「それで、何の真似だよ野獣」
宴席が終わり、帰路についた下北沢の高架下。自宅近くの寂れた場所で、金網に背を預け、街灯に紫煙を燻らしながら俺は言った。
野獣は常の姿、上はシャツ一枚に下は水着。その水着の中から古いパッケージの赤マルを取り出して、火を付けた。
「フゥー……」落ち着いた呼吸の音だけが返される。紫煙を吐く。二人分の細い煙が夜に昇って消えていった。
四月の夜はまだ肌寒く、時折吹く風に身体を縮み込ませる。それでも紫煙を吹き夜を見上げれば、甘く懐かしい花の香りが、どこからともなく漂ってくる。
そういえば、こんな夜だったなと思い起こした。このステハゲが俺の前に現れたのは。
「まあ、言わねえんなら勝手に話すがよ、今日のあれこれは、お前にしちゃ随分手間が掛かってねえか? 食材を用意したり、食堂を貸し切ったり、イーノックとニンスレ抱き込んだりよ」
「そうですねぇ! ぬわあああん疲れたもおおおん!」
「そうだよ(便乗)。お前と居ると何時も疲れるわ。だけどそれは、お前が突飛な行動をするからだぜ。今日のお前は計画性があったよな。相変わらず汚くてメチャクチャだったが」
「はは」と笑うと共に煙を吐く。面長の月が、夜空の端に掛かっている。
まるで野獣先輩のような月だ。そんな感想が出てくるのは病気だ。病気で良いのさ。俺はそれで。
「だからよ、お前が計画性を持つなんて、変に変を掛け合わせてもっと変になってるんだよ。お前がまともになれると思ってんじゃねーぞ。お前はTDNホモビ男優で、ネットの玩具で、お前は……」
「今日の俺、まるでサタンみたいだぁ……とか思ったかぁ?」
「……チッ」
図星を突かれ、舌打ちを一つした。「俺の心配をするとかお前ホモか!?」とゲラゲラ笑いながら、しかし野獣は静かに吸口を唇に当てる。
一つ吸って、夜に吐いて。「……ま、多少はね?」と、何時もの調子でそう言った。
「俺は野獣先輩だけど、それだけじゃ悪魔としては成立し得ないから、サタン要素も多少はね? 今日も知恵(語録)を沢山貪って楽しかったルルルォ?」
「あっそ。杞憂で安心したわ。お前がお前でよ」
「俺も安心できましたねぇ。お前がお前でいられるようで」
「……は?」
野獣はヘラヘラ笑うこともなく、唇すらも向けず、寧ろ離れ合うかのように夜空を見つめながら言った。
「お前はTDN人間だから、それ以外には成れないし、成ってはいけない(戒め)。ルートの整備も、もう大体終わっとるやん。(修羅場も)ま、多少はね?」
「何言ってんのか分かんねえぞ。何時ものことだが」
「人道を往く。俺がお前にしてやれるのは、それだけだって、はっきり分かんだね」
そう言って野獣は金網から背を離し、俺と向き合うように道路に立った。煙草の火を消して仕舞い、「固くなってんぜ?」茶化すようにそう笑った。
「イーノックなんて悪魔が存在しないように、ニンジャスレイヤーという悪魔が存在しないように、野獣先輩という悪魔も存在しないんだよなぁ……。俺は威霊:サタン。野獣先輩というネットミームを中心に、サタンの皮を被って、人類の想念を纏ったよく分からない存在……これもうわかんねぇな? お前どう?」
「俺に聞くのかよ」
「だって俺を俺たらしめているのってお前だし」
「は?」
「何を」と言う前に、頭上にごうごうと電車が走った。カタン、カタタンと車輪の音。窓枠に区切られた明かりが野獣を照らし、暗く隠し、コマ送りのように姿を映していく。
「俺の核には野獣先輩がありますねぇ。でも、何時か言ったように、それ以外も雑多に転がっているんだよなぁ……。たぶん俺は、サタンが配置した、人類が面白がる悪性情報の欠片。ネットミームとか、下ネタとか、メタネタとか。その中から俺を掬い取ったのは、他ならぬお前だってはっきりわかんだね」
「……俺が異常野獣先輩愛者だから、スマホを拾ったときにお前が出てきた……ってコト!?」
「そうだよ(肯定)。俺がお前を選んだんじゃなくて、お前が俺を選んだんだゾ。クソッタレな人生をクソまみれにするヒーローとしてな~」
「……まあ、お前は確かに俺のヒーローだけどよ」
「ですよねぇ! 俺もTDNホモビ男優をヒーロー扱いするお前が心配でなぁ!? だけど結構頑張っててさぁ……俺も楽しくってさぁ……俺が俺で在れてさぁ……」
列車の音。風切りの音。その中に甲高く、聞き慣れた、耳に馴染んだ声が、妙に優しく聞こえている。
「だから、まあ」野獣が空を見上げる。「んにゃぴ」照れくさそうに頭を掻いた。「結局、言いたいことはですねぇ」
列車が過ぎ去ったその刹那。全ての音が止まったその瞬間。
野獣は笑って言った。
「お前の事が、好きだったんだよ」
遠くからでも、声が良く伝わるように、茶化すこともなく、野獣は真っ直ぐに俺を見つめている。
煙草の火を消して、俺は言った。
「……大胆な告白は乙女の特権だろ。いい加減にしろ」
「何だよお前サマナーよぉ! 乙女の告白を流しますね……するとか人として酷くなぁい? って思うわけ!」
「うるせえな急に語録洪水すな!」
先程までの距離感はどこに行ったのか、今やべたべたと身体を触って唇を向けてくる。クッソウザい。そして臭い(確信)。あーくっさ。くっさ。
「ん? コイツ、チンコから涙流してんのか?」
「チンコも目ん玉も泣いてねえよ! 急にホモビ男優が往年の葉鍵ヒロインみてえな雰囲気出したからドン引きしただけだっつーの!」
「俺、消えっから! とでも思っていたのかぁ? ホモは絶対に治らない。何故なら病気ではないから(至言)」
「biim兄貴の名言じゃねえか。どうしたよ。あと俺はノンケだから(半ギレ)」
「病気じゃないから俺はお前の傍にずっと居続けるんだよなぁ! 嬉しいだろサマナ~!」
「呪いの装備(確信)」
しかし野獣は非常に上機嫌で肩に腕を回してくる。べたべたと、何時までもしつこく。こちらが嫌と言っても聞きやしない。
淫夢動画だってここまで無茶苦茶じゃねえぞ。他人の権利を侵害し、人気のコンテンツに便乗して浸食し……いやこうして並べると最悪極まるコンテンツだが、現実に身体を触ってくるまではないだろう。
加えて悪魔と戦えだの抜かしたり、戦闘中にもおふざけを連発し出すし、こいつがいると緊張感も糞もない。糞だけがある。
……そして、それに救われることだって、確かにあった。
暇で暇で仕方がない日々の、糞に塗れたヒーローは、画面の中から飛び出して、俺に居場所を与えてくれた。
「だからまあ、その、なんだ……野獣」
柄にもなく、いいや、本当はずっと思っていたことだが。
いつもありがとな。これまでも、これからも。
なんて、そんな事を口にしようとして「Wasshoi!」アイエッ!? 突然高架下に飛び出してきたのは赤黒の影! 殺戮者のエントリーだ! 「ファッ!?」そのまま野獣はきりもみ回転状態で吹き飛ばされる!
俺の前に佇む影はネオサイタマの死神。ではなく何の漢字も刻まれていない、鋼鉄のメンポを備えたニンジャである。彼はオジギをして言った。
「ドーモ、サプライズニンジャです。サマナーよ、こ奴は実際ヤバイ級ハッカーではないか! 折角のサプライズがIRC空間ごと閉じ込められたわ!」
「いや何時も言ってるが勝手に出てくるんじゃねえよテメエらはよお! 本当に何なんだよマジで!」
「裏技に裏技を重ねすぎて、もう普通の悪魔ではないんだ。だが特にバグなどは起きないので大丈夫だ、問題ない」
「イーノック、お前も人格者面して大概トンチキだよな。ちょっと次回の好感度査定にマイナス付けておくな」
「大丈夫じゃない大丈夫じゃない」
「アワレだな、メタトロン。ハイクを詠むか?」
「いや俺の好感度上昇イベント邪魔するとかお前ら酷スギィ!」
あっ、赤黒の影に吹っ飛ばされた野獣が復活した。メーヴェ先輩状態から飛び上がって帰還し、非常に不機嫌そうな顔を浮かべて二人を上から目線で睨んでいる。
「このままサマナーと幸せなキス(二回目)して、今度こそチンポもシコシコしてやるからな~♡♡♡ と思ってたんですがそれは……!(憤怒)」
「それは……! じゃねーんだよ死ね! ニンジャスレイヤーにエントリーされたんだからハイクでも詠んどけ! そして爆発四散しろ!」
「イキスギィ!/イクイクイクイク!/アーイキソ」
「最後までイかずに死ぬのか……(呆れ)」
そんな風に笑って、おかしくって。
だから好きなんだよ、こいつらが。
「あっ、そうだ。この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ。行きませんか? 行きましょうよ!」
「おっ、そうだな。屋台じゃなく普通のラーメン屋だけどな」
「あっ、そっかぁ……じゃけん今行きましょうね~!」
野獣が我先に行き、俺達はその背中を追いかけていった。
だらだらぐだぐだと喋りながら、何時も通りに、流れに身を任せてさ。
おしり