【書籍化】異世界転生したのでマゾ奴隷になる 作:成間饅頭(旧なりまんじゅう)
【ある古びた研究日誌-2】
何かについて研究する場合、その正反対の物を調べるというのは一つのやり方だ。
生命について研究するにあたって、私はまず『死』について徹底的に調べる事にした。寿命の短い昆虫や小動物を用いて、彼らの死、その前後で何が変化するのかを調べるのだ。
単純な観察に始まり、質量測定、魔力計測、波長鑑定……。実験は多岐に渡る。
実験の日々は充実している。"知る"という行為は人生の意義そのものだ。何も知らない赤子だった私たちが、世界を知る事で大人になるように。知識の集積こそが、私の生きる意味だと声を大にして言える。
複数の実験結果から、一つ面白いことが分かった。
まず死亡前後で、質量・魔力共に違いは見られなかった。死亡の瞬間、物理的・魔力的な変化は何も起きていない。
だが。魔術を用いて仮死状態にした動物と、完全に死亡している動物。この二つを複数の実験協力者に判別させたところ、彼らは仮死状態の動物と死体を100%の確率で見分ける事が出来た。
これは驚嘆すべきことだ。
呼吸は停止している、瞳孔は散大している、外見上は確実に死亡しているはずの動物。しかしそれでも、眼には見えない何かに違いが宿っているのだ。そしてそれを、私たちは無意識下で感じている。
この眼には見えないなにかを、便宜上"
◆
「…………こ、こんにちは、ルキア!」
「誰ですか? 仕事があるのでもう行きますね」
一回目。一瞥もくれずに失敗。
「ご機嫌よう、ルキア」
「どうも。ごきげんよう、
二回目。何か大いなる誤解と共に失敗。
「おはよう!」
「良い天気ね、ルキア」
「クッキーを焼いてみたのだけれど……一緒にどう?」
三回目、四回目、五回目。いずれも失敗。
「……これ、半分以上はあのマゾ犬のせいよね……」
「ワフンワフン! (呼びましたか、マリー様?)」
「呼んで無いわよ」
どうも。最近どんどん犬語が分かる様になっている気がするマリー・アストリアです。こんなキモいバイリンガル嫌だ。
聖国を訪れてから数日が経ち。その間、私は毎日ルキアへ話しかけて仲良くなろうとしていた。
利益がどうだ、【異能】関係の打算がどうだと言う前に、まずルキア本人の事をよく知っておきたいと思ったからだ。
『ごきげんよう、泥棒猫さん』
……その反応は、どうにも芳しくなかったが。やたらと敵視されている。何故か……というには
クライヒハルト……! もう二度と何処ぞで【英雄】を引っ掛けてくるなよとあれほど忠告したのに、『いや昔の女ですワン』なんてトンチめいた事言いやがって……! (言ってない)
「こ、こんな理由で人間関係が頓挫するのは嫌すぎる……! イザベラがまた『痴情のもつれですね』とか言って喜びそうな理由で……!」
魂の六回目も撃沈した後、私は一人でそう気合いを入れていた。許されない……こんな下らない理由で無駄に敵視されるなど……!
「こんにちは、ルキア」
「……はあ。また貴女ですか」
六回目も失敗? じゃあ次は魂の七回目じゃい! と気合を入れ、今日も今日とて話しかけると、ルキアはそう言ってため息をついた。
「正直、一週間もつとは想像していませんでした。あんなに悪しざまにあしらって、まだ話しかけてくるとは。どういうメンタルしてるんですか?」
「いや、だって……一応、これから対魔族で一緒にやっていくんでしょ? ある程度は仲良くしときたいじゃない」
「先輩と仲良くするので不要です。まずはあの商人女と皇帝の仲でも取り持ってたらどうです?」
「それもそうなんだけど、正直あの二人はもうどうにもならないと思うから……!」
早足で歩くルキアに、そう言いながら追い縋る。
今まで、私は三人の【英雄】と話をしてきた。たった三人のサンプルで物を語るなど、研究者でもあるエリザに鼻で笑われそうだが……それでも、少し分かって来た事もある。
【英雄】は、苛烈である。その力も性格も常軌を逸していて、ただ居るだけで周囲に重圧を与える性格破綻者たちだ。
だが、言い換えるなら、彼らは”苛烈なだけ”なのだ。
父親と母親の教えに従っていたリラトゥのように。もっと素晴らしい何かをひたすらに求めていたエリザのように。本当は一人で何でもできるくせに、一人が嫌いなクライヒハルトのように……彼らには、彼らなりの望みがあるのだ。
尖りすぎる程に尖った枝葉を少しずつ取り除いていけば、意外と根っこの方はまだ理解が及ぶ……及ぶか? ちょっと自信が無くなったが、たぶん理解が及ぶのだ。
そして往々にして、理解者がいないというのは寂しい物である。
「しつこいです。馬鹿の一つ覚えのように何度も何度も……」
「……その、それはごめんなさい。ほんとに」
明らかにイライラしている様子のルキアに、そう頭を下げる。いや本当に、何を思い上がってるんだって言われればそれだけなんだけど……一応、相互理解は試しといて損は無いっていうか……。
「良いですよ。どうも諦めが悪いようなので、話をしましょうか」
「あ、ありがと……っ!?」
立ち止まり、クルリと回ってルキアがこちらへ向き直る。ケープの裾がひらりと舞った次の瞬間、胸元にまでルキアが詰め寄っていた。光を宿さない瞳の中央に、驚いた顔の私が映っている。
「何が狙いですか? 相互理解? そんな物必要ありません。だって、私は貴女の事をよく知ってますから。マリー・アストリア。シグルド王国第二王女。18歳。王位継承権第一位の次期女王にして、クライヒハルト先輩の
「ちょ、ちょっと…………!」
せきを切ったように話すルキアに、思わず圧倒される。そんな私を横目で見ながら、ルキアはフンと鼻を鳴らした。
「どうですか、満足しましたか? 次は私の自己紹介でもしましょうか? 」
「違う、そうじゃなくて……!」
「ルキア・イグナティウス、歳は19で趣味は宗教です。将来の夢は神で欲しい物は信仰、ありとあらゆる民に私を信じさせることが目標です。その為にあの気に食わないエリザとも、先輩を盗った貴女とも仲良くしてます。魔族の動きに対しては何をすれば良いかまだ纏まっていないようですが、少なくともエリザとリラトゥが死んだら蘇生しましょう。先輩は負けるはずも無いので対象外です。私の【異能】ならば、その程度は簡単です。貴方方との協力関係はそれ以下でもそれ以上でもありません」
そう一息にまくし立てると、ルキアは私を強く睨みつけた。【英雄】の怒り、覇気。凡人を容易く圧倒するそれに、もっと酷いあの駄犬の威圧を思い出しながらなんとか耐える。
その眼に宿っているのは、怒りだ。何に? 普通に考えれば、彼女が敬愛するクライヒハルトを、私が従えている事だろう。後は何度もしつこく話しかけた事に対する怒りもあるかもしれない。
だが。どうしてか、それ以外の
「わ……」
私が彼女に何度も話しかけた理由。それは、恐らく先程述べた理由だけではない。クライヒハルトにもエリザにもそれと無く止められながら、それでもどうにか、なぜか彼女とは仲良くしたかった。話をしたかった。
「私、貴女と何処かで出会った事ない……?」
ルキアの眼に導かれるように、私は思わずそう口にしてしまった。最悪である。なんか口説いてるみたいになってしまったし、もしそうだとしても言うのが遅すぎる。
「いや、よくあるナンパ文句を口にしている訳じゃ無くて……! 確かに言葉だけを抜き出せばその通りなんだけど、でも違くって……!」
「――――――――――――」
わたわたと言い訳をする私に対し、しばしルキアは呆然としたような顔をした後。
「……最悪です、本当に」
この世の全てを憎んでいるような顔で、そう言った。
「え……」
「アストリア。マリー・アストリア。言いましたよね。相互理解など必要ない、私は貴女の事を良く知っていると。貴女の事を、私は産まれる前から知っていました。―――
身をひるがえし、そう言いながらルキアが何処かへ歩いていく。
有り得ない名前に、一瞬脳が停止する。―――なぜ、彼女からその名前が出てくる?
カサンドラ。嫁入りを機に苗字を得て、カサンドラ・アストリア。王都にある大劇団の元主演にして、その美貌で王すらも射止めた天性の女優。慣れない貴族生活で身体を病み、最後にはたった一人の娘と引き換えに、この世を去った。
「気になるなら、ついてきてください。聖国、秘中の秘……"焚書庫"の中で、お話ししましょう」
能面のような無表情で、ルキアがそう言い放つ。全ての感情を押し殺したようなその顔は、少なくとも私を黙らせるだけの力を有していた。
◆
積み上げられた大量の本。陽の光は遠く、ランプの暖色光があたりを照らしている。
"焚書庫"。
世界最大の宗教である聖教が、各地で収集した『危険である』と判断された知識の集積地。王政の廃止を訴える思想本、禁忌とされて廃れた
存在すらあやふやな、今回私たちへ交渉材料として差し出された物。そしてどうやら、実在さえ怪しい"焚書庫"は密談にも適しているらしかった。
「私の異能、【
ルキアが手をかざすと、何処からともなく一冊の本が浮き上がって彼女の手に収まる。黒い装丁に、金糸で複雑な刺繡が施されている。あれが、ルキアの言う【聖典】なのだろう。
「私の【英雄】としての機能は、ほぼこの聖典に依存しています。これが無ければ、私はただのちょっと力が強い小娘ですね。取り上げてみますか?」
「……馬鹿言わないで」
「残念。ま、尋常の手段で壊せる物でもありませんが」
そう言って、ルキアはクルクルと身体の周囲で本を回転させる。ランプの光に照らされて、黒い本の刺繍がチラチラと光る。
……彼女の本心を、まだ私は掴めていない。私の母の名前を出した事もそうだが、そもそも何故いきなり話をする気になったのか。私の絞り出したようなあやふやの口説き文句が、まさかそこまで刺さったわけでもあるまい。
「……英雄を、あえて分類するとすれば」
本の表紙を丁寧に撫でながら、ルキアがそう独り言のように話す。
「皇帝であるリラトゥは、まさに
どこか言い聞かせるような口調で、彼女がそう説明する。考えてみれば、彼女は本物の聖職者だ。一応。ならばこの一室で行われている事は、まさに"説教"と言うべきだろう。
「そして、私は。聖女であり神であらんとする私は、言うなれば、
「…………」
「『私の母親と何の関係があるのか?』という顔をしていますね。察しの悪いこと」
ペラペラと、独りでに浮く本のページが勝手に捲れる。それを好きに浮遊させながら、ルキアが呆れたような顔をする。
「……幼い頃の私は、異能の習熟を兼ねてこの【聖典】をひたすらに読んでいました。父も母も、物心つく前に『英雄候補だ』と言って引き離されましたからね。暇だけは持て余していたのです」
事前にエリザから聞いていた内容と一致する話だ。リラトゥと同じく、ルキアは生まれながらにしての【英雄】。将来聖教を背負って立つ存在として、幼い頃から教育が施されていたらしい。
「【聖典】で読む他人の人生は、どれも酷い物ばかりでした。家族から見捨てられた老人、重い病に苦しむ病人、亡くなった死者を運ぶ葬列……。皆がみな、まるで苦しむために生きているようでした」
周囲に、泡のような虹色の気体が浮かび上がる。揺らめく水面に、必死に本を読むルキアの姿がかすかに映る。【異能】の応用で、ルキアの過去を投影しているのだ。そう気づいた次の瞬間、泡がこの部屋を埋め尽くすほどに膨れ上がる。
飲み込まれる。ルキアの語る過去に。彼女が語る物語が、実際にその中へ入り込んだように体感できる。恐れを何とか飲み下し、私は静かに泡へ身を委ねた。
◆
【
飢えに苦しみ、土を口に詰めながら死んだ男がいます。盗みに走り、磔のまま石を投げられて死んだ罪人がいます。病にかかり死んだ者、魔物に殺された者、絶望のまま自ら命を絶った者……。
【異能】の修練のために、私はずっと彼らを見続けました。
そうすると、段々分からなくなってくるのです。
何故、この世界はこんなにも苦しみで満ちているのでしょう?
『聖神は光と闇を分け、世界を造った。光からは動物たちが、闇からは魔物や魔族が生まれた。神は最後に自らの姿を真似て人を造って、よしとされた』と、教義には書かれています。人は神が造り上げた、特別な存在なのだと。
おかしな話だと、少しずつ思い始めました。もし本当にそうであるならば、人間が万物の霊長となっているはずじゃありませんか。少なくともこんな、魔族にも、魔物にも、巨人にも龍にも、周辺種族全てに怯えながら生きているような矮小な存在であるはずがありません。
それも神の思し召しなのだと、教師は言います。人間は闇から産まれた彼らを退け、繫栄するのが人類の使命なのだと。
今までは、それを信じていました。ですが死んでいく彼らの苦しみを知るたびに、私の中の疑念は少しずつ育っていきました。
何故、人々は生きているだけで苦しんでいるのか? 生まれながらに祝福され、幸福が約束されていないのか。藻掻きながら生きる彼らの苦しみを見ながら、私は『こんなのは間違っている』と子供心に考えていました。聖神は何故、彼らをお救いにならないのか。試練だけを与え、祝福を授けられないのか。
『神を試そうという思考が、既に間違っている』と、教師には叱られましたがね。
転機は、そう。聖教のトップ……"大司教"が、老齢によってこの世を去った事でしょう。
ああ、クソ……。今思い出しても、腹に鉛が流し込まれたような気分になります。禁忌中の禁忌ですが、もはや構いません。言ってしまいましょう。
貴女は、何故【初代王】の歴史が闇に葬られたか知っていますか?
『聖教が徹底的に弾圧したから』。それは確かに正解ですが、同時に真実のごく一部でしかありません。知識の隠滅というのには、途方も無いコストがかかります。なぜ聖教が、莫大な犠牲を出し、多数の敵を作りながらもそれを踏み切ったのか。その理由を教えようとしているんです。
貴女は、既に知っていますよね? かつてこの世には、一つの超大国があったと。今の我々が暮らす国々は、全てその国が千々に分裂して出来た物であると。
商国の
ええ、そうです。初代王の手記に、そう書かれています。"国会議事堂"が
どういう事か分かりますか?
私たちは、私たち聖教は、たった一つの事をどうしても隠したかったんですよ。それを隠すためだけに、初代王の全てを闇に葬らざるを得なかったんです。
"聖教"とは、初代王が民を導くためだけに編み出された、でっちあげの
笑えますよね。
大司教の死後、【聖典】に記された彼の人生を追体験する事で私はそれを知りました。
聖神なんていません。初代王が国を興し、自らの権威となる裏付けとなる
……最悪の気分でしたよ。
貴女は、そこまで熱心な教徒では無いようですね。ショックを殆ど受けていませんもの。私がカサンドラさんの名前を出した時の方が、よほど狼狽えてました。
ですから、想像できないでしょうね……。自らが人生を捧げて追い求めてきた物が、実は何の意味もない
死のうと思いましたよ。何の誇張も無く。
大司教に至るほどの信心と智慧のある者だけに、この知識は連綿と受け継がれているそうです。
……大司教の方はご立派でした。今の聖教と多数の信者を想い、熱した鉄を呑み込むような気分で、真実を腹の内に秘めたのですから。それがまさか私のような小娘が、偶然にも【異能】を用いて知ってしまうなんて。誰も想像していなかったでしょう。
私は食も細くなり、瘦せ衰え……【聖典】をひたすら読み耽るようになりました。何かに縋ろうとするように。
知りたかったんですね。世界にどれだけの苦しみがあるのか。そして彼らは、どうすれば幸せになれるはずだったのか。それを知って、せめて自分を慰めたかったんです。
ここで、もう一度繰り返しましょうか。
【聖典】には、私の誕生以来、全ての死者の記録が保管されています。
私は、今年で19歳になります。貴女は18歳ですよね? そしてカサンドラさんは、貴女を産んだと同時に亡くなった。
ええ、そうです。
あるのですよ、この【聖典】には。貴女の母親、カサンドラさんの生きた記録が。
聖典を開き、死者の人生を追体験する私に、一つの声が語りかけました。
『……こんにちは、今これを見ている人。名前は、ルキア・イグナティウスさんでいいのかしら?―――どうも。貴女の将来の恩人、カサンドラよ。崇め奉りなさい』
信じられない第一声でしたね。
私に話しかけている事もそうですし、その内容も。
カサンドラ。結婚を機に苗字を得て、カサンドラ・アストリア。
後にも先にもきっとあの人だけの、【未来視】の異能の持ち主です。