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FGO:Dr.ロマン殺しの選択/終局特異点アバン読解
筆者-Townmemory 初稿-2025年6月8日
[奏章4までの情報を元にしています]
最終的には「我々はロマニ・アーキマンを殺す? それとも殺さない?」という話をします。
本稿で取り上げるのは、FGO第一部の終章、終局特異点のアバンタイトルです。ようするに冒頭です。
このシーンは、「2004年の聖杯戦争に勝利したマリスビリーとソロモン」の回想を描いています。マリスビリーは聖杯戦争に勝利して、聖杯に巨万の富を望むことで、カルデアスを完成させるので、重要な会話です。
カルデアスが完成することで、地球白紙化が実現できるようになりますし、その地球白紙化を阻止しようとして、ゲーティアが人理焼却を開始しますから、物語の大部分の起点となってます。
いっぽうソロモンにとっては、ここで「人間になりたい」という願望を表明し、ロマニ・アーキマン(Dr.ロマン)という人に変化し、物語の中心人物となっていきますから、これもターニングポイント。
とても重要なことが描かれていることはひしひしとわかるのですが、読んでも読んでも、なんか腑に落ちないというか、消化しきれない部分があって、ずっと気になってました。
今回はそのことについての個人的なまとめです。当該シーンをあらかじめ読んでおくと、すっごいわかりやすくなると思います。
■儀式の成就=第三魔法の成功なの?
終局特異点のアバンタイトル。マリスビリーとソロモンが二人っきりで話をしています。
他のサーヴァントを全部始末して、「このあとどうする? いっちょ願望いっとく?」みたいな会話をするシーンです。
(マリスビリー)
聖杯戦争は我々の勝利に終わった。
後は君を令呪で自害させれば、儀式は完成だ。
この大聖杯に七騎のサーヴァントの魂が満ち、
根源に至るための魔術炉心に灯が灯る。
それによって第三魔法はカタチになるだろう。
第三魔法は魂の物質化。
肉体の枷から逃れた人類は、『有限』が生み出す全ての
苦しみから解放され、新たなステージに向かう。
君はそのための犠牲だ。
了解してくれるだろう、キャスター?
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(下線は引用者)
しんでくれる? と頼まれたソロモンは何の抵抗もなく承諾するのですけど(承諾するのかよ)、その直後、マリスビリーは「冗談だよ」と発言をひるがえします。
(マリスビリー)
―――いや。冗談だ。冗談だよ、キャスター。
すまない、私も浮かれていたようだ。
協力者であり、功労者である君を大聖杯に捧げる気はない。
令呪も使わない。そもそも君には通じない。
私は大聖杯を起動させない 。
第三魔法など、どうでもいい。
(略)
魂の物質化、人類の成長なんて夢物語には、
はじめから付き合う気はなかったのさ。
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(傍点は原文ママ)
私、このへんの会話にずっとひっかかりを覚えていまして、折に触れて読み返しておりました。
何にひっかかるかというと、
「第三魔法、このままいっとく? やめとく?」
という相談が、重要なこととして扱われている点です。
引用部を要約すると、こうなるでしょう。
・ソロモンを令呪で自害させたら、英霊七騎の魂が大聖杯に貯まることになるね。
・そうしたら第三魔法が実現しちゃうね。
・人類は次のステージに向かうことになるね。
・だからソロモン死んでくれるよね?
・ごめん、ウソウソ。
冬木の聖杯戦争のメインシステムを担っているのは第三魔法を部分的に使用できるユスティーツァなんですから、第三魔法が関係あるか、ないかの二択でいえば、関係はあるのでしょう。
でも、
「冬木の聖杯戦争の儀式が完遂されたら、第三魔法が成就するけど、どうする?」
という議論は、これまでの関連作品の中にはないものです。
英霊の魂が七体ぶん、貯まったら、第三魔法が自動的に成就……しちゃうんですか?
私は、このひっかかりを、
「たとえばマリスビリーは、アインツベルンのコネを使って聖杯戦争の参加資格を手に入れ(衛宮切嗣のように)、コネの代償として、勝利したあかつきには第三魔法の再現を聖杯に願うこと、という条件を与えられていた」
みたいな想像でおぎなっていたのですが、それもだいぶおかしい。
なぜなら、この場面で話されているのは、
「(そういう願望を願ったら、ではなく)七騎のサーヴァントの魂が大聖杯に満ちたら第三魔法が形になる」
という条件付けだからです。
冬木の聖杯戦争にはそもそもそういう設定があるのでしょうか。あるのだったら私は初耳です。
『Fate/Apocrypha』ではそれに近いことが行われていましたけれど、でもあれって、天草四郎の特殊な魔術刻印を使って大聖杯の機能をむりやり曲げる、という手続きが必要だったでしょう。大聖杯がもともとそういう機械なら、天草四郎は危険を冒して大聖杯の中に飛び込まずに済んだはずです。
『Fate/stay night』で説明されていた聖杯戦争の真意は、
「英霊七人ぶんの魂が座に戻るときのエネルギーを利用して世界の外殻に穴を開ける。その穴を通じて根源へ到達する」
というものでした。
FGOのこの場面(引用部)にも、「根源に至る」という表現はありますが、世界の外殻に穴を開けて云々、という説明は一切出てこず、そのかわり、「第三魔法が形になって」という説明があるのです。
なんだろうなあこれは、と思いながら読み返してみたところ、今まで見逃していた重要なポイントを見つけました。
上述の引用部にこうある。
「この大聖杯に七騎のサーヴァントの魂が満ち」
「君を大聖杯に捧げる気はない」
サーヴァントの魂を貯めておく場所を「大聖杯」だというんですね。
大聖杯に貯める?
『Fate/stay night』では、サーヴァントの魂を貯めておく場所は一貫して「小聖杯」でした。『Fate/Zero』もそうですし、『Fate/Apocrypha』でも同様です。
大聖杯の役割は、英霊の座へのアクセス、サーヴァントの召喚、令呪の付与といったシステム担当で、サーヴァントの魂を保存するストレージ役は小聖杯が担っていたはず……と記憶しているんですがどうだったろう?
この齟齬を、「たまたま筆がすべってそう書かれた」あるいは「最終的には小聖杯は大聖杯にアクセスするのでそのことを言っている」のであれば問題はありませんが、もしそうでないならば。
「FGOの冬木の聖杯は、(小聖杯ではなく)大聖杯に英霊の魂を保存する」
ということになる。
そうなるとすでにして、
「FGOの冬木の聖杯と、その他Fate関連作品の冬木の聖杯は、構造からして大きく異なる」
ことになる。
すでにして構造が異なるならば、聖杯がつくられた大目的が異なっていても、あまり違和感は生じない。
そんなに違和感がないのなら、語られていることをそのまま鵜呑みにしやすくなる。つまり、
「七体のサーヴァントが大聖杯に貯まると、そのとたん第三魔法が成就して、人類は全員まるごと不死になる」
FGOの冬木の聖杯は、「そういう機能を持ったもの」。stay night系の各作品とは設定が異なり、「サーヴァント七体の魔力で第三魔法をむりやり成就するもの」ということになる。
■ユスティーツァを疑似聖母マリアにする方法
ちょっと話が余談にずれますがご免下さい。ご面倒な方は次の項に飛んで下さい。
私は「第三魔法の魔法使いは聖母マリア。マリアが生んだジーザス・クライストは魂が物質化された存在だった」という説です。
その件に関しては以下のリンクから始まる一連の記事をどうぞ。
●TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
アインツベルンは、再現不可能になった第三魔法を再現したがっている一族で、これは言うなれば「聖母マリアの完全コピーを作成しようとしている」と言い換えられる。
(だからユスティーツァやアイリといった女性型ホムンクルスばっかり作ってる)
で、冬木の大聖杯というやつは、「第三魔法を限定使用できる例外的なホムンクルス・ユスティーツァをドロドロに溶かして地下空洞の内側にベッタリ塗りたくった」ようなものだと説明されるわけです(私の意訳ですが)。
ようは、「魂の物質化は、出産のイメージにおいてなされるもの」というフィーリングがあり、ユスティーツァを内側にベッタリ塗りたくった地下空洞は、「ユスティーツァの子宮」であるという見立てができる。
ジーザス・クライストは、人類史における、初めての「汎世界的な英雄」と言い換えることができます。なにしろイスラム圏ですら、ジーザスを「重要な預言者のひとり」として認めていますものね。
それと比較したら、聖杯戦争で召喚される英雄は、汎世界的とはいえない。各地方の英雄だ。アーサーはブリテン土着、広めに見積もっても西欧まで。ヘラクレスはギリシャとその影響下にあった諸地方どまり。クー・フーリンはケルト語圏にとどまるでしょう。
でも、世界というものは、各地方を集めてひとまとまりにしたものだ。
各地方をひとまとまりにしたのが世界なら、各地方の英雄を集めてひとまとまりの固まりにしたものはどうなるだろう?
それは「汎世界的な英雄」と同一視しうるものではないか。
そこで、本稿の話につながる。各地方の英雄を七人、呼び集めて、その魂をまるめて「大聖杯に」蓄積する。
それは、「世界英雄」に等しいものが、ユスティーツァの子宮に収まっているという見立てになる。
そして聖母マリアの子宮にはかつて、世界英雄ジーザスが収まっていたのです。
じゃあ今、世界英雄(に等しいもの)が子宮に収まっているユスティーツァは何だろう?
それは、「聖母マリアに等しいもの」と見立てられるのではないでしょうか。
かりに、聖母マリアの正体が、第三魔法をフルスペックで扱える「第三魔法の魔法使い」であったとしたら。
いま聖母マリアと魔術的に同等のものになったユスティーツァは、第三魔法をフルスペックで扱えるはずである……。
だから「英霊の魂を大聖杯に貯める」という構造のFGOの聖杯は、小聖杯に貯めるstay nightの聖杯とは異なり、第三魔法の直接的な成就を可能とするのである。
ということを考えたという余談。
■ニワトリとタマゴ
ということでこの話、
「FGOの冬木においては、サーヴァント七人が大聖杯に蓄積されると、自動的に全人類の魂が物質化され、その後いっさい死ななくなる」
というもの凄い仮定をとるわけですが。
自分で論じておいて何ですが、そうじゃなくても事象は説明できるよね、という話もしておきます。
最初に挙げた引用部において、マリスビリーは、「七騎の魂が貯まったら根源に至れるよね」という話も出しています。
(マリスビリー)
この大聖杯に七騎のサーヴァントの魂が満ち、
根源に至るための魔術炉心に灯が灯る。
それによって第三魔法はカタチになるだろう。
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(下線は引用者)
この部分、「根源に至ったら第三魔法は成立するよね」という話をしているように読めるから、やっぱり、英霊の魂を弾丸として撃ちだして、世界に穴を開ける計画はあるんじゃないのと思えます。
世界に穴をあけて、根源へのパス(経路)を通したら、第三魔法はそれで成就しそうです。なぜって、第三魔法が実現できない理由は、オリジナルの第三魔法使いが持っていた根源へのパスを見失ったからだと推定できるからです。
ユスティーツァが根源へのパスを通すということは、切れた第三魔法のパスをつなげ直すという意味になるから、第三魔法はふたたび実現できるようになるでしょう。
stay night系統のアインツベルンが、冬木の聖杯戦争を主催している理由もそれかもしれませんね。最後に勝者となるのが誰であろうとも、儀式さえ完成すれば、第三魔法は再獲得されるという条件付けになっている。
こっちの考え方でいいんじゃない? と思う方は、こっちの考え方に深くうなずいて下さい。
だけど、私の好みの話をするなら、「FGOの冬木の聖杯は第三魔法をダイレクトに実現する」というアイデアのほうに、魅力を感じます。
理由はいくつかありますが、そのひとつに、「マリスビリーが引用部で語っている根源接続の話は、「第三魔法ダイレクト実現説」のほうでも説明がつくってことがあります。
「根源へのパスを通せば(原因)、第三魔法は実現できる(結果)」って話をしました。
その逆もいえそうです。
大聖杯に蓄積された英霊の魔力をぶんまわし、「ユスティーツァは構造的に聖母そのもの」という見立ての魔術を使って、第三魔法を力わざで実現する。
魔法は根源とのパスを通すことで獲得されるものなので、第三魔法が実現したということは、根源とのパスが通ってないとおかしい。
だから、第三魔法が実現すると(原因)、根源とのパスが通る(結果)。
根源へのパスが通ったということは、根源へ至ったということだ。
いっけん全く同じに見えるふたつの聖杯戦争だけど、『FGO』と『stay night』では、手段と目的がまるっきり転倒している。
まるっきり転倒しているが、最終的に得られるものはまったく同一である。
こういう転倒に、魅力を感じるのです。この手のひっくりかえしの理屈、TYPE-MOON作品には頻出するよね。大好き。
ただし、こっちの話を採用するのなら、「なんでわざわざ転倒させたの?」という検討が必要となってきます。
■ソロモンを殺す殺さない分岐
その理由は、
「(1)ソロモンを大聖杯に捧げると(2)世界の外殻に穴が開いて(3)根源へのパスが通って(4)魂の物質化が実現する」
ではなくて、
「(1)ソロモンを大聖杯に捧げると(2)魂の物質化が実現する」
というふうに、原因と結果を近づけたかった。語りの側からの要請だと思います。
なんでこのような話をえんえんしてきたかというと、「ソロモンの死」と「全人類の救済」がバーターになってることが美しいと思うからです。
このシーンは、二択の歴史分岐点です。
ソロモンを令呪で自害させると、ソロモンの魂は大聖杯に回収され、大聖杯は人類の魂を物質化します。自害させなければ、そうなりません。
1)ソロモンを殺せば、人類は死を克服する。
2)ソロモンを生かせば、人類は死を克服しないので、ゲーティアが人理焼却を起こす。
(ゲーティアが人理焼却を起こした理由は、何千年たっても死を克服しない人類に見切りをつけて、死なない人類を一から再創造しようと思い立ったからでした)
ソロモンの生死と、人類の興亡が直結しているところが美しい。
このシーンの語りが目指していたことは、この二択の構造をくっきりさせることでした(でしょう)。「ソロモンを殺せば魂が大聖杯に送られ世界の殻に穴があいて根源のパスが通って人類は死を克服する」ではなく「ソロモンを殺せば人類は死を克服する」。
マリスビリーは、上述の二択において、後者を選んだ。「ソロモンを自害させない。人類は死を克服しなくてよい。なぜなら私は自分の方法で根源に到達したいし、私なりの方法で人類を救済するからだ」。
(マリスビリー)
私は、我ら天体科を司るアニムスフィアは、
独自のアプローチで根源に至らなくてはならない。
魂の物質化、人類の成長なんて夢物語には、
はじめから付き合う気はなかったのさ。
(略)
私は何を犠牲にしても、カルデアスを真に起動させる。
人理を維持するためには、どうしてもアレが必要だからだ。
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル
マリスビリーが、ゲーティアの人理焼却計画を知っていたかどうかは不明です(知らなかったと思う)。
この直後、マリスビリーとソロモンはそれぞれ個人的な願いを聖杯で叶えますが、叶えた直後、ソロモンは人理焼却の光景を未来視してしまいます。おかげで、せっかく人としての生を手に入れた彼は、その人生のすべてを人理焼却の克服に費やすことになります。
ソロモンが千里眼で人理焼却を見てしまうのは、従来の考えでは、
1)カルデアス完成と地球白紙化が確定したので、その前に人理焼却しようとゲーティアが決断するから
でした。それに加えて、
2)人類が死を克服しないことが確定したから
これも考慮に入れてよさそうです。
地球白紙化が確定するのは、マリスビリーが巨万の富を望んでカルデアスが完成するからです。「巨万の富を望んだ」が分岐ポイントです。
一方、「人類が死を克服しない」が確定する分岐ポイントは、「マリスビリーがソロモンの自害を命じない」です。
マリスビリーが「ソロモンの生存」と「巨万の富」の両方を同時に選択しないかぎり、人理焼却は起こらないっぽいです(少なくとも2016年には起こらない可能性が高い)。
この「終局特異点アバンタイトル」の場面には、重要な歴史的選択がふたつある、ということになりますね。
■解釈変更という名の歴史改変
終局特異点のアバンタイトル(ここで扱っているシーン)において、マリスビリーが、
「自害しろ、キャスター。……あっ、ウソウソ。冗談だってば」
と述べたことに、ソロモンは驚いています。
それは私にも意外な展開だった。
マリスビリー本人は意識していないが、彼の人生において、
彼が冗談を口にしたのはこれが最初で最後であり、
彼の思惑が、私の見たものと解釈が違っていた事も、
予想外の出来事と言えただろう。
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(下線は引用者)
ソロモンは千里眼を持っていて、過去のことは視ようとすればわかっちゃうし、未来のこともわりと分かる。
そのソロモンが、「マリスビリーは今まで冗談を言ったことがないし、今後も言うことがない」とする。そして、「今、冗談を言ったという事実にビックリした」。
ソロモンが「マリスビリーは冗談を言わない」と強く保証する中で、「今、マリスビリーが冗談を言った」という事実がある。となるとこれは、
「マリスビリーにとって、これは、絶対に言わなければならない必然的発言である」
と考えなければならない。
その「マリスビリーが絶対に言うしかなかった必然的発言=冗談」はこうです。
(マリスビリー)
後は君を令呪で自害させれば、儀式は完成だ。
(略)
それによって第三魔法はカタチになるだろう。
(略)
君はそのための犠牲だ。
了解してくれるだろう、キャスター?
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル
一言につづめれば、「第三魔法を成就させるために自害してくれキャスター」という発言を、マリスビリーは絶対に言う必要があった。
なんでさ。
ソロモンは引用部でこう言っている。
「彼の思惑が、私の見たものと解釈が違っていた」
これ、何のことか意味をつかみかねていたのですが、こういう意味じゃないでしょうか。
ソロモンは千里眼で、マリスビリーが何を言うか知っていた。
「第三魔法を成就させるために自害してくれキャスター」と言い出すことを知っていた。
そこまでのことが、千里眼で見えていた。
なのでソロモンは、「ああ、マリスビリーは、第三魔法のために私に自害して欲しいのだな」と解釈していた。
ところが、直後にマリスビリーが「いや、冗談だよ、キャスター」と前言を撤回したので驚いた。
・ソロモンは「自害しろキャスター」という未来を視たので、マリスビリーは自分を自害させたがっていると解釈した。
・でもそうではなかった。
・「自害しろキャスター」という発言は、事実として存在するが、
・「自害させたがっている」という解釈は解釈違いだった。
ここで「解釈」という、FGOでは注意深く見なければならないワードが登場しました。「解釈の変更」は、歴史改変の可能性を問う議論のときにほぼ必ず出てくる言葉です。起きたことは変えられないが、解釈は変えられる、とFGOは言うのです。
「人物Aが死ぬという事実は変えられないが、どういう理由で死んだかは解釈変更が可能である」
誰かに殺された、という物語を、人知れず行方不明になったと変更することはできますよとFGOは言う。なぜなら当該人物がこの世から消えるという大筋のストーリーは変わらないからだ。
マリスビリーがまさにそのことをこの場面で言ってます。
(マリスビリー)
私は巨万の富を願う。
では君は? 君は何を願う?
過去の改ざんは不可能だが、解釈替えくらいはできる。
それとも受肉して第二の生を望むのか?
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(下線は引用者)
・事実は変えられないが、事実の解釈変えはできる。
・ソロモンは、解釈の齟齬を自覚した。
なら、まさにこのポイントで、
「解釈変えによる過去改変があった」
と疑わなければならない。
でも誰がどうやって? 何のために?
ソロモンが自覚した解釈の齟齬は、
・マリスビリーはソロモンの自害を要求した(a)。
・マリスビリーはソロモンの自害を要求したが、それは冗談だった(b)。
(a)から(b)への変更だから、自然と以下のようになる。
・マリスビリーはソロモンを自害させ、全人類の魂が物質化する未来を選んだ(歴史a発生)
・選んだ未来を見た結果、幻滅して、「こりゃダメだ、やり直そう」と思った。
・モルガン式レイシフトでタイムスリップ。自害ポイントに戻ってきた。
・こんどは「ソロモンを自害させない」を選択した(歴史bに分岐)。
マリスビリーはレイシフト技術の第一人者です。そして、魂が物質化された世界にはあまるほどエネルギーが満ちあふれているので、巨万の富を願わなくともカルデアスは完成する。カルデアスがあればレイシフトは容易だし、この場合レイシフト先にはマリスビリー本人がいる。
魂が物質化されていたら人類はすでに救済されているので、地球白紙化を起こす必要はないが、「なんかこの世界、ダッセぇ」かなんか思って戻ってやりなおした。
ソロモンは「自害しろキャスター」発言を千里眼で見ているので、マリスビリーが「自害しろキャスター」と発言するところまでは事象が確定してしまっている。
なのでこの発言は、絶対に言う必要があった。
言わなかったらその時点で歴史改変が察知され、修正力が働きますものね。
「自害しろキャスター」と発言したうえで、ソロモンを自害させないためには、冗談だとごまかすほかなかった。
そして、歴史aでも歴史bでも、大づかみな事象は変わらないのです。
●歴史a
「自害してくれ」「いいよ」という会話がなされる。
(ソロモンは自害して)ソロモンは消滅する。
●歴史b
「自害してくれ」「いいよ」という会話がなされる。
(ソロモンは死なないがロマニという人間になるので)ソロモンは消滅する。
ソロモンがこの世から消える、という事象に対して、「自害した」のか「人間になった」のか、という解釈変更をする。
これで、世界は歴史改変を認知しないので、改変された歴史が改変されたまま続くことになる(よね?)。
■ロマニはこの世にあるべきか、あらざるべきか
ここまでしてきた話が、もしOKだとすると、ひとつ問題がでてくる。それは、
「Dr.ロマン=ロマニ・アーキマンが存在すること」と「人理焼却を発生させないこと」が、トレードオフの関係になってしまうことです。
トレードオフというのは、「一方をとったら、もう一方はとれない」という関係のこと。
我々の大好きなDr.ロマンがこの世に存在するということは、ソロモンが自害しなかったということなので、全人類魂物質化が起こらなかったということであり、人類が死を克服しないのでゲーティアが人理焼却を起こす。人理焼却が起こった原因はDr.ロマンが存在したことだ。
もしこの世にDr.ロマンが最初から存在しなかったら?
それはソロモンが自害したという意味なので、全人類の魂が物質化して、死が克服され、ゲーティアは人理焼却を起こさない。人類はすでにして救済された状態にあるので、マリスビリーもここからいちいち地球白紙化を起こさない。
どっちか片方選べるならば、後者のほうが利がはるかに多いのでは……。
後者のほうのデメリットは、みんな大好きDr.ロマンが、最初からいなかったものになるという、我々の感情面のものだけだ。言い換えれば、Dr.ロマンひとりを人柱に捧げることで、全人類のすべての問題がまるくおさまる。
もし仮に、この物語が、
「ソロモンを自害させるかさせないか、あなたに選ばせてあげるけど、どうする?」
という選択肢を選ばせにきたらどうしよう?
本人が、「人類のためなら、よろこんで生け贄になろう」と言いそうな人格なのが、また……。
もちろん、私たちは、ドラマツルギー的にいって、「Dr.ロマンがいたほうがいいに決まってる! 人類の問題はこれからなんとかする!」と啖呵をきることになる。当然そうですね。
我々は「ソロモンを決して自害させない」を選ぶわけです。
それと同じ選択肢をつきつけられて、我々とおんなじ選択をした人が、物語上にすでにいた。
■ソロモンの生存を願った男
マリスビリー・アニムスフィアは、「ソロモンを自害させる?」「させない?」という選択肢が画面に出てきたなかで、「させない」を選んだ人だ。
(まあ、「とりあえずCG回収」とか言って、「自害させる」のほうを選んだ後かもしれないが)
それは本人が言ってるとおり、「自分の力で根源に到達したい」「他人の計画で人類が救済されるなんてしゃくだ」という理由が大なのかもしれないけど。
「ソロモンは友達だから自害させるなんて選べないよ」という素朴な理由もあったんじゃないかなあという気がする。本人もそれに類することを言っているし、あれはわりと本心かもしれない。
見るからに孤独そうなマリスビリーにとって、ソロモンは、人生で初めてくらい「コイツと友達になってもいいな」と思う相手だったんじゃなかろうか。
マリスビリーに弟子はいたでしょう。慕う人も少なくなかっただろう。でも、友はいなかったんじゃないかと思う。
友がいる人間は、全人類を消去して地表を更地にするなんてこと実行しない。もし実行するとしても、友人を残すか、同志にすることを考えるでしょう。
実の娘はどうなんだ、という話については、魔術師の世界では子供は家の所有物だそうです。
いまのところ、マリスビリーに同志はいなかったと推定される。彼はたったひとりで全てを計画して実行したはずだ。
そんな彼のところに、ソロモンが現れる。同じ目的のために、共に戦ってくれた。
マリスビリーは自分の計画をソロモンに明かしていたわけではもちろんないけど、「裏も打算もない味方が隣にいてくれる」という体験が、孤独なマリスビリーをゆさぶった可能性はあると思う。
ひょっとしたら、友の死とひきかえてまで人類を救済したくなどない、というありきたりの美しい感情があったかもしれない。
とはいっても地球を白紙化したらソロモンは消滅するじゃないか。という点についてはこう思う。
「友を殺すとしたら、それは他人の仕掛けによるものであってはならない。自分の手でだ」
(マリスビリー)
我が契約者にして唯一の友、キャスター。
いや、魔術の王ソロモンよ。
『Fate/Grand Order』第一部 終局特異点 アバンタイトル(下線は引用者)
こういった想像をするならば、「ソロモン=ロマンをだいじに思う」という点で、マリスビリーとぐだの思いは合流する。
「裏も打算もない味方が隣にいてくれるって、なんてすばらしいことだろう。彼らは私の心からの友だ」
というのは、ぐだがサーヴァントに思っていることそのものではないか。
いちミリも共感できない強大な敵をボコボコにして倒したとして、それは怪獣退治に成功したようなもので、胸はすくけど心は揺れない。
「気持ちはわかるよ、気持ちはちょっとくらいは分かるけど、でもそんなのダメだろ!」
というのが、心をゆさぶる物語なのだと思うのです。私はそういう物語をよしとするので、私がぐだとマリスビリーとの間に交錯ポイントをつくるとしたらここです。そんな感じでした。この話は以上です。
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