出としては、 91 年のオープン戦で、始球式に登場した山田雅人にデッドボールをくらって退場したぐらいだろうか。

 

石嶺和彦(1994-1996)

1994 打率 .246 打点 77 本塁打 17

1995    .240    33       9

1996    .161      8     2

 

阪神入団時点で 33 歳。

オリックスで長年中心選手として活躍をした選手。

阪神では、生え抜き選手としては和田豊が初の一億円プレーヤーであるが、生え抜きでなければ、石嶺和彦が初の一億円プレーヤーである。

 

オリックス時代は指名打者として出場することも多くて分からなかったが、甲子園で外野を守備してみると、あまりうまくないことが判明する。

また、ひざを故障していたために、広い甲子園では、なおさら守備の不安が露呈する。

移籍一年目こそ、若い頃の新庄のような成績で終えるも、二年目、三年目は全く活躍できないまま引退する。

 

松永浩美(1993)

1993 打率 .294 打点 55 本塁打 8

 

阪神入団時点で33歳。

高橋慶彦と双璧の日本史上最高のスイッチヒッター。

阪急・オリックスの一番として走攻守そろった名選手。

阪神トレード時の相手はエースの野田だった。

 

中村監督からは「これ以上ない頼もしい選手」と言われ

松永自身も「トレードを意気に感じている」

「中村監督を男にしてみせる。俺は義理堅い男だよ」

と熱いコメントをするも、一年で阪神を去ることに。

 

阪神時代の思い出としては、

開幕戦で5打数5安打と打ちまくったこと

甲子園球場は幼稚園の砂場と発言したとスポーツ紙に書かれたこと

調子を落とした際に自分を鬼のように強くする意味で、

背番号を2から02(鬼)にしたことが挙げられる。

正直、最低でも三年は阪神にいて欲しかった選手。

 

古屋英夫(1991-1992)

1991 打率 .311 打点 2 本塁打 0

1992    .059    1     0

 

阪神入団時点で 36 歳。

 36 歳と言えば、江夏が引退した年齢。

日本ハムを解雇された 36 歳の古屋が阪神で再生されることはなかった。

日本ハム時代は主軸として活躍する。

 85 年には 33 本の本塁打を打ったスラッガー。

 

本西厚博(1997-1998)

1997 打率 .221 打点 6 本塁打 0

1998    .135    5     0

 

阪神入団時点で 35 歳。

 97 年のシーズン途中で入団している。

なんといっても外野守備の達人。

オリックス時代は、イチロー、田口と共に十二球団一の鉄壁の守りを形成する。

 

年齢もネックとなり、阪神での活躍は少なかった。

阪神移籍後、選手たちの練習量が少ないことに…

「こんなに練習しないチームを見たことがない」

「(練習の少なさに対して)意味が分からない」

と残して引退する。

 

佐々木誠(1999-2000)

1999 打率 .273 打点 6 本塁打 1

2000    .158    2     0

 

阪神入団時点で 33 歳。

走攻守三拍子そろった選手.。

全盛期は秋山幸二と共にメジャーに最も近い男だった。

期待は大きかったが、目立つような活躍はナシ。

どんなに凄い選手でも、阪神にきた途端に活躍しなくなるという典型的パターン。

 

星野伸之(2000-2002)

2000 勝 5 負 10 防御率 4.04

2001   1   2     4.60

2002   2   1     2.39

 

阪神入団時点で 35 歳。

オリックスのエースで通算176勝。

とにかく球が遅いことで有名。

キャッチャーに素手でボールをキャッチされたことも。

一方で、今まで見たピッチャーの中で一番球が速いとも言われる。

 

阪神では、どんなに凄い選手でも、阪神にきた途端に活躍しなくなるという不思議な病にかかる。

年齢からくる衰えか、実力不足なのか、よく打たれた。

横浜とは相性が悪かったのか、ボコボコに打たれる。

オリックス時代の投球を、一度は阪神で見たかった。

 

山沖之彦(1995)

1995 勝 0 負 0 防御率 0.00

   

阪神入団時点で 36 歳。

 36 歳と言えば、江夏が引退した年齢。

オリックス時代は、星野伸之が左のエースなら、山沖之彦は右のエースだった。

当時は、山田久志が健在で、山田久志と山沖之彦でヤマヤマコンビと言われる。

 

阪神では、故障の影響で一軍登板は一度もなし。

国内FA後、一度も一軍出場がないまま引退する。

ちなみに、これ(↑)は山沖だけとか…

何しに阪神に来たんだか…

 

藤本修二(1991)

1991 勝 0 負 5 防御率 6.94

1992 一軍登録なし

 

阪神入団時点で 27 歳。

南海暗黒時代を山内トリオと共に支えた投手。

年齢的には十分若かったが、目立つような活躍はナシ。

 93 年には西武に移籍して、そこで現役を終える。

 

ちなみに、愛媛県の進学校の今治西の出身。

頭は賢かったと思われる。

前述の山沖之彦は高知県の進学校の中村の出身。

前述の田尾安志は同志社の出身(一般受験)。

頭の賢い選手を獲得しようとしていたのか…

 

石毛博史

2003 勝 1 負 1 防御率 3.26

2004   0   0     0.00

 

阪神入団時点で 33 歳。

巨人のイメージが強いが、近鉄、阪神と渡り歩く。

巨人時代は勝利の方程式と呼ばれるストッパー。

三者連続フォアボールなど石毛劇場で盛り上げることも多かった。

 

実は、四者連続フォアボールもあった。

実は、五者連続フォアボールもしている。

所属した全球団で優勝を経験している。

そのため優勝請負人とも言われる。

(本人は優勝見届人とも…)

 

今回はこの辺で。

 

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