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阪神暗黒時代伝説①~ダメ助っ人編

阪神暗黒時代には、大量の外国人が輸入された。

だいたい期待を込めて「バースの再来」なんて言われたりするけど、実際、バースの再来はなかった。

バースほどでなければ、一部、優良助っ人はいたけど。

メジャーリーグで活躍した選手は、なぜか、阪神に来ると怪我をするし、急に打てなくなる。

それではと思い、他球団で活躍した助っ人をお下がりで獲得しても、これまた阪神に来ると急に打てなくなる。

今回は、そんな阪神暗黒時代の助っ人の特集です。

 

ルパート・ジョーンズ(1988)

打率 .254 打点 27 本塁打 8

 

解雇されたバースの代わりに緊急獲得した助っ人。

日本初の背番号 00 で、ゼロゼロ怪人と呼ばれる。

肩を痛めていたらしく、外野を守備するも返球はほとんど下手投げ。

一塁手の時は、ピッチャーがジョーンズからボールを受け取るために、一塁に駆けよる。

試合後は、ピッチャーでもないのにアイシング。

但し、盗塁を 10 も記録しており、足は速かった。

あと、ベンチでお香を焚いていたとか。

 

セシル・フィルダー(1989)

打率 .302 打点 81 本塁打 38

 

ルパート・ジョーンズの代わりに獲得した阪神暗黒時代の優良助っ人。

オープン戦では打てずに大型扇風機と揶揄される。

ところが、シーズンに突入すると確変を見せる。

バースの再来を予感させた。

 

東京ドームの巨人戦で水野雄仁に三振を取られた際に、悔しくてバットを地面に投げつける。

地面からバットが跳ね返る。

そのバットが手に当たる。

指骨折。

その後、試合には出場できなかった。

本塁打王もヤクルトのパリッシュに奪われている。

 

結局一年で阪神を去り、アメリカに戻る。

そこで入団したのがデトロイト・タイガース。

今度はアメリカのタイガース。

そして、二年連続本塁打王、三年連続打点王に輝く。

当時、巨人で活躍したガリクソンもデトロイト・タイガースで活躍していたため、当時の監督が「日本製品は素晴らしい!」と絶賛したとか。

 

ラリー・パリッシュ(1990)

打率 .249 打点 80 本塁打 28

  

メジャーで本塁打256発を打っているスラッガー。

前年は、ヤクルトでホームラン王に輝く。

しかし、監督が野村監督に代わると、三振が多く打率も低いことを指摘される。

あえなくヤクルトをお払い箱となる。

 

そして、阪神に移籍。

阪神移籍後も本塁打を量産し、八月時点で本塁打王争いトップに立つ。

ところが、ここで古傷の膝の怪我が再発する。

八月下旬、突然引退をしてしまう。

 

トーマス・オマリー(1991-1994)

1991 打率 .307 打点 81 本塁打 21

1992    .325    62     15

1993    .329    87     23

1994    .314    74     15

 

パリッシュと入れ替わる形でやってきた阪神暗黒時代の優良助っ人。

決まり文句は「ハンシンファンハ、イチバンヤー」

アグネス・チャンばりにへたくそな日本語でファンのハートを掴む。

 94 年、守備が緩慢であること、本塁打が少ないことを理由にあえなく解雇となる。

その後は、ヤクルトで活躍する。

 

マーベル・ウイン(1991)

1991 打率 .230 打点 44 本塁打 13

 

前述したオマリーと同期入団する。

現役メジャーリーガーということで大いに期待される。

オマリーが活躍する一方で、ウインはあまりにも打てないことから凡打製造機と言われる。

但し、凡打の際は、オマリーが全力疾走をしないのに対して、ウィンは全力疾走をするなど、細かいところでメジャーリーガーの片りんを見せつけた。

正直、活躍の面で見せつけて欲しかったが…

 

ジム・パチョレック(1992-1993)

1992 打率 .311 打点 88 本塁打 22

1993    .243    36       7

 

大洋時代(四年間)は優良助っ人だった。

阪神移籍後の一年目も優良助っ人だった。

 93 年、阪急から松永浩美が加入してからケチが付く。

守備位置をたらい回しされ、PKO問題もあって出場機会を減らす。

一気に成績を落とすと、八月下旬に引退表明をする。

 

ロブ・ディア―(1994)

1994 打率 .151 打点 21 本塁打 8

 

メジャー通算で226本塁打という実績で阪神に入団。

キャンプでは凄まじい破壊力を見せつける。

ボールの飛距離が凄く、ディア―ネットが設置される。

周囲の期待は大きかったが、シーズンに入ると全く打てなかった。

 

もともと三振か本塁打かというバッターであったが、日本ではほとんど三振だった。

中村監督も「いつか打つだろう」と言い続けるが、いつかが来ることはなかった。

最終的に、オマリーの話し相手に甘んじる。

引退後、コーチを歴任するも、選手に言ったセリフが…

「俺のようなスイングはするな」

 

グレン・デービス(1995-1996)

1995 打率 .256 打点 77 本塁打 23

1996    .237    18     5

 

メジャー通算で190本塁打という実績で阪神に入団。

シーズン前半は活躍するも、後半一気に調子を落とす。

 96 年は、首脳陣との確執があり、不調が続く。

最終的に六月に解雇される。

グレンの名前で「阪神ベンチは刑務所のようだった!」という記事が出る。

 

スコット・クールボー(1995-1996)

1995 打率 .278 打点 77 本塁打 22

1996    .210    16     2

 

 95 年にグレンと一緒に入団する。

オープン戦から調子が悪く、三振するたびにクルクルクールボーと書かれる。

シーズン前半は不調であったが、後半は調子を上げる。

成績はグレンと丸かぶりする。

翌年の六月、成績不振のために解雇となる。

最初から最後までグレンとかぶる。

 

ケビン・マース(1996)

1996 打率 .245 打点 42 本塁打 8

 

 96 年途中にクレイグ・ワーシントンと一緒に入団。

要は、グレンとクールボーの後釜。

響きがバースと似てるだけで過度な期待をかけられる。

ツボにハマればホームランを打てる力はあった。

そのツボになかなかはまらなかった。

「打ってクレイグ、たのんマース」のダジャレが有名。

 

クレイグ・ワーシントン(1996)

1996 打率 .267 打点 12 本塁打 3

  

 96 年途中にケビン・マースと一緒に入団する。

来日した6月、7月は一応活躍して周囲も期待するも…

8月に肉離れを起こしてそのまま解雇となる。

 97 年は台湾でプレーするも6試合の出場で終わる。 

 

フィル・ハイアット(1997)

1997 打率 .204 打点 30 本塁打 11

 

確実性の乏しい、超引っ張り型の三振マシーン。

開幕当初はそこそこ打つものの、コールズとシークリストが入団すると、二軍落ちをしてしまう。

最終的に一年限りで解雇となる。

 

リード・シークリスト(1997)

1997 打率 .192 打点 4 本塁打 0

 

ハイアットの不振のために、緊急獲得した助っ人。

しかし、ハイアット以上に不振を極める。

一度巨人戦で猛打賞を記録するも、一日で確変は終了。

最終的に一年限りで解雇となる。

 

マイク・グリーンウェル(1997)

1997 打率 .231 打点 5 本塁打 0

 

阪神史上、最悪の助っ人外国人選手と言われる。

(正直、他にも大勢いるが…)

現役バリバリのメジャー選手で、ミスターレッドソックスと呼ばれた選手。

来日して7試合目に自打球で骨折すると…

 

「野球を辞めろという神のお告げがあった」

「最後にいい球団(阪神)で終われてよかった」

と発言するとそのまま引退してしまう。

ユニホーム姿よりも来日時(関西空港に到着時)の姿

テンガロンハット・ウエスタンブーツの方が有名。

テンガロンハット・ウエスタンブーツ・・・

なぜ??

 

今回はこの辺で。

 

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