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阪神暗黒時代伝説④~主力選手編

阪神暗黒時代には、ひと皮むければ良い選手になれる…

その皮をむけないままで終わる選手が多かった。

野手は全員が中途半端な能力。

二割五分前後の打率で、ホームランも五本とか。

 

投手は多くがブルペンでは無双のエース。

ところが、いざ試合になるとなぜか打たれる。

防御率は悪くないが、圧倒的に負け数が多かったり。

全体的に、大した活躍もないままにベテランになる選手も多かった。

今回は、そんな阪神暗黒時代の主力選手の特集です。

 

マイク仲田

日本名は仲田幸司。

アメリカ名はマイケル・フィリップ・アンダーソン。

通称、マイク仲田。

阪神暗黒時代のブルペンエース。

阪神暗黒時代の遠山、猪俣と並ぶ左腕トリオの筆頭。

リズムを養うためにディスコに通う。

 

相手がピッチャーで、明らかに振ってこない状況で…

ストライクが入らない。

一塁へのけん制は大暴投。

バント処理の一塁送球も大暴投。

敬遠時も立ち上がったキャッチャーの頭を超す大暴投。

 92 年だけ確変が起きて大活躍するが、この一年だけ。

 

プロ野球大運動会でもチームの足を引っ張っる。

チームのメンバーからは「マイクのところにボールが飛べば、みんなでフォローしよう」

実況からは「仲田選手は運動神経にちょっと問題があるんですかね?」

と言われてしまう。

 

実は、ロッテを戦力外通告を受けた後…

遠山と一緒に阪神の入団テストを受けている。

合格したのは遠山だった。

マイク仲田は不合格となり引退となる。

 

新庄剛志

周囲の評価が凄く高いのに、本人は全く意に介さない。

スランプ時にOBの川藤さんに相談する。

「そんなもん来た球をカーンと打ったらええ」

このアドバイスですぐにスランプを抜け出す。

 

1992 年、暗黒阪神が確変した年。

広島戦で抑えの大野からサヨナラホームランを打つ。

お立ち台で「目標は優勝です!」と堂々と宣言すると…

その後、 4勝 11 敗とまさかの大失速を起こす。

二位でシーズンを終了する。

 

藤田監督の時代。

鬼平の藤田平と対立する。

そして、派手な格好で会見場に登場すると…

「僕には野球センスがないから引退します」

と一方的に引退宣言をする。

その二日後、引退宣言撤回宣言を発表する。

 

野村監督の時代。

野村監督から直々に打撃指導を受けるも…

「いっぺんに言われたら良く分からないので、また明日にしてください」

野村監督「新庄らしいわ…」と納得する。

   

久慈照嘉

「東の久慈、西の立浪」と言うぐらい守備が凄い。

打率 .245  本塁打 0の成績ながらも、新人王に選出。

打ちごろの内角球に差し込まれてのファールが多い。

正直、守備だけの人。

 

華麗な守備でアウトにしても、解説者から…

「でも、久慈は打てないですから…」と言われる。 

ファインプレーでアウトにしても、解説者から…

「打つ方もこれぐらい良くなって欲しい」と言われる。

盗塁に成功した時も、解説者から…

「それ以上に盗塁に失敗していますから」と言われる。

 

亀山努

亀新フィーバーの主役の一人。

現役時代はスマートで俊足好打のバッター。

今は見る影もないほどにブクブク太っている。

プロ入り以降でバツとして草むしりをしたことがある。

 

外野守備について、新庄、亀山、八木が十二球団一と言われたことがある。

オリックスのイチロー、田口、本西の方が有名ですが。

スポーツ紙の見出しが「亀山、遅刻の常習犯で首脳陣が大激怒!」

亀山が付けた背番号00は、活躍しない背番号。

(他には平尾博嗣、米崎薫臣、田中秀太など…)

 

実は、引退後に少年野球チームの監督をしている。

1999 年には、リトルリーグで世界で優勝している。

 鹿屋中央高校調理科の卒業で、調理師免許を保有する。

余談だが、奥村武博も調理師免許を保有する。

猪俣隆はすし職人に転職している。

阪神の選手は、調理場と何か縁があるのか…

 

中村勝広

阪神暗黒時代には、村山実、吉田義男などの阪神の大物監督もいれば、野村克也、星野仙一などの外部監督もいるが、その中にあって、阪神暗黒時代の監督として、圧倒的に知名度が高いのが中村勝広。

村山実、吉田義男、野村克也、星野仙一よりも圧倒的に知名度は下がるなのに、阪神暗黒時代の監督としては、なぜか圧倒的な知名度を誇る。

 

「阪神暗黒時代の監督=中村勝広」である。

「勝広」でなく「負広」と揶揄される。

監督時代、獲得した選手が全く活躍しない。

監督時代、放出した選手が大活躍をする。

 

川藤幸三から「中村は血も涙もない冷酷非情な男や」

久万オーナーから「中村の采配はスカタンですな」

ファンが掲げたプラカードに「暗黒の使者・不要」

暗黒時代の監督の中では成績は一番良かった(と思う)

 

和田豊

阪神暗黒時代のチームリーダー。

阪神生え抜きの選手としては、初の一億円プレーヤー。

阪神暗黒時代の阪神ファンの楽しみは、和田の打率。

阪神暗黒時代は、一番・和田がヒットで出て、二番が送って、三、四番が連続三振する光景が多かった。

現役時代は、巨人の川相と比較される。

(何となく川合の方が評価も高かったような…)

 

岡田彰布

実は、野球エリート街道を歩んでいる。

(北陽高校→早稲田→阪神→オリックス)

入団時に「早稲田大学の三塁手の岡田です」と言う。

本人はその気がないのに勝手にマスコミが、

「これは掛布に対する宣戦布告か?」と言い出す。

 

 85 年の優勝の時のクリーンアップの一人。

 (あの時のクリーンアップは無敵艦隊だった)

1992 年、ワンアウト満塁のチャンスで打順が回る。

中村監督、ここで若手の亀山を代打に送る。

ちなみに、結果はピッチャーゴロだった。

いわゆる代打亀山事件。

 

ちなみに、岡田、この時のことについて…

あれはもう、屈辱やった。

全然、何も知らんかったから。

はっきり言うて、開幕の時は「亀山って誰や?」

と思うとったもん。

二軍におったヤツは知らんから。

 

藪恵一

阪神暗黒時代の阪神の大エース。

藪が投げると打線が沈黙するという現象が起きる。

(相手チームもエース級をぶつけてくるので)

防御率の割に敗戦数が多い。

 

たいてい六回までは相手を0点で抑える。

で、七回あたりに失点することが多かった。

周囲からはメンタルが弱い(勝負弱い)と言われる。

野球が六回までなら大エースと言われる。

 

清原和博にデッドボールを与えてしまう。

清原が怒って指を三本突き出して「三回目やぞ」と怒りを露わにするも

藪は「俺は年俸三億やぞ」と勘違いする。

後に、再び、清原和博にデッドボールぶつける。

この時は二人が二分間睨み合いをしている。

 

川尻哲郎

藪恵一、湯舟敏郎と共に暗黒時代の阪神を支えた投手。

男前の藪、いつも半笑いの湯舟、ガラの悪い川尻。

安定感はないものの技巧派のサイドスロー。

ノーヒットノーランも達成している。

 

「開幕投手をしたって、年俸が上がるわけじゃない」

と言って首脳陣・球団幹部からにらまれる。

1勝6敗の成績の成績だった年に、これまでの実績を理由に年俸アップを要求する。

(そこまで大した実績でもないんですが…)

 

湯舟敏郎

藪恵一、川尻哲郎と共に暗黒時代の阪神を支えた投手。

阪神アンダースロー軍団の中で珍しく本格派の左腕。

ノーヒットノーラも達成している。

入団当初は中村監督から「大大大戦力」と言われる。

但し、暗黒時代のためそこまで活躍はできなかった。

 

サウスポー限定で、二年連続最多敗戦記録を持つ。

マウンド上では、いつもポーカーフェイス。

しかし、実際の表情は半笑いである。

ちなみに、無死満塁のピンチでも半笑いである。

 

桧山進次郎

真弓明信、八木裕と並ぶ代打の神様。

若い頃は三振が多くブンブン丸。

晩年、代打に活路を見出して活躍する。

巨人の槙原に「若い頃の檜山は、フォークボールを投げておけば、ワンバウンドでも振ってくるような楽なバッターだった」と言われる。

 

今回はこの辺で。

 

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