警察によりますと9日午前11時20分ごろ、消防から「読谷村内の施設で爆発があり、負傷者が出ている。意識はある」と通報がありました。
沖縄県によりますと爆発が起きたのはアメリカ軍基地「嘉手納弾薬庫地区」の敷地内にある県が管理する不発弾の一時保管庫で、自衛隊員4人が指にやけどを負うなどのけがをしたということです。
いずれも命に別状はないとしています。
警察や消防などが現場の状況の確認を進めています。
沖縄 米軍基地内の不発弾保管施設で爆発 自衛隊員4人けが
9日午前11時すぎ、沖縄県読谷村のアメリカ軍基地の敷地内にある施設で爆発があり、自衛隊員4人がけがをしました。
爆発があったのは沖縄県が管理し、不発弾を一時保管する施設だったということで、警察や消防などが状況の確認を進めています。
現場の状況は
午後1時ごろ、NHKのヘリコプターが沖縄県の「嘉手納弾薬庫地区」周辺を撮影した映像では、フェンスの近くに置かれたテントの周辺に数人の自衛隊員が集まり「不発弾処理」と書かれた車両が止まっているのが見えました。
また、テントの下には黒色の砲弾のようなものが並べられているのが確認できました。
不発弾の一時保管庫とは
沖縄では、いまでも毎日のように80年前の沖縄戦当時の不発弾が見つかっています。自衛隊の不発弾処理隊によって回収された不発弾は、ただちに爆発する危険性がないと判断された場合、読谷村にある県が管理する施設である「一時保管庫」に運ばれます。
この施設は、アメリカ軍基地の「嘉手納弾薬庫地区」の敷地内にあり、自衛隊によりますと、一定期間保管されたあと、別の場所に移して処理が行われることになっているということです。
沖縄の不発弾 1日1件以上のペースで…
太平洋戦争末期、沖縄は「鉄の暴風」と言われるほど無数の砲弾や爆弾にさらされました。アメリカ軍によって打ち込まれた弾薬の総重量はおよそ20万トンと言われ、そのうちおよそ1万トンが不発弾として残ったと推定されています。
1972年の本土復帰までに住民やアメリカ軍などによって処理されたのは、その半数ほどです。このため、不発弾は本土復帰後も住民を苦しめました。
復帰から2年後の1974年3月、那覇市の幼稚園のすぐそばで、旧日本軍が戦時中に埋めた改造地雷が爆発し、3歳の女の子を含む4人が亡くなり、34人がけがをしました。対応を求める声が高まり、3か月後、不発弾処理を専門とする陸上自衛隊の部隊が発足し、これまで処理を続けてきました。
部隊の発足後、今月6日までに4万322件、あわせて1892トンの不発弾が処理されています。このほかにも、海中で見つかった不発弾は海上自衛隊が処理にあたっています。
沖縄戦から80年となる今も、不発弾は県民の暮らしに影を落とし続けていて、平均すると1日に1件以上のペースで見つかっています。
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