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■まとめ記事
(2025年3月11日の放送内容を基にしています)
男性「生成AI最近仕事で使いますね」
女性「モバイル充電器。モバ充。フル受電2回分。命の次に結構大事なもの」
急速に高まっている電力需要。
その電力をまかなうため、日本はいま、大きな転換点を迎えています。
原発を活用する動きが加速しているのです。
一方で、14年前の原発事故の後処理は、未だ積み残されたままです。
ようやく試験的な取り出しがはじまった、核燃料デブリ。先の長い、処理水の海洋放出。
なかでも今なお人々の生活再建を阻んでいる課題があります。原発事故で広がった放射性物質を含んだ土、“除染土”です。
国は除染土を福島県外で最終処分することを法律で約束していますが、受け入れ先はいまだ決まっていません。
除染土の一部はいま、福島のある集落に運び込まれています。国に復興を進めてもらうために。
中間所蔵地区の元区長「これをやらないと、前に進まないので。本当に苦渋の選択」
大崎要一郞キャスター「立ち並ぶクレーンや排気筒。今から14年前に事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所です」
大崎要一郞キャスター「あの事故の後、日本は可能な限り、原発に依存しない社会を目指してきましたが、先月(2025年2月)閣議決定されたエネルギー基本計画では、原発を最大限活用する方針が明記されました。私は原発事故の発生以来、福島の取材を続けていますが、電気を使う私たちが、いま忘れてはいけないことがあると感じています」
大崎キャスター「特にいま目を向けるべきは、私の後ろに積まれたこちら。放射性物質を取り除く除染で出た、”除染土”をめぐる問題です。ここは中間貯蔵施設と呼ばれ、1400万立方メートル、東京ドーム11杯分の除染土が保管されています」
大崎キャスター「かつて3000人が暮らしていたこの場所。国は30年以内に除染土を福島県の外で最終処分すると約束しています。ところが、その見通しが立たないばかりか、今もなお、増え続けているのです。除染土をめぐって、何が起きているのか。まずはその実態を見ていきます」
<除染土をめぐる 国の約束はいま>
いまも帰還困難区域が残る福島県浪江町・津島地区です。除染作業が進められています。
放射性物質が付着した土や草木を取り除き、生活空間の放射線量を下げる除染作業。福島県内43市町村で行われ、ようやくこの地域でも進められるようになりました。
除染を待つ住民「毎週来ているんですよ。みんなきれいな整地になればね、やっぱりここに戻ってきたいという気持ちが出てくるとは思う」
地域には、住宅の再建や帰還をあきらめるなどの理由から、取り壊されていく家もあります。
廃材は焼却され、放射性物質を含んだ灰となります。こうした、除染土や灰の一部が中間貯蔵施設に運び込まれ、その量は今も増え続けているのです。
大熊町で生まれ育った門馬好春さん。実家は、原発の敷地から200メートルの場所にありました。
門馬好春さん「原発爆発して、こんな状況ですよ。実家があった跡です。この辺が玄関ですね」
あたり一帯は中間貯蔵施設になっていて、除染土がうず高く積み上げられていました。
門馬好春さん「この辺はもう完全に私の田んぼ。田んぼと言えるか?」
取材班「墓石を横にしてあるのは、どういう意味が?」
門馬好春さん「魂完全に抜いている。ウチと同じように、(魂を)ほかに持って行っているけど、ウチはわざわざそこまで(墓を横に)やっていない」
門馬好春さん「今までもいろんな形で被害者が妥協したり、中間貯蔵場所をつくる時もそうなんですよ。はじめから我慢している」
なぜ事故で被害を受けた地域に、中間貯蔵施設が造られることになったのか。
その判断に関わった、当時の福島県知事、佐藤雄平さんが取材に応じました。事故から半年ほど経ったころ、政府から打診があったといいます。
前福島県知事/佐藤雄平さん「菅総理がお見えになって、突然『中間貯蔵施設を』という話になったから、もう全くね、寝耳に水の話だった。すぐ『お帰り頂きたい』と言って、帰っていただいた」
打診の理由は、福島県内の除染を進めるために、除染土の保管場所を確保したいというものでした。実際、除染が進むにつれ、「庭先保管」とよばれるほど、各地に除染土があふれていきました。
行き場のない除染土をどうするのか。
佐藤さんは、原発の周辺に集めるという国の提案を、受け入れざるを得なかったといいます。
前福島県知事/佐藤雄平さん「町村にまだあるということ自体が、印象として、『あそこはやっぱり放射能が危ない』という間接的な印象になる。各町村に残されている放射性廃棄物を処理することが、福島復興の大前提。それはどこか1か所に集中しなきゃいけない。これはいずれ覚悟しなきゃいけねえなと、最終的に苦渋の決断をした」
国は、福島だけに負担を負わせないとして、いずれ福島県外で最終処分することを提示。佐藤さんはそれを法律に明記することを求めました。
除染土は搬入を開始した年から30年以内、2045年までに福島県外で最終処分を完了することが法律で約束されたのです。
搬入が始まって、既に10年。最終処分の候補地は、決まっていません。
環境省が地権者向けに開いた説明会。約束は本当に守られるのか。門馬さんは焦りを感じています。
門馬好春さん「『福島県民のために犠牲になってくれ』という話で、中間貯蔵を受け入れさせられたわけですから。事業終了に向けて、全力で取り組んでいただきたい」
30年の約束を守るため、国はある事業を進めようとしています。
埼玉県所沢市の住宅街。3年前、その近くに福島の除染土が運び込まれる話が持ち上がりました。
市民グループ代表/村上三郎さん「あのコンクリートの舗装の向こう側が芝生になっているんですよね。そこの一部を、穴を掘って除染土を埋めて」
環境省が所有する、研修施設の中庭です。
市民グループ代表/村上三郎さん「10トン積みトラック6~7台分って書いてあります。“再生利用”を実施するということなので」
中間貯蔵施設の除染土は、放射性物質の濃度が、国の基準より高いものと、低いものに分別されています。このうち基準以下の除染土は、全体の4分の3を占めます。
これをできるだけ多く、全国の公共土木事業などに再生利用することで、最終処分する量を減らす方針を国は打ち出しました。
活用する場所として想定されているのは、道路や堤防の基礎部分。除染土には、上から土を被せ、放射線を遮ります。被曝量を一般の人の限度にあたる、年間1ミリシーベルト以下におさえ、安全性を確保するとしています。
所沢で持ち上がったのは、この再生利用を進めていく糸口としての実証事業でした。
周辺には、病院や学校があり、住民の一部は強く反対。計画は中断しています。
市民グループ代表/村上三郎さん「小学生でも中学生でもね、通学に通りますし。すぐそばに、保育園があるんですよ」
市民グループは、国の進め方に、納得できないといいます。
市民グループの女性「もともと放射性廃棄物は、固めて動かさないのが基本だと聞いていたので、なんでそんなことをするんだろうって」
市民グループの男性「ちょっと冷たい言い方になるかもしれないですけど、あそこで出たものはできれば(福島の)施設で、ダメでもその地域で保管してもらう」
同じような実証事業は、新宿やつくばの環境省の施設でも計画されましたが、住民の反対などで進んでいません。
環境省 環境再生・資源循環局/中野哲哉 参事官「地域の皆さまや、国民の皆さまには、まだご不安のところもあると思いますが、科学的な根拠をもって検討してきたものを携えて、より具体的な国民の皆さまへのご説明が必要」
2024年末、門馬さんは東京で開かれた、ある会合を訪れていました。
除染土の再生利用について、所沢の市民グループなどが集まった集会。反対する人たちの意見を知りたいと考えたからです。
参加者男性「新宿御苑の遊歩道の裏側あたりに持ち込み予定地があるわけですけれども、この通りは大変人通りも多いし、交通量も多い通りなわけですよ」
市民グループ代表/村上三郎さん「所沢と同じような問題が、全国で起こるのは目に見えている」
門馬さんは、この場で意見を求められました。
門馬好春さん「私としては、ふるさとである福島県大熊町双葉町、そちらの方と、多くのそれ以外の地域での対立や分断、そういったものを望むものではないので」
除染土を、早く外に運び出してほしいと願ってきた門馬さん。しかし、県外の人たちの声を聞き、簡単な問題ではない事をあらためて感じていました。
門馬好春さん「結果として、“福島県”対“福島県以外”の対立構造になっている。そういうことは、私はいちばん心配しているので、やはりきちっとお互いが相互理解をしていかなきゃいけない」
福島県外での実証事業が一向に進まないなか、除染土の再生利用を受け入れることにした集落があります。原発から北西に30キロ。福島県飯舘村、長泥地区です。
除染土の受け入れの決断に関わった当時の区長、鴫原良友さんです。
長泥地区 元区長/鴫原良友さん「これはおらの土地で、フレコンバッグが3段か4段くらい高く(積み上がっていた)。(いまは)こういう状態なのよ。草がボウボウで。自分の土地であっても、環境省の管轄なのよ。自由にできない」
長泥地区では、7年前から環境省が除染土の再生利用の実証事業を行っています。
環境省 福島地方環境事務所/岸秀蔵 課長「いま見えている土50cmぐらいですね。山砂と、よその田んぼの土を混ぜた状態になっていますけれども、その下に再生資材(除染土)が埋まっている状態です」
除染土の上に、厚さ50センチの新しい土をかぶせ、米や野菜、花などを栽培。放射性物質の吸収について調べています。
良友さんは自宅の跡地に建てたプレハブ小屋に、避難先から毎月通っています。
水道は、掘りなおした井戸水。まだ誰も戻っていない集落に、ただひとり、1週間ほど寝泊まりします。
長泥地区 元区長/鴫原良友さん「プライドだベさ。もう逃げないっていう意地だよ。自分でもわからなくなるときもあるしな。なんでそんなに頑張るんだか」
北西方向に汚染が広がった14年前の原発事故。長泥地区は、村内で最も放射線量が高い地区となり、帰還困難区域に指定されました。
除染の計画がようやく示されたのは、事故から5年後。対象となるのはわずか3ヘクタールで、ほとんどの家は含まれていませんでした。
村は国に対し、除染範囲を広げるよう強く求め、2年後、全世帯の8割が対象になります。
その直前に、長泥地区は、再生利用の実証事業に協力することを求められていたのです。
長泥地区 元区長/鴫原良友さん「俺だけで判断できないよって。村に入ってもらったり国の人も、何回も長泥住民と意見交換会で集まって」
かつて75世帯、280人が暮らしていた長泥地区。米や花作りが盛んで、人々の繋がりの強い山里でした。
長泥地区 元区長/鴫原良友さん「やっぱし生きていくために、いちばんは人間関係だよ。長泥の人たちは穏やかで、本当に協力心もある、団結力もあるし。住んでいて楽しかったよな」
少しでも、住民が帰ることが出来る可能性が広がって欲しい。良友さんは悩んだすえ、除染土を受け入れました。
鴫原良友 長泥行政区長(当時)「完全に喜んで、引き受けられるわけにもいかないんだけれども、これをやらないと、前に進まないので」
良友さんの一番の願いは、長泥地区の生業である、農業の再生です。
4年前から実証事業の田んぼで米作りに協力。いま放射性セシウムの値は、国の食品基準の200分の1です。
しかし実証事業で作った米は、あくまでも検査のためのもので、出荷せず、廃棄することになっています。
この日、もどかしい思いを、環境省の現場職員にぶつけていました。
鴫原良友さん「本当のもっと、いろんな(消費者の)意見だとか声を聞きたい。長泥をどんな目で見てんだかっていう。責任者出てこいって俺は言いたい。言い過ぎるかな」
除染土を受け入れたのは正しかったのか。
良友さんは、かつて投げかけられたある言葉が、頭から離れないといいます。
鴫原良友さん「2年、3年前くらいかな。『あんたのやっていることは、50センチ下は放射能なんだ』、『あなたたちの(除染土)は永久的だべ』って。やっぱし自分に責任ちょっとあると思うから、グサッとくる。これは聞いたから、(脳裏から)取れることはない。くさびを打たれたみたいで」
去年(2024年)秋、長泥地区の公民館で、ある催しが開かれました。
集まったのは、避難先に散らばっていた住民や、ボランティアの大学生達です。みんなで作ったのは、長泥地区の米を使ったおにぎり。これまで廃棄を余儀なくされてきましたが、この場に限って、食べることが許可されました。
「美味しい。めっちゃ美味しい」
鴫原良友さん「これが飯舘の試験栽培で作ったお米。いただきます」
原発事故後、初めて食べる、ふるさとの米です。
鴫原良友さん「おいしい。この1年かかって、この米を作るので、我が子っていうのは大げさだけど、そのくらい力を入れて。大事にな」
鴫原良友さん「おらはここから出るわけにも、逃げるわけにもいかないんだよ。自分が命なくなっても、(この地区を)見ていたいなって。希望っていうか。それしかない。将来100年200年たったって、ずっと俺は見ている」
大崎キャスター「ずらりと並ぶ、このシートの中にあるのが、ここ長泥地区に運び込まれた再生利用のための除染土です。全国で理解が進まない中、今年(2025年)2月には、中間貯蔵施設の立地する双葉町の町長も、『福島県内でさらなる受け入れを検討する必要がある』と発言しました」
大崎キャスター「こうした状況に、国も、待ったなしだとして、福島県以外での理解を求める取り組みを強化するとしていますが、被害を受けた福島の人たちだけが先頭に立つこの状況を、そのままにしておく訳にはいかないと思います」
大崎キャスター「今、生成AIや動画サービスの普及によって、日本各地にデータセンターと呼ばれる施設が急増していて、皆さんが普段使われている動画のサービスや、SNSのサービスとかデータがため込まれています。これらは膨大な電力を必要とするため、原発に回帰する理由のひとつとされています」
大崎キャスター「14年という時間は、私たちの生活をより便利に変えましたが、ここにも忘れてはいけないことがあります。福島では、その時間の経過によって、新たに厳しい決断を迫られている人たちがいるのです」
<今も続く除染 迫られる決断>
除染作業が進められ、2年前(2023年)、一部で避難指示が解除された浪江町津島地区です。
三瓶春江さんは帰還を待ち望んできました。4世代10人の大家族で暮らしていた我が家。避難生活の間に、野生動物に荒らされていました。
三瓶春江さん「これが子ども、孫たちの跡だね。マジックの」
三瓶春江さん「お正月の暮れには、ござを敷いて、しめ縄を全員家族がそろって、おじいちゃんの指導のもとでワイワイ騒ぎながら、たわいもない話をしてたりとか。そういったことをしていると、これが家族の幸せなんだなと思う瞬間だった」
三瓶春江さん「帰りてえって言っていました。津島に帰りたいって」
この家を建てた義理の父、陸さんから後を託されていた春江さん。家を残して戻るのか、それとも諦めて解体するのか。国が解体費用を負担するのは、避難指示解除から一年限りのため、判断を迫られていました。
三瓶春江さん「ふるさとから追われて、つらい思いをしている人たちに、もう1度『自分の家を壊すか壊さないか決めなさい』と。『この期間内に決めなさいよ』と言ってるわけじゃない。自分の家を簡単に解体しますって決められるかと」
この10年、津島地区600人以上の住民は、国と東京電力を相手取り、「地区全域を除染して、多くの住民が戻れるようにしてほしい」と、訴えてきました。春江さんも原告団の1人です。
春江さんが取り戻したいのは、かつての津島の暮らし。しかし、10年におよぶ裁判闘争でも全面除染は認められず、共に戦ってきた人たちは、100人以上減っています。
春江さんは、それでもあきらめたくないと、全国各地で応援の署名を募っています。
三瓶春江さん「(原発)事故なんてもう終わったでしょって思っている人が多いと思うんだよね。みんなに広めたい。何とかそれに向き合ってほしい。原発事故は私たちだけの問題じゃないよ、国民全員の問題なんだよっていうのを、知ってもらいたいがために、いま私たちは活動している」
そんな春江さん自身が、津島に帰るかどうか選択を迫られていました。
この日、春江さんが招いたのは、ジャック・ロシャール教授。放射線防護を専門とし、チョルノービリ原発事故の被災地で住民の支援に携わりました。
春江さんには確かめたいことがありました。子どもや孫たちと安心して暮らすことができるのか、ということです。
三瓶春江さん「いまの状況の中で、子どもたちや次世代が原発事故の前のように戻って生活をできるのかどうか」
ジャック・ロシャール教授「世界中どこでも、放射線のリスクについて議論がある。『低線量の被ばくは問題ではない』という人もいれば、『被ばくがいかなるレベルであってもリスクだ』という人もいる。とどまるべきか、避難するべきか、帰還するべきか、子どもたちはどうするべきか。この質問を私は何度も聞いてきた。私の答えはいつも『あなたが決めるしかない』です。わかっています、とても難しい判断でしょう、よくわかります」
春江さんはある決意を固めていました。
三瓶春江さん「津島のね、家あるでしょ。おじいちゃんとおばあちゃんが建てた家。解体したくないとは思うんだけど、ずっと置いておくわけにもいかず、うん。もう解体するしかないかなって」
義母のミサ子さんは解体の承諾書にサインをしました。
義母・ミサ子さん「せっかく建てた家、壊すなんて、やっぱり忍びない」
2025年1月、自宅解体の日。
津島に帰ることを、諦めたくない。けれど、今家族と一緒に帰ることは難しい。長い歳月がもたらした決断でした。
三瓶春江さん「幸せだった生活がここにはあったわけだから、それが家なくなっちゃうと、みんな消えてしまう感じも感じるところかな」
解体された住宅は、燃やされるなどした後、除染土を保管する中間貯蔵施設に運ばれていきます。
春江さんは、家族の身長が記された思い出の柱だけは、残したいと伝えていました。
三瓶春江さん「そうです、そうです。これです、これです。ありがとうございました」
作業員「良かったですね。無事に取れてよかったですね」
福島の人たちの暮らしと原発事故の痕跡が、またひとつ消えていきます。
大崎キャスター「事故から14年たってなお、福島の人々が取り戻そうとしているもの。それは、ただそこにあった日常であり、私たちが当たり前に享受しているものです。原発を最大限活用していくという方針を打ち出した、エネルギー基本計画。その一節には、『福島の復興なくして、日本の再生なし』と記されています。
大崎キャスター「目指す福島の復興とは何なのか。どのように実現するのか。国はあらためて示す必要があると思います。ただ状況は厳しさを増しています。社会の関心が低下し、私たちメディアも震災や原発事故について伝えることが少なくなっています。電気を使って暮らす私たちは、原発事故の当事者であるはずです。だからこそ、まずは『忘れないでほしい』という人たちがいることを、知る必要があるのではないか。福島にある除染土から問いかけられていると感じます」
福島県の老舗旅館の一室。門馬さんが写真展の準備をしていました。
門馬好春さん「現物見ながら話して、来館する方に知っていただく。何がいちばん伝わるかっていうのは大事ですよね」
東京で開かれた福島を応援するイベント。会場に春江さんの姿がありました。
三瓶春江さん「三瓶さんのお家だったの、これ。もうなくなっちゃたんだよ。おととい」
参加者の女の子「えっそうなの?じゃあどこに住んでるの?」
三瓶春江さん「別なお家。この壊れたお家に住めないから、別なお家にみんなで住んでる。全部壊れたんだよ」
あの日から きょうで14年。