第四十八話:峠の霧と三重の柵

《前回までのあらすじ》

鎌倉の世より、謎の女性・トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。

当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。

しかし軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義を少しずつ理解し始めた頼朝は、「織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指す」という困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意する。

さらに、今の頼朝がこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝に寄り添っていた出雲阿国の正体が古代の巫女・卑弥呼であり、時を超える力を持つのは彼女自身だったことなどが発覚。衝撃的な事実を聞かされた頼朝は、その場で意識を失ってしまう。

頼朝は決意を新たに京の二条城へ入り、友軍や徳川への対応、そして朝廷工作に奔走。その矢先、心労が祟ったのか、再び吐血して倒れてしまう。頼朝はこれ以上、時の流れを「別の時代から来た者」が創り出すのではなく、“本来の時”を生きる者たちへ戻すべく、徳川家康に軍団を引き継がせようと模索し始める。そして、そのために頼朝が選んだ道は意外にも、まず家康に攻めかかることだった。

内大臣叙任後、帝への謁見を果たした頼朝は、帝の深い悲しみにも触れ、病身ながらも天下静謐への決意をさらに固めるのだった。


《主な登場人物》

源頼朝

鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城にて病床に伏す。


源義経

平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。那加城にて東国の守りを固める。徳川討伐軍大将。


武田梓

武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。徳川討伐軍に参加。


源頼光

平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。徳川討伐軍に参加。


トモミク

頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。


出雲阿国

正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として京に滞在。


北条早雲

戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。


羽柴秀長

織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。


羽柴篠

秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。頼朝の看病にあたる。


赤井輝子

狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。


源桜

頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。


源里

頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。


太田牛一

少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。


お市

織田信長の妹。頼朝軍に加わり、京に滞在中。


源宝

一色義道の娘。頼朝の養女。砲術に長け、義経隊の副将として徳川討伐軍に参加。


太田道灌

室町時代の名将。文武両道。突撃隊を率いる。徳川討伐軍に参加。



〖第四十八話:峠の霧と三重の柵〗


[決戦駿府城]


天正十七年(1588年)十月十五日——。


朝もやが立ちこめる中、遠江国の要衝・駿府城を囲む山野と街道には、静けさとは裏腹に、すでに戦の火がくすぶり始めていた。源義経率いる頼朝軍は、源宝の布陣案をもとに、家康の本拠地攻略に向けて最終の布陣を終えていた。


駿府の北を守る山稜が朝比奈峠。そこを抜けた義経勢が西から城下に回り込み、浜街道の道灌勢と呼応する挟撃図——。


浜街道方面で馬防柵の内側で迎撃態勢を取る徳川軍と、いつでも攻めかかれる態勢を取っていた頼朝軍が睨み合っていた。


家康は自ら槍を執り、五千九百の精兵を浜街道に展開している。馬防柵を三重に組み、高台に据えた三門の大筒が頼朝軍の突撃を待ち受けていた。家康が掲げる本多忠勝の蜻蛉切が、夜明け前の月を切り裂くように微かに瞬く。


頼朝軍は太田道灌隊は、鉄砲隊三千、騎馬隊第一列(坂田金時)八千、騎馬隊第二列(太田道灌)九千、

源頼光隊、鉄砲隊三千、騎馬隊第一列(石川五右衛門)六千、騎馬隊第二列(本願寺悠)六千、騎馬隊第三列(源頼光)七千、

がいつでも牙を向けられるような態勢で徳川家康の陣を見据えていた。



一方、西方の朝比奈峠では、義経本隊八千が険路を縫い、さらに後詰として里率いる別働三千が谷底の細道を潜む。中央には梓の第六狙撃隊・鉄砲八千と、急造の槍兵三千が駿府城に向けて狭き山道を慎重に行軍していた。


梓「――宝様の読みは当たる。だがどのように伏兵が襲って来るかまでは読めぬ」


梓は銃身を撫でながら低く呟く。夜気に混じる樹脂の匂いが、戦慄を孕んで鼻腔を刺した。



**浜街道開戦**


未の刻。浜街道に陽が差し込んだ刹那、徳川方の大筒が轟いた。


道灌は副将坂田金時に声をかける。


道灌「砲煙を縫って騎馬隊第一列を率いて突撃をかけよ。何としても岡崎での雪辱を晴らすのじゃ!」


金時「はっ!望むところでございます!」


坂田金時が猛然と突進する。


宝の具申で配属された道灌隊の鉄砲隊三千も馬防柵で待ち構える徳川軍に鉄砲を撃ちかけた。

だが家康は一の柵を捨て矢玉を浪費させると、二の柵前で突如横合いから逆撃を放った。

槍衆の密集突刺――。


坂田金時の力を込めた突撃ではあったが、此度も前列が瓦解し、馬が柵に乗り上げ転倒した。さらに高台の大筒が猛然と砲煙を噴く。 炸裂する礫が甲冑を割り、火花と血飛沫が浜の砂に散った。金時の肩を貫いた長槍が、甲冑の鉢金を赤く染めた。


金時「下がるな!ここで崩れれば――」

坂田金時は馬上から叫ぶが、敵は周到だった。


その様子を見ていた太田道灌が奥歯を強くかみしめる。


道灌「ぐっ……見事な先制攻撃か……!」


道灌はすぐさま坂田金時に後退の合図を出すが、徳川方の兵たちはまさに鬼神の如き勢いで攻め立てる。


道灌「落ち着け! 一歩引いて射線を確保せよ!」


道灌の冷静な指揮により、狙撃手たちが馬防柵の陰から応戦を開始。


しかし坂田金時隊は引き際を逃し、みるみると家康の槍と弓に倒されて行く。


道灌「えーい!我らの役割は家康を足止めする事。しかしこのやられようは恥ぞ!

押し戻せ!」


後方に控えていた太田道灌隊も止む無く突撃を開始した。


**朝比奈峠の危機**


同刻、山間を進む義経隊と梓隊。

宝の読み通り、義経隊は駿府城付近まで行軍を進めていたが、山間の道に潜んでいた徳川の伏兵が、義経本隊の輜重部隊を襲撃してきたのだ。背後から響く喚声に、義経は眉をひそめる。


義経「やはり来たか!」


だが、これも事前の宝の進軍計画に基づいた計算のうちだった。


義経「梓、今だ!」


梓の狙撃隊が前後を挟むように位置取り、伏兵に向かって一斉に火縄銃を放った。耳をつんざく轟音と共に、徳川の伏兵は混乱に陥る。


ここまでは想定の範囲内であった。



突如険しい山道の崖沿いに、さらに潜んでいた第二の伏兵が出現し、梓の隊の横腹を突いたのだ。

谷を挟んだ対岸の崖筋に、松明がずらりと灯った。稲妻のような鬨(とき)の声が木霊した。


松明に照らされ現れたのは、本多正信が率いる二千の選抜足軽――鎖帷子に忍び弓、短槍。火縄の火口で茅を燃やし、濃煙を放って一気に斜面を駆け下りる。

どうやら部隊の大将の行軍する場所を見極め、武田梓を打ち取る事を目的とした一連の作戦であった。


宝は口唇を噛む。

(はじめの伏兵はおとり、第二の伏兵が本隊でしたか!!このままでは梓様が!!)


あらたな伏兵の奇襲を目にして、梓も必死に采配を続ける。


梓「左右から弓!前へ出てはなりません!」


梓の号令も及ばず、先頭列の鉄砲千あまりが火攻めで弾薬を失い、銃声は瞬時に半減した。


さらに谷底に仕掛けられていた逆茂木が爆ぜ、転倒した荷馬が輜重を塞いだ。中央が断たれ後列の槍兵が襲撃されている梓本隊を助けに行けない。


これで伏兵は梓が直接率いる近衛隊に攻撃を集中する事ができる。


梓「しまった……!」


梓の声が怒号に掻き消される。混乱の中で銃撃の構えもままならぬ狙撃兵たちに、敵の槍が容赦なく襲いかかる。

梓の周りを固める近衛兵も、予想できぬ方向から現れる敵襲に苦戦を強いられていた。


その様子を見ていた源宝は、陣中で思わず顔を覆った。

宝「わ、わたくしの……読みが甘かった……!」


峠上方の樹間で、里率いる別働三千はまだ動いていなかった。

自責の念に震える宝の肩に、源里が手を置いた。


里「今は悔やむ時じゃない、宝様。救いに行きますよ!」


源里は即座に軽装の山岳歩兵を率い、尾根伝いに強行軍で進軍し、斜面を転げ落ちるように狙撃隊の側面へ回り込んで急襲する。徳川軍の伏兵の足軽の背へ打てるだけの鉄砲を撃ち込み、続いて里自身が黒糸威しの鎧で転がり落ちるように駆け、双刀で敵の指揮頭を斬り伏せた。


里はありったけの声を出した。


里「梓様!今です!態勢を立て直してください!!!」


狭い山道での混戦、味方同士の連携もままならぬ中、源里の隊は梓の少数の麾下の部隊との連携を見事に図り、敵伏兵の残忍な攻撃の勢いを弱める事ができた。


そこにようやく足止めされていた梓隊の槍隊が合流し、本多正信率いる伏兵隊をせん滅する。


正信は退路の隘路を確保しようと試みるが、かえって荷馬が塞いだ逆茂木の障害を越えられず、ついに白旗を掲げる。


里「梓様! ご無事ですか!」


梓「助かりました……わかっていても、山あいの奇襲は嫌ですね……」


梓の額には汗が滲み、肩で息をしていた。


その様子を見届けた宝は、泣きそうな顔をしながら小さく呟いた。

宝「良かったです……ご無事で、本当に……」


山間を進む義経隊と梓隊は、何とか危機を切り抜け、駿府城に向けて軍を進めた。


**再び浜街道の激戦**


坂田金時隊を救出すべく渾身の突撃を繰り返した太田道灌であったが、痛烈な家康軍の攻撃の中で、手負いの金時を救出するのは並大抵なことではなく、道灌自身も鎖帷子の下で血が滲んでいた。ようやく二の柵を突破したところで太田道灌が渾身の力で叫んだ。


道灌「今じゃ!頼光殿!!」


太田道灌隊が二の柵を突破したところで、家康軍の側面の防御柵が機能しなくなった。


頼光「ようやってくれた道灌殿!ものども、出番じゃ!一気の横やりを突く!かかれ!!!」


そこに山あいを進軍してきた義経隊も合流する。


二の柵が突破されたことで頼朝軍は更なる砲撃を加える事ができ、ここまで無傷の頼光隊の大軍の騎馬の突撃を受け、

浜街道の防塁は三の柵まで突破されていた。


矢弾の絶えた最後の馬防柵の陰で、家康は本多忠勝・榊原康政ら僅か三百騎を呼び残すと低声に告げた。


家康「――駿府は捨てる。阿部川を渡り、蒲原まで撤くぞ」


忠勝が血塗れの面頬を上げる。


忠勝「このまま城を譲るおつもりか」


家康「譲るのではない。“一時の負け”ぞ。駿府は拙者の首城にあらず。あれを取らせ、蒲原で再起を探る!

勝ちに固執する者は、ここで死ぬ。負けを制する者こそが、生きて次を取るのじゃ…」


家康は敗北ではなく“次の呼吸”として撤兵を語った。月影の下、赤備えの旗は静かに折り畳まれる。


急ぎ撤退をはじめた家康軍ではあったが、家康は数里馬を走らせ、おもむろに馬を止め、駿府城を振り返った。


忠勝「殿!何をされておる。追撃の兵はすぐそこまで迫っておりますぞ!」


家康「ああ、わかっておる……」


忠勝の言葉を受け、家康は奥歯を強くかみしめながらもあらためて馬に鞭を打った。




数刻後、義経の号令が再び響く。


義経「駿府城を囲む! 包囲陣を敷け!」


頼朝軍全軍は整然と陣形を構え、駿府城は完全に包囲された。




[駿府城開城と家康の再戦の決意]


翌十月十六日未明、駿府城は開城。

義経が馬上から声を張り上げた。


義経 「これより城内に入るが、刀は抜くな。倉や家財に手を出した者は即刻処罰する。良いな!」


ざわついていた兵たちが、一斉に息をのむ。


義経 「勝どきも禁止だ。今回は『降伏』では無く『預かり』だ。徳川の家人や町衆に無礼はするでない!」


短く言い切ると、義経は馬首を返した。


里が宝に話しかけた。


里「あっさりと降伏しましたね。」


門前で弓袋を背負い直した里が、苦笑まじりにこぼした。

隣の宝は額の汗をぬぐいながら、小さく首を振る。


宝 「もし家康様が兵を城内に戻していたら、持久戦になっていました。山道で無理を通した私の策も、危ないところでした…」


里 「そんなことないですよ。宝様の策のおかげでここまで被害は最小で来れたのですから。宝様の進言された伏兵への備えが無ければ、どうなっていた事か……」


里はあえて明るく笑った。

しかし宝の耳には、山峡で見た戦死者のうめきがまだ残響していた。



義経は宝と里、そして梓を連れ、駿府城内の家康の居室と思われし上段の間に赴いた。畳はまだ温かく、香炉の匂いが残っている。


義経が正座し、机上の矢立と硯を手に取った。

墨の乾ききらない紙には、たった一行。


『もう一度だけ策を講じる機会をいただきたく ――徳川家康』


それを見た宝が息をのむ。


宝 「義経様…家康様は、まだ……」


義経は紙を折り、静かに立った。


義経 「ああ、まだ我が軍い意地を通すつもりじゃ。しかしもう後は無い。正々堂々と勝負を挑み、その後に話をするしかあるまい……」


義経はここに至って、徳川家康を臣下とする事への自信を少しずつ失い始めていた。

しかし、最後まで武士としての礼を尽くす事だけは続けなければならなかった。


日が傾き始め、義経は本丸に将を集めた。


義経 「あらためて申し伝える。今日は勝どきは無し。兵は城下に降りないように。輪番で火を灯せ」


諸将は義経が最後まで家康の臣従をあきらめていない心意気を、深く理解していた。


頼光「義経殿、心配には及びませぬ。我らも徹します!」


義経「頼光殿、かたじけない。心強きお言葉、御礼申し上げる」



その夜、駿府の町は驚くほど静かだった。

篝火も提灯もなく、秋の星だけが澄んだ空で瞬いている。

家康の一行は闇の阿部川を越えるため、橋板を外しながら夜道を急いでいる頃だ――と誰かが囁いた。


『もう一度だけ策を講じる機会をくれ』

家康の言葉が、義経の胸で静かに反響した。


(兄上が元気なうちに、何とか家康殿をお連れしたいものじゃが……急がねば……)




[家康蒲原城へ]


阿部川下流。月明かりだけを頼りに、徳川勢は橋を渡りきると、一枚ずつ板を外していく。

ギシ…ギシ… 板が外されるたびに川面に月が揺れ、遠くで犬が吠えた。

家康は馬を下り、最後の板を見届けてから呟いた。


家康 「覚悟はしておった、覚悟は。しかし蒲原にて意地をしめし、その後、どうするのじゃ、家康よ……」


家康は自問自答しながらも、最後の決戦に向けての作戦に心を割いていた。


額に手を当て、冷えた夜気を吸い込む。

橋の向こうでは頼朝軍の松明が、点のように瞬いていた。


(頼朝殿の兵は恐ろしい…だが、まだ終わってはおらぬ。――蒲原で、もう一手…もう一手だけ…)



[二条城へ向けて]


駿府平定の報せが京に届く前夜、頼朝は岐阜城を発ち、二条城に向かっていた。

出発前に、トモミクが涙ながらに懇願していた。


トモミク「私も二条城まで参ります!」


頼朝「気持ちはありがたいが、そろそろ那古野城の部隊に戻られよ。そなたは指揮官ぞ。わしは大丈夫じゃ。」


トモミク「本当ですね、頼朝様……何かありましたら、私は許しませんから……」


頼朝「約束しよう。徳川との戦が終わったら、京にも参るが良い」


トモミク「はい……それではくれぐれも、お気をつけて……」


トモミクは岐阜城の城門から、頼朝一行が見えなくなるまで、その場から動かずに見送っていた。

巨大な山城は、頼朝一行が去ってから、無人とも思われる程に空虚な強大な空間となっていた。


トモミクは一人岐阜城の評定の間に足を運んだ。ここは初めて頼朝が家臣団と顔を合わせ、領国が広がるまではここで常に家臣が集まり、常に意見を戦わせ賑わっていた。ここで大好きな頼朝と家臣団とでどれだけ切磋琢磨を重ねていたか。それはトモミクにとってもこの時代で出会った仲間たちと心通わせる場でもあった。


同じ空間に残る鮮明な記憶、しかし目の前に広がる、何も変わらない同じ空間は、どこまでもトモミクの心に空いた穴と同じく、広い空虚な間であった。


トモミク「ここで泣いても誰も聞こえないよね……」


トモミクは誰もいない広い空間で、それまで必死になって抗って抑え込んでいた気持ちが、あふれ出る事を止める必要が無かった。心のままに声を上げ、いつまでも涙を流し、そのまま力つきるまで心のままに自らを委ねていた。


どれ程の時が経っただろうか。涙も枯れ、嗚咽も収まっていたが、広い評定の間に横たわったままであった。


いくら泣いても、叫んでも、この広い間から温かい笑い声や仲間の声が聞こえてこないように、空虚なトモミクの心を満たしてくれるものは何も無かった。美しかった記憶は、今や現実との高低差で自らを痛めつけるものでしかなかった。


トモミク「那古野城の部隊に戻らないと」


ようやく立ち上がり、鎧をまとうべく自室に向かうトモミクであったが、枯れたはずの涙は、またトモミクの目を大きく濡らしていた。


***


帝との謁見から岐阜城でトモミクと話をするまでは比較的体調が良かった頼朝であったが、二条城に向かう途中酷い発熱に見舞われた。頼朝の意向で早くに二条城に戻ろうとする一行ではあったが、大垣城にてしばらく滞在を余儀なくされた。


大垣城に向かう道中、駿府城開城の知らせが早馬で届いた。


桜「父上、叔父上が駿府城を開城させてようでございます。」


桜は戦勝の報告ではありながら、父の体調を気遣い、そっと籠の外から言葉を優しく投げかけた。

籠の中から弱弱しい父の声が聞こえてきた。


頼朝「それは大義であった……して家康殿は……」


桜「蒲原城まで退却し、最後の決戦を挑む模様」


頼朝「そうか……報告ご苦労であった、桜……」


それ以降頼朝からの言葉は無かった。


(父上……)


桜は父頼朝からそれ以上の言葉が無いことを確認し、一行の先頭に自らの馬を走らせ戻っていった。

以前父の上洛の際に、先頭で誇らしげに行軍した道と同じ道を、今はさらに行軍速度を落としながら隊を先導していた。



大垣城に到着してから、さらに熱が高くなり、頼朝は譫言(うわごと)を繰り返していた。

桜は薬湯を口移しで飲ませ、阿国は氷嚢を替え、血に滲む咳を拭う――。


同行した医師と薬師も必死に打開策を講じるが、頼朝の容態は一向に改善しなかった。


頼朝は時折、義経や桜の名を呼んで目を凝らすが、すぐに昏睡へ沈んだ。


深夜大垣城から見える月を見ながら、阿国は胸の内で念じた。

(まだです――まだ、あなた様をあの世に渡すわけには参りませぬ)



そこに北条早雲が大垣城に駆けつけてきた。

早雲は頼朝の見舞いでは無く、出雲阿国との話がしたいとの事であった。

早雲は桜の同席も許さず、阿国とだけ話しをすべく、大垣城の一間で話をはじめた。


早雲「阿国殿、実はな、義経殿と梓殿に頼朝殿の話を伝え、覚悟を促して参った。」


阿国「そうでしたか。さぞや義経様、梓様も驚かれた事でしょう……」


早雲「頼朝殿がご存命中に、少しでもご安心いただきたい。

徳川殿の臣従は、以下の頼朝殿にとっては、義経殿への罪悪感を少しでも和らげるものとなるであろう。義経殿と梓殿のお心も乱れるであろうが、急がなくてはならぬ。」


うつむきながらも決意を込めた早雲の重い言葉が、阿国に伝わっていた。しかし己の無力さに苛まれる阿国は、力なく早雲に口を開いた。


阿国「そうですね……もう……頼朝様は、どうにもならないのでしょうか……」


早雲が答えを持ち合わせているはずは無い。誰に聞いても希望的観測を耳にするのが関の山。その残酷な答えが見え始めていながら、阿国の口から言葉が漏れてしまう。


早雲「わしはあきらめたくない。あきらめられぬ。ただし、もし頼朝様の命の灯が消えようとしているのであれば、このまま頼朝殿がご自身が罪びととして生涯をささげる、そのようなお気持ちで灯を消して欲しくは無いのじゃ。」


阿国は早雲の悲痛な眼差しが、あたかも自らの罪を映す鏡のように感じ――胸の奥が灼けた。


早雲「罪は我ら家臣が等しく背負う。それどころか、罪は家臣が引き受けたく存ずる。頼朝殿であってはならないのじゃ!」


早雲はやり場のない気持ちを、全てこぶしの中で握りつぶすべく、腕を振るわせていた。


早雲「そこでじゃ、頼朝殿が義経殿に感じておられる罪悪感を少しでも和らげるためには、是が非でも徳川殿を臣従させたい。今義経殿は徳川殿の最後の拠点の一つ駿府城を落とされた。残るは蒲原城じゃ。この後、お市殿をお連れして、再度わしも徳川殿に包み隠さず頼朝殿の思いをお伝えしたいと思うておる。」


阿国「さすがは早雲様。今の頼朝様には、徳川様が臣下の礼を取られることは、なによりのお話でございますし、お苦しみの事の大きな一つを和らげてさしあげられますね……」


そこで早雲はさらに目線をさらに強く阿国に向けた。その目線は阿国の心の奥底までも見通すかのように、阿国は恐怖すら感じた。


早雲「実は阿国殿。義経殿と梓殿に話をしてから、急ぎ岐阜のトモミクのもとに走ったのじゃ。以前より気になる事があっての……」


阿国は早雲が何か核心に触れる何かを感じ取っているように、不安が募るばかりであった。


早雲「トモミクから、強引ではあったがの、全て聞いた。トモミクが時を旅する者では無く、実は全てこの軍団を導いていたのは阿国殿、いや、卑弥呼殿、そなたであったという事を。」


不安が的中した阿国であったが、すでに”神の巫女”という座を失った阿国にとっては、早雲の期待を裏切る事を返すしかできない。


阿国「早雲様の申される通りでございます。


”先代の頼朝様”が早雲様にお話しにいかれた際、それを神に願い、神からお力をいただいたのは、この私でございました。トモミク様はあくまでも私の随伴者でございました。


同様に時を超え、集っていらっしゃる家臣の皆様は、先代の頼朝様のご意向に従って、この私が先代の頼朝様が時を旅されるお手伝いをさせていただいておりました。


ただ、”今の頼朝様”をお連れしたのは、私の自分勝手な思いを神に叶えていただいたにすぎませぬが……」


早雲「そうであろうと思っておった。安土城で拝見した、阿国殿の舞。神秘的で美しくもあったが、何かわが心に生まれた違和感もござっての……」


阿国「しかし早雲殿、今のわたくしは、神を恨み、神との契りも破り、神から今の世で見捨てられた単なる力無き頼朝様に仕える家臣でございます。

本日早雲殿が何をお話されるかはわかりませぬが、もう私には何の力も、無いのでございます……」


阿国は膝上で手を組み指先を震わせた。


早雲「そうであったか……そのような事があったとは……阿国殿がどれだけお辛いお気持ちでいらっしゃるか、わしには想像も出来ぬ程であろうよ……」


早雲は腕を組み、しばらく口を閉ざしていたが、何かを決意したかのように再び阿国に言葉をなげかけた。


早雲「阿国殿が先ほど”神に願い、神からお力をいただく”と申されていたの。」


阿国「はい、巫女は神のご意向に沿った時のみ、少しだけお力をいただくことが出来るのです。当然頼朝様の病を治す、そのような願いをお聞き届けいただくことはかないませぬ。」


早雲「ふむ、そうであろうな。わしは神に期待などしておらぬゆえな。しかし、神のご意思にかなった時に阿国殿にはお力をお与えになるわけじゃの。」


阿国「はい、お見捨てになられる前は、そうでございました……」


早雲はさらに阿国の目を強く覗き込むように問い詰めた。


早雲「であれば、阿国殿が願う事が、神の意向に沿っているのであれば、まだ阿国殿に力を与える事は無いのか?」


阿国「早雲様、もう私が掟を破りました。その証拠に、今は何も出来ませぬ……」


早雲「これは、お辛き事を語らせてしまい申した。誠にかたじけない……

ただ、頼朝殿のために、何とか巫女としてのお力をお借りしたい。神が阿国殿に振り向かれぬのであれば、それは仕方が無い事。

しかし頼朝殿の命の灯が消える最後の瞬間まで、何とか力を尽くしてはいただけぬか……この通りじゃ!」


早雲は阿国に対して、これ以上無い程に伏して頭を下げていた。


阿国「早雲様……お力になれるとはとても思いませぬが、まずは早雲様のお考えをお聞きしてもよろしいでしょうか……」


早雲「感謝いたす、阿国殿!」


早雲は、阿国に己の胸の内を語り始めた。その早雲の頼朝を思う気持ち、何よりも頼朝の今の固く閉ざされた心を和らげるための試行錯誤は、阿国の心を揺るがさずにはいられなかった。


先ほど阿国が祈りを捧げた月は、夜明けの薄明かりの中で、輝きを弱めていた。

しかし、阿国の目の奥には先ほどと異なる光が宿り始めていた。


阿国「早雲様、しかと早雲様のお心、承りました。巫女の力は無くとも、少なくとも神に思いが届くように最善を尽くしたいと存じます。何としても、早雲様の願い、成し遂げたいですね……」


早雲「阿国殿、ただでさえお辛い時に、さらなるご負担をおかけするが、何卒お願い申し上げる」


早雲は再度深々と阿国に頭を下げた。


早雲が去った後、彼女の袖に一枚だけ枯れ葉が舞い降りた。それが燃えるような金色である。ここに阿国がわずかに手を差し伸べたが、熱で火傷しそうになり一瞬手を引く――


阿国は心の中で強く念じていた。


(我が神よ、何卒頼朝様のお命を救いたまえ。

それが叶わぬのであれば、せめて早雲様のお気持ちを……)



阿国は不眠不休のまま、頼朝の様子をみに、頼朝の寝所に向かった。


頼朝の横には、看病に疲れて眠ってしまったのか、父の様子が気になって離れられなかたのか、源桜が寄り添いながら眠っていた。

阿国はそっと氷嚢を取り換え、桜の方に毛布をかけた……

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