斜陽の「地方ラジオ」を買収したMBA学長の勝算
グロービス経営大学院学長の堀義人氏が、斜陽産業と言われるラジオ、特に厳しいと言われている地方のラジオ局を買収した狙いは何でしょうか(写真提供:Lucky FM:つくば局開局&radiko聴取エリア拡大記者会見より。左から社長の阿部重典、ゲストのオズワルド、オーナーの堀義人)
47都道府県の中で唯一県域テレビ局がない茨城。県域FM局もなく(※本文参照)、長らくメディア後進県であったが、いま大きく生まれ変わろうとしている。「IBS茨城放送」を買収したグロービス経営大学院学長の堀義人氏が「LuckyFM茨城放送」と愛称を変更しリブランディングを仕掛けているのだ。斜陽産業と言われるラジオ、特に厳しいと言われている地方のラジオ局を買収した狙いは何か。またその勝算は? 同氏の著書『創造と変革の技法』に書かれた「5つの経営の原則」に照らし合わせ、話を聞いた。
水戸を、茨城を元気にしたい
「買収後は、やはりリストラをするのでしょうか?」。記者が発したその質問は、世間の人々が抱いた懸念と同じだったのではないだろうか。
2019年11月15日、僕は茨城放送の筆頭株主になったことを報告する記者会見の場にいた。朝日新聞社など、それまでの大株主たちから僕と茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメントとで株を45.12%取得する契約を交わしたのは、2日前のことだ。
斜陽産業とも言われるラジオ、しかも地方局の買収。記者がそう問いただすのもわからなくはない。でも僕の回答は、彼らの予想に反するものだったことだろう。リストラなんてとんでもない。むしろ積極的に投資をして、人を増やすことを考えていたからだ。
時間を少し戻して、僕が茨城放送を買収した経緯を話そう。そもそものきっかけは2015年のことだ。その年の8月、中学・高校時代に練習をしてきた水戸スイミングクラブの同窓会で水戸を訪れた僕は、かつての活気がある姿とは打って変わった水戸の姿を見て愕然とした。街の中心地に廃墟と空き地、シャッター街が並んでいたのだ。
大学進学で水戸を離れてから34年間、ほとんど故郷に関われなかったことを反省し、高橋靖水戸市長に「水戸ど真ん中再生プロジェクト(通称・M-PRO)」の創設を提案したのは2か月後のことだ。それからさまざまなプロジェクトを立ち上げた。たとえば、先日B2からB1に昇格した茨城ロボッツの経営参画もその1つだ。他にも、グロービス経営大学院茨城水戸・特設キャンパスの開講や、コワーキング・スペース「M-WORK」の開設など、同時進行で数多くのプロジェクトを推し進めた。
だが、プロジェクトを進めるうえで、たびたびネックとなる一つの壁に気付いた。茨城県のメディアの弱さだ。47都道府県の中で唯一県域テレビがない県、それが茨城である。さらに言うと県域FM局が「事実上」ない県の1つでもあった。
「事実上」と書いたのには理由がある。当時、茨城放送は「i-fm」というFMラジオを放送していた。だがその実態はAM放送だった。ざっくり説明すると、東日本大震災の後、総務省が各地のAM局に対してサイマル放送、つまりAMラジオをFMの電波に乗せて放送することを認めたのだ。そしてAM放送局であった茨城放送が2015年からFMの電波に乗せて放送しているAM放送が「i-fm」だったというわけだ。「事実上FM局がない」と言うのは、そういうことだ。
なぜ茨城には県域テレビ局もFMラジオもないのか。それは、関東平野が平坦で、首都圏の電波が届くからだ。テレビはもちろん、TOKYO FMもベイエフエム(千葉)もNack5(埼玉)も届く。だから茨城のテレビ局やFMラジオがなくても困らない。特に県南は茨城放送の難聴地域で、首都圏のテレビやラジオしか視聴できない茨城都民とも揶揄される。これが茨城がメディア後進県である背景だ。
しかし水戸を、そして茨城を活性化させるためにはどうしても地元メディアの力が必要だ。ひとつ不名誉な話をしよう。茨城は「県の魅力度ランキング」で、2013年から2019年まで7年連続ビリを記録している。1年(その時の最下位は群馬)挟んで、その前の3年間もビリだ。なぜこんな順位に甘んじているのか。それは地元メディアの弱さと無関係ではない。
地域のローカル放送の役割は、その地の情報を集めコンテンツにし、地域内だけでなく地域外にも発信することだ。それにより地域の中は活性化し、地域の外にも魅力が拡散され、集客や招致につながると言うわけだ。水戸ど真ん中再生プロジェクトを加速させるためにも、震災のような災害時のライフラインのためにも必要不可欠であり、これを脆弱なままにしておくことはできない。茨城の地元メディアの強化は絶対条件だ。
「茨城放送、買えるかも」
茨城に強いメディアを作りたい。そう考えた僕は2016年に総務省に問い合わせた。まずテレビについては「電波がないので無理」だということが判明した。余談になるが、まだ電波に余裕があった2003年の地デジ開始の時に、総務省はわざわざ茨城県に対してテレビ電波が必要かどうかを確認してくれている。しかし県が「いらない」と返事をしたので他に割り当てられ、それ以後、茨城ではテレビを放送する道が事実上閉ざされている。
一方で、FMラジオの電波はまだあった。ただし、サイマル放送とは言えすでにFM放送を流している茨城放送との調整が必要だ。僕は当時の茨城放送に面談を求め、地域の活性化のためにFMラジオを始めたいと相談した。だが返事は「すでにi-fm がある」というもので、事実上NOを突きつけられた形になった。
他のプロジェクトが忙しかったこともあり、ここで一旦僕のメディア構想は足踏みをすることになる。だが、水戸ど真ん中再生プロジェクトが軌道に乗り始めた2年後の2018年末にふと思いついた。「茨城放送の株主構成って、どうなっているんだろう?」
調べてみると、筆頭株主は朝日新聞社だった。茨城放送の社長は、初代こそ茨城新聞の社長が就任したが、その後8代はすべて朝日新聞社から来ている。TBSやニッポン放送と違い、朝日新聞はラジオ局とは距離を置くメディアだ。彼らは、茨城放送が将来テレビを始めることを見越して、いずれ系列に組み入れる布石として茨城放送の大株主となっていたようだ。しかし、茨城県でテレビ局を開設する道は閉ざされている。だとしたら、彼らは株を売ってくれるのではないか?
大学同窓の友人である記者を経由して、朝日新聞社の経営層にダメモトで買収の話を持ちかけてみたところ、意外にも回答は前向きだった。そこから水面下で会合を持ち、信頼関係を築きながら条件交渉を進め、1年経てついに合意に至ったのだ。その成果が、記事の冒頭の記者会見というわけだ。狙ったわけではなかったが、契約締結した11月13日は、奇しくも「茨城県民の日」であった。
●茨城放送の問題点
ここで当時の茨城放送の状態を振り返っておこう。買収されるくらいだから経営状態が悪かったのではないかと思われた読者もいるかもしれないが、そうではない。9年連続黒字で無借金経営を実現した健全な経営状態であった。でも、だから順風満帆だったかというと、そうではない。
まずそもそも「ラジオ」というオールドメディア自体が、新聞などと同様に、どちらかというと斜陽産業と位置付けられている。業界的にバブル時代をピークに売上げを半減させ(茨城放送の場合には6割減)、インターネットメディアにも押されてスポンサーの獲得が年々難しくなっていた。
ラジオ局の中でも首都圏のTOKYOFMやベイエフエムなどは比較的元気だ。なぜなら首都圏に放送できる利を生かし、ナショナルクライアントを獲得できるからだ。茨城県しか聞けないラジオ(しかも県南は難聴区域)だと、そうしたスポンサーの獲得はまず難しい。
そんな苦しい状況下でも黒字を出し続けていた茨城放送は、やるべき経営努力をしていたと言える。だが一方でその弊害も現われていた。コストカットで自主制作の番組を減らし、キー局や制作会社から買ってきた番組を放送していたのだ。自主制作の深夜放送はなくなり、通販番組は増え続けた。これではたとえ黒字を達成しても、地元のメディアとしての役割は果たせず、社員のモチベーションも下がる一方だ。
この状況を変えて、元気なローカルメディアを茨城に作りたい。そして茨城を元気にしたい。その一心で、僕は茨城放送の買収に踏み切った。もちろん勝算はある。
僕はビジネススクールの学長として経営を教える立場の人間だ。人や組織を変革し、成長させる方法論は心得ている。本にもまとめた「創造と変革の5つの原則」がそれだ。
ここからは、その5つの原則に沿って話をしよう。
●創造と変革の5つの原則
原則1:可能性を信じ志を立てる。
ここまでの話を聞いて「ラジオに成長の可能性なんてあるのか」と思われた方もいるだろう。僕から見ても、正直厳しいと思う。
だがそれは「ラジオ」の話だ。僕がやろうとしているのは、ラジオじゃない。
筆頭株主になった僕は、「i-fm IBS茨城放送」から「LuckyFM茨城放送」へと愛称を変えた。本当に変わるんだという決意と茨城という県名のルーツを表したネーミングだ。この愛称で「ラジオをやるつもりがない」とはどういうことか。
僕がやりたいのは、音声を電波に乗せて放送するだけの「ラジオ事業」ではない。インターネットを使って動画やテキストコンテンツも配信する新しい「音声メディア」だ。これはまだまだやりようがある、むしろこれから伸びる事業だ。
また「LuckyFM」を「データドリブン企業」にする目論みもある。従来ラジオ局はリスナーのデータを取得することができなかった。これからの時代、顧客(ラジオ局にとってのリスナー)のデータを握ることなくビジネスを成功させることなんて不可能だ。
ではどうするか。イベントを使うのだ。実はラジオ局にとってイベントは大きな収益の柱だ。茨城でも「チームラボ 偕楽園 光の祭」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」などの十万人規模のイベントがあり、ラジオ局が主催することが多い。じつはすでに、茨城放送の無料ウェブ会員に登録し「いばとも」になると「いばチケ」でチケットを購入できる仕組が構築されている。これにより購入履歴などのデータを握ることも、効果的に顧客と関係を結ぶことも可能だ。
また、首都圏に電波が届かないからナショナルクライアントのスポンサーが獲得できないという事情も、裏を返せば、首都圏に電波を届けさえすれば、大きなチャンスがそこにあるということを意味する。そのためには東京スカイツリーのように高いところから電波を流さなくてはいけないのだが、大丈夫、茨城には筑波山がある。
こう考えると、茨城放送は可能性に充ち満ちていた。もちろん、すべてが思うとおりうまくいくとは限らないが、僕はこの可能性を信じ、賭けることにした。
原則2:人を巻き込み組織をつくる
言うまでもなく、僕一人の力では何もできない。この計画には、多くの仲間の力と、組織の力が必要になる。
だから買収後、まず着手したのがステークスホルダーへのヒアリングだ。社員、パーソナリティー、アナウンサー、株主、スポンサー、リスナーに、彼らが茨城放送をどう思っているか、これからの展望をどう考えているか、話を聞いた。「魅力のある番組が少ない」「予算がなく作りたい番組も作れない」など、さまざまな声を聞くことができた。
次に、その疑問や心配の種を、膝をつき合わせて、ひとつずつ潰していく。たとえば「i-fm」や「IBS」といった親しみある名称を捨てることに対する不満もあった。そのたびに僕は、なぜ「LuckyFM」としてリブランドしなければならないのかという理由と、地方放送局の魁モデルになれる可能性を、勉強会などを通して、繰り返し粘り強く語り続けた。そうすることで少しずつ理解と信頼関係が生まれ、組織の新しい文化が醸成されていった。
原則3:勝ち続ける戦略を構築し、実行する
僕たちの戦略の大きな考え方は「原則1」で触れたように、「ラジオ」ではなく「音声・動画・テキストメディア」として生まれ変わることだが、ここでは特にコンテンツの側面において、どんな戦略を構築し、実行したかを紹介したい。
まず出発点になったのは「茨城放送の強みってなんだろう」という問いだ。自分の強みを知らずにビジネスで勝つことはできない。たとえばJ-WAVEなら、若者向けのおしゃれな感覚や国際色が強みだ。自分の強みを一言で言えることは、スポンサーに対してもリスナーに対しても武器になる。
ところが茨城放送の強みを誰も答えることができなかった。ラテンもジャズも演歌も詩吟も流す。「今日のタマネギ価格」といった農産物市況も流す。なかなか一言で言い表せない。
そこで発想の転換をすることにした。「弱みを強みに変える」ことは戦略を考えるうえで重要だ。「わかった。茨城放送の強みはダイバーシティだ」。これは苦し紛れでもなんでもない僕たちの強みだ。首都圏FMでアニソンと演歌を流すことは絶対にできないだろう。
強みがわかったら次にすることは、それを武器に攻勢をかけることだ。「バライエティー溢れる音楽」「ローカルメジャー」「ニッチトップ」「ニュース」「スポーツ」の5つのコンテンツにフォーカスして魅力あるコンテンツを増やしていった。
目玉の帯番組として「ダイバーシティニュース」を立ち上げたのをはじめ、「今夜はラッキーナイト」「週刊ニュースポ」「JK HipHop」「プロレス聴こうぜ」「ロボッツロッカールーム」などの番組だ。僕がパーソナリティーを務める「リーダーの挑戦」やグロービス提供の「みんなの相談室」も始まった。
こうして、LuckyFMがモノカルチャーを推し進めるメディアではなく、多様性を標榜するメディアであることを全面的に打ち出していったのだ。
原則4:変化に適応し、自ら変革し続ける
ラジオ局を買収したからラジオ事業をやるという考えでは未来はない。インターネットやスマホ・アプリの時代には、それに適応した姿に自らを変化させる必要がある。動画配信に力を入れるためにスタジオを作り、音声はラジオやradikoで流し、動画はYouTubeで配信しアーカイブに収め、テキストをSNSやオウンドメディアで流すスタイルを確立した。
また「ダイバーシティニュース」の収録は東京麹町にあるグロービスのスタジオで行うことにした。茨城放送の動画コンテンツを東京で作るということも以前なら考えられなかったことかもしれないが、これも時代の流れに合わせた、柔軟な発想によるものだ。
原則5:トップの器を大きくし続ける
茨城に新しいメディアを立ち上げ地元を活性化させることは、一朝一夕にできることではない。瞬間的な勢いだけではいずれ立ちゆかなくなるだろう。僕たち自身、目先のプロジェクトを進めながら、日々貪欲に学び、成長し続けていく必要がある。
そこで会社のトップにグロービスのエグゼクティブ・プログラムを受講してもらい、社員にもグロービス水戸校でクリティカルシンキングなどの研修を受けてもらうことにした。
こうした活動の結果が具体的な数字として現れるのは、もう少し先のことになるだろう。だがすでに、いくつか手応えを感じ始めている。たとえば、住友不動産、丸井、セブン‐イレブン、DMM、マネーフォワード、レバレジーズといったナショナルクライアントの獲得という形で。
「ダイバーシティ戦略」をはじめとする僕たちの戦略に賛同し、番組に魅力を感じてくれたことがこうしたスポンサーを獲得できた理由の1つだが、なんと言っても大きかったのは電波の改善だ。総務省の免許をもらい、7月1日以降、筑波山系に設立した新しいアンテナから100Wの電波を発信している。
またradikoのエリアも茨城県から関東全域の一都六県に拡大した。これによりLuckyFMの番組は、これまで難聴地域だった県南だけでなく、首都圏のリスナーにも届くようになったのだ。聴取可能者数は700万人から4000万人超に増えた。茨城の魅力を他地域に発信する力を、ついに手に入れたのだ。
また、社員にも変化が見られはじめた。これまでは自主制作の番組が少なく、他局や制作会社から買ってきた番組や通販番組がほとんどだった。でも今は「ダイバーシティ」の旗の下、多彩なコンテンツをどんどん自主制作する路線に舵を切っている。19年ぶりに報道番組が復活し、23年ぶりに深夜番組も復活した。それに伴って忙しくなったことは事実だが、自分たちで番組を作ることの喜びを噛みしめている彼らの表情が、以前に比べて明るくなったと感じているのは僕だけではないはずだ。
リスナーに目を移すと、夜の自主制作番組の多くはradikoの聴取者数や占拠率が以前に比べて倍になり、#(ハッシュタグ)をつけた番組名は連日のようにツイッター茨城トレンドのトップになっている。ここまで、出だしは順調と言っていいだろう。
将来の夢
いま、地方のメディアはどこも苦境に立たされている。でも、「僕たちは、決して衰退産業なんかじゃない」と言いたい。
当面の目標は水戸と茨城を元気にすることだが、LuckyFMの取り組みがうまくいけば「地方発のメディアカンパニーの魁」になれると信じている。そして、このモデルを他の地方メディアのお手本としてもらうことで、日本全国の地方を元気にすることも夢ではないと考えている。
そのためにも、まずは茨城でのプロジェクトを絶対に成功させるつもりだ。
遠くない将来、皆さんの前で記者会見を開き、その報告ができることを楽しみにしている。そして、その時の僕の肩書きは「LuckyFM」のオーナーであり「LuckyTV」のオーナーでもあるかもしれない。
そう、僕はまだ、茨城にテレビ局を作ることも諦めていないのだ。