それは中野での一件が終わって数日後、七月の土曜日のことでした。
その日も私は早起きし、電車に乗って下北沢へと向かいました。東口から外へ出て、東へずっと進んでいき、池ノ上駅近くまで来れば、一軒家が並ぶ住宅街にこぢんまりとしたアパートが見えてきます。
私は階段を上り、三階の隅の部屋へ向かい、合鍵を差し込んで扉を開けました。
六畳一間の一室は綺麗に掃除されており、つけっぱなしのクーラーが冷たい風を運んでいます。三つの本棚にはずっしりと蔵書が並び、机の上には据え置きのパソコンと、それとは別に薄手のノートパソコンが一台。そして灰皿とライターの傍に、無造作に拳銃が放置されています。
午前七時に照り始めた太陽を厭うようにカーテンは閉められ、その近く、ベッドでは部屋の主人である本庄様が寝息を立てています。
私は物音を立てぬようにしながら扉を閉め、靴を揃えて部屋へと上がり、そろそろとカーテンを開けました。日差しが本庄様の顔に当たりますが、それでも起きる気配はありません。
「……おはようございます、本庄様」
私はこそこそと寝顔に囁き、鞄から取り出した割烹着を身につけて、朝食の準備を始めました。
シンク下に置いてある米びつから二合分を取って炊飯釜に入れ、軽く研いでから炊飯開始のボタンをぽちっと。雪平鍋に湯を沸かし、豆腐とわかめを入れて味噌を溶かします。冷蔵庫の中に梅干しと、恐らくはお酒の肴でしょう小魚の佃煮が残っていたので、それを小鉢に入れれば、準備は完了です。
当初は不慣れな部分があったものの、今となっては慣れたものです。さて、お米が炊き上がるまでに洗濯をしようと洗濯籠を持ち上げようとしたところで、「ああ……?」という声と共に本庄様が起き上がりました。
「おはようございます、本庄様! もうすぐ朝食が出来上がりますので、お顔を洗って下さいねっ」
「あ? ああ、あー……おはよ」
「はいっ」
本庄様は目元を擦りながら洗面台へと向かい、髭を剃って顔を洗って卓に着きました。日差しを背に当てながら、点けたテレビに映るニュース番組をぼうっとした顔で見つめています。
そこへ出来上がった朝食を盆に乗せて差し出せば、「いただきます」と言って、もそもそと食べ始めました。
私もまた「いただきます」と、ご機嫌な朝食を共にします。本庄様は朝に弱いので、猫背のまま無言に箸を運んでいました。私もまた、その対面で静かにこの朝を楽しんでいました。
当初は微妙な反応を示していたものの、本庄様は今やすっかり私の存在を受け入れていて、まあ諦めたとも言えるのですが、ともかくも、休日にはこうして共に過ごすことが多くなりました。
その後も何時も通り、洗濯物を干し、部屋の掃除をし、終わった後はベッドに転がりながら漫画などを読みます。本庄様がタブレットを買ってくれたので、私の給料は電子書籍につぎ込まれているのです。
夏の外気を厭うように、クーラーは変わらず駆動し続け、静かな機械音と少しの物音だけが部屋に響いています。
その中に私達は二人で過ごしている。特別な事などせずに。それが嬉しいのと、漫画が面白くて私は笑いました。
「ふへへ、面白いですねバキ君は。ケンガン君も面白いですね。ひょっとしてタフよりも面白いのではないですか?」
「いや何を主人よりもくつろいどるんだよ。器ちゃんも勉強しなさい」
本庄様は机から顔を上げ、私に言いました。ベッドを私が占拠しているので、ご自身は机に向かって勉強をしていたのです。
ノートにペンを走らせながら『キリスト教教理入門』という本を読んでいたようですが、それって医学に関係あるのでしょうか? それとも勝手に任じられたというメシア教の役職に関しての勉強なのでしょうか。
生活を深く知るようになって思ったのですが、やはり本性は真面目な方ですよね、この人。
しかし勉強と言われても、そんな道具は端から持ってきていないのです。故に私はベッドにゴロゴロ転がったまま言いました。
「ふへへっ。勉強はしていますよ! 宿題は昨日のうちに終わったのです。だから休日はゆっくりと過ごすのです!」
「いや予習とかしろよ。器ちゃんあんまり頭良くないんだから(直球)」
「うっ……い、いや、本庄様基準で言われても困りますよ!」
「中学の段階で平均点70点台とか不安になってくるんだが……」と本庄様は言ってきますが、今まで碌に勉強していなかったのでそれでも十分でしょう!
いや、この身に宿す母がその底上げをしていることは多分に分かっているのですが……。人類の言語と歴史はこの頭に詰まっているので、英語と社会は百点満点です。それを抜きにしても古文漢文は得意です。代わりに数学と科学が悲惨ですが……。
「この間の中間テスト、科学が41点で、数学が48点って……うん。勉強、しよう!(使命感) 俺もやったんだからさ(教導)」
「いや本庄様の教え方ってあまり参考にならないんですよ……教科書全部暗記しろって言われても普通にできませんから……」
「丸暗記って考えるから尻込みするんだよ。方程式一つに例題を多数用意して、反復練習で解法の基礎的な部分を身に付ける。それで器ちゃんも付いていけるレベルになれたんだからさあ。もっと頑張りなさいよ」
「えー、もっと簡単に強くなれる勉強法とかないんですか? 私って反復練習とか嫌いなんですよね。前時代的で効率が悪そうでしょう」
「舐めてんじゃねえぞ! こら!」
椅子から立ち上がってぺしぺし頭を叩いてくる本庄様の手を、きゃあきゃあ笑いながら受け入れます。冗談ですよ。毎週渡してくれる問題集だって解いています。
私という貴方の努力が成実する所を、傍で見ていて欲しい。それが偽らざる本音ですから。
「ふへへ、本当に本庄様は私に一生懸命なんですから。ふへへ、ぶへへへへ。恐らく私の事が好きだと考えられますが……!」
「……いやまあ、好きだけど。……いや、その、器ちゃんさあ……」
「お……おいおい普段のつっけんどんな態度はどうしたんですか? 普段のが出てきませんよ。こ、告白ですか?」
だ、だとしたらまずいですよ。ベッドの上でごろごろ転がっている場合じゃないですよ。わ……私は中学生で既婚者になってしまいますよ!
しかし、そんな風にぶへぶへ笑っていると、本庄様は椅子に座りなおし、割と真面目な顔で言ったのです。
「……あのさあ、器ちゃん」
「はいっ! なんですか本庄様っ。ぶへへへへへ!」
「そのぶへぶへ笑うの気持ち悪いから止めた方が良いと思うよ(純粋な善意)」
「ぶへぇっ!?」
「……ということが、あったのです……!」
私は苦渋に満ちた顔で今朝の一件を話しました。確かに癖になっていましたが、我ながら気持ちの悪い笑い声でした。大元が女を食い物にするヤクザの組長というのが最悪を越えた最悪でした。
「それにしたって率直に言いすぎじゃないですかよえーっ! 成績の件もそうですよ! へっ、なにが医学部ですか。結局は勉強よりも手先の器用さが重要なくせに」
「ククク……それは割とそうだから何も言えねえ……そこで折れる奴多いし……」
「器用さにかけては何の心配も要らないと思うのですがね、私は」
そう言ってライドウ様がお茶を飲みました。その隣ではエリーが「えー、本庄さんってまともに手術できるんですか?」と疑問を呈すように首を傾げます。そしてワグナスさんが「私は高卒でテンプルナイトになったから学歴の話はしてくれるな!」と笑いました。
時は昼過ぎ、場所はヤタガラスの食堂です。この場に面しているのは私と本庄様とライドウ様とワグナスさん。お二人は私が頼み、ここに来て貰いました。
そして呼んでもないのに来たのがエリーです。何ですかこの女。メシア教の重鎮が気軽にヤタガラスに入って来ているんじゃないですよ。
「だってお兄ちゃんだけだとまた迷惑をかけるかも知れないでしょう? あはは! もう嘔吐物の後始末をするのは嫌なんですよ! いや本当に(半ギレ)」
「す、すまない……。しかし、阿多くん。そんな話をされても私にはインターネットを止めろとしか言えないが……」
「私も態々呼ばれてそんな話をされて些か機嫌が悪くなっています。どうですか、本庄。葛葉ライドウの機嫌が悪くなっていますよ」
「おっ、何? 死刑宣告か?(恐怖)」
「違います」
そう言ってライドウ様が本庄様に顔を近づけるのをぐいと引き剥がして! さあ話が脱線する前に本題を話しましょう。
「本庄様の指摘によって、私は思ったのです。確かに私は普段からタフ語録を使いすぎています。もしかしたら、このままでは碌でもない未来になるのでは、と……」
「おお(感激)。その懸念があるのなら安心だわ。真面目君のままよじよじよじ登れ!(碌でもない未来)」
「そこで、この身に溢れる魔人の力を利用し、実際に未来を観測することで、その危惧を目の当たりにしてみよう、というのがお二人を集めた理由です!」
「なんかいきなりとんでもないこと言い出したんだがそれは……(ドン引き)」
「未来視とか……この器ちゃん頭おかしい……(小声)」と、本庄様はワグナスさんに囁き、ワグナスさんも「そもそもそんな事が出来るのか……? 出来たら人間ではないぞ。人間ではなかったぞ(納得)」と小声で交わし合っています。失礼ではないですか?
それを他所に、ライドウ様が納得顔で頷きました。
「成程。確かに阿多がアカラナ回廊に接続すれば、『召喚』という形で未来を観測することが可能でしょう。私とワグナスが呼ばれたのも、カオスだけではなくロウとニュートラルの可能性を見るためですか。阿多だけでは選択が固定されてしまうので」
「相変わらず言っている意味分かんねえなお前な。そろそろ野獣が持ってきた女神転生とかいうゲームをプレイするかな~俺もな~」
「『それ』に『これ』は載っていないので無駄ですよ、本庄」
「こいつなら未来も見えてそう……見えてそうじゃない?(恐怖)」
本庄様が言ってきますが、詳しい理屈は私も分からないので何も言えません。何かクソみたいな猫が『君みたいな化け物なら出来るんじゃない?』とか言っていたのを思い出しただけなので。
「ともかく詳しい理屈は置いておいて、アカラナ・回廊の門を開いて下さい! 完全なる未来の召喚ですよ!」
「星をアンカーにして、同規格の存在を並べれば、無数の選択肢がアカラナ回廊に観測できる……? フフ、意味が分からんな、エリー」
「いやとんでもない奇跡じゃないですか。神が去られたこの地に予言をもたらすとか胃が痛くなってきたんですが……」
「予言ではなく実現です! 未来です! さあこの虚空にビジョンを!」
そう言ってライドウ様とワグナスさんを巻き込んで、ヤタガラスの地下にある特殊な領域に接続すれば……「いや勝手に接続しないで下さいよ。ゲイリンが怒りますよ。本庄に」「なんで俺!?」……ま、まあ、ノリでやってしまったので後のことは考えないとして、私達が座る席の頭上にそれは現われました。
靄がかったMAGの塊は、この世界に空いた穴です。未来に接続した穴なのです。その先に、私の可能性は見えるはずです。
それを見ることに、少し不安はありますが……まあ、大丈夫でしょう! そもそも、将来の危惧というのも実は言い訳なのです。
というのも、「どうせタフの最新話が出る度に猿展開にギャーギャー言ってる姿が出てくるだけでしょ(適当)」と言っているように、本庄様はどうにも私をタフ大好きなガキッとしか思っていないようなきらいがあるのです。
そこで立派に成長した私の姿を見れば、本庄様の意識が変わることは必然! 未来を切っ掛けに今が変わるなんて刺激的でファンタスティックではないですか。
第一、自分で言うのも何ですが、私は見た目は良いのです。裕子ちゃんと菊代ちゃんも『まあ見た目は良いよね、見た目はね』『まあ見た目以上に欠けているものがあるよね、見た目以上にね』などと愚弄混じりに褒めてくれたのです。なめるなっ。
まあ手始めに来年のお正月辺りで良いでしょうか。というかこれあんまり調整利きませんね。灘神影流奥義『未来視』は完成しなさそうです。相手の挙動を完全に察知して対処できるという魅力があったのですが。
◇そうして見えた未来とは……!?
『大変ですよ本庄様っ! ガンダムの新作の影響でインターネットにNEO坊が練り歩いています!』
『う……嘘やろ……!? なんでガンダムのネタバレを防ぐためにキー坊がロン毛になるネタバレが拡散してるんだよえーっ!』
『この間の無料公開もありましたし、これを機にタフが人口に膾炙して欲しいですね……ガチでね』
『これで有名になるのはタフじゃなくてネット・ミームとしてのタ・フだと思われるが……』
『ククク……そうですね……』
「いやタフじゃないですかよえーっ! どうしたんですか私!? 立派な姿はどこに行ったんですか!?」
虚空に浮かび上がった光景に私は叫びました。なにっ、まるで成長していません。ヤクザ笑いもそのままですっ。
冬の制服に身を包んで、背も伸びていますが、それでもタブレットを片手に嬉しそうにタフの話題を口にする姿など、今とまるで変わってないではないですか!
「こ……こんな事が……こ……こんな事が許されて良いんですか!? 私の決心はどこに行ったんですか!?」
「いやちょっと待てよ器ちゃん、俺はガンダムの新作に興味津々なんだぜ。◇このチラッと見えた
「"スタジオカラー"の"ガンダム"だと!? 阿多くん、頼むからもう少しだけ見せてくれ。いや映画の内容までは良いんだ。ただもう少しだけ情報を……!」
「私を放っておいてガンダムに夢中になってんじゃないですよえーっ!」
本庄様とワグナスさんは必死になって虚空に見えた情報をメモ帳に書き留めています。「何なんだこのエヴァっぽいガンダムはあっ!」「"赤いガンダム"!? シャア専用ガンダムではないのか!?」などと考察まで繰り広げ始めました。模写まで始めてるんじゃないですよ。
「来年の一月から二月にかけての光景ですかね? とりあえず世界は終わっていないようで私は安心しましたよ!」
「本庄も元気そうで何よりです。進級出来たのでしょうか?」
「どうなんでしょうかね……? ああもうタフのことばっか話してんじゃないですよ私! もっと他の光景はないのですか!」
そう叫び、私は光景を切り替えました。本庄様とワグナスさんが残念そうに「ああっ!?」と叫びましたが、どうでも良いです。精々放送開始を楽しみにしておいて下さい!
◇そうして見えた未来とは……!?
『大変ですよ本庄様っ! リカルドがラーメンを食べ過ぎてデブになってしまいましたあっ!』
『……こ、コラだろ?』
『本物ですっ』
『えぇ……(困惑)』
『大変ですよ本庄様っ! デブになったリカルドが活躍しています!』
『タフって言葉はリカルドのためにある(確信)』
『それはそれとして、このモンスター・トラックは何なんですかね……』
『大変ですよ本庄様っ! 今週のタフに何処かで見たことのある大統領が出てきましたっ!』
『禁断の
『しかし本当に絵が上手いですよね猿渡先生……。だからこそ愚弄が冗談じゃなくなってしまうのですが……』
「本当にタフの話ばっかじゃないですかよあーっ!? それでも女子中学生ですか私は!」
我ながら見えた未来に呆れ返りました。◇私に悲しき未来──……ですが、えっ、本当なんですかこの展開!? リカルドってあんな姿になるんですか?
「ふへへ、ちょっと楽しみになってきましたね……ガチでね」
「ねえお兄ちゃん、そんなに面白いの? このタフって漫画」
「私はまだ鉄拳伝までしか読んでいないので素直に面白いと言えるが、この先については……どうなのだろうな? なあ本庄」
「……NEO坊は前作主人公としてメチャクチャ格好良い」
「……それ以外は?」
「君の眼で確かみてみろ!」
「おお、うん……」
物凄く微妙そうな顔でワグナスさんは頷きました。いや面白いでしょう。ハッキリ言って戦闘シーンの作画力はバキ君やケンガン君の比ではないですよ。
特に雨の中での戦闘シーンなど素晴らしいものです。リアル・タッチの妙技が冴え渡っていますね。
ストーリーライン? に関しては、たぶん私が漫画を読み慣れていないので理解が不足しているのでしょう……。普通に考えて、回想前には生きていた人物が、回想中に死ぬとかあり得ませんしねっ。
「い、いやそうじゃないんですよ! もっと、こう、タフ以外の話題はないんですか!? 私ってそこまで思考を猿に乗っ取られているんですか!?」
「あはは! まずプレイボーイを毎週講読することを止めるのから始めたらどうですか? どう考えても中学生が買う雑誌ではないでしょう!」
「私だってタフが載っていなかったらあんな雑誌買いませんよ!(愚弄)」
「タフもどっかで配信してくれねえかなあ。そうすりゃ話題にしやすくなるのに」
本庄様がぼやくようにそう言いました。それは私もそう思っています。ではなく!
「ええい、タフの話をしない私は居ないのですかっ! こう、なんというか、ファジーにそういう光景を頼みますよ私!」
私は腕を振り、何となくの感覚で未来を探し出しました。何というか、こう、この辺りの期間で『一番心を動かされた光景』ですっ。
◇そうして見えた未来とは……!?
それまでと同じように、私がアパートの一室に入ってきました。バタバタと慌てたようにして、タブレットを抱えています。
『大変ですっ! 大変ですよ本庄様っ!』
「あっ、一発で嫌な予感がしましたッ」
「おっ、やっぱりタフの話か。やっぱり器ちゃんはタフちゃんなんやな」
「そうですがっ、それだけではないのです! ああもうっ」
光景の中の本庄様は椅子を回転させ、入って来た私と向き合いました。そこへ私はタブレットを見せ付け、息せき切って言ったのです。
『猿渡先生がXにアカウントを開設しましたあっ!』
『なにっ!?』
「えっ」
「なんだあっ」
ちょっと待って下さいよ未来の私。何を言っているんですかこの馬鹿は。タフを読み過ぎてセルフ幻魔でも食らいましたか?
と思っていたら私がタブレットの画面をスクロールし始めました。日付は2025年の2月24日。時刻は午後2時3分。そこには確かに『猿渡 哲也』の名前で『X始めました。』のポストがありますっ!
「さ……猿渡先生が……猿のアイコンでXを初めている!? う……ウソやろ……こ……こんなことが……!?」
「う あ あ あ あ あ(PC書き文字)……さ、猿渡先生が、ランダム英数字の初期IDでXを練り歩いていますっ!」
私と本庄様は夢中になって光景にかぶりつきました。何がどうなってそうなったんですか!? というか◇この白い犬は……!?
『す、凄い数の信者達が集まってきている! 一日でフォロワーが一万超えとか……刺激的でファンタスティックだろ』
『地上波に出演したときもそうですが、ラッキーくんと仲良さそうで嬉しいですね! ぶへへへへへ!』
『がわ゛い゛い゛げどでがい゛な゛あ゛ラ゛ッ゛ギーぐん゛(35kg)』
『もしかしてホワイト・スイス・シェパード・ドッグのLUCKYくんはデゴイチの元ネタなんじゃないですか?』
な……なんですかァこの会話は……! 情報が……情報が多すぎます……!
み、未来では一体何が起こっているんですか!? 何なんですか!? この"モンキー・ラッシュ"は!?
「『地上波』に『出演』!? こ、この世界はおかしいぞ器ちゃん! どっか変な世界線に繋がったんだ! 今すぐダイバージェンスメーターを用意してくれっ」
「恐らくこの世界は"猿世界"なる異世界だと考えられます! 異常なまでの"モンキー・ラッシュ"に天もビックリして明日からはマネモブ警戒注意報ですっ!」
「何を言っているのかよく分かりませんが、そこまで遠い世界には繋がりませんよ、阿多」
唐突に出現した猿世界に驚愕していると、ライドウ様が冷静にそう言いました。「年月も離れていませんし、つまりは非常に可能性の高い未来の話です」と、じっと光景を見つめながら言うのです。
「つ、つまり……何も行動しないままでは、私達の世界はこの猿世界になってしまうと言うのですかあっ!? そ……そんな……」
「いやこの世界も大概だがな。主に本庄と野獣先輩のせいで」
「あーんな汚らしいのが我が物顔で往来を闊歩する世界より、その、猿? なる世界の方が良くないですか? 単に漫画家が活発的になっただけではないですか?」
「それはそうですね(納得)」
というか……そろそろ疲れてきましたね。これ以上の未来視は危険です。止めましょう。いや結局、未来の私は相変わらずタフ塗れと言うことしか分かっていませんが……。
ま、まあ、未来でも私と本庄様は仲良くやれていると、それが確認できただけで良いという事にしましょう! このまま何もしなくても未来は安寧なのです!
と思っていると、不意に光景が切り替わりました。えっなんですかこれ。
『……何もしなくても未来は安寧と、そう思っていた私は馬鹿でした』
不意に映った未来は、感覚的に十年後ぐらいでしょうか。未来の私は和室にじっと体育座りをして、和服姿に長く伸ばした髪を畳に下ろしています。
成長した25歳の私は、我ながら気持ち悪いほどに美人というか、率直に言って怖すぎるというかそんな感じなのですが、そんな私は陰鬱な顔で呟くのです。
『大学を卒業した本庄様は、数年を医局で勤務した後、そのままドイツへと旅立ってしまいました。私にはその夢を止める手立てはなく、かといって付いていけるほど頭も良くなく、こうして一人、悪魔を殺すだけの日々を過ごしています……』
「えっ(顔面蒼白)」
『そしてつい先日、見知らぬドイツ女と結婚したという報告があったのです。結婚式には是非出席して欲しいと、嬉しそうな顔で本庄様は……ああ、婿入りしたのでもう本庄様ではありませんね。ぶへへ、へへ……』
「はうっ(致命傷)」
光景はフラッシュバックのように様々な映像をおえっ流します。全く勉強しなかった私は次第に本庄様と話が噛み合わなくなり、段々と疎遠になって、遂には──。
『ああ……あの時、もっと勉強していたら、こうはならなかったのかな……。なんて、もう遅いですね、ぶへへ、へ、へへ……』
「う あ あ あ あ あ あ あ!?(脳破壊)」
私は思わず逃げ出しました。恐ろしい未来に恐怖したのです。
ああ、今からでも勉強しなくてはっ! あんな、あんな事にならないように!
今のままではダメですっ。あんな25歳にもなってぶへぶへ笑っているような女にだけはなりたくありませんっ!
「……で、逃げ出しちゃったんだけど、なんでまだ居るわけ?」
そう言って素幸さんは私を見つめた。懐には油断無く拳銃を確かめながらも、異常な事態に剣を抜こうとする竜胆さんを目で制している。
私は懐かしくて笑った。その眉間に皺の寄った、若々しい敵意の在り方。親しい少女の顔を被った、正体不明の敵に対する対処を、苦悩しながら見極めようとしている。
それが愛おしくて、少し意地悪に私は言った。
「さて? 私の正体は何でしょうか。こんな悲惨な未来を変えようと、今に侵略してきた悍ましい怪物でしょうか」
「なんでえあの未来は冗談かよ。器ちゃん真に受けて逃げ出しちまったぞ」
「あら話が早い。そうですよ。昔の私が脳天気なことを考えていたので、ちょっとした悪戯を仕掛けてみたのです」
私はぬっと穴を通り抜けて過去へと降り立った。竜胆さんがぎょっとした眼で私を見つめ、ワグナスさんがエリーを守るように前に立つ。
「……本庄よ、なんだ、この、理外の怪物は。本気で阿多君の未来の姿なのか、これは」
「うわうわうわうわ。なんですかこれ。震えが止まらないんですけど」
「……日、時、分。いや……秒で、私は殺されますか」
未だ若々しいながらも、立ち向かおうという心意気はあるようで、無謀な敵意を彼ら彼女らは向けてくる。それが面白くて、また私は笑った。
ゆらりと身体の線を動かす。みしりと世界を軋ませる。眼光に全ての行動を停止させ、私は拳を構えた。
「ならば──遊んでやろうか──」
「ヒエッ(顔面蒼白)」
「というのは冗談で、もう帰りますよ。目的は果たしましたしね。まあこの世界の私がどうなろうと私には全く影響はないのですが」
拳を下げ、私は言った。単に昔の私が間抜け面でぶへぶへ笑っているのが恥ずかしかっただけである。あの頃は本当に子供でしかなかった。まあ美しい思い出ではあるのだが。
私はケラケラと笑い、縮こまっている素幸さんの頭を撫で、ああ、本当に若いと思った。
「見違えたでしょう。貴方の努力は結実したのです。貴方が眩いと思う少女は、眩いままに大人になるのです。それをどうか、誇って欲しい」
胸元に青年の素幸さんを抱き、その首筋に指を這わす。つうと触れる指先に、硬く若い肌の感触が感じられる。
「貴方の道程は未だ続く。苦悩をその胸に抱いている事でしょう。正しさを常に疑っていることでしょう。ですが、それでも誇って欲しいのです。貴方は一人の少女を、私を、確かに救ったのだと」
……ああ、これは、いけない。どうにも、褒めてあげたくなってしまうな。
顔を見て帰るつもりが、どうにも、この私より年下の顔を見ると、甲斐甲斐しく世話をしてやりたくなる。望まないと分かっているのに、全ての苦悩を解決してやりたくなる。
「貴方は悪い人だな。昔から、そうだ。……ああ、何だか昔の私が、酷く羨ましくなってしまった。欲張りだとは、分かっているのだが」
「お、おお、うん」
「あは。照れているのですか? 可愛らしいことで。──いっそ、食ってしまおうか」
「ヒエッ」
小動物のように震えて、おかしい。まあ、冗談である。浮気になるだろうし。いや浮気なのだろうか? 同一人物ではあるだろう。
そう真剣に考え始めたところで──「いや何をしていると思ったら何ですかこの女はあっ!」と、これまた若々しい顔が出てきた。昔の私である。
「おや、ちんちくりんの私ではないですか。お勉強はどうしたのです? さあ、机に向かっていなさい」
「ち、ちんちくりん!? 貴様ーっ! 最近背が伸び始めてきた私を愚弄する気ですかあっ! このホラーメスブタァッ!」
「あいたたたたた……」
「な、なんですかその可哀想なものでも見るような目は!?」
事実として可哀想というか、頭が可哀想な時期であった。
「この時期の私は確か、毎週更新されるタフに大騒ぎしていた頃だったかな。はあ、若い若い」
「なにっ!? ま、まさか未来の私はマネモブを卒業しているというのですか!?」
「ええ、その通り。マネモブなんて恥ずかしい呼称を、そう大っぴらに使うのは止めなさい」
「えっ、器ちゃんタフちゃんじゃなくなっちゃうの? ……まあ良いか(掌返し)」
「よくありませんよ本庄様! あんな素晴らしい漫画に興味を示さなくなるなんて、未来の私はどうかしていますっ」
過去の私は慌てたように素幸さんに縋り付き、「皆さんもそう思いますよね!?」と方々へ声をかけた。しかし返ってくるのは「いや別に良いと思うが……」「あはは! 変な言動を卒業できて良かったですね!」などという言動や、「今の私では無理ですね」と言いながらも、尚もこちらを睨む視線だけだ。
それがおかしくて、私は笑った。ああ、おかしい。昔の私は、こんなに愚かだったのか。
「な、何を笑っているんですか私っ! そんな風になるとは見損ないましたよ!」
「いえいえ、滑稽で、仕方がなくってね。はは」
私は素幸さんから身体を離し、昔の私へと、自慢するように言った。
「何せ、そんなタフ欠乏症のように大騒ぎせずとも、未来にはタフが満ち溢れているのですから!」
「な、なにっ!?」
「おいやっぱタフちゃんじゃねえか(呆れ)」
「なあ本庄、根元が変わってないのだが、教育失敗したか?」
「……この言動であの強さを宿しているの、自信がなくなってくるのですが」
私は驚きの顔を浮かべる過去の私へと、指折り数えて言った。ああ、可哀想に。この私は、まだたった一つの供給しか知らないのだ。
「ふふ、タフシリーズのアニメ化は10期を数え、エイハブとロックアップはアニメ映画化しました。毒狼とGOKUSAIは実写映画です。シリーズは累計で10億部を超え、今やタフはワンピースを超えた国民的漫画なのです!」
「り、力王は? 力王はどうなったのです!」
「発禁処分になりました。やっぱり六芒星と鉤十字の合体は不味かったらしいですね……」
「そ、そんな……!」
がくりと私は項垂れる。残念だが仕方がない。人気になると言うことはそう言うことなのだ。荼毘に伏したとしても、その素晴らしさは周知のものである。
「いやちょっと待てよ。恐らくこの器ちゃんは、本気で猿世界という異世界から来た異世界人だと考えられるが……(恐怖)」
「貴方からはそう見えるかも知れませんが、未来は未来ですよ。私の世界ではタフが聖書の代わりです」
「えぇ……(ドン引き)」
「あはは! いや最悪すぎませんか? メシア教はどうなっているのですか!?」
そうエリーが慌てて言った。ああ、この頃はまだ可愛らしい少女だったな。今やあんな政治的怪物になって、面倒なことこの上ない。
項垂れて素幸さんにちょっかいをかけている竜胆さんもそうである。この頃ならばまだ世界を壊さずに喧嘩が出来るだろう。まあ私の方が強いがな。と、強がってみよう。
ワグナスさんは……あんまり変わってないな。素幸さんの飲み友達をいつまで経っても続けている。毎年梅酒を配ってくれるのはありがたいがね。
「まあ、未来の話はお楽しみに、ということで。ネタバレなんてつまらないでしょう?」
「ネタバレしても意味なさそうだけどな、そんな猿世界(直球)」
「たぶん変な所に接続しましたね。こうなる可能性は非常に低いでしょう。だから勝つ可能性を考えなくても良いのです。ええ」
「この世界ではちゃんと医者になれましたよ、貴方は。ドイツに留学中の心臓外科医です」
「やっぱ猿世界でも悪くないかも知れんな……(掌返し)」
「良くないですよ本庄さん! そんな頭のおかしい世界になんて絶対にさせませんからね!」
「私はちょっと面白そうだと思ったぞ(素直)」
「この馬鹿お兄ちゃんの馬鹿!」
懐かしい風景だった。そして今にも通じる風景だった。私はケラケラと笑って、そうして、じっと私を見つめる過去の視線を見つめ返した。
……ああ、何を聞きたいのか。何が一番心配なのか。それは分かっているよ。
恐ろしくて堪らないのだろう? 己の未来に素幸さんが居るのか。己は怪物へと成り果てぬのか。己のようなものが、果たして幸福に成れるのか、と。
「だけど、教えてあげない。自分の道は自分で切り開きなさい。貴方が望む道をね」
「ふんっ。そんな事を言われずとも、私は私だけですよ。このホラー女めっ」
そんな風にそっぽを向いて、だけどチラチラとこちらを気にして。ああ、私はそういう少女だった。
社会性を獲得したばかりの、何も知らない幼い少女。世界を知り始めたばかりの少女──我が事ながら、その在り方が可愛らしくて、私は素幸さんに笑って言った。
「この、クソボケがー」
……なんて、当時の思いを込めてね。