INFJが忠言「人間病」MBTI
この記事で、INFJ診断キットが話題になってるんですが、そもそも「なぜ自称INFJはINFJを自認したがるのか」ってのが、コメント欄で話題になりまして
もうこの人レギュラーじゃない?
自称INFJをちゃんと診断してあげて、本来のタイプにあったアドバイスをしたほうが本人のためになると言えば聞こえはいいけど、実際問題としてどうなのだろうか。
なぜ、あの人達はINFJを自称して「Fi剥き出しの文章」を書いたり、「利他主義じゃなく自己愛のための利他主義的な文章」を書くのか。
理由はこれ。
人間病とは、この漫画が元ネタ
昔書いた記事でも似たようなこと書いてるし
昔作ったコピペも
まず、「自分を理解しないといけない」ってのが一種の呪いというか思い込みなんですね。
「美しい花がある。花の美しさというものはない」小林秀雄
これは、私小説系の実存主義的な悩みに対する小林秀雄なりの回答なんですが、性格診断をこの言葉に置き換えると「自分はここにある。自分らしい自分なんてものはない」とも言えるんですね。
よく他の動画で「MBTIやユング心理学の本来的な目的は、自分のタイプに満足してそこにとどまるのではなく、他の機能も鍛えてより統合的な人間になること」と言ってまして、自分自身にどっかで欠落を感じられてるのでしたら、一番いい解決法は「手っ取り早く自分を向上させる方法の飛びつく」のがいいんじゃないでしょうか。
それこそがSeの強化なんですね。「こんな素敵になった私を見て。頑張ったの(えへん」ってなれるように、自分を導くと。つまり、自分らしさを探すのではなく、「より素敵な自分を作り出せばいい」と。
三島由紀夫も太宰治に「太宰の抱えてるようなしょうもない鬱屈の半分は乾布摩擦と機械体操と規則正しい生活で治るに決まっている」と言ってますし、古今東西、この種の悩みは大体は「勉強して資格を取ったり、運動して身体を鍛えてたら治る」もんなんですよ。(なにかの都合で勉強や運動できない方だったら申し訳ないですが)
思想文学系のコミュニティに入った時に「自分らしさとは」ってずっと議論してる馬鹿がいて、その時に貼ったコピペが上記のもので、まあ、ゆーて、毎回、発狂してくるんで、ほんと気持ち悪いんですよね。
わい「努力して他者を優越したらええやん」
馬鹿「私らしさとはー」
わい「きっしょ…自己愛まみれの病気猿が…」
馬鹿「私はー私の個性はー」
どのくらい気持ち悪いかというと
シチュエーションは「こっちを皆殺しにきたけど、捕縛されて捕虜になった人間病の病気猿が、命を取らないであげてるのに、なんか喚いてる」ってシーン。
そもそも負けんなって話でもある
まあ、人間病の病気猿は大して努力もしないくせに、思い上がりと卑しさで「等身大の自分以上の自分」だと思い込んでいるから、見苦しいんですね。
いやほんと、とっとと鏡を見ろよって感じで。
ブッサイクで無能なお前なんか誰も興味ないのは、当たり前だろ。そこを認識できないのは、お前の自分と他者を比較するための機能が壊れてるか、比較する機会から目を逸らしているか、のどっちかですよね。
まあでも、KAKERU先生の宣伝になったからよしとしようかと。というのも、KAKERU先生の漫画って序盤がイマイチで、そこを乗り越えたら傑作ってパターンばっかなので、上記のシーンが面白いって思った方は読んでみてください。



コメント
1内心、ゴブリン可愛い美味しいって思って無いですか?
まあ、あの人達がなにを自称しようが表現の自由の範囲内なので、こちらに迷惑がかからない限りはスルーするのが、大人の態度って気がしますね。
noteの記事って言っても、一応はそれで金を儲けている人がいるので、あまりやりすぎると業務妨害罪に抵触する危険もありますしね。って最近、干渉されて「これ警察案件になるじゃん」思いましたね😉