「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
4月3日夜、男性は約束の時間ちょうどに、パソコン画面の向こうに姿を見せた。口もとにひげ、黒いTシャツ姿。名前はタイフン、34歳。トルコのイスタンブールで、IT関係の仕事をしていると自己紹介した。
日本はクルド人の祖国。私たちはゲストではなくホスト。教育と学校の公用語はクルド語であるべきです――。7カ月前、そんな日本語の投稿がXで話題になった。「在日クルド人の投稿」として拡散され、「クルド人怖い」「日本の危機」「追い出そう」と排外主義的な主張が増幅した。
「日本人は何でも信じる」
当時、埼玉県南部でコミュニティーをつくる在日クルド人への差別が激化し始めていた。誰が、何のために書き込んだのか。取材を申し込むと現れたのが、「トルコ人で日本に行ったこともない」という男性だった。
男性は昨年9月、Xで在日クルド人が話題になっているのに気づいた。「日本に少数しかいないのにどうして?」
調べると、トルコ政府がテロ組織に指定している「クルディスタン労働者党」(PKK)の支持者が「日本で組織化されている」との情報を見つけた。厳しい同化政策に反発したクルド人らが、分離独立を求めて立ち上げた武装組織だ。男性は「日本人に警告しなければ」と思ったという。
グーグル翻訳を使い、日本語で書き込んだ。「クルド人は日本に力を加えるだろう」「日本は天国。すべてのクルド人を日本に招待します」。反感を誘うような投稿を、少なくとも180件重ねた。
予想を超えて広がり、投稿の一部を削除した。男性を在日クルド人だと思い込んだ人たちから、「国に帰れ」とメッセージも届いた。男性は「トルコ人として投稿していたら、これほど注目を集めることはなかっただろう。『苦い薬』ほど効き目が大きい」と語った。
当時、Xにトルコ語でこう書いている。「日本人は無邪気だから何でも信じる。Xで影響力の大きいアカウントは、その気になれば、日本の議題を設定できる」
海外から日本語を使い、在日クルド人に関する投稿をしていたのは、1人だけではない。
「噓(うそ)つきクルド人は日本から出て行け」といった発信をしているアカウントの主は、オンライン取材に、韓国に住むトルコ人の会社員男性(27)と名乗った。「在日クルド人がトルコのイメージを悪くしている。何とかしなければと思った」。199万回表示された投稿もある。
「日本では私たちクルド人がルールを決めています」などと投稿したアカウントにXでメッセージを送ると、「イラク在住のクルド人男性」と返ってきた。以前はプロフィルに「日本在住のクルド人建設労働者」と書いていた。
日本に住む親戚から「クルド語で歌ったら襲われた」と聞き、「(日本人に)腹が立って始めた」と説明した。
SNS上で急速に高まった「関心」
SNSで何が起きているのか。分析ツール「ブランドウォッチ」で、「クルド」に言及したXの投稿数(再投稿含む)を調べた。
昨年3月は4万件だったが、難民認定申請中でも送還できるようにする入管難民法改正案が審議され、クルド人難民に焦点が当たった4月に24万件に急増。埼玉県川口市でクルド人同士の切りつけ事件が起き、関係者ら約100人が病院前に集まる騒ぎがあった7月には108万件に達した。タイフンがなりすまし投稿をした9月は139万件、今年3月は242万件。「関心」が急速に高まった様子がうかがえる。
地元の当事者団体「日本クルド文化協会」の幹部らは3月、「在日クルド人を誹謗(ひぼう)中傷する投稿を執拗(しつよう)に繰り返し、名誉を毀損(きそん)された」として、ジャーナリストの石井孝明を提訴した。
石井はXのフォロワー17万人。「クルド人問題を初めて報道した」と投稿している。取材を申し込むと、「私はクルド人の排斥などしていない。日本人は差別などほとんどしていない。この問題は差別とか共生の議論以前の話で、クルド人の迷惑、違法行為で川口市民が苦しんでいるのにメディアが伝えず、一般の人々が声を上げている」などとコメントした。
「ネットと愛国」の著書があるジャーナリストの安田浩一は「クルド人は1990年ごろから埼玉に住んでいたが、わずか1年足らずのうちに、SNSの中で『クルド人の脅威』がつくり上げられた」と指摘する。
同じようにネットで拡散した在日コリアンをめぐるヘイトスピーチは、匿名掲示板2ちゃんねるが開設された1999年ごろから、数年がかりで広がった。今回は「過去に例のない加速度だった」という。
米英が拠点のNPO「センター・フォー・カウンタリング・デジタル・ヘイト」(CCDH)は昨年6月、ツイッター(現X)が有料サービス利用者のヘイト投稿の99%に対応できていないとの調査結果を発表。「(表示の優先順位を決める)アルゴリズムが有害投稿を増幅していることが示唆される」とした。
「日本から出て行け」 嫌がらせ電話
増幅する憎悪はリアルの世界にもしみ出す。
4月28日、川口市などで「日本トルコの友情を壊す不法滞在クルド人は追放しよう!!」などのプラカードを掲げた100人超がデモ行進した。
クルド人が営む市内の飲食店には「クソクルド。日本から出て行け」との嫌がらせ電話が続く。市役所にも「クルド人を強制送還しろ」と求める電話が400件ほど相次ぐ。支援団体には「クルド人皆殺し万歳」との脅迫メールも届く。
来日して20年になる会社経営のクルド人男性(32)は「これまで嫌な思いをすることはほとんどなかったのに」と言う。
市内で食品店を営む女性は店頭で20年以上、クルド人の住民と向き合ってきた。当初は店の前にゴミを散らかされるなどして、「うちの店どうなっちゃうんだろう」と考えたこともある。それでも片言のクルド語と身ぶり手ぶりでコミュニケーションを続け、下の名前で呼び合う仲になった。
「どうして彼らのことを知らずに、『出て行け』なんて言えるんだろう。SNSから広まった『クルド人問題』は、空想の世界の話みたい。私にとっては、今、目の前にある日常が現実」=敬称略
◇
在日クルド人
クルド人は独自の言語と文化を持つ民族。主にトルコやシリア、イラク、イランにまたがる一帯に居住し、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。各国では少数派で、差別や弾圧を受けてきた。日本では1990年ごろから、埼玉県川口市などにトルコ国籍のクルド人が住むようになり、約3千人が暮らしているとされる。難民認定の申請を認められないまま、入管施設への収容を解かれた「仮放免」の人も少なくない。
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