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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

二輪の乗り方

2025年06月09日 | open



私の場合、モーターサイクル
の運転においては、エンジン
のレッド
ゾーン下のパワーバ
ンドの領
域でタコメーターの
針をダン
シングさせないと嫌
というの
がある。
だが、それは走りには実は関
係ない。走りは好き嫌いでど
うのという問題ではないから

だ。
状況に適合させた効率良い適
正運転をするなら
ば、マシン
のパワーバンドを大
いに使う、
という物理的な結
果であるだ
けだ。思念や好み
は走行技術
や選択肢には一切関係ない。


最近の二輪運転者は、なぜか
発進してすぐにギアを何速も
上げてしまう人が多い。
信じがたいほど2ストバイク
の運転そのものができない人
が多すぎる時代になったが、
そういう乗り方をしていたら
2ストなどは乗れっこないし、
プラグなどはダダ被りでエン
ストエンコするだろう。確実
に。
そういう概念でしか2スト車
を運転できない人は、アクセ
ル操作もできず、ただただ
ガバッと開けるだけなので、
プラグはすぐに被ってしまう。
実はそのような不適切な右手、
不適切な判断しか持たない人
は原付2ストのスクーターで
さえまともに走らせられない。
実際、エンストエンコで何度
か私はレスキューしたが、外
すとプラグはダダ被りだ。ベ
ッタベタのびしょびしょ。
新しいプラグに交換して私が
乗るとプラグはこんがりとキ
ツネ色に焼ける。
車が悪いのではなく乗り方の
問題だ。

同様の事は4ストローク車に
おいても発生している。
4ストの場合は2ストよりも
プラグは被りにくいだろう
が、症状は同じ事が起きて
いる。特にFI車でなくキャブ
車の場合。
燃料供給系や吸排気やキャブ
の不具合ではなく、エンジン
がストールしたりするのは、
多くは乗り方に問題がある
事例をよく見る。
しかし、面白い現象で、これ
また大抵はそうした状態に車
をさせてしまう運転者たちの
ほとんどが、自分の乗り方に
ついて改めようとはしない。
車が悪いことにしたがる。

モーターサイクルのスロット
ルは、ガバッと回して開ける
のではなく、茶巾を絞るよう
にジワリと開ける。
かつては世間では1/60の開度
をコントロールせよ、といわ
れていた。
だが、私の師匠は「その倍の
1/120の開度を任意に制御せ
よ」と教示していた。
「馬鹿右手だと運転手はでき
ない」とも。
「運転手」とは、二輪競技の
ライダーを指す業界隠語だ。
一般道でも「乗り屋」とか
「運転手」と呼んでいた。
今は「乗り屋」も「運転手」
もほぼ死語になりつつある。
理由は明白。
「乗れる人」が嘘のように
極端に少なくなった世の中
になったからだ。
今の時代、層として「乗れ
てる人」と
いうのは、二輪
では競技選
手くらいではな
かろうか。

日本人はいつからか、二輪
運転技量向上や正しい理論
を理解する事に興味を持た
なくなってしまった。
単なる移動手段で二輪を選

んでいるだけになった。
「きょうはケーキにしよう
か、和菓子にしようか」と
いう選択と同じような感覚
で、ただ移動のためだけに
二輪を選び、そして走行の
中味自体には全く興味を示
さない。二輪はこの世で二
輪しか持っていない特殊な
動き方をする乗り物である
のに、それに肉迫して二輪
特有の世界を堪能しようと
はしない。乗り合いバスや
鉄道と同じ単なる移動手段
として二輪を「好みだから」
と選んでいるだけ。
また、ネット等でも二輪運
転の大嘘教えが蔓
延してい
て、真の二輪運転操縦技術
向上
の阻害要因ともなって
いる。

「二輪の原理」というもの
は、どんなに電子デバイス
が発達搭載されようとも、
輪っか2個を設置させて進行
する乗り物である以上、そ
の定理は不変だ。時代も乗
る側の世代も性別も関係無
い。
1972年の世界グランプリで
250クラス世界チャンピオン
になり、1973年のグランプリ

シーズン中に不慮のレース中
の事故で他
界したヤーノ・サ
ーリネンは真実を突く
名言を
遺した。

「モーターサイクルはボウ
リングができる体力があれ
ば乗る事ができる」
 
 

 

 

 


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