【書籍化】異世界転生したのでマゾ奴隷になる 作:成間饅頭(旧なりまんじゅう)
【ある古びた研究日誌-3】
魂の研究は紆余曲折、壮大な回り道と迂回を繰り返しながら前進している。
我々の知覚能力に魂へ迫る鍵があると、以前に書き記した。我々は無意識で、魂の存在を嗅ぎ分けていると。
それを実験するためには、高度な知性や言語化能力を持つ実験体が大量に必要となる。しかしいかんせん、そういう物は非常に高いのだ。いずれは龍や魔物、巨人とスケールアップさせて比較検証していきたい。いきたいが……今はとり合えず、人間で我慢といった所だろうか。曲がりなりにも社会に所属している以上、しがらみから逃れられないのが悲しいところだ。
過去の文献を買いあさるのにも金がかかる。知識が一種の力である以上、単に奪い取るならば暴力の方が手軽で簡単だが……。罪を迂闊に犯すと、『こいつは攻撃していい』という大義名分が出来てしまう。難しいところだ。
そろそろ、私にも子供が生まれる。我が息子ならば、汲めども尽きぬ探求心を受け継いでいるはずだ。研究の役に立つ事を期待しよう。
◆
『しかし、遅かったわね……分かってはいたけど、随分じれったかったわ。こんな絶世の美女の記録、何を差し置いても真っ先に見るべきなんじゃないのかしら?』
【聖典】の映し出す泡から、私に話しかけてきた女性。カサンドラ・アストリア。シグルド王国の"平民王女"。王国貴族社会の歪みを一身に受けたとも言える彼女は、尊大さを隠そうともせず、やれやれと溜息をつきました。
「……何ですか、貴女……」
ありえない事です。私が死者の人生を追憶する際は、基本的に彼らの人生を圧縮し、早送りしながら見ています。全ての死をじっくりと見るべきとは分かっていましたが、そうするには【
ですが、今回は違います。例えるならば、本をペラペラと捲る私の手が、誰かの手によって特定のぺージで止められたような感覚。目の前の彼女が、私の【異能】に干渉した事は明らかでした。
『何って……貴女、顔は可愛いのに覚えは悪いのね。ま、私ほど可愛くはないから仕方ないか。自己紹介したでしょ? 私はカサンドラ・アストリア。貴女の将来の恩人よ、崇め奉りなさい』
「カサンドラ……シグルド王国の、平民王女ですか」
『そうそう。死後そういう風に呼ばれるんでしょ? ダサい異名で困っちゃうわね』
「何故、貴女が……いや、そもそもどうして会話が成立してるんですか?」
『私の異能、【
平然とした様子で、彼女はそう言いました。
此処まで会話が成立している以上、彼女の言葉を信じざるを得ません。【未来視】の異能。希少なんて物じゃありません、今までに前例のない【異能】です。
基本的に異能とは、本人の特質や性格に基づく物が多く……その大部分は『炎を出す』『力を強くする』といった様な、至極単純な物が多いです。一説には、複雑で強力な【異能】であるほど負荷も大きく、人間の精神が耐えられないと言われています。
であれば当然、複雑で応用が利く異能であるほど、本人の精神は屈折している傾向にあり……【未来視】という希少極まりない異能を持つ彼女も、その例に漏れず随分と厄介な性格をしているようでした。異様に高い自尊心が、今までの会話でも充分に伝わってきます。
「……シグルド王国にそんな【異能者】がいるなんて話、聞いていませんでしたが」
『あ、そう。色々試してるけど、結局駄目だったみたいね。【異能】のデメリットよ。"予言の内容は、誰にも伝えられない"。今が特別なのよ。私は独り言を話しているだけ。それを貴女が勝手に盗み見て、偶然会話が成立してるだけ。厳密には会話じゃない……って詭弁で、何とか【異能】を騙してるの。貴女は私が”予言”を共有できる唯一の相手って訳ね』
「…………」
『はー、にしても疲れた。予言の内容は誰にも言えないんだけど、秘密にしとくのも肩が凝るのよね。この私の肩がよ? 可愛い私がこんな苦労をしなきゃいけないなんて……やっぱり、世の中等価交換なんでしょうね』
カサンドラ・アストリア。彼女の名前を、私は知っています。『シグルド王国の汚点』と、随分忌み嫌われていましたから。
今の彼女はまだ年若く、王宮にも招かれていないようですが……近い将来、彼女の劇団は王宮で公演を行い、そこで王に見初められます。彼女はそれを受け入れ、平民でありながら王族との間に子を成し……そして、慣れない貴族生活と出産のストレスでこの世を去ります。曲がりなりにも王妃でありながら、国葬すら行われず。
「……貴女は、」
何かを言おうとして、何も出てきませんでした。
この【異能】の本質は、死者との対話。確かにそのとおりですが、しかしこんなに直接的に話せるのは初めてです……。しかも、まだ生きている頃に。
将来、王と結ばれてはならないと助言するべきでしょうか。子をなしてはならないと忠告するべきでしょうか。しかしどれも何処か傲慢であり、そもそも未来視を持つ彼女に必要な物とは思えません。
……彼女は、どんな思いで生きているのでしょうか。
「…………」
『あ、一応自分の未来については知ってるわよ。因果っていうか、強い流れみたいな物はあって……何がどうなるにせよ、私は結構早死にするわね』
「……そう、ですか」
『美人薄命よねー。世界の損失だわ』
全く気にした様子の無い彼女に、むしろ私の方が陰鬱とした気分になりました。
ああ、救い主は何処に居るのでしょうか。聖神は既に虚構であり、その救いはハリボテで……それに捧げてきた私の人生は、全くの無価値でした。死にゆく人に、気休めの言葉一つかけてあげられない。
『わかるわー。若い時ってそういう風に落ち込むわよね。ま、でも心配いらないわ、私が全部解決してあげるから』
暗い顔をする私へ、カサンドラさんはニコニコとしながらそう語りかけました。そうでした。彼女は未来視によって、私の事情をすべて把握しているのです。その上で話しかけてきたという事は、何か勝算があったという事でしょう。
「解決……?」
『自分が信じてた教義が全部初代王の創作って知って落ち込んでる貴女に、新たな使命を与えてあげるってことよ。貴女にしかできない、貴女が必要不可欠で、しかも沢山の人……なんなら、全人類を救う仕事よ』
「………………」
『協力するって言ってくれたら、詳しく教えてあげる。気になるでしょ? 今の所、世界でわたししか知らない情報よ』
そう言って、彼女は誇らしげに胸を張りました。
『だいたい、生きる意味とか価値とか……そんなもん、暇だからぐだぐだ考えるのよ。私についてきなさい、そんなもん忘れるぐらい忙しくなれるわよ』
「……こっちの気も知らず、勝手な事を……」
断ろうかと、最初は思いました。
未来視の彼女がわざわざ干渉してきた時点で、何か目的があるのだとは分かっています。しかしこの頃の私は、とにかく己の無力感に打ちのめされていて……自分に出来る事など何一つ無かったのだと、食事すら殆ど絶っている有様でしたから。こんな骨ばった手足と痩せ衰えた身体が、何かの役に立つわけないと拒絶したかったんです。
『協力してくれる? なんて、答えは知ってるけどね』
だけど、彼女の自信に満ち溢れた瞳と、断られるなんて微塵も考えてない笑顔を見ると……何故か、もう少しだけ自分を信じてみようという気になれたんです。
マリー。貴女も覚えがあるでしょう? 私たち【英雄】は、そういう……何というか、底抜けの明るさのような物に、つい惹かれてしまうんです。
きっと彼女もそれが分かっていたんでしょうね。あの傲慢な振る舞いは確実に素ですが、同時にそれが私によく効くと知っていたんです。あの人はそういう、小狡い所がありましたから。
「ふん。内容を聞いてからじゃないと、判断できません」
『あら。生意気言うようになったわね』
そう言って、カサンドラさんは笑いました。そうして直ぐに表情を真剣な物に切り替え、詳細を語り始めました。彼女が見た未来。そして、彼女が背負ってきた地獄について。
『……私の【異能】は、断片的な未来を見る異能よ。未来は何重にもブレていて、私は"最も可能性が高い未来"と、その周辺の未来が見える。行動によって未来は変わり、見える範囲も更新されていく』
「…………」
『私は"ある未来"を見て以来、最優先で貴女との接触を目指して未来を改変してきた。私一人の手では、到底変えられないほどの強い因果』
「……何なんですか? それは……」
そうして、彼女は言うのです。変えられない流れ。強固な因果。人類に訪れた、必滅の運命。
『近い将来、魔族との大戦争が起こる。そして、その結果―――人類は絶滅して、
どこまでも真剣な顔で、冗談みたいな事を。
◆
「魔族……!!」
どうも。泡のような謎空間からこんにちは、マリー・アストリアです。
過去の風景が投影されてから、私は怒涛のように流し込まれる情報を必死に処理しようとしていた。
ルキアと母上が以前からの知り合いだったという事も、母上の【異能】についても、全てが初耳だ。予言の異能など、どんな為政者だって喉から手が出るほど欲しい物だ。もし母上がそれを明かせていたなら、あんな酷い扱いを受けることだって……。
『あ、そう。色々試してるけど、結局駄目だったみたいね』
ああ。だからこその、あの台詞だったのか。自分だけが知る運命を誰かに伝えようとして、その上で、ルキア以外の誰にも伝えられなかったのだ。
私を産むと同時に、彼女は亡くなった。だから私は、母の顔すら碌に知らないのだ。ルキアの【異能】の中だとしても、その顔を見れただけで少し救われた気持ちになっていた。
その人となりは、まあ……。なんか、うん。母上って結構パンチ効いた性格してたのね。
だがそういうあれこれも、彼女が言った爆弾発言で全て吹っ飛んだ。
「魔族による、人類圏への侵攻……! それを、母上が予言してたの……!?」
「ええ。『大戦争に人類は負けて、それ以降の未来が全て真っ暗になる』と、カサンドラさんは言っていました。どれほど出力を上げて未来を見ても、永遠に暗黒のまま。それを彼女は、世界が滅んだのだと言っていました」
「――――――!」
絶句する。
ルキアに干渉出来ていた事からも分かるように、母上の【異能】は自らの死後すら見通せるのだ。その【異能】で見た未来が一面の暗闇ならば、確かにそれは世界の滅亡を想像するだろう。
大戦争。魔族。未来視。
……どれだけ冷静に考えても、私の手には有り余る情報だ。リラトゥやエリザは勿論、何よりクライヒハルトとも共有しなければならない。
「ルキア……! これ、良ければクライヒハルト達にも……って、あれ……?」
「……無理ですよ、多分」
立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。言葉が上手く紡げない。もしやと思って机の上のペンを持つが、手が震えて取り落としてしまう。
「"予言"という前代未聞の異能へ掛けられた、一種のセーフティなのでしょう。【
「『予言の内容は、誰とも共有できない』……。母上だけじゃない、第三者でも同様って事……!でも、なら私にはどうして……?」
「……それは、貴女が一番良く分かってるんじゃないですか? 全くの初対面でありながら、『何処かで会った事ある』なんて言い出した貴女なら」
そう言ってルキアは、私へ細い指を向ける。
「子供は、胎児の頃の記憶を覚えていると言いますが……きっと、貴女にもそれが多少残っているのでしょうね。カサンドラさんの言葉を借りるなら、これは予言の内容を共有しているのではありません。貴女が忘れてしまった事を、思い出させているのです」
「…………」
ルキアの言葉を、何故か私は素直に受け取ることが出来た。身に覚えがあったのだ。
時々見る、朝起きれば忘れてしまう不思議な夢。何もかも霞がかって判然としないが……確かに、夢の中で私は母上に出会った気がする。それも、何度も。
私が『何処かで会ったことある?』と聞いた時、ルキアが硬直した理由が、やっと私にもわかった。恐らくこれは、ルキアにとっても母上にとっても予想外の出来事なのだ。
「カサンドラさんは、強い人でしたよ。身体は病弱で柔く、非力でしたが……そういう事ではありません。彼女は結局、一度も弱音を吐いたりしませんでした。未来視も、周囲も、彼女にとっては重荷でしか無かったでしょうに」
「……そう。そうなの」
もう一つ、分かったことがある。何故、ルキアが私に対して刺々しいのか。敵意とも違う、愛憎入り混じった眼の理由。
母上は、私を産んだ後に亡くなった。彼女にとって私は恩人の娘であり、仇でもある。ルキアから感じ取った複雑な感情は、その辺りに由来しているのだろう。
「……教えてくれて、ありがとう」
「ふん。その殊勝な態度も気に障ります。……礼を言う必要はありません。ただ、貴女は知っておくべきだと思っただけです。貴女の母がどういう人だったのか。この世の理不尽に対してどう闘ったのか」
泡が再展開され、虹色の模様が忙しなく移り変わっていく。光が像を結び、一枚の絵を描きだしていく。
「……そして貴女が、いかに愛されていたか。続きといきましょう、マリー・アストリア。これは、貴女が見るべき記録です」
緑の丘で佇む母上が見えた次の瞬間、私は再び泡へと呑み込まれた。
◆
古くから、【異能】には
火の異能と風の異能が組み合わさる事で、より強力な炎を出せるように……【異能】持ち同士が協力することで、時に思いもよらぬ成果を上げるパターンがあるのです。無論、異能者は英雄ほどでは無いにしろ人格破綻者なので、彼らを協力させるというのは非常に難しいのですが。
『次。王国の指揮官、クライブ・アーデリア。彼は指揮官としては未熟だけど、籠城戦に関しては天性の嗅覚があるわ。あと5年後に軍をクビになるから、聖国で拾い上げて。配置は……見える? 地図のこの砦にして。此処が
「分かりました。今のうちに彼に手紙を書きます……はい、書きました。未来はどうですか?」
『……いや、駄目ね。前回よりは持ちこたえたけど、最終的に大軍で押し込まれて負けた。次』
世に数多ある、異能の相互作用による進化。
未来視と過去視の異能も、きっとその一つでしょう。
カサンドラさんが未来を観測し、私へ助言を行う。過去視によってそれを確認した私が行動を変え、それによって変化した未来を再びカサンドラさんが観測する。それを、望ましい未来に辿り着くまで何度でも繰り返す。
『王国から東へ進んだ村に、ラブカって薬師がいるわ。彼女は別に大した人じゃないんだけど、彼女が居ると将来の夫が軍に入るのよね。彼は優秀な斥候になるの。貴女の時間軸で言うとそろそろあの村は飢饉で滅ぶから、今のうちに援助してあげて、軽くで良いから』
「もっと早く言ってくれません!? はい、聖国子飼いの商人に匿名で寄付させます!」
『あー……いや、これ駄目ね。豊かになりすぎて、二人とも王都に移住しちゃった。もう少し量を落として』
「面倒な……!」
『ルキア・イグナティウスがカサンドラの記録を閲覧する』という、彼女が何重にも干渉して確定した未来とは違い、彼女の死後という遠い未来……それも、不確定な物を観測するのは非常に消耗するようです。『目が疲れる』と、彼女は表現していました。彼女が限界になったら、また翌日に持ち越しというのがいつもの流れです。
そんな時は、本を閉じる前にいつも少しだけ話をしました。
『~~~~~~~♪ la,a――――♪』
「ん……歌ですか」
『ええ。今度の劇でやるのよ。今の内に練習しておかなきゃ』
「ふ、ぅん……。まだ、劇団にいるつもりなんですね」
『当たり前じゃない。才能があるのよ、才能が。世界一の女優の生歌よ、しっかり聴いておきなさい』
「…………あんなに、忠告したのに。貴女は、
『知ってるわよ、そんなの。テンション下がるわよねー。ま、将来の夫は、盤石だった地位を投げ捨ててでも私を愛してくれるわけだし? 国王様にそこまでされるなら、まあちょっとは良いかなーって気になるわよね』
「……………………」
「~~~~~~~~~~~~♪ la,lalala~~~~♪」
死を『テンションが下がる』程度で流す彼女に、つい閉口してしまいます。
この、死生観の軽さ。自分の命なんてどうでも良いと言わんばかりの姿勢は、私にとっては到底理解しがたい物でした。だって、皆苦しんで死んでいるのに。私の【聖典】には今も、死の理不尽と怨嗟だけが記録されているのに。なぜ彼女は己の死を知りながら、ああも軽やかに生きていけるのか。彼女の歌声が響く中、それだけが私の疑問でした。
『次は―――――――』
「~~~、~~~~~~~~~~」
『―――駄目ね。――――――。次』
疑似的なループは続きます。何度も、何度も。未来改変は実際に行動を起こす必要がある物もあれば、私が"何年後に○○を必ず行う"と決意しただけで書き換わる物もあります。幼い私が買った日記帳は将来の予定でびっしりと黒く埋まり、幾度となく書き直されました。
聖国が主導し、先んじて討伐軍を組んだループもありました。同盟を結び、北大陸の山脈を死守しようとしたループもありました。ですが国家間の結束はすぐに綻び、
一度の改変で上手く行くことが多い、平民や騎士。数度の改変で成功する異能者を中心として、少しずつ少しずつ、戦力を増強していく日々が続きました。
ですが。
『―――これも、駄目ね。次は……』
そう言って、カサンドラさんが頭を振ります。その顔色は青く、多少の医術を修めている私でなくても、彼女が限界であると見て取れるでしょう。
既に、何度未来を改変したか覚えていません。因果関係という物は複雑に絡まり合っており、一人を新たに引き入れると、以前居た一人が抜けてしまうという事も多々ありました。それらを丁寧にケアしながら、少しずつ人類の戦力を厚くして……それでも、魔族に勝つ未来は全く見えていませんでした。
元々、魔族は人類よりも強く、賢く、高い魔力を持つ種族です。全種族のなかで、"人類"は精々
『ふぅ。休憩しましょ、休憩。ルキア、貴女なんか面白い話とか無いの?』
「最低の振りですね……。無いですよ、そんな物。大体、そんな話で笑える気分でもありません」
『あらまあ。世界最高の女優を前に、しけた顔して……。もっと泣き喚いて喜びなさい。ファンサしてあげましょうか?』
「……何処から来るんですか、その傲慢さ……?」
そんな苦行を続けながらも、カサンドラさんはずっと明るいままでした。未来視を持つ彼女には、今も惨憺たる未来が見えているはずなのに。自らの死期、戦争、そして世界の滅亡。それらを眼にしながら、彼女は常に前向きな姿勢を崩しませんでした。文字通り、死ぬまで。
そんな彼女に、親しみを覚えなかったと言えば嘘になります。尊敬とか、敬愛とか……、まあ、そのような物も多少なりとはあったでしょう。勿論私は【英雄】であるので、あくまで多少ですがね。彼女の語る未来を避けるために、私も出来る限りの事はしようという気になりました。
「ルキア様……。再三申し上げる通り、この"秘匿庫"は聖国の秘中の秘。本来ならば焼いて消さねばならぬのに、【異能】や魔術の保護によってこの世にこびりつく忌まわしい知識の隔離場所。中の書物はどれも、知識とは名ばかりの猛毒ばかり。どうか御無理だけはされぬよう……」
「しつこいですねえ。まだ幼いとはいえ、私は聖国の【英雄】です。あなたの心配すら侮辱に値すると知りなさい」
「せめて訳をお話しくださいといくら言っても聴かず、何度も何度も鬼気迫るご様子で頼まれるルキア様に、
「そこまで必死だった記憶はありませんがね!! とにかく、案内は此処までで結構! どうぞお大事に!」
なのでカサンドラさんの【未来視】が限界に達した後は、"秘匿庫"を使って調べ物をするのが習慣になりました。
今の私たちは、あまりにも無知すぎると感じたからです。魔族についての情報は、北大陸の山脈を隔てて断片的にしか渡って来ず……彼らの思想形態や文化、そもそも開戦の目的も明らかになっていませんでした。対話の試みはとことん失敗していた訳です。
「………これも、違う。これも……」
彼らについて知ることが、戦争の勝利に僅かながらも繋がるかもしれない。そう考えたからです。あれほど忌み嫌っていた【初代王】関連の書籍すら、手に取る事にためらいはありませんでした。
人類の生息地域は、その実力とは不釣り合いなくらいに広いです。本来ならば、もっと大陸の片隅……土地も貧しく気候も厳しい場所に押しやられていてもおかしくありません。
そうなっていないのは全て、【初代王】が人類を統一し、超大国パンゲアを築き上げたから。各国に飛び石のように点在する【未開拓領域】も、かつては領土の一部だったと言われています。人類は太古の昔、今よりも強大な勢力を誇っていたのです。
であるなら、【初代王】時代の書籍には、今より詳細な情報がかかれているかもしれません。学問とは往々にして、基盤となる豊かさがあってこそ発展する物ですから。僅かな望みに懸けて、私は様々な書物をひたすらに読み漁りました。
未来を改変し、過去を学び……そんな日々が続いていた頃。彼女が、こんな事を言いました。
『ねぇ、聞いて聞いて? この前とうとう、ウチの劇団が王宮に招かれたのよねー。やっぱまあ、構成員がほぼ平民とはいえ王国一の劇団な訳だし? 貴族主義の奴らも認めざるを得ないのよねー』
「………………え」
『グラナト王にも会ったわよ。厳めしい、如何にも理知的でございって顔の男だったけど……あれが将来、顔真っ赤にして私に求愛してくるようになるのよね。ウケるわ』
「……あなた。貴女、自分が何言ってるか分かってるんですか……?」
『もう。分かってるわよ、そんな酷い顔しなくても。この後私は彼と結婚して、子供産んで、慣れない生活と出産の負担で死ぬわ。あと……まあ、3年後くらいね』
心臓が止まるかと思いました。
既に、私がカサンドラさんと出会ってから数年が経過していました。恐れていた時が、近づいてきたのです。分かっていた事でした。この【聖典】に名が記されている以上、彼女は既に絶命しているのです。会話できている現状がおかしいだけで、彼女は既にこの世には居ないのです。
「……なんで」
それはつまり、私が彼女にしてやれる事など何もないという事の証明でした。彼女は、もう死んでいるのですから。
『"なんでそんなに平気そうなのか"って?』
「……そうです。貴女は、死ぬんですよ。私からすれば、その男は死神同然です。その男は、貴族との関係を完全に破壊してまで貴女を守ってはくれません。貴女は異能の代償で身体を蝕まれて、子供の顔も見れずに死ぬんですよ。そういう未来を知っているはずなのに、どうしてそんなに平気でいられるんですか……!」
『んー……だってまあ、幸せだからじゃない? 国と天秤にかけるくらいに愛される予定だし。死ぬのなんて、皆そうでしょ? それがちょっと早かっただけじゃない』
「そんな、そんな訳ないでしょう……!!」
平然と己の死を口にする彼女が嫌いでした。だって貴女が死んだら、私はこんなにも悲しいのに。それを、何でもないような顔で受け入れないで下さい。嫌いです。神も、聖教も、何もかも。
時間がありませんでした。彼女の余命も迫ってきた中、戦争に勝利する方法は未だ見つかっていません。私は寝食を忘れて"秘匿庫"に籠りました。初代王時代に書かれた書物を、ひたすらに読み漁ります。
聖神についても同様です。私はあれが創作だと知っています。それを知った時は、この世の全てを恨み、憎みました。ですが、カサンドラさんがある日言ったのです。
『聖神が全て創作で、権威付けの為の嘘っぱちだった……。初代王の手記に書かれている以上、それは確かなんでしょうね』
「……ええ。下らないですよ、聖教も、司祭たちも……。皆、ありもしない神を有難がっていたんです」
『んー……。いや、そうね……どうかしらね……』
「……何ですか? むにゃむにゃ呟かないで下さい、鬱陶しい……」
『いや、考えてたのよ。確かに初代王は天才だったんでしょうけど、"宗教"を一から創るなんていう発想、普通出て来るかしらと思って。聖典も神話も、学者の協力はありつつも、基本は彼が一人で創ったわけでしょう? 全部創作で書き上げたっていうのは、ちょっと信じ難いなって……』
「……? どういう意味ですか?」
『
くだらない気休めです。推論というにも弱すぎる、根拠薄弱のでっち上げです。落ち込む私を見かねて、カサンドラさんが何とか励まそうとしてくれたんでしょう。
口から出まかせでも、気休めでも構いません。最早私は、それにすら縋りつきたかったのです。
ボト、と何かが落ちる音がしました。
「……?」
本を動かしている際、何かが本棚の裏側に落ちたようです。"秘匿庫"は雑然としていて、全く整理整頓されていませんからね。そう思って本棚を覗き込むと、壁の一部が剥がれて落ちているのが見えました。
そして、その奥に何か本のような物がある事も。壁に埋め込まれて、今の今まで隠されていたのでしょう。
「……
僅かな期待を込めて、本を手に取ります。
紙質は古い。少なくとも、ここ最近で新たに秘匿庫へ入れられた物ではありません。埃を払い、中身を改めます。
特徴的な筆跡に、くだけた文章。間違いありません、初代王の手記です。そのタイトルを、私は一人、身震いと共に読み上げました。
「……"神について"」