喪主の三奈さん「脈拍、血圧が0になっても心臓を動かそうと…」看護師さん「こんなの見たことない」【長嶋茂雄さん告別式あいさつ全文】
2025年6月8日 17時08分
3日に89歳で死去した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の通夜が7日、告別式が8日に、東京都品川区の桐ケ谷斎場で行われた。8日の告別式では最後に、次女の三奈さんが喪主あいさつをした。全文は次の通り。
本日はお忙しいところ、また、遠路にもかかわらず、父、長嶋茂雄の葬儀に足をお運びくださいまして、誠にありがとうございました。
2004年、脳梗塞で倒れてからは、自分との闘いを21年間続けてきました。私が見ていても胸が締め付けられるぐらい苦しい治療をたくさんしてきました。食事も食べられず、会話もできない日も何日もありました。でも、父は、野球を全うしたそのままの力で、病と真正面から向き合って、決してあきらめることはしませんでした。
6月3日、朝6時過ぎに、病室におりまして、脈拍と血圧の数値が0になったんですが、よく見ると、波形が、ピッピッと山なりの波形が、ずっと続いているんです。看護師さんに「これ、どういうことなんですか」と聞きましたら、「監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。私、こんなの見たことありません」。看護師さん、主治医の先生方、最後まで驚いていました。最後まで長嶋茂雄を貫いた人生を送ったと思います。
意識がなくなっても諦めず、そして、最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよと。父の心臓の鼓動がそう発していると、私は思いました。父らしい、最期まで諦めない姿を見せてくれました。父は、きっとこの後、天国でも日課としている散歩とトレーニングを続けると思いますので、晴れた日には、皆さまどうぞ時々空を見上げて、父のことを思い出していただければと思います。
そして、父はとても耳が良いので、松井さんも、もしよろしければニューヨークから素振りをしていただければ、父もしっかりと聞いていると思います。どうぞ、これからも父と松井さん、二人だけの会話を、素振りを続けていただければと思います。
また、このたび、葬儀委員長を務めていただきました、読売新聞グループ本社代表取締役社長山口寿一さまには、父が亡くなる前日2日に病室に来ていただき、また翌日3日の早朝にも駆けつけてくださり、私たち、家族だけではなく、スタッフにも「体は大丈夫ですか」と温かいお声をたくさんかけていただき、本当にお支えいただきました。「感謝」という2文字だけでは到底足りないんですが、山口社長、そして読売新聞グループ本社、社員の皆さま、読売巨人軍、社員の皆さま、家族・親族一同を代表しまして、心より、心より、感謝申し上げます。
出棺に先立ちまして、お礼を申し上げ、ご挨拶と代えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。
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