(エッセイ)トランス(性別越境者)の心のサバイバル(第3回)(全4回)
しかしそんな時間が永遠に続くわけではありません。フルタイム、そして戸籍上の性別を完全に隠す、ということが達成された時、ふと気付くのです。「トランスとしては」という括りで言えば、一定の目標に到達したことになります。夢に描いていた生活かもしれません。広義のトランスとしては、なかなかの水準に達していることでしょう。しかし、そこで手にした暮らしはあくまで「女として」の生活なのです。
「トランスとして」ではなく「女として」を基準に考えると、トランスなどただの欠陥品です。性器も戸籍も不完全ですし、できないことが多すぎます。そして「女として」完全であることには、永遠に手が届かないのです。
「トランスとして」から「女として」に基準がシフトした途端、今まで全力で高めてきた自信が一気に瓦解するのです。しかもここで手にした新しい基準で考えると、永遠に平均点にすら達することができないのです。
たとえ完全には程遠くても、これはこれで決して悪くない人生です。「手の打ち所」と言えるでしょう。ですが、狂躁状態の終結にあって自己の全否定へと一気に転じてしまうことは、少なからぬダメージをもたらします。
「女として」の生活を目指すことを前提とするなら、少なくともこの急転に備え、「トランスとして」だけの考え方を相対化しておくべきです。懸命になっている時はなかなかそこまで頭が回りませんが、ソフトランディングできる用意だけはしておく必要があります。



コメント
2おはようございます😉
「トランスとして」から「女として」やっとの
想いで基準を満たしたのでしょう!
考えればハードルが幾つもあるとし 悩むし
でもね 女として 自分らしく日々過ごすことが 大切なことかなぁ☺️
俊介さん、おはようございます。いつもコメントありがとうございます( ´∀` )
「トランスとして」から「女として」やっとの思いで基準を満たしました(笑)
考えれば、ハードルがたくさんあるとし、悩みますね。
でも女として、自分らしく日々を過ごすことが、大切かも知れませんね・・・