生き埋めにされた喜びを掘り起こす。
銀座でホステスをしている女性Y様から「人見知りだけど会いたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。Y様はべらぼうに美しく、だが、酒がなければ緊張して話せないと言った。父親の癇癪が酷く、どこに地雷があるかわからないから、人とぶつかることができない。実家の居心地は最悪で、母が父と離婚できないのも経済力がないからだと思い、お金を貯めて家を出た。生活リズムは不規則だけれど、実家にいる時よりも肌艶は良い。Y様は、そのようなことを言った。
Y様は「人とぶつかることができないから、彼氏もできない」と言った。ホステスの仕事も、恋愛も、コミュニケーションが大切になる。Y様は、コミュニケーションを取るためというよりは、コミュニケーションを避けるためのスキルが鍛えられているように感じた。好きな人と一緒にいる力ではなく、嫌いな人と一緒にいる力が鍛えられているように感じた。だからなのだろうか、Y様の体は冷えて感じた。問題解決能力が際立っているから、あらゆる対応をそつなくこなせる。そつなくこなせてしまうから、絆が生まれない。常態化した寂しさが、体を冷やしているように感じた。
Y様は「頭ばかり働いてしまって、自我がない」と言った。私は「自我ではなくて、喜びがないのだと思う」と言った。銀座の客は富豪が多く、湯水の如く金を使う。客にも店にも同僚にも気を遣い、気がついた時には身も心もクタクタになり、休みの日は一日中寝ているなんてことになる。ホステスによっては、休日返上でラインの返信をしたり、客と会う人もいるが、自分はそこまでストイックになれない。学校教育的な優等生は、とにかく「うまくやること」に主軸が置かれる。うまくいったら安心する。安心するが、喜びがない。何のために生きているのかが、わからなくなる。
Y様は、金を稼ぐためにコミュニケーションを避ける腕を磨いた。金を稼ぐためとは生きるためであり、生きるために磨いた腕が、今度は自分を苦しめるようになる。コミュニケーションを避けながら、コミュニケーションを求めるようになる。一人でいたいけど、一人でいたくない。誰かといたいけど、誰ともいたくない。何処かに行きたいけど、何処にも行きたくない。そんな、屈折した思いを抱くようになる。偏見かもしれないが、私に会いたいと思う人は、コミュニケーションを求めているのだと思う。役割を通じたやり取りではなく、役割を全部剥ぎ取った後に残る、人間と人間のやり取りをしたくて、私に会うのだと思う。我慢なんかしなくても、一緒にいることができる人間がいるということを、ただ、楽しいだけで一緒にいることができる人間がいるということを、知りたくて、信じたくて、私に会うのだと思う。
Y様は「カラオケに行きたい。歌っている時だけは、自分の感情を出すことができる」と言った。一回り以上歳が離れているY様は、なぜか私の世代ど真ん中の歌(m-floとかMISIAとか小沢健二とか)を歌った。懐かしいぞ。一時間、ひたすらY様が歌うのを聞いた。歌声にはその人が出る。本当は激しいとか、本当はロマンチストだとか、そういったものが全部出る。Y様は、可愛かった。可愛くて、面白くて、本当は男よりも男前なのがY様の真骨頂であるように感じた。Y様は「歌ってスッキリした」と言って、タクシーに乗って帰った。私はそのまま、上野公園で夜を明かした。予定していた沖縄行きは流れた。これから熱海に行く。コミュニケーションを避けながら、コミュニケーションを求めている人は、決して少なくないのだと思う。記号としてしか人間を見ないと、自分自身も記号としてしか見られなくなる。記号や条件や役割の奥に眠り続けている、生き埋めにされた喜びを掘り起こす。男一匹、今日も行く。
おおまかな予定
6月8日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
いいなと思ったら応援しよう!




コメント