こんにちは。
澤野大樹氏青森講演会主催
小野裕美子です。
「沖縄」は、広島・長崎と同様、
戦争を語る上で決してはずせない地。
【小序文】
にはこうあります。
戦争を知らない縄文人は
平和を知らなかった。
弥生を知らない縄文人は平和を知らなかった。
だけど今は違う。
今の縄文は弥生をもう知った。
だから次の時にはぜんぶわかってる。(澤野大樹)
縄文人が
「平和」を知らなかった。
というのは、
平和というのは
戦争という状況を経験して
初めて
平和という概念を
発見することができる
ということだからです。
闘争・剥奪・殺戮――、
このような状況を知らない人たちは、
そもそも平和という概念を知りません。
そもそも、
平和・調和という言葉は
存在しないのです。
それは、
これまで澤野氏が語ってきた
「すべてはひとつ」
「ひとりはひとつ」という
「人は宇宙そのもの」
というものを
縄文人は最初から
完全に持ち合わせていた、
ということに他なりません。
しかもここで重要なのは、
縄文人たちは、
そのことに対して
無自覚であったであろう
というところです。
“他人”は自分と同根であり、
根底では完全に繋がっていることに
気づき、わかりさえすれば、
見ず知らずの人物ですら、
自分と同一存在と認識できます。
となると、
自分と争う人など
そもそも存在などしないのだから、
他人と争うという考え自体が
存在しないということになります。
よって、
平和や調和を
求めるための根本的な動機が
存在しないということになります。
「人は宇宙」「人は神」を
無自覚のまま
認識、実践していた縄文人にしてみれば、
「争い」「奪い合い」という概念自体が
未知なるものであるがゆえに、
「平和」を知らなかった、
「平和」も「調和」も存在していなかった、
ということになります。
さて、ところが。
やってきました。
大陸から。
「平和を知らなかった」世界を
めちゃくちゃしてしまった
とある一団が入り込んできました。
その一団が歴史上やってきたそれは
多岐に亘りましたが、
特に明治維新以降に一度、
栄華を極めようとしました。
現在でもそれは続いていると
ずっとこのブログでも
澤野氏の論説を紹介してきました。
この国の伝統や常識、
そして“神話”は、
そのほとんどが
明治維新以降に作られたものなのです、と。
そして、それらはみな、
政治的な意味を帯びて
拡散されてきました。
明治維新以降に政府は
京都から東京に移されました。
また、皇居は
京都から江戸城へ移されました。
いわゆる「東京奠都(てんと)」です。
なぜかというと、
当時の京都では、
大政奉還や王政復古をはじめ、
その他“いろいろ”ありました。
そこはやはり、彼らにとっては、
「東日本を手中に収めたい」という
長年の悲願が
成就する見込みとなったわけですから、
都を京都から江戸東京に移したかった。
しかし、結局のところ、
なぜ京都から江戸に
都を移したのかということの
根源的な思惑とは――、
当時の江戸の民衆はもちろんのこと、
テレビもインターネットも無い時代です。
つまり――、
「江戸の民衆たちは明治天皇の姿など、
一度も見たことがなかったから」
この意味がおわかりになりますか?
明治維新の成功をきっかけとして、
「この国はこういうコンセプトで行こう」
「こういう路線でいこう」って決めて、
いろんな伝統とか歴史、
そして“神話”までもが
「クリエイト」されたんです。
そして、日本国民全体が、
それに完全に乗っかっちゃった
ということです。
75年前にマッカーサーは
日本国民のことを
「12歳の少年と」と呼んだそうです。
あれから75年。
いまだに12歳の少年のままの日本。
どうしてマッカーサーは
日本のことを12歳の少年と
評したのでしょうか。
澤野氏曰く、
バビロン系南ユダ西洋神秘主義オカルト思想に
キリスト教をミックスさせた平田篤胤による「平田神道」に、
さらに、
長州グローバリスト吉田松陰による猛烈な侵略思想が加わり、
明治維新以降に現れた大日本帝国は世界支配を企て
アジアで2000万人を殺害し
世界を相手に暴挙の限りを尽くしたが、
日本は決して悪気があったわけではない。
悪意を持って世界支配を企図したわけではない。
もし日本にまともな判断力が備わっていたのなら、
そのような暴挙などできるわけがないだろう?日本はまだ12歳の少年だったのだろう。
だから日本は善悪の区別もつかない子どもだった。
善悪の区別もつかない子どもで何をしでかすかわからない
未熟で危険な子どもだった。
(澤野大樹)
このように、75年前の日本は、
世界から憐憫の眼差しで
見られていたのです。
だから、GHQが進駐し、
世界に先駆けて
当時最先端の平和憲法
「日本国憲法」が「与えられた」と。
連合国およびアメリカは、
あまりにひどかったそんな日本を
本来の位置に戻そうとして
「日本国憲法」を
「与えた」ということなんです。
しかし、この75年の間に
日本は成就した大人の国になる
見込みだった...
世界中の国々が
日本のすこやかな成長を期待し
固唾を呑んで見守っていたわけです。
しかし、どうだったでしょう。
日本はまだ12歳の子どものまま。
1ミリも成長も成熟もできなかったし、
国民はそんなことを考えたことすらなかった。
善良で博愛主義だった日本に対して
“鬼畜米英”による
侵略凶暴憲法が押し付けられて
戦後の日本が
暴君となってしまったというならばわかりますよ。
ならそんな邪悪な憲法なんか
さっさと変えていくべきです。
が、そうではありませんでした。
私たちはひとつ、強烈に
考えなければならないことがあります。
「なぜ日本に平和憲法が与えられたのか?」
このことの本当の理由についてです。
そもそも日本が平和だったのなら、
平和憲法とやらを、
それこそ“押し付けられる”
必要すらなかったはずです。
今、
「日本国憲法を改正しよう」
という動きがあります。
その前に、
みなさんは日本の
「独立記念日」をご存知でしょうか。
みなさんは日本の
「独立記念日」を即答できますか?
これまで澤野氏が長年に渡り
提言されてきた内容を
今回、端的にまとめてくださいました。
アメリカでしたら1776年7月4日が
インディペンデンス・デイ (Independence Day) ですよ。
では日本の独立記念日はいつですか?
これ、誰も答えられないのですよ。
1945年(昭和20年)8月15日ですか?
この日は天皇がポツダム宣言を受諾することを
ラジオを通じて国民に告白した日です。
この時点で終戦などしていません。
1945年(昭和20年)9月2日ですか?
この日は
ポツダム宣言「日本への降伏要求の最終宣言」
(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)
への調印および
即時発効した日です。
これによって
物理的な戦闘状態が終わりました。
世界は日本と戦争をしていたのです。
戦闘は終わりましたが
まだ「講和」していません。
つまり書類上の「戦争」は
まだ終わっていません。
1951年(昭和26年)9月8日ですか?
この日は日本が
サンフランシスコ講和条約への
署名をした日です。
この条約は
「世界でみんなで仲直りしましょうね」
というものではありません。
この条約の正式名称は
「日本国との平和条約」
(Treaty of Peace with Japan)です。
日本ただ一国と、
世界50数カ国による平和条約です。
「日本 vs. 世界」ですよ。
この日はまだ
署名段階であり条約は
「発効」していません。
1952年(昭和27年)4月28日ですか?
この日は
サンフランシスコ講和条約が
「発効」した日です。
これにより、
日本と連合国の間に講和が成立し、
日本は連合国から
「主権」を承認されました。
ではこの日が
日本の「独立記念日」ですか?
いや、この時点では
まだ沖縄が本土復帰していないのですよ。
つまりこの時点では
日本はまだ完全に
独立などしていないのです。
だから日本では
この日は「主権回復の日」と
呼んでいます。
なぜ「独立記念日」と呼ばないのでしょうか?
それは独立などしていないからでしょう。
1972年(昭和47年)5月15日ですか?
この日は沖縄
(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が
アメリカ合衆国から
日本国に返還された
いわゆる「沖縄返還」、
「沖縄本土復帰」の日です。
ではこの1972年5月15日こそが、
日本の真の「独立記念日」ですか?
いやいやいや、
2020年の現在においても、
「横田空域」
(横田進入管制区)が設定されており、
1都9県の上空は
米軍の管理下にありますね。
つまり、いまだに日本は
自国の空を
自由に飛ぶことすらできない状態なのです。
この状態を
「独立国」と呼べるでしょうか?
つまり、日本は
独立した試しがないのです。
つきましては
独立した記憶もないのです。
日本には
「独立記念日」は存在していないのです。
なんとなく独立した気になっているだけで、
独立などじつは
考えたことも気にしたこともないのです。
ですので
「日本の独立記念日は?」と聞かれても、
思考停止し
「ポカーン」となるだけなのです。
さあ、自国の独立記念日すらわからない、
考えたこともない、気にしたこともない、
きわめつけは
「そもそも独立などしたことがない」
という“我が国”が、
さあ「日本国憲法を改正しよう!」と息巻いているわけです。
こんな日本の姿を見た連合国は、心底ゾッとしているわけです。
これを指して、「日本国民は
戦後75年を経ても1ミリも成長も成熟もなく、
当時の12歳のままなのだ」と言われてしまうのです。
かつて大日本帝国は
ドイツ、イタリアと三国同盟を組み、
「世界五大列強国」に名を連ね、
ファシズム帝国主義国家として
「八紘一宇」「大東亜共栄圏」という美名の下に
じつは世界征服に邁進していました。
当時の大日本帝国は、
まさにグローバリズムそのものだったわけです。
当時の大日本帝国は、
めちゃくちゃ恐ろしかったし強かったのです。
しかしこの事実を矮小化し、
なにか日本が「無辜の被害者」だったかのように
見せている勢力がいますね。
本当は恐ろしかったし強かったかつての日本を
か弱い被害者の国であったとすることこそが
じつは「自虐史観」なのです。
怖かったなら怖かったと、
強かったのなら強かったと言えばいい。
ならばここでハッキリと言わなければならないことがあります。
「だが失敗し世界から叩き潰された」のだと。
大日本帝国のその凶暴性と
侵略性を見た世界は恐れおののき、
連合国(国連)を組織し、
そんな大日本帝国があまりに凶暴だったから、
当時世界で最先端だった「平和憲法」をまずは
日本に与えようとなった。
当時の世界は、第一次世界大戦で疲弊し、
もうこれ以上領土拡大とか侵略とかはやめましょうね、
ということで一致していました。
それが大西洋憲章です。
第一次大戦を経験した世界は、
すでに領土的野心を放棄していました。
(澤野大樹)
日本が平和になることは、
全世界の願いだった。
それは、今でも変わってはいません。
世界は日本の平和をずっと願い、
今でも願っています。
ものすごく偏って凶暴で
世界征服を企んでいた大日本帝国を
連合国アメリカが
しかるべき位置に
半ば強制的に戻したのです。
いえ「戻した」というか、
当時の日本は
「しかるべき位置」など
知らなかったわけですから、
連合国としては正確には
「しかるべきスタートラインに置いた」
という感じが
適切なのではないでしょうか?
まともじゃなかった日本を
「最低限のスタートライン」へと導いた。
これが、
講演会で澤野氏が話されている、
主権回復から
国際社会への復帰と民主化、
そしてそのことを祝った
「1964年東京オリンピック」だったわけです。
しかしこのことが「気にくわない勢力」が、
戦後もずっと依然と存在し
燻り続けていたわけですよ。
そんな彼らは戦後にようやく訪れた
この平和な時代を憎みました。
かつて明治維新で
ようやく手に入れた権力の栄華が、
連合国によって叩き潰され
「平和を余儀なくされちゃった」わけです。
関が原以来260年も待ち望んで、
やっと手に入れた権力の座ですよ。
凶暴な侵略思想を持っていた彼らからすれば、
「平和」ほど憎らしいものはないわけです。
彼らは戦後75年続いてきた「平和」の時代を
「戦後レジーム」と否定的に呼び、
そんな「戦後レジームからの脱却」を叫びました。
独立した記憶もない一般国民は、
この「戦後レジームからの脱却」の
真意も当然わからないまま、
雰囲気とノリで
なんとなく支持してしまった。
しかし、ここへ来て、
彼らがその本性を
隠しきれなくなってきたという段階です。
今、再び
かつての凶暴さと侵略性を表に出し、
暴れようとし始めた“彼ら”の危険性を
澤野氏はずっと訴えてきました。
再びおかしなことをしでかそうとしている、
凶暴だったあの大日本帝国こそが
「本来の日本」だと
国民に思わされるためのマインドコントロールが
強固に機能している、と。
他にも、
私たち思い込んでいることやものが
たくさんありますよ。
澤野氏にこれぞ!という思い込みの
例を挙げていただきました。
ひとつ大きな例を挙げるとするならば、
それは「靖国神社」しか思い浮かばないでしょう。
明治新政府、
そしてそれを今でも引き継ぐ政権は、
常に心の奥底に徳川の再びの台頭を恐れているのです。
だから、人知れず、この現代東京において
さまざまな風水的呪詛を、張り巡らせているのです。
日本で第二次世界大戦の英霊たちを封印しているのは「靖国神社」です。
――そう、大村益次郎ですね。
靖国の大鳥居をくぐって
最初にぶち当たるのが
大村益次郎像ですよね。
大村益次郎という人物は、
長州、つまり明治維新の官軍の「軍神」です。
大村益次郎像は、
双眼鏡を持ってある場所を睨み付けています。
その目先にあるのは、
――そう、上野の西郷隆盛像なのです。
西郷隆盛は明治維新後、明治新政府を裏切り、
西南戦争で新政府に反旗を翻し、その結果、逆賊とされましたね。
西郷隆盛に代わる江戸の治安の統治者として派遣されたのが大村益次郎ですよね。
また、上野で彰義隊という反明治新政府軍が明治新政府に歯向かいましたね。
これが「上野戦争」というやつですよ。
で、彰義隊は明治新政府に鎮圧されて負けました。
その負けた彰義隊の墓が上野公園にあるのです。
その墓の前に建っているのが西郷隆盛像ですよ。
つまり、西郷隆盛は明治新政府に逆らった彰義隊の墓守でも
未来永劫に亘ってやってろ!という明治新政府によるイジメであり嫌がらせです。
そして、西郷隆盛がちゃんと墓守をしているか?そして、
西郷隆盛がまた復活して暴れるようなことがないか、
靖国の大村益次郎が、
双眼鏡を持って、監視しているのです。
これは完全なる呪詛であるわけなんですね。
はっきり申し上げておきますが、明治新政府は呪詛を使います。
現在の日本政府もその延長線上に存在しておりますので、
当然、今の日本政府も呪詛を使って私たちをコントロールしています。
靖国神社とは「長州の長州による長州のための神社」です。
靖国に祀られているという「英霊」とは、
かつての戦乱で長州の駒として死んでいった兵士を祀るための施設です。
もっと言うならば、長州にとって「復活されたら困る亡霊を永遠に封印するための装置」です。
彼らは呪いや怨霊を恐れているのです。
何も知らずに死んだ彼らが真実を知り、亡霊となり、
明治新政府、つまり長州に襲い掛かってくることを極度に恐れているのです。
だから、長州は靖国を使って「招魂」という外来の呪詛によって、
英霊を「真空パック」して封じているのです。
その「英霊を真空パックにする方法」が靖国がやっている「招魂」という儀式です。
「招魂」とは中国や韓国の儒教や道教をブレンドさせた呪術です。
昔、香港映画『霊幻道士』(1985年)や、
台湾映画で『幽幻道士』(1986年)というのがありましたよね。
あの映画の中に、ゾンビである「キョンシー」が出てきます。
そのキョンシーの額にお札を貼るとキョンシーの動きが止まります。
死者の霊魂を呼び寄せ、そして封印する。
あのお札による霊的な封印こそがまさに「招魂」なのですよ。
あるいは、また日本に有事が発生した際に、
封印してあった霊魂を呼び覚まし再び使役するところまで想定されているでしょう。
つまり、招魂という呪詛は、日本古来のものではまったくありませんね。
日本とはまったく関係ない、しかも神道でもない謎の呪詛を、
靖国神社は行っているということなんです。
ヒントとしては「キョンシー」はみな「満州族」の衣装を着ていることでしょう。
この靖国の呪詛の原型となったのが、長州山口県下関の、
「櫻山招魂場」(現・櫻山神社)です。
ここは「神社」と名乗っていますが違いますよね。
ここは「招魂場」です。
「靖国神社」も元は「東京招魂社」です。
つまり、靖国神社というものは、長州に“外国”から伝わった、
謎の呪術を行う謎の「招魂場」からの分派なのです。
そして、招魂社は全国に広まりましたが、さすがに名前が「招魂社」だと疑われるので、
いつのまにか名称を「護国神社」に変更し、彼らは正体を隠しているのです。
靖国神社とは、日本の神社じゃありません。
本当に純粋に日本を愛し、日本を憂う本物の国士であるのなら靖国に頭を下げてはいけません。
日本の、いや東日本東北縄文日高見国の悠久なる山河、自然を
心の底から愛し、この列島を本来の姿に戻したいと願う本物の国士であるならば、
靖国神社に参拝などしませんよ。
私たちがやるべきこととは、そんな靖国に封印され固着させられてしまっている、
何も知らずに長州の駒として犬死させられた「英霊」を解放してあげることです。
靖国は、古き良き日本をクーデターで乗っ取った明治維新のバビロン系南ユダ満州一派による、
支配と霊的呪詛を執り行うための呪いの施設であり装置です。
――そう!すなわち私たちはほぼ全員「騙されていた」わけですよ。
純粋な日本人の心、良心、優しさ、純朴さを、彼らはうまいこと騙し通してきました。
これまでは「日本を愛し憂う国士であるならば靖国に参拝するのは当たり前」と言われました。
当然私もずっとそう思っていましたし、
多くの人々が善かれと思って靖国で「大日本帝国万歳!」を率先してやっていたわけですよ。
しかし、今、
それが完全なる嘘であり虚構であり詐術であったことがわかったのです。
もうそんな時代はもう終わったのですよ。
ならば、これからの新しい時代はその靖国神社に封印された
246万6千柱の英霊の「解放」から始まるのです。
靖国神社の解放はすぐ隣の築土神社、つまり平将門の解放とセットとなります。
靖国神社の隣にひっそりと平将門の総本山「築土神社」があるのです。
皇居(江戸城=現・北の丸公園)はじつは平将門を祀った築土神社の氏子地域なのです。
http://www.tsukudo.jp/ujiko.html
元々築土神社の氏子地域であった場所に大田道灌が江戸城を築城したのですよ。
つまり、現在であっても皇居(江戸城)は平将門の管轄なのですよ。
九段下と言ったら靖国だと思ったら大間違い。
九段下と言ったら築土神社、つまり平将門なのですよ。
平将門を祀る築土神社の氏子地域を
侵略者として上書きし封印するために
靖国神社という装置が創建されたと言っても過言ではないでしょう。
靖国神社の創建は1869年(明治2年)ですよ。
もうわかってきましたよね。
古くは縄文日高見国のすべての人々、そして平将門、
そして、靖国に封印された英霊たちの封印が解かれ、
明治以降の日本の虚構の歴史を打ち破る時が近づいています。
明治以降に張り巡らされてきた魔方陣を断ち切る日が来るのです。
平将門を封印し閉じ込めてきた呪詛を解除する必要があります。
(澤野大樹)
澤野さん、
ありがとうございました。
「英霊を真空パックにする方法」
この「招魂」という儀式、
「招魂」とは
中国や韓国の儒教や道教を
ブレンドさせた呪術ということ。
長州に外国から伝わった、謎の呪術を行う
「招魂場」からの分派の呪詛。
そして、
九段下といったら、「築土神社」、
じつは本来は
平将門の管轄だったという衝撃的事実!
靖国神社は
「長州の長州による長州のための神社」だったということ。
第二次世界大戦の英霊たちを
封印しているのはまさかの靖国神社で
英霊たちの魂は真空パックされていたということ。
そして、
靖国神社の主である大村益次郎が
双眼鏡を持って、
西郷隆盛を監視していたということ。
すべてにおいて驚くべき内容です。
靖国神社遊就館展示『ゼロ戦』:本人撮影
「調和」していないからこそ
調和を求め、
「平和」ではないから
平和を求め続ける。
どれだけ私たちが
平和を叫ぼうと
祈りを捧げようと
たとえば集団瞑想したり
光の柱を立てたところで、
戦争はなくなりませんでした。
根本的な「平和」といという概念を
理解できていない限りは、
「平和」は訪れることは
ありません。
私たちは、
これまで多くの虚構を
本当のことであると思い込まされ、
信じ込まされてきました。
今の私たちの
この日本の「本当の現状」を
知らなければ、
私たち、そして、
世界中の戦争で犠牲になった魂、
さらには、
災害で犠牲になった人たち、
封印されたものたちの進化も成長も
ないということです。
縄文、日高見、古代エジプト、
古代ヘブライを引き上げることは
地球の表向きの歴史を覆すこと。
そして、この地球というものが
じつは「シリウスD」だったのだという
秘密の封印が解かれます。
それは、地球人類はようやく
宇宙という領域に足を踏み入れる
スタートラインに立てる、
そして
自らに秘められている
太古の地球の歴史を
アラハバくということなのです。
以前、澤野氏は
「アフターコロナ」に関しても
新型コロナウイルスという形で表出した
アラハバキの後に展開される世界――、
つまり「アフター・コロナ」の世界においては、
虚構、改竄、隠蔽、破棄は通用しません。
また同時に、本音、本能、本心が表に出てきます。
そこにはいかなる「建前」も通用しません。
また、さらに同時に、本物を偽装した
ニセモノもアラハバかれていきます。
ニセモノのニセモノ性が誰の目にも明らかになってきます。
「アラハバキ」というものは、軽く笑いながら語ることのできるようなものではありません。
天地がひっくり返るレベルでの大変革をもたらします。
「コロナが下火になったから元に戻しましょう」
などということが通用しなくなります。
「ソーシャル・ディスタンス」とは縄文スピリットのことです。
それは弥生グローバリストたちがこれまで徹底的に否定し、潰してきた生き方です。
縄文スピリットの人からすれば当たり前のことです。
意図的にシンクロニシティを演出し、
与り知れぬ他人の人生に侵入し、
強制的に自分の存在を相手の脳裏に刻み込む。
そして相手の記憶に侵入し、
望まれない関係を自己都合によって構築していく。
これが弥生グローバリストのやり方でした。
このような手法がこれからは通用しなくなるということです。
明治維新以降に創造された
太陽(アマテラス)の時代は終わりました。
これからは、本当の「日の丸」が現れてきます。
「日の丸」は本当は「太陽」ではありません。
縄文東北日高見の旗であり、それは「蛇の目」(じゃのめ)です。
アマテラスの時代が終わったということは、
「日の丸」も、本来の本当の姿を現すのです。
そして「蛇の目」は同時に「シリウス」を意味します。
じゃあこれまでアマテラス・ベースで展開されてきた
大本から派生した既存のスピリチュアルはどうなっていくか?
また、そんな日本のスピリチュアルと親和性のきわめて高い
「陰謀論」の世界はどうなっていくか?
「造化三神」がキリスト教の三位一体の複写であり、
「天之御中主神」(アメノミナカヌシ)という存在が、
じつは平田篤胤による創作であり
「ヤハウェ」を模倣したフィクションだったことが明らかになります。
その瞬間に
伊勢内宮アマテラス・ベースが機能しなくなります。
となると、外宮の
「豊受大神」(トヨウケ)の「ウケ」が、
「宇賀神」、
つまり「とぐろを巻いた蛇」、つまり「ヤハウェ」
そのものであったことが明らかになります。
こうなった時、日本の
バビロン系南ユダ西洋神秘思想から
引き継がれた大本派生の現代日本スピリチュアルの根幹が揺らぐのです。
これまで基礎として立脚してきたものすべてが虚構だった、
いやサタニズムそのものだったと判明してしまうのです。
想像してみてください。
最高でしょ?(澤野大樹)
本当のシリウス、そして
『「日の丸」とは「蛇の目」のことだった』
などに関することは、
誰も解いていない唯一無二の解読を
青森講演会第1回で澤野氏が
語っておられました。
(※南ユダ弥生スピ一般で語られる
シリウスとは全くの別の見解です。)
全ての英霊と、
平将門の怨霊と、
日高見国阿弖流為の無念と
会津戊辰戦争で散った名も無き国士と、
第二次世界大戦で亡くなったアジア3000万人の魂と、
薩摩藩に侵攻され首里城を占拠された琉球王国。
大和朝廷松前藩に侵略されたアイヌの無念。
みんなこの列島に暮らし
家族がいたり、たとえ一人だったとしても、
素朴に楽しく幸せに生きていた。
その尊い心が
力尽くで引き剥がされ
ズタズタにされ、
御霊を封印されてしまった。
いなかったことに忘れ去られた。
伊勢神宮(内宮)、日の丸、君が代、
共通語、標準語、
教育勅語、八紘一宇、
日本人の精神と思われた
「武士道」でさえも、
明治以降に捏造されたものだったのです。
新渡戸稲造がクリエイトした
「武士道」は、
武士がいなくなってからできた
明治以降に創作された「伝統」です。
明治以降の国家所有の
軍人としての武士道だそうです。
さらに、「相撲」なんて
明治維新以降に突然
“国技”とされました。
他にも「初詣」、「おせち料理」、
食事の際の合掌しての
「いただきます」や、
「大和民族」、「大和魂」など、
私たちがずっと「日本古来の伝統」だと
思っていたものの多くは、
明治以降に侵略者によって「創作」された
フィクションです。
本当に「日本」を愛するのであれば、
本当の歴史を知りたい。
明治以降に創作されたファンタジーではなく、
加工されていない純粋なこの列島の
本当の歴史を知りたい。
虚構、改竄、隠蔽、破棄とかもういらない。
本当のこと、そして本物だけを知りたい。
これが真の「愛国者」でしょう。
本当の靖国神社の由来とか
歴史について私は
全く無知だったがゆえに
愛国者たるもの、
愛国心を持つ日本人であるならば、
靖国へ行って
この日本のために散った英霊たちに
「靖国万歳!」
と頭を下げることこそが
「愛国心」「正しいこと」であると
疑いもなく信じ(込まされて)ていました。
単に勉強が足りなかったからです。
全くもってお恥ずかしいことであります...
靖国神社神門:本人撮影
ちなみに、澤野氏曰く、
蝦夷(エミシ)には
大和朝廷への帰順の度合いから
三種類に分けられたそうです。
大和朝廷に恭順し、毎年入朝し、
朝廷軍としても働いた蝦夷は
「熟蝦夷」(にきえみし)と呼ばれました。
中間が「麁蝦夷」(あらえみし)で、
そして、
大和朝廷には絶対に従わないという
決してまつろわぬ孤高の蝦夷のことを
「都加留(つがる)蝦夷」というのだそうです。
「都加留」とはまさに
青森県「津軽」地方のことだと思います。
津軽には、
梃子でも動かぬ
「じょっぱり」という精神があります。
良く言えば、
「誰にもまつろわない」
悪く言えば、自分の意見を曲げない、
他人の言うことを聞かない(笑)
という意味にもなりますけれども。
では、次回更新もどうぞお楽しみに。
澤野大樹氏青森講演会主催
小野裕美子
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