リアル事情と今回は若干難産気味だったので時間がかかってしまいました。
1級冒険者と階位冒険者というパーティーになった俺達は、他の迷宮の探索や災厄が来た時の為にギルドに恩を売っておこうと上層部もお手上げの面倒な依頼を解決したり、変わらず冒険者としての活動を続けていた。
実力はまた少しだけ流星女に近づき、以前は勝利まで後一手まで迫れることもあった。この調子で行けば近い内に1本取ることもできるかもしれないが、最近は成長にも陰りがで始めた。
正直、これ以上の力を単騎で望むのは難しいのかもしれない。
目下の課題は、災厄の情報収集とギルドでの名声集め、大勢の戦力を動かせるだけの協力者か。
これだけ強くなったにも関わらず、やるべきことは多い。
少し、疲れたな。
毎日訓練して魔物を殺して、そんな日々を繰り返していたある時、それは来た。
なんてことない不満、苦痛。
投げ込んだ石の波紋が決壊寸前のダムを壊してしまうみたいに、あっけなくそれは崩れた。
無理だ、これ。
「模擬戦も依頼も、しばらく休む」
「は?」
───突然、心が折れた。
いや、心が折れたというと語弊がある。
正確には疲れたが正しいだろうが、自覚してしまったこの果てしない疲労感が数日で回復するとも思えなかった。
この世界に生まれてから16年間、たまにサボったりもしたが災厄を退ける為にあの最悪なスタートから惜しまない努力をしてきた。
誰に褒められることもない中で努力して、化け物扱いをされて家庭環境は劣悪で、それでも腐らずに辛い境遇の中で良く耐えてきたと思う。
災厄を止めるというあやふやな目的だけをモチベーションに頑張った。
結局半分以上は自業自得だが、辛いものは辛い。
それまでなんの問題もないように振る舞えても、崩れるのは一瞬だった。
毎日毎日剣を振って、身体を鍛えて、勉強をして、魔物を殺して、怪我をしたとしても何度も戦いに身を投じる。
もう俺はこの世界で16年も生きた、16年だ。
前世の20年とたった4年しか変わらない。
その20年の人生を取り戻す為に血の滲む努力を重ねる。
どれだけこの世界をゲームだと割り切ろうとしても、いやなほどこの世界で生きる実感に包まれてしまう。
ゲームは好きだが、努力が好きなわけじゃない。
努力が好きなら現実というクソゲーのレベルアップを図ったことだろう。
この世界に来てからサボらずに頑張れてるのは、正直自分でも驚愕だ。
きっと、この世界で努力することができたのは心機一転頑張ろうとか、使命感とか、そんなものでもなんでもない。
ボタンをクリックして、画面をタップして、簡単に上がるレベルとステータス。
それがただ、少し面倒な仕様に変わっただけだと思い込もうとした。
そうすることでしか、頑張れないから。
自分に言い聞かせた。
転生してすぐ、この世界がゲームでもなんでもないと言う事実に打ちのめされた。
この世界を生きる実感は、余りに重くて、息苦しかった。
こういうタイミング自体は過去に何度かあった、どうしようもなく逃げ出したくて、何をする気力も湧かない状態。だが、その度に母さんへの罪悪感とか、元の世界に帰りたいとか、早く死んで役目を終えたいとか、自分がやらないと大勢の人間が死んでしまうとか、色んな感情に突き動かされて傍目も振らずに突っ走ってきた。
ここまでよく頑張ったと、本当に自分を褒めてやりたい。
最近、なんで自分はこんなバカみたいに頑張ってるんだろうと疑問に思うことがある。
そんなことを考える時は、大体メンタルがやられてる時だ。
やられてるんだろうな、メンタル。
徐々にこれまで見過ごしてきたこの世界に生きるという実感が、深く眠ったトラウマを掘り起こして完全に気力を奪い去ってしまった。
前世でもあった気がするな、こんなこと。
仲が良かったクラスメイトとしょうもないことで喧嘩して、喧嘩で言われた些細な一言を忘れることができなくて、しばらく学校を休んだ。
クラスメイトは喧嘩の時のことを謝ってくれたが、それ以来いつからかクラスで人と関わることをやめてしまった。
家族は何も言わなくて、それが余計になんだか辛かった。
結局、女神に使命だなんだと言われて、都合のいい身体を手に入れて、災厄を止めるとか1級だとか言っても、俺は元から大した存在じゃない。
ただちょっと人よりゲームが好きで、ゲームに向き合う時間が多かっただけだ。クリアタイムを縮めたり、アイテムやトロフィーをコンプリートするのも、全てを中途半端で放り投げたのをゲームだけはやり直せた気になっただけだ。
よく考えてみろ、前世で大きな事を成し遂げたわけでもない。強いて言えば少しゲームにのめり込んでいただけの男。そんな人間が、異世界でいきなり勇者や救世主の真似事をさせられて上手くいくわけがない。
あぁ、だめかもしれない。
前世の家族のこと、母さんのこと、村での出来事、色んなものが浮かんで頭の中がグチャグチャする。
いっそこっちが全部諦めれば、女神もこのクソゲーの攻略を諦めてくれるのか。
別に俺じゃなくてもいいだろ、他にもっとすごいやつがやってくれる。
これまでだってそうだっただろ。
馴染みのある声が聞こえて、扉が開かれる。
その人物はベッドに腰を下ろした。
「まだ寝てるの」
来ないでくれよ。
ただの現実逃避期間だ、数日置けば元に戻るから。
今は顔も合わせたくないんだ。
「ご飯、食べたくなったら食べなさいよ」
後ろでカタンと音がする、テーブルにまた料理を置いたんだろう。
寝込んでから毎日、こいつは甲斐甲斐しく訪ねてきた。
なんの反応もしないにも関わらず、飽きもせずに毎日やって来ては料理を渡してくる。
美少女が看病してくれるなんて夢の様なシチュエーションだが、とにかく今はひとりきりにしてほしかった。
でも、何を言ってもこいつは傍から離れない。無視される。
最初の一日こそ口うるさく色々と言ってきたが、二日目からベッドの近くのソファに腰掛けるだけで、何も言わなくなった。
こっちをずっと見守ってるかと思えば、珍しいことに本を読んで隣で寝てる時もある。
こいつの気の抜けた寝顔を見てる時だけは、少しだけ落ち着ける気がする。
ふと、流星女へ向けた視線と合う。
「ねえ」
返事をしたら終わりな気がした。
それでも、聞こえてるという意思を伝えようと振り返る。
「手紙が来てたんだけど」
あ、母さん返事くれたのか。
全く確認してなかったせいで知らなかった。
手紙の内容を確認しないといけないのに、まるでやる気が起きない。
家族や容姿で受けた扱いのこと、村での過去のことをなにひとつ説明してないのが余計にバツが悪い気がした。逃れるように視線を逸らして、寝返りをうとうとする。
「逃げるな」
寝返りを打とうとした瞬間、上にのしかかられて動きを止められる。
頭を挟むように手を突かれて完全に逃げ場を失い、目を逸らすこともできない。
彼女の長い金の髪が頬に触れて、微かにくすぐったさを覚える。
刺すように鋭い瞳は、相変わらず強い意志を感じさせる。
何する気だ、こいつ。
「連れてきなさい、帰るわよ」
「は?どこに」
「あなたの故郷」
馬車に揺られ、懐かしい帰路へと就いていた。
隣には勿論流星女も乗っている。
あの後、流星女は村へと帰る為の馬車を予約すると、有無を言わせず馬車に押し込まれた。
最初は本気で抵抗しようとも考えたが、そもそもこいつにはどう足掻いても力で勝てず、抵抗するだけ無駄だ。それに、必死に連れて行こうとするあいつを見ていれば、なんだかどうでも良くなってきた。
気が済むまで行動させれば、そのうちどこかで満足する。
馬車での移動の最中もあいつは口を開くことはなかった。
淡々と飯を作り、俺の前に置いて俺が食べるまでずっと見てきた。
食べないと本当にそのまま無限に待ちそうな勢いだったから、仕方なく食べた。
故郷の村は生まれ育った場所で、母さんが暮らしてる場所でもある。
思い入れは沢山あるが、それ以上に嫌な記憶と後悔の思いが大きすぎる。
こいつは、俺を故郷に連れ帰ってどうするつもりなんだ。
聞きたかったけど、勇気が出なかった。
「ほら、もう寝るわよ」
ご飯を食べて、野営のテントで眠りに就こうとする。
何故かこいつは同じテントだったが、最早突っ込む気力もない。
「……なんて顔してるのよ」
包帯で見えてないだろ、どんな顔してるんだ。
手を伸ばしてくれば、慣れない手つきで頭を撫でられた。
心の中はささくれ立って、整理が付かない感情のせいで眠ることも難しかったのに、彼女の手に触れていれば自然と眠気に誘われた。
「……おやすみ」
久しぶりに、安心して眠れる気がする。
「えぇ……おやすみなさい」
次の日の朝日は、いつもよりマシに感じられた。
故郷までの道のりは長く、馬車を走らせても2週間以上はかかる。
その間に少しはまともな食生活と睡眠を取らされれば、以前よりも精神状態は回復した。
人間、飯を食わないとダメだな、病む一方だ。
別に今も病んでるんだろうが、以前の完全な思考放棄に比べれば大分違う。
なんで村に連れて行こうとするか流星女に聞いたが、答えを教えてくれることはなかった。自分で考えろってことか?
5歳の頃から始めてから1日足りとも休むことなく続けてきた剣の練習、1回サボればサボり癖のある自分はやめてしまうからと、必死になって毎日繰り返した。でも、俺はそれをあっさり手放した。
11年間欠かさず繰り返していた練習も、心がぽっきりと折れてしまった日を堺に再開してない。
1週間や2週間でこれまでの練習が水の泡になるわけではないことはわかってる。
それでも、まだ剣を握る勇気が出ない。
剣を握らなくても、流星女は何も言ってこなかった。
彼女のモチベーションはいつか俺が彼女を超えることなはずだ。
剣を握らないのは相当な問題であるにも関わらず、何も言われなかった。
この1年と半年、流星女とパーティーを組んでからこれほどまで会話をしなかった期間があっただろうか。何もなくてもほぼ毎日模擬戦で顔を突き合わせることになった上、クエストを受ける回数も他のパーティーに比べて多い。
思えば毎日一緒だ、今も会話してないだけですぐ隣に座っているのだから。
こちらの視線に気づいたのか、窓辺を眺めていた彼女はこちらへ振り返る。
「どうしたのよ」
なんと答えようか迷ってしまう。
ただ見ていただけだ。
どうしても言葉を返す気にはなれず、誤魔化す為になんとなく手を伸ばす。
「なによ、もうっ……」
彼女はそれを、何と勘違いしたのか、慣れない手付きでこちらのことを抱きしめて来る。以前から、距離が近いスキンシップを取られることはあった。
それでも、抱きしめられるのはあの夜以来で驚いた。手を伸ばしただけで抱きしめての合図でもなんでもなかったんだが。
否定したり、引き剥がす気にもなれず、伸ばした片手を彼女の背に回した。
彼女の体温はいつも温かくて、側にいるだけで心地良い。
「私は、あなたが何を悩んでるかなんてわからないわ」
「でも、私はあなたの味方で、誰よりもあなたに期待してる。いつか、私を倒してくれること、私の傍で過ごしてくれること……」
頭に手を回されて、彼女の肩に頭を預ける形になる。
「それに、あなたの過去も何も関係ない」
「でも、それであなたが私の知らない過去に気を取られて前に進めないって言うなら」
顔を持ち上げられて視線を合わされる。
彼女の瞳には、いつもと変わらない自信だけが満ちていた。
「私があなたの手を引いてあげるわ。ずっと隣で過ごす相棒なんだもの、それくらいはしてあげる」
その言葉を聞いて久しぶりに、少しだけ泣いてしまった。
村に到着するまであと数日、メンタルが砕けた最初に比べればかなり落ち着いた。
普通に話せる程度には会話量も戻り、食事もちゃんと自分で摂るようになった。
流星女にはかなり迷惑をかけてしまったが、引きずっても仕方がない。
これまで散々迷惑をかけられた分、これでお相子だと思おう。
この頃になれば、俺は自分の話を流星女にする機会が増えた。
前世のことも、今の人生の過去のことも、細かい内容は伏せたが前世のくだらない自分のこと、自分の判断で家族を苦しめたこと、災厄を止めなければいけないこと。
なんで彼女にこれまでのことを話す気になったのかも、よくわからない。
内容はぐちゃぐちゃで、時系列も前後してる上に前世と今の内容が入り混じって要領を得ない内容だっただろう。それでも、自分がどんな人間で、どんな過去があるのか、彼女には伝えたかった。
それに対しての返事は様々だったが、決して否定だけはしなかった。
そうして、4年振りに訪れた村は大した変化はなかった。
村人達は相変わらず忙しそうに畑を耕したり、放牧された動物達の世話をしていた。
入るまでは妙な緊張感があって、また石を投げられたり暴力を働かれるんじゃないかと想像したが、村の入口を通ればなんてことはなかった。
顔は包帯で隠して、身長もこの村を後にした時とは大きく違う。
あの特徴的な角も醜悪な顔も何もない、誰も自分だとは気付かないだろう。
村の人々からは視線を感じるが、そもそも新しく村を訪れる人間は少ない。
流星女の容姿は人目を惹くし、自分も少なからず目立つ。
「あなたが案内して、私はこの村のこと知らないから」
「いきなり連れてきておいてそれか」
「しょうがないでしょ、知らないものは知らないもの」
「俺だって殆ど家から出なかったから山のこと位しかわからないぞ」
母さんに鉢合わせしないか心配だが、気付かれることはないだろう。
もうあの人に過去のことを背負わせたくない、幸せに生きてくれればそれでいい。
新しい家族も生まれたようだし、帰る時にでも少しだけ様子を確認しよう。
結局、流星女に言われて村を案内することになった。
案内と言っても俺は殆ど出歩けず、思い入れがある場所なんて実家と剣の練習に利用していた山しかない。
それでも良いと圧されて、最初は村の施設から案内した。
村で数少ない商店、酒場、教会、治療院、後は畑とか公園とか、その程度しかない。
部外者にこの見た目ということもあって注意を惹いてしまい声をかけられたりもしたが、冒険者で偶然近くを通りかかっただけだと、流星女が説明した。ちゃんと顔を隠してる効果はあって、誰も俺に気づくことはなかった。
流星女の容姿に惹かれて絡んでくる奴らもいたが、あいつがキレて微塵切りにする前にやんわりと注意して離れてもらった。流石に故郷で人殺しは起きてほしくない。
「本当になにもないわね」
「だから言っただろうが」
本当、連れてきて何がしたかったんだ。
メンタルケアをしてくれたのはわかるが、それなら適当な観光地でも良かった気がする。
下手をすれば余計にメンタルが落ち込む可能性もあったし、わざわざ俺の故郷を訪ねる理由はなかったはずだ。
「ほら、次は山でしょ」
村の大部分を回れば、後は実家と山程度しか案内する場所もない。
実家には帰る気がないので、後は山を巡れば終わりだ。
村を囲うようにある山々。
狩りに利用する為に開拓されてるのは入口付近だけで、実家の裏手にある山は手付かずなものだから、そこを利用していた。
懐かしい気持ちで山へ入れば、自分が剣術の訓練に利用して切り倒した丸太なんかも幾つかそのままで、狩った動物の血抜きをする為に用意した道具なんかも道具箱の中にそのままだった。
「ここで剣の練習をしてた」
「へぇ、ここであんなに強くなったのね」
流星女は少しだけ興味深そうに周囲を散策するが、あるのは木々だけだ。
この場で面白いものなんてなんにもない。だからこそ、剣にのめり込んだ。
「お前にボコられる程度だけどな」
「私は最強だもの」
流星女は何も無いにも関わらず、剣を抜いて勝手に練習を始めてしまった。楽しそうにしているからいいか。
なんとなく切り倒された切り株の上に腰掛ければ、年齢の違いを実感する。昔は丁度良いと感じていたはずの高さが、今では足りないと感じてしまう。
「何してるのよ?」
落ち葉を剣を振って起こした風で舞い上げて、舞った落ち葉を斬るという高度な遊びをしていた流星女がじっと視線を向けてくる。
「別に、成長を実感してただけだ」
「当たり前でしょ、あなたは生きてるんだから。人は、生きてれば成長するわ」
この世界で感じた成長は、身体が伸びたとか剣技が上手くなったとか、いつか役目を終えるこの身体のことばかりだった。
でも、自分自身もこの世界に来て多少は成長したのかもしれない。
気がつけば、日も落ち始めて畑仕事をしていた人々も家へと帰り始める。
「そう言えば、泊まるところはどうするんだ?」
「宿に泊まればいいでしょ」
「そんなものないぞ」
こんな人数が少ない村に宿なんてものはない。
主要都市や迷宮都市、首都ばかりで過ごしてきたこいつにはない発想だったかもしれない。
聞けば、生まれも普通に首都近辺でここまでの僻地に来たのは初めてらしい。
「……どうしようかしら」
こいつ……まあ、馬車に戻ってテントを建てれば良いだけだ。
元々、誰かの家に泊まる予定もなかった。少し早いが、野営の準備をしてしまおう。
村の入口を目指して裏山から降りた瞬間、想定してなかった人物と遭遇して身体の動きを止めてしまった。
吸い込まれるようにして目線を合わせてしまい、咄嗟に逸らした。
「ねぇ……そこの方」
会いたくない人に再会してしまった。
最後に直接会ってから4年も経過した母親の姿は、遠目で見た時よりもはっきりとわかる。
俺が生まれた当初のように、穏やかで優しそうな雰囲気。村を出る頃にはずっと疲弊して面影もないほどだったが、以前の様な人柄に戻っていることが察せられた。
3年前にも様子だけ見に来たが、変わらずあれから幸せに過ごせてるんだろう。
母親の前には二度と現れないつもりだった。
それでも、気付かれることはないだろう。
こんなにも変わってるんだから。
「すみません、すぐ出て───」
「帰ってきて、くれたの?」
なんて言った?
「そう、帰ってきてくれたのね……」
ゆっくりと前まで歩いて来れば、躊躇なく俺のことを抱きしめた。
違う、否定しなければ。
俺はもうこの人の前に現れてはいけない人だから。
否定して、早くこの場を離れよう。
そう思っても、声も出ず、身体が動かなかった。
「ごめんなさい……ずっとね、直接会って謝りたかったの」
あぁ、あぁ、やめてくれ。
謝らなきゃいけないのは、俺なんだ。
「それとね、言わなきゃいけないことがあったの。あなたは手紙で何度書いても頑固に帰らないって言うものだから、伝えられないかもしれないって思ったのだけれど」
小さい頃、何度も言葉も喋れない頃に向けてくれた、優しい微笑み。
「私のもとに生まれてきてくれて、ありがとう……おかえりなさい」
───あぁ。
「ただいま、母さん」
あの後、俺は死ぬほど泣いた。
もう身体は16歳になって、自分の感情もちゃんと制御できる歳だ。前世を通せば36歳にもなる、いい年のおっさんだ。
それなのに、大声を上げて泣いてしまった。
母さんは困ったし、流星女も困っていた。
ようやく落ち着いたのは久しぶりに実家へ帰ってきて、流星女が色々と母さんに冒険者としての俺の話を好き放題話してる頃だった。
「そして言ったのよ、いつか私を越えてやるってね。だから、いつかその時が来るのを期待してるの」
「まあ、この子ったらそんなこと言ったの?ふふ。あんまり待たせすぎちゃダメね」
気が付いたら流星女と母さんは仲良くなっていた。
どうしてこうなった。
「言ってない」
「は?言ったじゃない。私は一言一句覚えてるわよ」
クソ、もういいだろ。
なんで帰ってきて仲直りしたかと思えばこんな恥ずかしい思いをさせられてるんだ。
公開処刑なのか?
そして、何故か俺の膝の上には4歳の女の子と1歳の男の子が座っている。
この子達は再婚相手との間にできた子供、つまりは俺の異父兄弟に当たる。
包帯顔で泣かせないか心配だったが、ふたりともペタペタと包帯顔を触ってくるだけで気にしてなさそう。母さん譲りの綺麗な顔立ちで、きっと将来はふたりとも美人に育つだろう。
あっ、ちょっと包帯を引っ張らないで。
再婚相手の旦那さんは衛兵の仕事の都合で、今日はいないらしい。
「残念ね、あの人にも会わせたかったけれど……また、帰ってきてくれるわよね?」
「それは……」
母さんのあの言葉は、生まれてはいけなかったという呪いに近い思いを緩めてくれたけれど、未だに全てが吹っ切れたわけじゃない。
ここに帰ってきても良いんだという気持ちを、すぐに取り戻すのは難しかった。
「いいじゃない、たまに帰りなさいよ。私も休むのに丁度いいもの」
頼むからお前は黙っててくれ。
「私が代わりに連れ帰りますから、お義母さん」
「本当に?それならお願いしちゃおうかしら」
こいつ、国王とかにも失礼をかまして傍若無人だったのに、人の親には礼儀が正しい。
ちゃんとお母さんと呼べるなんて。
あと人を勝手に連れ帰ることにするな。
「それにしても、この子にこんなに綺麗な彼女さんができてたなんて、驚いちゃったわ」
「だから彼女じゃない」
気が付いたら流星女は彼女認定をされていた。
久しぶりの里帰りに女を連れていればそう判断されるのはわかるが、釣り合いが取れてなさすぎる。
お前は否定しろよ。
確かに命を預け合える間柄で、家族を除けば一番時間を共有してきた相手だ。初めて隠した顔を晒すことができたのもこいつだし、濁したとは言え前世のことも教えた関係だが、彼女じゃない。
あぁ、でも、幸せだな。
こんなくだらないことで悩めるのは、心の底で抱え続けた悩みが消えたからだ。
そう思えば、俺はこいつに感謝しなければいけない。
「なによ?」
ふと、視線を送っていたのがバレてしまう。
「別に」
「この子ったら、照れてるのね」
お願いだからやめてくれ。
結局、その日は実家に泊まることになった。
久しぶりの母さんの料理は美味しかったし、料理を手伝う流星女という貴重な光景が見られた。
妹達と遊ぶことを任されたりしたが、嫌われなくてよかった。前世は年の離れた妹の面倒を良く見ていたものだから懐かしい気持ちになった。
色々と積もる話も多かったり、新しい旦那さんと挨拶できてなかったが明日には発つ事にした。
この1ヶ月で色々サボってしまったし、王都での人脈作りや、これまでの厄災に該当する存在の情報も集めておきたい。正直、以前は大分惰性で動いてる部分もあったので気合を入れてやり直そう。
今の年齢は16歳、肉体の全盛期に厄災と対峙するなら20代前半と考えるのが自然だ。
恐らく、厄災を迎えるまでもうそこまで長くない。
もう少しだけ母さん達と過ごしたかったのは事実だが、それは厄災を乗り越えた後にゆっくり過ごせばいい。
今は、目の前のことに集中しよう。
翌日、まだ日が昇って間もない時間に裏山を訪れ、久しぶりに剣を握り練習をした。
裏山での練習は、本当に懐かしい気持ちにさせられた。
澄み切った山の空気が心地良い。
ふと、昨日座っていた切り株が目に止まる。
『当たり前でしょ、あなたは生きてるんだから。人は、生きてれば成長するわ』
昨日この場所で言われた言葉を反芻する。
───あぁ、そうか、結局俺はこの世界で“生きてきた”。
後悔することの方が多かったけど、それでもこの世界に生まれ、生きてきた。
どれだけ目を逸らしても、ゲームだと思い込もうとしても、現実だ。
だからこそ、排斥されて苦しんだ、母さんの苦しみに罪悪感を感じた、人殺しに抵抗感があった、孤独に苛まれて、友達ができたと喜べて、彼女が隣りにいてくれることに喜べた。
全部全部、自分の人生だ。
液晶越しの誰かのものじゃない、俺の人生だ。
この村を出る時に戒めたはずなのに、ずっと忘れてた。
この世界で生きるということを。
今度こそ、逃げずに覚悟を決めよう。
「朝早くから頑張ってるわね」
考え事をしながら剣を振っていれば、流星女が現れた。
出てくる時に起こしてしまったのかもしれない。
今回の件で、本当にこいつには迷惑をかけてしまった。
「気にならないのか」
「何がよ」
「今回、情けないところばっかり見せただろ……色々言ったし」
前世の件は伏せてぼかしたとは言え、色々と過去のことを喋ってしまった。
消沈したまま過去のトラウマを語る姿は、まあそれは情けなさの極みだったはずだ。
こいつ隣に置いておくの嫌だなとか、思わないのか。
「それが、気にならないかって言いたいわけ?」
なんだかんだ、こいつの前ではいい格好ばかりしてきた。
男の子の見栄というやつだ。
「つまり、あなたは本当は剣の天才でもなければ、家族に迷惑かけて、いつも辛いことから逃げてばかりで、見た目も自分のせいで化け物みたいになって、遊びだと思わないと現実を直視できない、情けない奴だって言いたいわけでしょ?」
好き放題言いすぎだろ。
メンタル病んでたんだぞ、もっと気遣えよ。
でもまあ、その通りだ。
「ほんとに馬鹿ね」
花が咲いた様な笑顔を浮かべる。
これまで見てきた彼女の笑顔の中で、一番綺麗な笑顔だった。
「そんな事、とっくに知ってるわよ」
彼女は、なんの躊躇もせず俺の頬へとキスをした。
包帯越しでも伝わる感触、少しだけ温かくて、柔らかい。
「───」
こいつ、今何した?
「あなたが勝ったら、唇にしてあげてもいいわ」
そう言いながら、満面の笑みの流星女は剣を取り出した。
俺に向ける感情が、恋情か、友愛か、執着か、依存か、わからない。
「ほら、構えなさい」
こいつから向けられる感情に応える覚悟を決めるには、もう少しだけかかりそうだ。
あと数話で1周目は終わる予定です。