「いやあ、まだ戦う気なの? ゲーティア」
「な訳がないだろう、藤丸立香」
人類悪として顕現した野獣先輩の口からではなく、虚空からそんな声が聞こえた。その身は悍ましい魔力に冒され、今まさに霊基すらも取り込まれようとしているというのに、「貴様は呑気だな」と笑いさえする。
「まったく、人というものはつくづく醜悪だな。答えは既に出されたというのに」
「ごめんね、これは俺が倒さなきゃならないものみたいだ」
「上手くやれよ。……本当に、人というものは世話が焼ける」
それだけを言い残し、ゲーティアという残滓は消えていった。
野獣先輩は苛立たしげに残滓を振り払い、藤丸を睨んでいる。それを見、藤丸は笑って言った。
「いやあ、笑えるような光景だけど、笑える話って訳じゃなさそうだね、野獣先輩?」
「おっ、そうだな。アレはわざわざマスターをぶっ殺すためだけに生まれたようなモノっすよ」
第六法は軽い調子でそう言った。「今更そんなこと言われてもこっちだって困るんだよなぁ……」と、呆れたように続ける。
「こ↑こ↓は月じゃないのにムーンキャンサーみたいな真似して恥ずかしくないの? 終わりを認められない人理の癌だってはっきりわかんだね」
「ふうん。どういうこと? アンリマユ」
「オレに聞くの? まあ、第一魔法の正体が物語を発生させる装置だとしたら、人理そのものだってカタチを取ってもおかしくないって話だろ」
第一魔法が物語の始まりであり、第六法と第六魔法がその終わりだとするのならば、そこに至るまでの過程もまた、概念上に存在するだろう。
それは物語そのものである。星と人とを延命させ、第一法の下に物語を紡ぎ続けた人類の集合体こそ、ゲーティアの奥に潜み、終わりから目を逸らさせ、藤丸の前に現れたものだった。
「マスターの頭に囁いてくる奴等と大元は同じですねぇ! こっちが最後の主人公なら、あっちは最後の敵みたいな? 代表者なのは同じっすよ」
「はあ。それはアラヤって奴の? それともガイアって奴の方?」
「どっちでもないですねぇ。もうアラヤもガイアもぐちゃぐちゃになってるってはっきりわかんだね。物語というより大きな枠組みの中にマスターは居るんすよ」
第六法がヘラヘラと笑いながら言った。対して「まあ、言っちまえばFateだろ?」とアンリマユが下らなさそうに言った。
「アンタは主人公サマって訳だ。第一魔法が始まってからの二千年の間に、語られたり語られなかったりした物語の主人公サマ共。被害者だって? よく言うよ。
「何を言う。それが全てではないのは、この姿が何より証明しているだろう」
野獣先輩は笑いもせず、自らの胸板に手を当てた。
「この男は、第一魔法が断じて祝福ではないことの証明だ。その発生は奇跡に近い偶然だった。インターネット上で話題となったホモビデオの中に、目立つ奴が居た。それだけだ。それだけでこの男は、壮大な物語を生み出されたのだ。汚物と呼ばれ、その動きの尽くを切り取られ、声は加工され、その生き様の全てを『素材』として弄ばれた物語の、どこに愛と正義があるというのだ」
「それはまあ、そうだね。笑っちゃうくらいその通りだ」
「ああそうだ。認めるしかないだろう。これが第一魔法の采配だとすれば悪意に満ちているにも程がある。野獣先輩となった男の人生に待ち受けたのは数多の侮辱と嘲笑だ。己の尊厳が破壊され、愚弄され、それを
沈痛な表情を浮かべ、酷く苦しそうに野獣先輩は言う。
「野獣先輩という物語に敵は居ない。居るのは傍観者だけだ。彼の周囲には、味方面した傍観者達が犇めいている。己の顔を加工し、侮辱し、嘲笑しながらも、彼らは決して野獣先輩の敵ではない。彼ら自身、自分が野獣先輩の敵だとは思っていない。どころか『救われた』と。『自殺を思い止まれた』と! ……感謝の言葉さえ、口にする」
「……まあ、そうだね。俺もそうだったよ」
「しかし、だとすれば、野獣先輩という物語は何時終わるのだ? 何時、彼は敵を打ちのめし、物語に終わりを告げるのだ? この類を見ないほど奇妙で醜悪な物語には、第六法も第六魔法も存在しない。そんな救いなど存在しない。何故ならば、貴様だけが、それを手にすることが出来るからだ」
野獣先輩は藤丸を睨み、心の底から憎むように叫ぶ。それに対し、藤丸は思うところがあるように口を硬くして聞いていた。
「数多の物語があった。数多の喜びがあり、悲しみがあった。その果てに現われたのがぽっと出の貴様だ。貴様は何も理解せず、第一魔法を祝福と呼び、野獣先輩という物語に笑う。私という数多の物語を顧みることなく、単に最後と言うだけで、貴様は全てを終わらせる」
「まあ、そう……」
「それが、許せぬ。貴様は過程を見捨てているのだ。私が憐憫し続けた人類を見捨て、貴様は世界を終わらせるのだろう。だから私は、貴様が終わらせる前に、この物語を台無しにしてやるのだ」
野獣先輩は、獣は、一転して下卑た笑みを浮かべ、その獣が如き眼光で藤丸を睨んだ。
「物語を汚してやろう。この男がして来たように、この男に期待されるように、貴様も、貴様のサーヴァントも、レイプしてやろうじゃないか」
「それが『野獣先輩』なんだろう?」と、獣は笑った。
──以上の言動をもって彼のクラスは決定された。
野獣先輩こそが象徴の名。其は人間が嘲笑した、人類史に最も弄ばれた大災害。
その名をビースト■。人類という物語を汚し尽くす、『侮辱』の理を持つ獣である。
「私は人類を侮辱する。自らがそうされたように、人類という物語を侮辱するのだ」
獣は吼えた。
それは全ての悪意を込めた叫びだった。声は熱となって藤丸に飛び掛かり、容易く人体を蒸発させるだろう。
しかし炎が対抗した。藤丸の後方から飛来した青ざめた炎の奔流が、辛くも咆吼に対抗し、そして吹き飛ばされる。
「清姫っ」
藤丸が叫んだ先、清姫はその身を焼き爛れさせながらも立ち上がった。「問題ありません」と言い、鋭く敵を睨む。
「さあ、後ろへと。立香様を害するのであれば、わたくしはなんであろうとも滅ぼします」
「へえ、カックイー。随分マシな顔になったじゃねえかよ」
「……どこがですか。今のわたくしは、清姫ではないでしょう」
舌打ちを一つし、清姫はアンリマユに言った。「これは破綻した世界でのみ許された、破綻した姿です。清姫という霊基は、未だ変わらず狂っている」と、嘔吐するように。
「ならば、それもまた侮辱だろう」
獣は笑い、囁くように言う。「お前だって第一魔法の被害者じゃないか。不確かな伝説に、勝手に清姫という物語を生み出されて」じろりとサーヴァント達を睨め付けて、獣は笑った。
「どうだ、ここには被害者ばかりだ。サーヴァントとして死後も使われて、どころか物語に登場させるため、無理矢理辻褄を合わせられている。アンリマユにさせられたモノ、オベロンにさせられたモノなどはその筆頭だろう。どうだ、お前達もこちらに来ないか。共に物語を侮辱しようではないか」
「はあ、嫌ですが? その顔でよくもまあそんな誘いが出来ましたね。死んで下さい」
「その顔は俺の顔でもあったんですがそれは……(困惑)」
へらへらと笑い、第六法がそう言った。「だからそう言っているのですが?」と清姫は冷たく返す。返し、彼に肩を並べた。
そして清姫はじっと藤丸を見つめた。「立香様」黄金の魔性の瞳が、それでも柔らかく細められる。「貴方の戸惑いは、何が故に?」内心を見透かしたようにそう言った。
藤丸は、じっと獣を見つめている。
「……いや、本当に甘えていたんだなあって、そう思ってさ」
藤丸は笑おうとして、しかし笑えなかった。「限界か?」二世がその肩を叩いて言った。「いいや」それでも藤丸は強く返した。
「でも、ちょっと自分でも驚いてる。野獣先輩が、あんな事を言って、俺を殺そうとすることに、かなり動揺しているみたい」
「おや、弱音ですか? この期に及んで? なんとまあ、健気なことで」
「そう言ってあげないでくれよ。何度も言うけれど、そろそろ皮肉は止めなって。そうでなくても厄介な相手なんだから」
「これは混沌の巣だ」と遠野が獣の腕を切り刻み言った。その腕は直ちに巻き戻り、より強固に形作られる。「蛆虫の塊ですか」とキアラが笑い、その笑みを潜めた。
「……結局、貴方はどこまで行っても凡人でしかないのですね。頼りにして来たものが敵になれば、ほらこの通り。惨めなものです」
「うん」
「はあ。本当に呆れました。そうですね、貴方は強さを育む土壌などなかったのです。艱難辛苦はまさしく『侮辱』され、あるべき出会いも挑戦も、嘲笑と愚弄だけでこなしてきたのでしょう」
「うん」
藤丸は笑ってそう言った。『自分というものが死んだのは何時だったか』彼はそんな事を考えた。
恐らくは、あの燃え上がった瓦礫の内に、一人の少女を看取ったときに。熱と煙の中に、少女が静かに死んでいったときに、藤丸立香という人間は壊れた。
だから、それからの物語は蛇足に過ぎなかった。終わりが先延ばしにされていただけだった。
その蛇足は、思えば楽しい旅路だった。何せ、野獣先輩がサーヴァントとして現われたのだから。
「ねえ」と藤丸は第六法に声をかけた。第六法は笑っていた。「どうしたよ」伽藍堂の顔で彼は言う。「お前のサーヴァントが必死に戦っているのに、そんな調子で良いのかぁ?」
藤丸は前を見た。アンリマユさえ笑みを潜め、歪な双剣を手に駆けている。清姫は何度も打ちのめされながらも炎を発し、マルタは血反吐を吐きながら藤丸の守護に徹している。
オベロンとナーサリーライムは二世の指示の下魔術的援護に徹し、遠野は魔眼から血を流しながらもナイフを振るっている。キアラは最大の盾と矛として、獣の霊基に程近い触手を振るっている。
ソロモンとダヴィンチが、それでも向かい来る咆吼と爪を、その身を盾にして防いでいる。
「そうして吾輩は何もしていないと! いやはや、こればかりは致し方がない事でして。何せ吾輩、作家ですので」
泰然と佇む覚者の近く、シェイクスピアが藤丸に向き直って言った。
「しかしマスター、そんなにあの汚物の擬人化がお気に入りだったとは! これはカルチャーショックと言うべきですかな? 演劇においても、通り一遍平凡な人物はつまらなく、得てして異形の精神を抱えた人物が人気を博すものですが、まさかここまでの異形が人口に膾炙するとは! ひょっとしたら現代人は皆、病んでいるのかもしれませぬ」
「それは野獣先輩がホモビ男優だから?」
「それ以外に何が?」
シェイクスピアは首を傾げた。どうにも藤丸は、野獣先輩が敵であるという状況に狼狽えている様子ではあるが、悩んでいるようではない。
「俺は野獣先輩を、ホモビ男優だとは思っていなかったんだ」
藤丸は、そんな事を言った。
「はあ、遂にいかれましたかな」
「いや、俺だけじゃなく、淫夢を楽しんでいる人は、大抵野獣先輩をホモビ男優だとは思っていないと思う」
「それはそれは、現代人は皆キチガイだと仰るつもりで?」
「そうじゃなくてさ」
藤丸はそう言い、キアラの触手を引き千切り、清姫を吹き飛ばす獣の顔を見た。
「野獣先輩っていうのはさ、きっとキャラクターとして見られているんだよ」
強く、強く。獣を見据えて藤丸は言った。
「ねえ、貴方の名前は知らないけれど、貴方の言っていることは正しいと思う。野獣先輩という物語に幸福はあり得ないし、それが第一魔法の結果によるのならば、第一魔法は最悪の魔法だろうね」
「はあん。今更命乞いか。それとも自ら間違っていたと、第六魔法を放棄するか?」
「いいや、俺は人類を救うと決めた。そう思うことが出来たんだ。野獣先輩の殻を被った第六法のお陰でね」
「さて」と藤丸は手を叩いた。「少しばかり長話を。なんてね」アンリマユを見、彼は笑って言った。
「俺は野獣先輩に救われた。それは貴方が言うとおり、野獣先輩という存在に『侮辱』という属性があるからだろう」
「何を言う。『侮辱』に救われることなどあるものかよ。貴様は単に第六法という強大な霊基に縋り、楽に敵を打ち倒していっただけだ」
「それ以上に、俺は野獣先輩が居なきゃ駄目だった。他の、真っ当なサーヴァントじゃ途中で折れていただろう」
「明らかに邪道のものが、真っ当なものを打ち倒すからこそ、俺はここまで立ち続けられた。それは確かに『侮辱』だった」
「そして、野獣先輩はそういうキャラクターなんだ」と藤丸は言った。
真夏の夜の淫夢というコンテンツの始まりは、確かに一時の祭り、炎上に似たものだった。しかしホモビデオをネタにする段階を通り越し、映像を切り取って素材にし、遊ぶようになった時点で、単なる祭りや炎上とはかけ離れていった。
コンテンツの主題が、単なる話題から創造へと切り替わったのである。その創造の過程において発生したのが、主題となる人物のキャラクター化だった。寧ろ、単なる炎上や祭りがコンテンツとして──誹謗中傷がコンテンツとして成立するためには、対象がキャラクターに変化する必要性があるだろう。
淫夢の面白さの根底にあるのは『滑稽さ』だった。性的な視点で見ないポルノビデオは実に滑稽だ。それがドラマ仕立てならば尚のことである。淫夢とは、ゲイ向けのポルノビデオをノンケの視点から視聴することにより、『発見』された面白さに他ならない。その発見を根底にしているからこそ、淫夢はホモビを越えてノンケAVにも触手を伸ばすことが出来たのだし、棒読みボイスドラマをもネタにすることが出来たのだ。
しかしながら、やはりそれらは生々しいのだ。どう言い繕っても人権侵害でしかなく、ホモセックスからは目を背けたくなる。死んでいった声優達へ、何を言うことも出来やしない。
故にこそ、生々しい個人ではなく、より面白く扱いやすいキャラクターへと擬人化させる必要があった。現実に存在したホモビ男優ではなく、
野獣先輩は類を見ない魅力を放つだろう。それはホモビ男優だからではなく、『ホモビ男優という設定を持ったキャラクター』だからこそ、その魅力を受け入れることが出来る。声優達もまたその手法を以てキャラクターとなった。出演したボイスドラマに配信での言動、発掘された個人情報と断末魔。それら全てを素材とし、大勢の手で形成されるからこそ、我々は『姉貴』とはかけ離れたキャラクターを脳裏に描くことが出来るだろう。
ナズーリンはNYN姉貴ではない。しかしNYN姉貴もまた、『NYN姉貴』というキャラクターではないのだ。だから本人がYoutuberを始めても大して話題にならない。そこに我々が期待する『NYN姉貴』というキャラクターは居ないのだから。
一時的な炎上ではなく、持続的な創作活動が可能になる土壌とはそこにある。個人が個人ではなく、単なる素材として、より扱いやすいキャラクターへと変化するからこそ、それを玩具にする側もまた、誹謗中傷に対して無自覚になる事が出来るのだ。
故に、根底に誹謗中傷と人権侵害を抱えながらも、そのコンテンツを楽しむ人々には確かにキャラクターへの愛がある。人権侵害だ、汚物だ、最悪だと言いながらも、本気でそうは思っていない。何せそれは、そんな設定があるだけのキャラクターなのだから。
一方で、キャラクターに対する愛着と同時に構造としての侮辱は生き続けているだろう。構造として真夏の夜の淫夢は侮辱そのものだ。
淫夢に『最悪さ』というものがあるのならば、それはホモビデオをネタとしていることでも男優達のプレイの汚さでもなく、構造だろう。滑稽さを発見し、誹謗中傷を根底として誕生した以上、その在り方は変わらない。害意と悪意を持ち、嘲笑と皮肉が横行するコミュニティこそ淫夢というコンテンツだ。
故にこそ淫夢語録は、小学生がうんこちんこと言うように度々コミュニティ外で用いられる。その属性が愚弄であり侮辱だからこそ喜んで他者と関連付ける。『問題シリーズ』とは内輪のノリを外へと結びつける行為だが、その様にして淫夢を外へと拡張しようとする背景には淫夢を以て『クッソ汚く』侮辱しようとする意思があるだろう。
しかしながら、その行為は悪意によって行われるわけではない。侮辱は侮辱だが、明確な悪意で淫夢と関連付けているわけではないだろう。
何故ならば、その行為もまた『キャラクター化』されたものであるからだ。男優がキャラクター化したように、誹謗中傷という行為もまた『キャラクター化』する。『それが淫夢というコンテンツ』であると、自らが属するコミュニティに対し、一種の擬人化を行うのだ。
また、淫夢というコンテンツが、何よりも第一に淫夢自身を侮辱していることも大きいだろう。上から蹴り落とすのではなく下から引きずり下ろそうとするからこそ、淫夢は単なる侮辱以上に皮肉として作用する。『こんなクッソ汚いものがあるのだ』と、世界に対して皮肉を行うのだ。そしてその皮肉もまた、構造の内に無自覚的な物となる。
構造として最悪でありながら、明確な悪意は薄く、キャラクターに対する愛がある。
真夏の夜の淫夢とは、そんな奇妙なコンテンツだった。
「いや、クッッッッッソ長えよ」
アンリマユが言った。「ああいや、これは余計な茶々か? なあ、どっちが良かった?」とこちらを見て言った。
「なに、言いたいことは簡潔だよ。俺はその『侮辱』に助けられていたって話だ」
藤丸は獣に向け言った。
「俺達の旅が物語だとしたら、それはまさしく『侮辱』の文脈の上に作られたものだろう。野獣先輩が真っ当な物語を侮辱するからこそ面白い。滑稽に敵がやられていくから面白い。真っ当なキャラクター達がクッソ汚く侮辱されるから面白い。言っていてなんだけど、最悪だよね。それは前提となる真っ当なものがあるからこその面白さだ」
「本当に最悪なことを言うな、貴様は。言っていて恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいね。何せ俺は、野獣先輩というキャラクターに勝手な期待をしていたんだよ。野獣先輩が存在する以上、どう足掻いても下品なハッピーエンドで終わるって。何もかもを侮辱してくれるはずだって。それは間違っていたけどさ」
「ならば、それこそが第一魔法の醜悪さだろう」
「だけど、だからこそ、それに救われることがあるということも言っておきたいね」
「貴方には悪いけれど」と藤丸は獣を見つめて言った。
「侮辱だからこそ美しく見えることがある。侮辱だけが面白く、救いになってしまう人生がある。それは泥の中に咲く、泥まみれの蓮だろう。最悪の中に見るからこそ、それは本当に美しい」
「勝手な物言いだ。被害者を考慮していない傲慢な感想だろう」
「それはそうだ。でも、だからこそ第一魔法が生み出されたんじゃないかな」
「なに?」
「ねえ」と藤丸は再び第六法に声をかけた。「どうしたよ」その笑みに藤丸は笑って言った。
「アンリマユも言っていたけどさ、どうして貴方は俺と一緒に来たのさ」
かつて彼は慈悲だと言った。自らが藤丸と共にあるのは慈悲であると。
ならばその慈悲とは何だ。彼は何故、慈悲などを寄越したのか。
「それが第一魔法の在り方だからな」
第六法はアンリマユを見て言った。「青くなってんぜ?」茶化すように彼は笑う。
アンリマユの全身を覆う刺青は霊基再臨に伴って青白く輝いている。元は赤黒い、この世全ての悪を示す紋様は、未だ蠢きながらも尚青い。
「これが第一魔法の在り方だってそれ一番言われてるから。お優しいその装置は、この世全ての悪にさえ成長の機会を与えるんすよ。だから俺がマスターの下に現れたのも分かるダルルルォ!?」
「いや、分かんないから。ねえアンリマユ」
「お、おー……そだナー……」
「どうしたのさ歯切れ悪そうに」
第六法に指し示されたアンリマユは、どうしてか気恥ずかしそうに頭を掻いていた。それに爆笑しながら第六法は言った。
「この世界ではですねぇ、赤色って言うのは神性や魔、古いモノを現わすんすよ。神代回帰とかもそうだし、トンチキサーヴァントユニバースの原始宇宙だって赤色ダルルルォ? 一方で青色は未来を示しますねぇ! トンチキサバユニの蒼輝銀河もそうだし、何より第五魔法・青は『進む文明』を示し、その具現者は在り方として『最新』の魔法使いだって呼ばれてるから」
「はあ。じゃあアンリマユが赤色から青色に変わったのは?」
「そんなのいずれ絆されて無限の残骸から未来に向かう前振りに決まってるだろ! いい加減にしろ! それこそ四日間を繰り返した時みたいになぁ?」
「貴方、ロックスターみたい(名台詞)」と歌うようにそんな言葉を口にしながら、第六法はアンリマユにウザったく絡み付いた。
対してアンリマユは「あーはいはいそうですよそうでしょうとも!」と自棄になったように叫んだ。
「悪いなぁネタバレかましちゃってよぉ! オレってばツンデレヒロインだからそんな事は面と向かって言えねえの! つーかこの話今関係ある!? え、なに!? もしかしてマシュの代わりにオレがヒロインだった!? 困るなぁそう言うことは前もって言ってくれねえと!」
「まあ、こういう風に第一魔法ってのは世話焼きたがりなんすよ。分かったかぁ?」
「あっテメエ勝手に纏めようとしやがって!」
第六法は笑い、獣を見、サーヴァント達を見、ロマニを見た。それら全てに笑みを見せて、彼は言った。
「第一魔法の被害者が無数に居るのなら、救済されたモノもまた無数だってはっきりわかんだね。とうに終わったはずの物語に、運命という名の奇跡を授けてくれる。俺もそれになりたかったんだよ」
「ケッ、オレは納得いかねえよ。第六法は決して味方にならねえってのに。オレだってオレがラスボスだったんだぜ? 結局それは自殺に至るための物語にしかならねえだろ」
「だから終わりを引き延ばしたんだよ。結局は終わりに行き着くのなら、俺だってお前達の真似をしてみたかった。これはマスターへの慈悲である以上に、俺自身に対する慈悲だったのさ」
「……さよけ」
「そうだよ(便乗)」
「本来その席はソロモンの物だったけどな」そう第六法は言い、ロマニの肩を叩いた。ロマニは振り返り、思い悩むように眉根を寄せた。
「悪いな。本来はお前が覚悟を決めるまでの物語だったのに。もっと感動的で、もっと愛に満ち溢れた、素晴らしい物語になる筈だったのにな」
「……つまり、君もボクと同じって事かい? 人を知らない存在が、ようやく人を知ったって?」
「知った後にはもう手遅れなのが、この世界の皮肉の効いたところだよな」
「……それは、そうだね」
ふっ、とロマニは笑みを見せた。「まさか、君に言われるとは思わなかった」そんな事を言った。
「第一魔法が物語を生み出し、人類に祝福を与えたのなら、物語に祝福を与えるのもまた、第一魔法だろうね」
藤丸は言った。獣は藤丸を睨み続ける。認めがたく、しかし口を挟めず。
「物語はどんなことを思っているのか? 過ぎ去っていった神話と伝説は、どんな思いで歴史の中に居るのか? そこに奇跡を与えてくれるのが、第一魔法という在り方だろう」
「……そこに、被害者を生み出してもか。終わった物語を今更取り出して、侮辱を書き加えてもか!」
「だからその人は、絶対的な
「これは葛藤だよ」そう言って藤丸はロマニの指輪を見つめた。
その全能を示す指輪を末期に返還したからこそ、彼は第一宝具を使用することが出来たのだ。
この構図は、第一魔法と第六魔法の関係と同じだろう。第一という祝福を第六によって返還するからこそ、本当の意味で、人は人の歴史を歩んでいけるのだ。
それはきっと、意図して模倣された物だろうと藤丸は思った。
「第一魔法と第六魔法の関係性がソロモン王の逸話による物なら、第一の魔法使いってのはコヘレトの言葉を書いた人なんじゃないかな?」
「ボクはボクが書いたと今でも思っているんだけどね……」
「だって符合はするでしょ。第一魔法は、丁度その葛藤を解消するように出来ている。そこんところどう?」
「ねえ、セイヴァー」と藤丸はマルタを見て言った。
マルタは虚を突かれたように押し黙り、しかしふと笑みを見せた。
「バレちゃいましたか。いやあ、どうしても心配でしてね」
「いや、きっと皆分かっていたと思うよ。だってカリスマが凄いから」
「ああ、そうでした? でもこれ、地元では機能しないんですよ。不思議ですよね」
「それで、コヘレトの言葉ですか」とマルタは目を細めた。
「この世は無意味か。人の幸福とは瞬間にのみ存在するのか。神を称えるのならばその様な思想は不合理でしょう。初めから書き表すべきではなかった。しかし著者はそれを残した。神への賛美を口にしながら、尚も思索を止めなかった。それはまさしく葛藤でしょうね」
同じくソロモン王が著わしたとされる『箴言』において、知恵は擬人化され、『主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。』と語っている。しかしながら思索の先、得られた知恵さえも『コヘレトの言葉』においては煩わしいものとして無意味を語る。
この世の一切が無意味であるのならば、思索とはまさしく風を捕えるようなもの。空漠ばかりが指先にあり、知恵を持たないもの以上に無意味を悟るだろう。
「『それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。』……この様に、著者は一切の無意味を語ります。しかしながら、同時に神の賛美と、その日を生きることの幸福を語っているのです」
「それとは真逆に、第一魔法は無の否定を、この世の無意味さの否定を証明している。だけど同時に第六法という終わりを定め、物語という人理を編み上げた」
「貴方は、それもまた葛藤であると」
「答えの先延ばし、と言うには意地悪が過ぎるからね」
藤丸は言った。「第一魔法が永遠に続く奇跡ではなく、意図してその終わりが定められたのならば、そこには葛藤があったはずだ」
「まさしく侮辱という獣が生まれたように、無の否定は神を生み、魔を生み、被害者を生むだろう。それは人に対する祝福ではあるけれど、同時に呪いでもある」
「第一魔法の使い手は、『コヘレトの言葉』にて示された葛藤を乗り越えようとして、再び葛藤にかち合ったと?」
「この世の無意味さ、人の幸福、神への賛美。それらを越えるためのものが第一魔法だったとしたら、納得は出来るでしょ。ソロモン王の逸話を参考にしたのならさ」
「で、どうなの?」と藤丸はマルタに言った。マルタは「さあ?」と肩を竦めた。
「わたしがサーヴァントとして顕現している以上、この身もまた物語の一部に過ぎません。その先を見るのは誰にも出来ぬ事ですよ」
「それはナザレのイエスという人間が、本当に聖書の通りだとは言い切れないように?」
「まさしく、そのように」
「何せ、これは物語なのですから」とマルタは言い、獣を見つめた。
獣は押し黙り、じっと自らの掌を見つめている。
「この様な被害者さえも形として生み出す余地が第一魔法にはあるのです。それは想像力という祝福でしょう。たとえどんなものであろうともこの世界には存在し、何時如何なる時代、場所であろうとも、物語に参加する資格がある」
「……俺は、断じて第一魔法を認められない。なかったことにするなど、許せない」
「許さなくて良いと思うよ。そう思うことだって、人のためになるだろうから」
藤丸の言葉に、獣は顔を上げた。
「人以外に人を思って、守ったり、害したり、そういうことをしてくれる存在が居る。それは葛藤の上に行われた祝福だったと俺は思う。だからこそ、これから人は、その責任を人だけで背負わなければならない」
「だって本来、野獣先輩は、人類に対して何も言ってくれない筈だからさ」と藤丸は獣を見、そして第六法を見つめて言った。
「人に対する慈悲も、恨んでいると言うことも、こうやって形を取ったからこそ出来たことだ。だけど、それは甘えだ。人間以外の存在が、人間を許したり、害することを期待した甘えなんだ。これから先、そんな形は存在しない。人類は、ただ野獣先輩という存在を前にして、勝手に何かを言わせたり、勝手に形を取らせたりせず、ただ野獣先輩として受け止めなければならないだろう」
「ねえ、野獣先輩」と藤丸は第六法に言った。
「俺と旅して、楽しかったかな。永遠に完成しない筈だった貴方は、この旅に何を思ったのかな」
第六法は、笑って言った。
「すっげぇ楽しかったって、はっきりわかんだね」
その言葉に藤丸は笑い、しかし寂しそうに言った。
「……こういう事を言ってくれることも、もうないだろうね」
本人ではない野獣先輩というキャラクターが、人に感謝することも、恨み言を吐くことも、もうない。
この先に終わりはなく、人に何かを語るものも居ない。
物語という形は失われ、単なる歴史と伝説へと戻るだろう。
「だから、ありがとう」
藤丸は笑って言った。野獣先輩、アンリマユ、清姫、マルタ、シェイクスピア、二世、遠野、オベロン、ナーサリーライム、キアラ、覚者、イエス、ロマニ、ダヴィンチに。
そして、特異点に出会い、別れた全ての人に。夢に出会った三眼の少女に。
目の前に崩れ落ちる侮辱の獣と、その中にふと、笑みを見せたゲーティアに。
「なに、わざわざ感謝をすることも、難しく考えることもありませんぞ、マスター」
シェイクスピアが、襟を正し、恭しく礼をして言った。「これは吾輩が代表して言うべき事でしょうな」と、嬉しそうに。
シェイクスピアは幕を下ろした舞台上に、観客へと語りかけるように言った。
「『我ら役者は影法師。皆様方のお目がもしお気に召さずば、ただ夢を、見たと思ってお許しを。』……観客は、物語に対して、そんな態度で良いのです」
「まさしく、真夏の夜の
藤丸は頷き、その右腕を空に掲げた。
そこに、光が満ちる。
藤丸の手から伸び出た輝きは、天と地に垂直に形を成し、青色に世界を切り裂いている。
数多に重なったテクスチャを剥ぎ取った先、そこに見えたのは何の変哲もない青空だった。
「第六魔法」
藤丸は光輝を目にし、呟いた。
「
その名こそ、終わりそのもの。
全てを始まりに戻す魔法の呪文だった。
第六法は眩しそうにそれを見つめ、藤丸の肩を叩いた。
「いやあ、ようやく終わりですねえ! この先がどうなるか、誰にも分からないってはっきりわかんだね」
「どうせ消えると思うけどね。だって俺も登場人物なんでしょ? 『Fate/Grand Order』だっけ」
「おっ、そうだな。だけど奇跡を期待したって良いんじゃない? どうせどうなるか誰にも分からないんだしさぁ」
「この先に奇跡はないでしょ。あるのは偶然だけだよ」
「だったら、それこそマスターだって生き残っているかもしれないダルルルォ!?」
「どういう意味?」
首を傾げる藤丸に、第六法は笑って言った。
「何せ、野獣先輩なんてものが偶然によって生まれたんだ。その奇跡を偶然と呼ぶのなら、お前が生き残ることもまた、あり得るだろう」
「……奇跡的に?」
「偶然に!」
「はは、そっか。じゃあ願ってみようかな。野獣先輩を生み出した偶然にさ」
藤丸は指先を伸ばし、第六法を指し示して言った。
「じゃあ、オナニーとかっていうのは?」
その様美式に、願いを込めて。
「やりますねえ!」
第六法もまた、そう答えた。
そうあるように、願いを込めて。