日本を滅ぼす研究腐敗――不正が不正でなくなるとき(29) 5章 絶対にあきらめない精神 2
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文科省が黒塗り混じりで開示した武蔵大学の調査報告書からは新しい情報がいくつか読み取れた。まずは「1兆円」問題だ。
私の書いた『選択』記事の一部ときわめてよく似た記述がO教授の『日本の奨学金はこれでいいのか』第1章にある。ふつうの感覚でふつうの人が読み比べれば、まずだれもが「写した」「パクった」「真似た」と思うだろう。この点についてO教授は、『選択』の記事は読んでいない、独自に調査をしてすべて自分で書いたと説明してきた。文章の類似は完全なる偶然だというのだ。
見苦しい言い訳に聞こえた。示した根拠はすべてインターネット上に点在する数字類で、私の取材成果とはまったく異なる。それなのに文章も構成も記述されたデータ類も、なにもかもほとんど同じになるなどという偶然が起こるとはとても思えない。
なによりO教授はいったんは私との示談交渉を申し入れ、「読んだ」ことを大前提にして、謝罪と訂正、解決金を払う内容の和解案を提示している。
それでも「読んでいない」と言い逃れを続けてきたのだが、はたしてこの「苦しい」説明の信用性が、武蔵大の調査のなかで完全に崩壊した、と私は思っていた。というのは、『選択』記事の「1兆円」という記述が、じつは誤りで、正しくは「3800億円」であることに私自身が気がついたのだ。つまりO教授の筆による『日本の奨学金はこれでいいのか』1章の「1兆円」もまちがいだったことになる。誤記の一致。誤記の一致が偶然に起きるのは不自然だ。「読んでいない」という説明は本当なのか、いよいよもって疑わしくなってきた。
――これが「1兆円」問題である。
この点について、武蔵大学の調査報告書はなんと言っているのか。報告書に「1兆円」という文言はみあたらないものの該当部分はわかった。
「・・・同様の誤りのある箇所につき、情報公表元(独立行政法人日本学生支援機構)に確認した上での記述であるとの説明がなされた。このことから、被告発者の記述が、一般に公表された資料その他の告発者の著作物以外の資料や、被告発者自身による情報公表元への確認に基づきなされた可能性を完全に否定することはできないと判断した。
情報公表元への確認については、いつ、誰にどのように確認したのか
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