大学からの帰り道だった。
春先の風は思ったよりも冷たく、一人で帰る道に身を苛む。それもいつも通りとつまらなく舌打ちし、俺は帰路を急いでいた。
いや、実の所急いではいない。急ぐ理由など存在しない。
大学も二年目だというのに、話し相手一人も作れず、覚えた酒の味に逃避して無聊を慰めるだけの日々。
急いでいるのは何も無いから。何も消費することがないからだ。だから無駄に急いで家に帰る。家に帰って、酒を飲む。
それが日常。
なんてつまらない、日常。
「……くっだらぁ」
そんな思考もアルコールで溶かしてしまえと、言葉を中途で切って足を早めた。
要するに、俺は暇だった。帰り道を無意味に急ぐほど暇だった。
だからこそ、電柱の下、明滅するスマホの画面に目を奪われたのも自然だった。
「……ん。落とし物か」
拾って、それから。警察に届ける? 中身を見てみる? 何だったら色々と悪用する?
良いだろう。暇を潰せる。酒を飲みながら楽しもう。
ひょいと拾って画面を見て、足を止めた。
真っ白な画面だ。ただ光っている。どんな操作をしたのだろう?
そんな思考をする間もなく、画面に文字列が並び出す。
何かが起動した?
「ウイルス? 落とした上にかよ。泣きっ面に蜂だな」
こうなっては警察に届けるしかあるまいと、見知らぬ他人の不幸を笑おうとして、
ふと、文字列が止まった。
<summon system OK?>
「……召喚?」
その瞬間、周囲の空気が変わった。
酷く湿気に満ちた、いや違う。違う何かが満ちている。
背筋をじりじりと這うような、異様な雰囲気。呼吸の一つさえ苦しく、まるで、そう、人の住む世界ではないような。
感じている。如実に感じている。画面の文字が止まったと同時に、俺の背後に何かが現れた。人の形をした何か。異様な何かだ。
「なん……!? なん、だ。何だって言うんだよっ」
振り向くことが恐ろしい。恐ろしくて堪らない。何かが自分を見つめている。何かが自分に寄ってくる!
それはすたすたと静かな足音で俺に近付き、恐ろしげな呼吸を一つして、
こう言った。
「──おっ、大丈夫か大丈夫か?」
「は?」
思わず振り向けば、そこには男がいた。
小汚い男だ。春先で寒いだろうに、下には何故か水着だけ。上には半袖のシャツ一枚。そこには特徴的な『ISLANDERS』の文字。
そして、そして。余りにも見慣れた、小憎たらしいステハゲ顔は……!
[電霊:ヤジュウセンパイが 一体 出た!]
「こ↑こ↓。(異界に)入って、どうぞ」
「えぇ……(困惑)」
拾ったスマホから野獣先輩が現れたかと思ったら、明らかに異様な雰囲気を放つ路地裏に連れて来られたんですがそれは(困惑)
「いや、入るわけないだろいい加減にしろ。と言うかなんだお前!? 野獣先輩生存してたのかよ。いや画面から出てくるとか何? 残念だけどトリックか? ドッキリか?」
「悪魔なんだよなあ……。いい加減、現実を見つめて、どうぞ」
「だから説明しろって言ってんだろ。悪魔って何だよ(小並感)」
「説明がめんどくさいから、さっさと入ってどうぞ」
「いや、あのさあ」
「どうぞ!(半ギレ)」
「分かった分かった分かったよもう!」
野獣先輩に急かされ、俺は暗闇に向け足を進めていく。「何なんだよ」と口からはぶつくさ文句が出ている、が……しかし、この時点ではまだ俺は『面白い』と思っていた。
だってそうじゃないか。退屈な日常にいきなり野獣先輩が出てきたんだ。サプライズ野獣先輩理論だ。俺の日常は野獣先輩が出てきた方が面白いほどに退屈だった。
そして『悪魔』という単語。手には不思議な機械。これで面白く思わない方がどうかしている。俺はそう思っていた。
だが……路地裏の奥。
粘つく空気の中。
赤色が飛び散った暗闇に、一体の人型が頭をかがめている。びちゃびちゃと、不快な啜り音が聞こえている。
細い手足に、異様に膨らんだ腹。そいつは明らかに異様だった。
[幽鬼:ガキが 一体 出た!]
「……いや、悪魔じゃねえかよえーっ!」
「悪魔だって言ってんだよなあ」
思わず呟いた俺にステハゲは軽妙にそう返した。しかし、俺は困惑していた。
「ちょ、待てよ(KMTK)。悪魔ってお前みたいなおもしろネットコンテンツの奴等じゃねえの? 俺てっきりデビルひでとか相手にすると思ってたんだけど」
「なわけ、ないです(無慈悲)。悪魔は悪魔なんだよなあ」
「じゃあどうしろってんだよお前よお!? 悪魔じゃん。よく見りゃ人も倒れてんじゃん。死んでんじゃん。オエッ!(いまさら)」
「さっさと戦って、どうぞ」
「オエッ!(抗議の二回目)」
「ノンケは調教が大変だぁ」
何を呑気に。ぶっちゃけ頭いっぱいいっぱいだぞ。人死んでんじゃん。この悪魔が殺してんじゃん。腹水ぶくれの爪尖った悪魔が屍肉貪って……あっこっち見た。
「アァ……? ニンゲン? ニンゲン! クワセロォオオオオ!」
「やっぱ悪魔じゃねえか! 人喰う悪魔じゃねえか!」
ガキとスマホに表示された悪魔は、涎と血潮を撒き散らしながら俺に飛びかかってきた。咄嗟に俺は腕を押し留めるが、しかし力が強い! 押される! 何だこいつ!?(混乱)
「おまっ、お前さ悪魔さあ! いや田所ぉ! 助けろさっさと! お前が連れてきたんだろうがよお!」
ぎりぎりと鍔迫り合いにも似て、しかしガキは涎を撒き散らし、腐った息を浴びせてくる。くっさ、死ね。いやこのままじゃ死ぬの俺だから。何でこんな事になってんの?
「ニンゲン! ブザマ! ギャギャ──ギャッ!?」
ふと、力が抜けた。どさりとガキが地面に倒れ伏した。そして消えた。
見れば、その背後には野獣が、正拳突きの姿勢で残心を残していた。
「──邪拳、夜」
「……聖拳、月だろ。それじゃあ」
言いながら、はあと重く息を吐いた。助かった。いやここに連れてきたのは他ならぬこいつなんだが。
しかし、一撃でこんな悪魔を倒すとか、思ったより強いのか?
「まあいいや。帰るわ。もう二度と来ねえから。じゃあなジュセンパ」
もうなんか嫌になって俺は帰ろうとした。だって人死んでんだぞ? こんなの聞いてねえから。あーつまんね(ガクブル)
「あ待って下さいよぉ!」
「うるせーよ! あー、チョーネム! ジム行きたい!」
もう帰りたいってんでぇ!(江戸っ子) というかなんで俺ここに居るの? スマホを拾っただけなのに……。
野獣は俺の腕を掴んで、必死に引き留めようとしている。力が強い。昏睡するまでもなくレイプされそうだ。仕方なく、渋々俺はその場に留まった。
「で? 何なんだよお前は。何なんだよ悪魔って。うわ……死体……キモッ(ナナチ)」
「ほらいくど~~」
「おい田所!(全ギレ)」
野獣は俺を引っ張ったまま路地裏の奥へと進みやがった。あ ほ く さ。全然会話になんないんですがそれは。
その後も出るわ出るわ、ガキばっかりじゃねえかお前ん家ィ! とばかりに、同じ形の悪魔共が襲ってきやがる。
それを鎧袖一触に片付けていくジュセの姿は、ともすれば頼れる背中のようにも見えるが、如何せん、こいつが全ての原因であるという事実が、俺に舌打ちを止ませないでいる。
あらかた殺して、何か満足したのか、野獣は「帰りませんか? 帰りましょうよ」と突然言い出した。「おっ、そうだな(思考放棄)」と俺も同意して、俺達は帰った。
「だからなんだってんだよ。なんだってんだよだから(TIKW)」
四畳半の真ん中に、我が物顔で居座る野獣に、俺は今更ながらそう言った。誰か説明してくれよ。説明を受ける相手が野獣先輩ってのが最悪だよ。これはギャグか? それとも悲劇か?
「ん、おかのした」
「え? マジ?」
突然、野獣は神妙な顔をして、俺を真正面に見つめた。いやに真剣な顔じゃないか。この不可思議でグログロの世界に何か説明が貰えるのかと、俺もまた居を正した。
野獣は唇を結び、重々しい事実を口にするように言った。
「──デビルサマナーを、お前に教える」
「お前シャンカーかよ。死ね(石直球)」
「お前いもげあきかよぉ!」
「次いもげあき言うたら」
下らねえ軽口を応酬する。暇な日々の内に、無駄にネットミームに詳しくなっている悲しい大学生が俺だった。
「いいから話しろ話ィ! デビルサマナー? デビルをサモンするってぇ? 中二病かなにか?」
「この世には、目には見えない闇の住人達がいる。奴らは時として牙をむき、君達を襲ってくる……」
「ブリブリ最低No.1やめろ」
軽口で返しながら、しかし俺は背中に冷や汗を流していた。
悪魔。悪魔って、さっきまでのが本物だって事は分かっている。冗談でも何でもない。あんなのが無数にいるってのか? そして、野獣先輩も悪魔だって?
「ま、簡単に言えば、デビルサマナーってのは、悪魔を従えて殺したり殺されたり、犯したり犯されたりする奴等のことっすね。お前も俺という悪魔を従えている以上、サマナーなんだよなあ……」
「従えた覚えなんてないんですがそれは」
「そのCOMPを拾った瞬間に、サマナー登録されたってはっきりわかんだね」
「COMP?」
疑問を口にしながら、しかし心当たりはある。拾ったスマホだ。
「悪魔を召喚したり送還したりするハイテク機械の事っすね。俺はその中に入ってたんだよなあ。俺は電霊:ヤジュウセンパイ。コンゴトモオッスオネガイシマース」
「悪魔て……というか拾ったスマホって……」
こういう、何というか、劇的な物語って、拾ったスマホから始まるもんなの? いや、拾った希少なアイテムから始めることはあるかも知れないが、野獣先輩から始まる事ってあるもんなの?
「いや、まあ、それはいいや。それ以上に聞きたいことがあるんだけど」
無理矢理自分を納得させた。そういう世界がある以上、そうあるとしか説明付けの仕様がない。いや、今でも薄らと自分が狂っただけじゃないかとは思っているが。
「なんすかぁ?」
「お前だよ」
そう、俺の目の前に居る野獣先輩……に見える悪魔のことだ。いつの間にか上半身裸になって、両腕を頭の後ろに付けていやがる。インタビューでも受けているつもりか?
「お前、何なんだよ。なんで野獣先輩なんだよ。お前、はっきり言って世界観に合ってないんだよ」
あんな路地裏の血みどろグロテスクの世界が、今後もその延長線上にあるとして、野獣先輩という存在は、その世界にまるで不似合いだ。冗談染みているなんてもんじゃない。
「何時から野獣先輩が悪魔になったんだよ。野獣先輩サタニスト説の爆誕かあ?」
「……んにゃぴ」
「それ困ったときに使う語録じゃねえからな。にわかめ」
『んにゃぴ』は『ん、やっぱり』って言ってんだよ。『んにゃぴ……やっぱり、自分……の方が一番いいですよね』って言ってんだよ。俺は淫夢に詳しいからな(虚しい自慢)
野獣は俺の難癖に対し、酷く困ったような顔をしていた。アンニュイ先輩の顔だ。彼はそのまま呟くようにして言った。
「分から、ないです……」
「は?」
「俺は野獣先輩だって、はっきりわかんだね。でも、ネットミームとしての淫夢も知ってるんだよなあ。どころか、それ以外のネットミームも。俺は、俺が分かんないんですよ」
「つまり……どゆこと?」
「俺は俺を取り戻したいんだよなあ。蝿がバールに縋り付くのと同じだってはっきりわかんだね。そのためにも、レベル、上げよう!(提案)」
蝿とバールって何のこったよ。蝿が纏わり付くのはお前(うんこ)だろ。
という言葉が出掛かったが、それよりも気になる話を聞いた。
「レベルって?」
「アナライズしてみて、どうぞ」
「アナライズって?」
「COMPを開いて、どうぞ」
「うんちして?」
「おかのした」
「止め止めろ!」
ノリで言ってしまったのに、野獣はブリッ……ブリーフも良いんですけどふたいたいはボクサー型のパンツを脱ごうとして、慌てて俺は止めた。
「で、アナライズだっけ? あ、これか。アプリになってら」
アナライズ・アプリを開いて、簡素な画面が浮かび上がる。プログラミングの画面みてえだなお前な。その画面を見つめたまま、カメラを野獣に向ければ、
[電霊:ヤジュウセンパイ Lv3 Dark-Internet 弱点:破魔 無効:呪殺]
「RPGか何か?」
「お前と同じだよ(ERN)」
そう言われたので、カメラを自分にも向けてみる。そうすれば、これまた同じような画面が浮かんできた。
[人間:本庄モトユキ Lv1 Neutral-Internet 弱点:呪殺 無効:破魔]
「弱くて草」
草じゃねえが。