一般出身で後ろ盾を持たない高専生の夏油傑が直面した苦労を
名門出身で強固な地盤を引き継いでいる五条悟から見た時、そのうちどのくらいが簡単に回避可能な無駄な苦労なんでしょうかね。
呪術高専は本来、呪術の素養のある生徒を広く集め、生徒が呪術師として最低限の仕事ができるように育成するための教育機関と位置づけられ、表向きには私立の宗教系学校として、実際には公金によって運営されている。
だが、これにはちょっとした「ワケ」がある。
呪術界に根付いている一族は、よほどの事情がない限り子女を高専に入学させない。術式というものが遺伝によって継承される以上、術式に合った戦い方を最もよく知っているのはその術式を相伝とする一族の人間だからだ。
術師の仕事に単独行動が多いのも、元をたどれば相伝術式を使う所を同業者に見られたくないからという面が大きい。ゆえに術師は一族単位で固まって任務をこなすことが多く、家で訓練を受け家が用意した任務をこなし、家の外の人間と関わるのは結婚の時だけ、という人生を送る者が非常に多い。
そのため、相伝とその取説がしっかりしている一族ほど、身内をわざわざ外部の教育機関に送る必要はなく、何なら送り出すことは「自分の家では満足な教育をさせてやれません」という意味になり嘲笑の対象ですらある。
つまり高専とは、建前はともかく実態として、そういう「家」の恩恵を受けられない呪術師のための機関として存在しているのだ。空閑家の人間が高専に送られること、それ自体に人質としての効果があるのもそういった背景による。名門から見れば晒し者なのだ。
そのような立場の高専生だが、後ろ盾を持たないことの最大のデメリットはやはり、任務を選べないことにあるだろう。
一族として仕事を受ける際には突っぱねるようなクソ任務を受けざるを得ないという点で、高専での教育期間は社会奉仕というか、兵役期間みたいなものと言った方がイメージは近い。
そもそも「任務」、つまり呪術界における仕事とは、呪霊被害を受けた者や発見した者が呪術師にその対処を依頼することで成立する。
依頼の出どころは大きく分けて3つ。①地方自治体、②民間の組織または個人、③呪術総監部だ。これらの依頼を総監部が振り分け、または呪術師が直接受領して現場に赴き祓除され、報酬が振り込まれるという流れになる。
①はそのまま、警察をはじめとする公務員が発見した呪霊被害の対処を依頼されるケースだ。
呪術総監部は日本政府……ひいては「やんごとなきお方」から呪霊対処の任を受けており、対価として任務ごとの成功報酬以外にも毎年莫大な額の予算がこの仕事を維持するために振り分けられている。
一般的な軍隊と違い、一人の強者が心変わりしただけで皆殺しがありうるということを政府はよく心得ている。ゆえに呪術総監部という首輪を維持するためなら、そして総監部が首輪として機能している限りはどんな出費も惜しまない(だからこそ、夏油傑の存在は総監部最大級の不祥事足りうるのである)。
そんなわけで、事件現場を事実上独占する立場の警察と災害現場に派遣される自衛隊、ほかに高専と連携して僻地の調査を定期的に行っている国交省の出先機関や民俗学研究を行う国立大学、呪霊の湧き場になりやすい国公立の学校や国立病院などなど、ありとあらゆる場所は秘密裏に監視されている。
呪霊が確認され次第迅速に総監部へ通達が入り、総監部から任務の振り分けを受けた呪術師が仕事をこなすという仕組みが作られている。
②も基本的には同様で、電力やガス、鉄道、通信、不動産などのインフラ業、人から恨みを買うことが極端に多い金融業、僻地へ出向くことの多い運送業などなど、製造業と商社をのぞくほとんど全ての日系大企業は呪術師と個別に警備契約を結んでおり、社員が呪われたり会社の敷地に呪霊が発生する事態に対策をしている。
このような契約は期間ごとで定額の保険に似た形式になっていることが多く、直接呪術師一族と契約するだけでなく、地元の神社や寺への玉ぐし料やお布施を経由したり、警備会社や点検会社を装ったフロント団体の利用だったり、社内に「それ用」の部署が存在していたり様々な方法で契約がなされている。
これらは基本的に御三家と地方の有力術師たちが独占している事業であり、彼らの財力の源は主にここから来る。
また、絶対数としては少ないが術師に伝手のある一般人から個別に依頼が入ることもあり、これら単発の依頼がフリーランスの術師の財源となっている。
最後の③は、総監部や御三家などが保有する霊地・忌地に発生する呪霊の駆除や潜在的な脅威の排除、呪詛師の討伐など、呪術師が呪術師に依頼を出すケースが該当する。
①や②で受けた任務に都合のつく人がいなかった場合も総監部預かりとなり、案件として公示が行われる。②同様フリーランスの術師の財源となっているほか、誰もやりたがらない塩漬け案件はここに引き取られることになる。
ここまでは任務の「出どころ」に注目して区分したが、実のところ同じ任務が複数の方式を点々とするケースもある。次は具体的に任務がどういう経路を経て高専に振り分けられるかを解説する。
まず、呪霊が出現して何かしらの被害を及ぼす。
呪霊が出た場所が民間企業……御三家や地方術師の縄張りなら、通報を受けた一族が責任を持って対処し、呪術総監部に報告する。これが②のケースだ。
縄張りの外で目撃された、もしくは誰にも気づかれずに被害が出た場合、警察の捜査でそのことが発覚するケースが多い。この時点で捜査は呪術総監部に引き継がれ、総監部が内容を精査の上、適切な術師――大抵の場合で、近くで待機している等級の術師――に任務が言い渡され、派遣される。これが①のケース。
この場合、高専とその関係者が優先的に選ばれることが知られている。総監部としては、御三家の人間を顎で使って関係をこじれさせたくないからだ。このあたり禪院家は例外的に任務を頼みやすいと言われていて、その印象と戦闘力で呪術界での立場を強めているのだが、それはまた別の話である。
そして、これらのルートから外れているイレギュラーな案件や、比較的緊急性が低いと判断されて総監部預かりになった案件、①や②で派遣された術師が解決できずにエスカレーションされた案件などは総監部が巻き取って公示、術師の再振り分けが行われる。これが③のケースだ。
高専関係者に話が行くことがあるのはほとんどの場合で①か③。構造的に、名門一族が取りこぼした案件か、彼らが対処を拒否した案件が回ってくるシステムになっている。もちろんこの中には難易度の測定が難しいものや極端に情報が少ないものなど、経験則的に事故率が高いものが多分に含まれる。高専生の殉職率が極端に高いのは、なにも彼らが未熟だからというだけではない。
公益性の高い事業のため、どんなクソ任務でも最後には誰かがこなさなければならないのだが、その一番下流で全てを押し付けられる立場にあるのが高専の生徒という訳だ。誰だって身内が可愛いので、残念ながら現状、後ろ盾のない人間の使い道とはそういうものである。
そして、③のケースには御三家などの名門術師はもちろん、とても高専生には任せられないような危険度なのが分かっている、文字通り「手が付けられない」案件も含まれる。そのような案件が、東京校の場合は五条悟に、京都校の場合は俺に回ってくるのだ。
呪術界のワンパンマンこと五条先生と俺の扱いが同じなのはちょっと思うところがなくもないが、アクセスのいいところ:俺、僻地:五条先生(瞬間移動できるため)という分業が確立したことでお互いの仕事量が劇的に減ったのは何というか、結果オーライ感が凄まじい。高専入学前は今の俺の業務量の2倍を1人でやってたのかあの人?
……ついでに言うと、①や③の案件はいわゆる「親方日の丸」であるため報酬も安い。いくら青天井の予算を流し込んでいる政府と言えど、総監部がらみの施設や組織の運営費(高専含む)はこれらの報酬から賄われている部分も多い。その上から総監部による
これらの任務をこなしているうちは、1級になってもあくまで「公務員の中での高収入」を超えられない。一方で報酬の下限額は高いので、3級レベルの実力でも「表」の世界でなら大企業で10年くらい働かないと届かない年収レベルに1年で到達し、年齢にかかわらず大金を稼げる仕事という意味では間違いではない。
今の話で分かる通り、②を専業でやっている一族に仲間入りした場合の収入は企業等から直で入ってくることになるため、それらとは比べるべくもない。
家にもよるので一概には言えないものの、例えば「空閑家所属」「1級クラス」「一門と血縁のない傭兵枠での雇用」なら、地元のプロ野球チームで1軍に定着するのと同じくらいの収入が約束される(というか、個人技の頂点に立つ人間の給与テーブルとして実際に参考にしているらしい)。
一族と血縁関係がある「身内」の場合は個人の資産≒空閑家の資産になってしまい年収がどうとかいうスケールから逸脱することになり、地代まで考慮すると「九州七社会の八番手」と識者の間で言われる程度の規模感の組織の経営一族として暮らすことになる。ドバイの富豪が個人としては長者番付に載らないのと同じ理屈だ。
経済的にあまり発展していない九州ですらこれなので、関西圏と関東圏を三分して抱えている(東海は伝統的に守矢家のテリトリー)御三家の経済規模は本当に底が知れない。
一般人出身か、呪術師の家系でも名門と呼ばれるような利権持ちではないところの出身者が大半を占める高専生がそんなことを知る由もない。だから名門の人間も自分と同じような待遇で働いていると錯覚しがちだが、実態は違う。
一緒に働く機会があっても待遇の違いは分かりづらいもので、卒業後に名門に声をかけられたり、フリーランスになって世界が見えるようになって初めて、自分が薄給でこき使われていたことに気づいて愕然とするのが半ばお約束となっている。そもそも、五体満足で高専を卒業できる人間は少数派だが。
「これ書いてて思ったんですが、これを一端でも誰かが夏油傑に教えられれば、結果は変わってたんじゃないですか?」
原作で夏油傑が感じていた搾取の中には、非術師から術師に対して行われるものだけでなく、立場の高い術師から低い術師に対して行われていたものが多分に含まれていたんじゃないか。
だから、それを経験したことがない五条悟にはその苦しみが理解できず、正しく助けてやれなかったんじゃないか。それがここ数年で構築した空閑徹としての仮説だった。彼らは戦力でこそ対等だったが、絶望的なほど身分が違ったのだから。
「……とりあえず、聞かなかったことにしとくね」
講義内容の確認ついでに徹の持論を聞いていた井口楓は、一瞬物凄く渋い顔をしてから言おうとしたことを飲み込んで、それだけ告げた。
ここは京都高専の社会科準備室。ただでさえ生徒が少なく空き室の多い呪術高専では、こういう密談に適した事実上の空き教室がいくつも存在する。
「で内容だけど、中身ぶっちゃけすぎ! 生徒辞めちゃうってこれ!」
気を取り直したのか、徹の作った資料を握り潰す勢いで丸め、徹をビっと指さして指摘する。コトリバコ時代から服装のスポーティさに磨きがかかりフィールドワーク派の学者らしさが増しているが、仕草のオーバーさというか、どこか芝居がかった様子は以前と変わっていないようだ。
「ついでに我が家に勧誘しようかと」
「ダメに決まってるでしょ! とりあえず年収周りは全消し、任務を選べないくだりもできるだけボカしてほら」
楓の指示を受けつつ、正直ベースの原稿を授業で使える形に修正していく。
彼女もまた、コトリバコの時以来徹にタメ口をきける希少な人材。実は歌姫と並んでその一点だけで高専内で一目置かれているのだが、本人は一般出身であり呪術界の身分制度を気にしていないこともあり、あくまで年下として徹を扱っているのだった。
その楓が、わざとらしい小声で問いかける。
「この給料テーブルってマジのやつなの? 1級とかゼロ8つついてるけど」
「マジのやつですよ。井口先生もウチに来られますか?」
あまりに大きな待遇差に確かめるような問いかけをした楓は、井口さんほどの使い手ならいつでも歓迎ですと真面目くさった顔で述べる徹を見てたじろぐ。
「うっ……お給料ほぼ3倍……なーんちゃって。わたし呪具オタクですからね。蔵書……? って言い方かわかりませんけど、呪具の資料やら現物やらを調べるのには、家の垣根を越えられる高専が一番都合がいいんで」
それがビジネスの話だからか、普段のお姉さん風を吹かせた話し方を止め、同僚や目上の人間に話す時の口調で丁重に断りを入れた。
「ところで、せっかく誘ってもらったことだし、代わりと言ったらアレなんだけど」
――そこから1級昇格任務の話を持ち出せる辺り、転んでもタダでは起きないというか、ちゃっかりしたところは相変わらずで。そういう所が気安さを感じさせるのか、徹に限らず彼女は生徒たちからの評価が高いのだった。
呪術総監部は人間関係や義理と不義理、血縁による強制などの関係によってお互いを縛り、逃げられなくなることで信頼関係が生まれるという伝統的な考え方に基づいています。高専生はそれを持たないので、あまり高い報酬を与えすぎるとすぐ引退してしまって仕事してくれなくなると考えているようですね。
おまけ:空閑家の傭兵枠呪術師 給与テーブル
特級 :該当者なし。
1級(※):金満球団の一軍選手くらい。
準1級 :外資系銀行くらい。
2級~ :総合商社くらい。
※徹や徹大は経営側なので現行適用者はレアだけ。
レア「年俸制だからボーナスとか残業代とかはコミコミでこの金額ッスね。ただし危険な職場なんで歴が長い=長期間生存してる人は戦力として計算しやすい分価値が高いとされてて、昇給代わりに年次に応じた手当てが出るッス。ちなみに初陣の時を1年目として数えるんで、生え抜きの自分(24)はリョウさん(3X)よりかなーり手当が高いッスよ」