(エッセイ)トランス(性別越境者)の心のサバイバル(第2回)(全4回)
しかし最悪の可能性もあります。SRS(性別適合手術)をしたところで女そのものにはなれません。階段を最後まで上がって、その時に初めて気付いたとしたら、悲劇というより他にありません。実際、階段の終わりで一気に転落してしまう例が少なくないのです。
生まれながらの女を基準にする限り、トランス(性別越境者)は一生「不完全」です。それを不幸と言うなら、死ぬまで不幸です。全面的に幸福であることなどあり得ませんから、不幸は不幸なりに生きていけるなら悪くないでしょう。ただ「特別な不幸」、死に至るような不幸だとは考えるのは行き過ぎです。多少不幸なのが普通の人生です。
この絶望を回避するためには、やはり〈生き方としてのトランスジェンダー〉に一定の重きを置く必要があります。移行の過程自体に価値を見出さなければ、ある時点で急激な自己評価の低下が起きるのです。
「生き方」を無理にでも強調する今一つの理由は、少なくないトランスが、アイデンティティの過重を「トランスであること」にかけすぎている、ということと関係しています。一つ目の理由と矛盾するようですが、「トランスであること」に頼りすぎることにも危険があります。少なくとも、頼ってしまっていることに自覚的であるべきです。
ステップを一つ一つクリアして「変わっていく自分」を感じることは、とても大きな喜びです。よほど素材の良かったケースを除けば、決して楽な過程ではありません。ですが、そんな苦労など気にもならないような達成の快感があるのです。スタンスがどうあれ、完成度の高いトランスであれば、誰でも狂躁状態のような一時期を過ごしたことがあるはずです。



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