友田オレがR-1グランプリ2025で披露した「ないないなないなない音頭」を「わからない」と感じる人がいる理由
R-1グランプリ2025の決勝ネタが、3月も終わる頃に突然公開された。3月27日時点で再生数が一番多いのは、優勝した友田オレのファイナルステージのネタだ。タイトルは不明だが、「ないないなないなない音頭」という歌を歌い上げるという内容。
本記事では、このネタのタイトルを「ないないなないなない音頭」として扱う。
動画のコメント欄にはネタ自体のユニークさや友田オレの才能などを称賛するものも多い一方で、「このネタの笑いどころがわからない」という声も散見される。なぜか。
このことを考えるにあたって、「あるあるネタ」という概念で補助線を引いてみると、いささか理解しやすくなるように思う。「ないないなないなない音頭」という名称からして、“あるある”の反対なのだし。
「あるあるネタ」は観る側の共感を呼ぶ
あるあるネタの魅力の一つとして、「共感」が挙げられよう。
「うんうん、そうなんだよ」と共感させるような視点を提示して、笑いに繋げる。タイトルからしてわかりやすい例としてはレギュラーの「あるある探検隊」などがあるし、もっと極端にした例はCOWCOWの「あたりまえ体操」などになるだろう。
たとえば、レギュラーの「あるある探検隊」に「3回ぐらいでコツ掴む」というものがある。これは、「(言われてみれば)そうかもしれない」という絶妙なところに光を当てて、観る側の共感を得るものだ。あるあるネタは、普段は意識していないけれども、言われてみれば「あるある!」となるラインを突けるかどうかが、大きなポイントといえる。
これが「あたりまえ体操」になると、「右足を出して左足出すと、歩ける」という、あまりにも単純なことを提示することで「言われなくてもそうだろう」というバカバカしさを生み出す。いわば、“あるある”の極北と言ってもよい。「あるある!」のラインをはるかに超えて、自明のことを堂々と伝える。しかも、ただ言うのではなく、「体操」というもったいぶった発表の仕方によってくだらなさを拡大する。
さて、R-1グランプリにおける友田オレの1本目のネタ「風間和彦」は、あるあるネタだと考えることもできる。「あるある探検隊」と「あたりまえ体操」の中間ぐらいに位置する発想といえなくもない。
大上段に構えてはいるが、実は「辛い食べ物が苦手」「苦手なものを食べると帰りたくなる」「こちらの苦手な物をもっともらしい理由をつけて勧めてくるやつが嫌い」というあるあるを歌い上げている。
発想は「あるある探検隊」、構成は「あたりまえ体操」に近い。シンプルに共感できる話を、歌謡曲のスタイルで大仰に歌い上げることのギャップが笑いを生む。
「風間和彦」とは対象的に、「ないないなないなない音頭」は非常にひねったネタだ。これを1本目に持ってきたら、友田オレが最終決戦に勝ち上がれたか、どうか。
「風間和彦」の次に披露したからこそ、観客は「変な歌ネタをする人」「あるあるっぽい事柄を歌う人」というイメージを友田オレに抱いたままネタを見ることになる。その前提を、友田オレは(知ってか知らずか)うまく利用している。
トリッキーな「ないないなないなない音頭」
「ないないなないなない音頭」は、かなりトリッキーな内容である。
フリップネタでは、ある。しかし、フリップにツッコむのでもなく、“あるある”を披露するのでもない。“ないない”を披露していくというものだ。
この音頭の決めフレーズ、「ないないなないなない ないとぉ!」はかなり耳に残る。音頭の特有のリズムと相まって、ポップですらある。それこそ、「エンタの神様」時代の芸人たちを彷彿とさせるような。
この部分から、藤崎マーケットの「ラララライ体操」、オリエンタルラジオの「武勇伝」といったリズムネタを思い起こすこともできるだろう。あるいは、クールポコのネタにおける「〜がいたんですよー」「なーにぃ!? やっちまったなあ!」というお決まりのやり取りを隣に並べてもよいかもしれない。
ただ、多くのポップなリズムネタや決めフレーズを用いたネタが、ギャグ的なシチュエーション(オリエンタルラジオの「武勇伝」でいえば「魔法のじゅうたん部屋に敷く! すごい! テレビ見てたら天井にガーン!」)や、多くの人が共感できそうなあるあるを伝えるのに対し、「ないないなないなない音頭」はそのような状況を歌わない。
たとえば、有名人を列挙して「向こうは俺のことを知らない」というのは、「あたりまえ体操」にも似た「どうでもよいことを大げさに披露する」流れに近い。1本目の「風間和彦」と同じ構図でもある。
香川照之
デヴィ夫人
堀江貴文
菅田将暉
大谷翔平
和田アキ子
向こうは俺のことを知らない
長い前フリから、しょうもないオチ。これを、ギリギリ“あるある”の範疇ととらえることもできる。
有名人の列挙の仕方が凝っている。「香川照之、デヴィ夫人、堀江貴文」とお騒がせな印象のある芸能人を先に出してから、「菅田将暉、大谷翔平」と好感度の高い有名人ときて、最後に「和田アキ子」と並べる。
観る側に「どういう繋がりなのか、この人たちには共通点があるのか」と考えさせる。そこからの「向こうは俺のことを知らない」という、観客の想像力の下を通過するようなくだらないボケが巧みだ。
ところが、この次は妖怪やモンスターを並べ、「向こうは俺のことを恐れてない」と落とす。急に、“あるある”の延長線上ではなく、ファンタジーな世界に入る。そして曲調が変わり、「どうしてだろう 換気扇は俺を回さない」といきなりシュールな問いを発する。
「ないないなないなない音頭」を観ている側は、何が歌われるのか(≒“ないない”とは何か)を予想しながらネタの展開を追いかけることになるが、友田オレはその定義をかき乱していく。どうやら、主体と客体が入れ替わることが「ないないなないなない音頭」の根幹らしい(俺は向こうを知っている→向こうは俺を知ら“ない”)、ということはわかるものの。
続いて、飲料メーカーを並べて「向こうは俺のお茶を買わない」と落とす。ここは1つ目のボケ「向こうは俺のことを知らない」と同じく、「想像力の下を行く」笑いに似ている。観客は「これらの飲料メーカーと、友田オレの“ないない”はどこで繋がるのだろう」といろいろ予想するが、それを(おそらく)下回る発想の「俺のお茶を買わない」という展開を提示される。
ただ、これは「そもそも、一人の人間が企業にお茶を売らないだろう」という、ちょっと奇妙な世界観も内包している。
問題はここから。シュールが加速していき、「794年」や「1192年」などの年号を並べるくだりだ。
645年
794年
1192年
1582年
1867年
1902年
向こうは俺を語呂合わせない
「向こうは俺を語呂合わせない」。これは、もはや不条理である。年号が人を語呂合わせる、などということはありえない。「主体と客体が入れ替わる(AはBを〇〇する→BはAを〇〇しない)」という言葉遊びのようなやり方を突き詰めた結果、「数字側は人間を語呂合わせで覚えない」という謎の概念が出現する。
「ああ、この展開が続いて、どんどんわけのわからない方向に行くのか」と予想する人も出てくるだろう。ところが、シュールに振り切ったあと、友田オレはいきなり日常的な話に移行する。
バイト先の店長
バイト先の副店長
バイト先のパートの主婦
バイト先の留学生
バイト先の大学生
バイト先の高校生
向こうは俺の指示を聞かない
バイト先の人間を並べ、「向こうは俺の指示を聞かない」という、きわめて一般的な職場での嘆きに繋げる。
ここで、仮に「バイト先の店長が俺の指示を聞かない」だけならこれまでの流れとなるのだが(主体と客体が入れ替わる=「俺はバイト先の店長の指示を聞く」の逆)、「大学生」「高校生」という若い世代も出てくるので、単純に「バイト先で人望がない」という、唐突な「情けないエピソード」に着地するのだ。
「バイト先で人望がない」。これはピン芸に限らず、漫才でもコントでも普通に出てくる設定だとは思う。“ベタ”である。人によっては、“あるある”にすら感じられるものだ。ただ、主体と客体が入れ替わる「ないないなないなない音頭」の展開からすると、急な方向転換になる。
そして曲調が変わり「ベルマークは俺を集めない」という不条理路線に戻ったあと、「僕は君のことを夢に見るけれど……」と恋愛的な世界観を予想させる前フリから、「This Man」を使ってホラー路線気味にして終わらせる。
観る側の予想が外されていく
こうやって並べてみると、「ないないなないなない音頭」を観る側は、次から次へと予想を外されていくことがわかる。
一番最初のボケからして、「芸能人の名前を列挙するということは、何らかの共通点があるのか?」と思わせている。「ないないなないなない音頭」というタイトルからして、芸能人の名前を並べられたら「あるなしクイズ」のようなものを想像してしまうのではないだろうか。「この芸能人たちには〇〇が“ない”」というような。
そこから、「向こうは俺のことを知らない」という当たり前の話にズラす。
怪物の名前を列挙して「向こうは俺のことを恐れてない」も、そもそも怪物が人間を恐れることなど普通は考えない(というか、現実的にそのようなシチュエーションは考えづらい)。これは、「主体と客体が入れ替わる」のが「ないないなないなない音頭」のテーマなのだ、というフリとして機能している。
あるいは、「向こうは俺のお茶を買わない」の脱臼ぶり。「自分は相手のことを知っている/相手は自分のことを知らない」はまだ“あるある”の範疇になるが、「相手は自分のお茶を買わない」という関係性は企業と個人の間ではまず成立しない。あるあるネタに求められる「共感」がそこにはあまりない。
不条理な年号ボケの「向こうは俺を語呂合わせない」のあとに、いきなり「バイト先の人間が自分の指示を聞かない」という自虐が来るのも変化球といえる。
もし、「バイト先の人間が自分の指示を聞かない」が1つ目のボケだとしたら、「ああ、このネタは、友田オレが日常でいろいろな悲しい“ないない”に遭遇するというネタなのだな」と思うだろう。不可思議な「俺を語呂合わせない」というフレーズのあとに提示されるからこそ、観客は「え、急に日常的な話を?」と戸惑う。
こうなると、最後の恋愛的な話かと思わせて不気味な顔(This Man)を出すのは、むしろ予想の裏切り方としてはわかりやすいのかもしれない。
“ないない”の内容が一貫していない
このネタを「わからない」と感じる要素として考えられるのは、まず、“ないない”の内容が一貫していないことだろう。
「向こうは俺のことを知らない」には納得できるが、「向こうは俺を語呂合わせない」に関しては発想自体が理解しにくい。「俺の指示を聞かない」は、“ない”で終わっているのに悲哀を感じる“あるある”になっている……。
どのボケも、「(俺は向こうを〇〇する→)向こうは俺を〇〇しない」という点では共通しているものの、それぞれの“〜ない”自体に、共通する要素が希薄なのだ。だから、一定のパターンを次々と羅列する歌ネタ・あるあるネタ系のネタだととらえようとすると、どうにも“わからない”ネタに見えてきてしまう。
1本目のネタが、「どうでもよいことを大げさに披露する」「歌が上手い」ことを活用した展開。そして2本目のネタが始まり、音楽が流れ、ステージにはフリップが用意されている。多くの人が、「フリップを使ったあるあるネタを歌う」と予想しただろう。
しかし、そこで披露されたのは、徹頭徹尾ひねった展開を続ける、いわば「フリップを使ったネタ」をメタ化した(しかし、曲調はポップで耳に残るフレーズも入っている)、ピン芸の常識を逆手に取ったネタだった。「風間和彦」をやった芸人の2本目であるということも、予想を裏切るスパイスになっていた。
「R-1グランプリ2025の最終決戦は、3人ともフリップネタだったじゃないか」という苦言もあった。確かにそうではある。ただ、友田オレに関しては、「フリップを使ったピン芸」という“あるある”を裏返したネタだったようにも思う。読んで字の如し……ではないけれど、「ないないなないなない音頭」というテーマ自体が、“あるある”の反対(“ないない”)の概念を提示している。
だから、「あのネタの笑いどころが“わからない”」という意見は理解できる。観る側の予想を「外していく」ネタだからだ。
強引な言い方をすれば、「笑いどころのパターンを定めない」というのが笑いどころになっているネタである……とも説明できるかもしれない。
大喜利的な「わかった!」という考え落ちでもない
もう一つ、「ないないなないなない音頭」を「わからない」と感じる要素として考えられるのは、(先述した「“ないない”の内容が一貫していないこと」の延長線上の話だけれど)このネタが「どういうことだろうと考えてから、わかった! という快感が生まれる」ような、いわゆる「考え落ち」ではないことだ。
「ないないなないなない音頭」は、フリップネタでよく見かける「フリップに描いてある絵や文章にツッコミを入れて説明し、観る側に面白さを伝える」ような、大喜利的なパターンでもない。
芸能人の名前を列挙して「向こうは俺のことを知らない」とするのも、「換気扇は俺を回さない」と呟くのも、そもそも「考えればわかる、謎かけ的なボケ」ではない。
怪物の名前を並べて「これらの共通点は?」と振られて、「向こうは俺を恐れていない」と答えた場合、(単純すぎるがゆえの面白さは、もしかするとあるかもしれないものの)大喜利としてはイマイチな回答だろう。ひねってもいないし、「わかった!」という考え落ちでもない。
ネタにおける“ないない”の定義が曖昧なまま進んでいくので、大喜利的な「わかった!」「うまい!」という快感(≒共感)が薄い。むしろ、“ないない”のテーマがしっかり定まっていないことが、予想を外していく構成として機能している。
かなりひねった作りといえるし、その中に散りばめられた笑いどころ、ボケの内容を(パターンが予想しにくいゆえに)わかりにくいと感じる人がいるのは自然だとも思う。
一昔前の歌ネタにありがちな「こういう展開だから、次はこう来る」というパターンに沿わせない。あるあるネタや大喜利にある「うまいことを言っているな」という快感も薄い。音頭の耳馴染みの良さと友田オレの小気味良い動きに反して、ボケの内容が安定しない。
やや不条理な路線に行ったかと思いきや、「バイト先で無視されている」という“あるある”寄りの話を急に放り込んでくる。そのひねり方、観る側の想像の斜め上/斜め下を徹底して通すやり口が予想しにくいというのは当然の話だ。
もっと言えば、「ボケの内容が予想しにくい」「こういうボケではないか? と思ったら外される」というところが、このネタの独自性を担保しているのだから。
ありふれたフォーマットに見せかけて……
“ないない”の内容が一貫していない。それぞれのボケが、いわゆる「考え落ち」ではない……。そのあたりが、「ないないなないなない音頭」を「わからない」と感じる人がいる理由に繋がっているのではないか。
そう感じる人たちのセンスが悪いというのではなく、(もちろん、好き嫌いはあるにしても)「あるあるネタ」的な、あるいは「わかった!」という大喜利的な、共感/快感を求めようとすると、どうにもピンと来なくなってしまうのでは、と。
一方、お笑いをよく見る人からすると、「裏切られることの快感」のようなものを感じさせるネタでもあるのかもしれない。一つひとつのボケは、くだらなかったり、シュールだったり、ベタだったりするが、次に何が来るのかは予想がしにくい。
そもそも、見慣れた(人によっては食傷気味ですらあるかもしれない)フリップネタであり、歌ネタというフォーマットだからこそ、観る側の想像を裏切り、テンプレを細かく外していく異化効果も生みやすい。
大前提として、「曲調が明るい」「『ないないなないなない』のリズムとフレーズが覚えやすい」「友田オレの歌が上手すぎる」という点も重要だと思う。
端正で伸びやかな声で、明るい楽曲。音頭らしい決めのフレーズ。この土台があるから、「予想を外される」ことのギャップが生まれる。これが変わった声で変な曲を歌われていたら、「外された」という印象は薄まってしまうのではないか。あるあるネタと思いながら、フリップネタだと考えながら見ると、「おや?」とズレるのは、ポップな土台があるからこそ。
逆に言えば、「ないないなないなない音頭」がいかにも既存のリズムネタ/歌ネタ“っぽく”見えるからこそ、その路線(既知のネタの文脈)を求めて見てしまう=「わからない」という感想を抱く人が出る、ということでもあるのだけれど。
「ないないなないなない音頭」というタイトルと、音頭のリズムを使ったキャッチーな曲調、「ないないなないなない ないとぉ!」というフレーズ。先述したように、テレビ番組でいえば「エンタの神様」的なデリバリーで紹介されてもおかしくないフォーマットではある。
いかにも「日常で感じる“ないない”=多くの人が共感を呼ぶ“あるある”」を発表するようなノリなのに、次に何が来るかはわからない。それは不条理であり、シュールでもある。
しかし、「ないないなないなない音頭」というフォーマットがポップであるがゆえに、友田オレが美声で楽しげに歌い上げるがゆえに、マイナーでとっつきにくい雰囲気は醸し出されない。
ありふれたフォーマットに見せかけて、観る側の予想を外していく。ボケの展開は掴みにくいが、歌ネタ・リズムネタ的な要素は十二分にキャッチー。これらの相反する要素が内包されていることが友田オレの2本目のネタにおける魅力であり、一方でシンプルな「共感」を求める人(これ自体は決して悪いことではない)には飲み込みにくい要素でもあるだろう。
「ないないなないなない音頭」がわからないと感じる人は、ネタの中にある相反する要素の片方だけに注目してしまっているのかもしれない。
ただ、それは“お笑い芸人のネタを見る”際にはきわめて一般的な見方であって(つまり、そういう見方が「間違っている」のではなくて)、その前提を逆手に取った作り方をしているのが友田オレのネタである……ということになる。
ちなみに、「大喜利的な歌ネタ」も友田オレは得意としている。彼のYouTubeチャンネルで公開されているネタだと、「どうにかできたはず」などがそれに当たるのでは、と思う。これと「ないないなないなない音頭」を続けてみると、後者が“ひねっている”ネタであることがわかりやすいかもしれない。
ピン芸の理想といえるかもしれない
話がやや横に逸れるが、お笑いの舞台で理解に時間がかかりそうなボケをした場合、漫才だとツッコミが解説してフォローできる。2024年のM-1グランプリでいうと、真空ジェシカが好例だ。
川北「私がパンに手を伸ばしたときに、偶然、妻と手と手が触れ合いまして」
ガク「おっ……トングを使わない2人が!」
ツッコミ役がいれば、ツッコミによって「今、面白いことを言いましたよ、こういうボケですよ」というサインを送ったり、ボケを補足したりということができる。
ピン芸だと、それは難しい。ボケを理解できるかどうかは、観客の想像力に委ねなくてはならない。あるいは、自分で解説するという手段もある(たとえば「ボケ」をフリップに委ねて、それにツッコむなど)。
また、コント部分の芝居の上手さに関しても、「芝居は上手いけれど、バカなことをやっている」と相対化して指摘できる役のツッコミが不在だと、“お笑い”として考えたときに端正に見えすぎてしまう可能性もある。
R-1グランプリにおける友田オレはどうか。「風間和彦」は「観客の想像していること未満のわかりやすいボケ(≒あるある)を、大仰に歌ってギャップを作る」ということをやっている。
これを、大喜利として考えてみよう。「辛いものを食べるとどうなる?」という問いに対して、「家に帰りたくなる」。これは理解に時間がかかるどころか、逆に「単純すぎておかしい」というパターンだ。審査員のバカリズムの「ずっと狭いところをウロウロしている」という評価がまさに的確。想像していることよりも上のことが出てこないというくだらなさ。
こぶしを効かせた3回目の「俺はぁ〜」で笑いが起きたのは、そのあとにくるものが「(おそらく)単純な、しょうもないこと」だと観客が理解したあとだからと考えることもできる。
そして、「俺は(辛いものが好きな立場から苦手な人に勧めてくる)お前が嫌い」というシンプルに共感できる……それどころか、シンプルすぎて「予想を下回る」バカバカしいフレーズが出たからこそ、爆笑が生まれたのだろう。
それに対して、「ないないなないなない音頭」は、大喜利的ですらない。大喜利の回答に対する褒め言葉で「うまい!」というものがあるが、何しろ“ないない”であり、その定義すら一貫していないので、上手いのか下手なのかもわからない。観客の予想をことごとく外してくるので、極論すれば、解説があってもなくても構わない……ということになる。
2つのネタに共通していえることだけれども、歌が上手いことが、(お笑いとして見たときに)マイナスにならない。「辛いものが苦手」「何を言っているかわからない」ということを美声で歌い上げるギャップは、「(こんなに良い声なのに)何をやっているんだ」というツッコミどころになる。
「風間和彦」で「辛い食べ物を食べたとき 顔が赤くなる人」と歌う部分では左手を頬に当ててはにかんでみせたり、「ないないなないなない節」で「どうしてだろう〜」と歌う部分では遠くを見つめてみたりと、しれっと“歌い慣れた仕草”を見せてくるのもズルい。この部分には、「こんな変な歌で、そんな上手い仕草をしなくても……」という、「(動きが)やかましいわ」的なツッコミもできる。
そう考えると、友田オレが決勝で披露したネタは、ピン芸の理想といえるかもしれない。ありふれたフォーマット(歌ネタ、フリップネタ)を装いつつ、「観客の想像以上のことを出さない」「観客が予想できない範囲の答えを出し続ける」ことで、ツッコミによる解説がなくても成立するネタに仕上げている。
「ずっと1人で何をやっているんだ」
「ないないなないなない音頭」は、ツッコミによる解説がなくても成立する。その証左が、2回目の「どうしてだろう〜」という曲調の展開から「ベルマークは俺を集めないないなないなない」と歌い、鈴の音から音頭のリズムに戻る部分ではなかろうか(動画でいうと02:52〜)。
観客は明らかに、「ベルマークは俺を集めないないなないなない」だけではなく、「どうしてだろう」と“曲調が変わった部分”と、“鈴の音から音頭のリズムに戻る部分”でも笑っている。つまり、「予想できない、何か変なことを言うぞ」というネタへの期待と、友田オレのすました顔でリズムを取る動作の珍妙さに対しても笑えているのだ。
この時点で、観客は“ボケ単体を理解して”笑っているだけではなく、(次に何が来るかはわからないが、まさに「何が来るかはわからない」ことが期待できるという)「予想できないことを言う」というネタの展開、友田オレ自体の不審な動作=「この人は、変な人である」というキャラクターそのものを“理解”しているのだろう。
この考えが正しいとするならば、一つひとつのボケを噛み砕いて理解しなくとも、友田オレが演じているネタと、友田オレという存在そのものに対して、「(こんなに良い声なのに)ずっと1人で何をやっているんだ」というツッコミを(頭の中で)入れられていることになる。
そもそも、「ないないなないなない音頭」のネタで最初に笑いが起きているのは、「夏の思い出は尽きないないなないなない ないとぉ!」と目をパチパチさせながら珍妙に歌い上げるところだ(動画でいうと0:35〜)。ここではネタの種明かしではなく、「変な人」という印象で笑いを取っている。
そこに、大喜利的な思考力は必要ない。「風間和彦」のネタの際に、「俺はぁ〜」という前振りで、辛いものが嫌いというだけのことを朗々と歌い上げたときと同じように。「変なの!」という感想、これだけでいい。
先ほど、「ありふれたフォーマットに見せかけて、観る側の予想を外していく。ボケの展開は掴みにくいが、歌ネタ・リズムネタ的な要素は十二分にキャッチー。これらの相反する要素が……」などと書いたが、こういう分析的な考え方をせずとも、要するに「ずっと1人で何をやっているんだ」というしょうもなさが醸し出されていることが、最大のポイントだと思う。
漫才でもなく、コントでもなく、ツッコミ役もいない。「(歌が上手いのに/曲調自体はポップなのに)ずっと1人で何をやっているんだ」と思わせるのは、ピン芸でしかできない面白さだろう。漫才でのツッコミもいない、コントでの驚き役もいない中、ただただ「優れた歌唱力でどうでもいい歌詞の曲を歌う」ことに、観客がツッコめる余地が生まれる。
これを言うのは反則な気もするけれど、友田オレの外見が「一見すると真面目な好青年だが、何を考えているかわからない雰囲気もある」という点も見過ごしてはいけないのかもしれない。そういう人間が変な歌を真面目に歌い上げるからこそ、「どうしてこの人が……」という面白さに繋がるわけで。
裏を返せば、「ずっと1人で何をやっているんだ」という笑い方ではなく、「こういうふうに振って、こういうふうに落とす」というパターンを探して「ないないなないなない音頭」を見ようとすると、急に「わからない」要素が出てきてしまう、とも言えるのだけれど。
(そして、これは余談だが、筆者が「ずっと1人で何をやっているんだ」という感情をもっとも抱いたピン芸人はハリウッドザコシショウである。そのハリウッドザコシショウが、審査員として友田オレに高得点を与えなかったのは、「ずっと1人で何をやっているんだ」というテーマの提示の仕方にあると考えている。もっと王道のバカバカしさをハリウッドザコシショウは求めている/求めていたのではないか)
「変な曲を歌っている人」を演じているのか?
最後に。友田オレのR-1における1本目のネタのタイトルが、(本人のYouTubeチャンネルによれば)曲名の「辛い食べ物節」ではなく、歌手名の「風間和彦」なのは興味深い。
このタイトルは、「変な歌を40年以上歌っている人間」というネタであることを意味しているはずだ。つまり、「辛い食べ物節」という歌そのものを指す視点とは若干異なっている。
乱暴に言えば、「風間和彦」というタイトルは、「辛い食べ物あるある」そのものがテーマなのではなく、「辛い食べ物あるあるを“ずっと歌っている人”」がネタの主役であることを示唆している。
友田オレは、「辛い食べ物節」や「ないないなないなない音頭」という歌ネタを持つ芸人ではなく(そういう持ちネタのピン芸人は無数にいるだろう)、「変な曲を歌っている人」を演じるのが得意な芸人なのだろうか。
友田オレの持ちネタとして「辛い食べ物節」や「ないないなないなない音頭」があるのではなく、「どうでもいいことを40年以上も歌い続けている歌手」「まったく定義が一貫しない奇妙な音頭を歌う人」をネタで演じる、という具合に。
「風間和彦」のボケは極論すれば「俺はぁ〜」からの3つしかないし、「ないないなないなない音頭」はおよそ3分30秒で終わる。「もっと笑いどころを詰め込んだほうが……」と考えたくなるが、そもそもあれは歌の中で単体の笑いどころを作っているのではなく、始めから終わりまでずっと面白おかしく「変な曲を歌っている人」をやっているだけなのか?
つまり、「風間和彦」の本質は「自分の嫌いなものに対する曲を40年以上も朗々と歌い続けている異常性」にあり、「ないないなないなない音頭」では「よく意味のわからない音頭を楽しそうに歌っている異常性」にあることになる。
1本目にしても、2本目にしても、友田オレのネタはありふれたフォーマットを斜めから見ているのかもしれない。歌ネタ、あるあるネタ、フリップネタそのものではなく、それらの要素を内包している「変な曲を歌っている人」のネタなのだとしたら。
狙っているのかどうかはともかく、「ずっと1人で何をやっているんだ」と観る側に思わせるような人間そのものを演じようとしているのではないか。
既存のピン芸の文脈で彼のネタを見ようとすると、想像を少しずつ外されていくのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。



コメント
2分析が丁寧でめちゃくちゃ面白かったです。お笑いを見れば見るほど、「踏まれているエリア」が多くなって笑えなくなってきますが、友田オレさんの今回のネタは「踏まれていないエリア」ばかりで爆笑してしまいました。
This Manの件は何割の方が分かって笑っているのか、気になりました。どう思われますか?テンポでなんとなく笑っているのでしょうか。
>お笑いを見れば見るほど、「踏まれているエリア」が多くなって
今回の友田オレのネタは、学生芸人として活躍した彼らしく「踏まれているエリア」をどのようにして開拓していくかという視点もあったように思います。ひねったがゆえにシンプルになった1本目と、ひねってひねってズラし続けていく2本目と。審査員ウケが良かったのも理解できます。
This Manのくだりは、もちろん観ている人たちに通じるに越したことはないのですが(粗品が解説をちょっと入れてましたね)、流れとしては「恋愛の話かな?」と思わせて奇妙なオチに繋げるのが主眼ですから、「想像と違った」という印象を与えればそれでよかったのかもしれません。This Manの顔を出したときに、友田オレがよく見ると「えっ?」みたいなリアクションをしているんですよね。あの動きも込みで、「想像と違った」という流れが伝われば良い、と本人は割り切っていたのかな〜と。