第四十七話:始まりの場所

《前回までのあらすじ》

鎌倉の世より、謎の女性・トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。

当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。

しかし軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義を少しずつ理解し始めた頼朝は、「織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指す」という困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意する。

さらに、今の頼朝がこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝に寄り添っていた出雲阿国の正体が古代の巫女・卑弥呼であり、時を超える力を持つのは彼女自身だったことなどが発覚。衝撃的な事実を聞かされた頼朝は、その場で意識を失ってしまう。

頼朝は決意を新たに京の二条城へ入り、友軍や徳川への対応、そして朝廷工作に奔走。その矢先、心労が祟ったのか、再び吐血して倒れてしまう。頼朝はこれ以上、時の流れを「別の時代から来た者」が創り出すのではなく、“本来の時”を生きる者たちへ戻すべく、徳川家康に軍団を引き継がせようと模索し始める。そして、そのために頼朝が選んだ道は意外にも、まず家康に攻めかかることだった。

内大臣叙任後、帝への謁見を果たした頼朝は、帝の深い悲しみにも触れ、病身ながらも天下静謐への決意をさらに固めるのだった。


《主な登場人物》

源頼朝

鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城にて病床に伏す。


源義経

平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。那加城にて東国の守りを固める。徳川討伐軍大将。


武田梓

武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。徳川討伐軍に参加。


源頼光

平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。徳川討伐軍に参加。


トモミク

頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。


出雲阿国

正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として京に滞在。


北条早雲

戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。


羽柴秀長

織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。


羽柴篠

秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。頼朝の看病にあたる。


赤井輝子

狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。


源桜

頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。


源里

頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。


太田牛一

少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。


お市

織田信長の妹。頼朝軍に加わり、京に滞在中。


源宝

一色義道の娘。頼朝の養女。砲術に長け、義経隊の副将として徳川討伐軍に参加。


太田道灌

室町時代の名将。文武両道。突撃隊を率いる。徳川討伐軍に参加。



〖第四十七話:始まりの場所〗


[第四十七話 始まりの場所]


[駿府城攻略の軍議]


天正十七年(1588年)十月。


遠江国(とおとうみのくに)北部に位置する犬居城(いぬいじょう)の城下にて。徳川討伐軍を率いる源義経は、妻であり第六狙撃隊の将でもある武田梓、そして今や軍団の若き作戦参謀として才覚を示し始めた養女・源宝と共に、次なる駿府城攻略へ向けた軍議を開いていた。


此度の遠征軍に同行する頼朝軍の筆頭家臣たちも、先の岡崎城攻略、その後の進軍計画における源宝の的確な戦況分析や大胆な献策ぶりを目の当たりにし、いまや彼女の参謀としての地位を疑う者はいない。源宝自身も、「軍団全体の作戦を自分が提案せねばならぬ」という重圧を強く感じ、義経に頼まれずとも日夜、来るべき戦いに向け陣立てを考え続けていた。ただ、それでも彼女の、どこか自信なさげで控えめな態度は、以前と変わらぬままだ。


宝「そ、それでは……これより、駿府城へ向けての陣立てにつきまして、せ、僭越(せんえつ)ながら、わたくしからご提案申し上げまする」


宝は緊張で声を上ずらせながら、そう切り出した。


武田梓は、そんな宝の様子を、いつものように優しく、そして励ますような眼差しで見つめつつ声をかける。


梓「宝様、何も心配なさらず、自信をもってください。これまで宝様が立てられた戦略は、どなたが見ても見事なものでした。今、遠征軍に出陣している諸将は、みな宝様を心から信頼しております。


それでももし宝様に失礼なことを言う方がいらっしゃったら、その時はわたくし梓が決して許しませぬから」


そう言うと、梓はちらりと夫である義経へ、どこか厳しさを込めた視線を送った。


(先の長篠城攻略戦の際、あの健気な宝様が、あれほどまでに泣き腫らしていたのは、きっと義経様のせいに違いないわ……)


梓はそう確信している。


一方の義経も、頼朝の深刻な実情を聞いたことで心を乱し、まだ初陣のうら若き宝につい大人気(おとなげ)なく当たってしまったことを、妻の梓にすっかり見抜かれているのだろうと、ばつが悪そうにうつむいていた。


源宝は大きく息を吸い込み、意を決して再び口を開く。


宝「まず、ご報告がございます……

我が隊がこれから進む山道の周辺に偵察隊を出しましたが、どの隊も未だ戻って来ておりませぬ。まことに申し訳ないことをしてしまいました……

しかし、これにより山道のどこかに徳川軍の伏兵がいるのは間違いないかと存じます。


反対に海岸沿いの街道には、今のところ罠や伏兵らしきものは見受けられず、物見からの報告も通常通り届いております。ただ、街道沿いには騎馬隊への備えとして、馬防柵(ばぼうさく)が多く設置されているようです。


つまり、家康様ご自身が精強な槍隊を率いて街道沿いを固め、我が軍の騎馬隊に備えておられるものと考えられます……」


義経ははじめこそばつが悪そうにしていたが、宝の冷静かつ的確な報告に触れるうち、武人としての本能に火がつき、いつしか夢中で彼女の話に耳を傾けていた。自分なりに考えていた軍略もあったが、この恐るべき才覚を持つ若き軍師・宝が、どのような作戦を立案してくるのか、純粋な興味を抱き始めていたのだ。


義経は口を開く。

義経「……なるほど。そのような状況にあって、宝殿はどう動くべきと考えておるのかな?」


宝「で、では……。僭越ながら、申し上げます……!」


宝は声を上ずらせながらも続けた。


宝「家康様は確かにお強いお方です。ですが、今の家康様の手元に残る兵力は、多くても五千ほど。もし山間に伏兵を置くとしても、狭隘(きょうあい)な地形ですから、二千配置できれば上々かと。

つまり、たとえ徳川軍が最大限の力を振るっても、我らの一部隊を一時的に足止めする程度しかできないと考えられます。もちろん油断は禁物ですが……」


どうやら宝は、あたふたしながらも、総じてこの戦況を楽観視しているようだった。


宝「まず街道沿いの家康本隊には、太田道灌様に、以前と同じく直接対峙していただきたいと思います。先の岡崎城の戦いでは道灌様が家康様の巧妙な罠にかかり、煮え湯を飲まされました。しかし、今となっては道灌様も家康様の戦い方を十分に把握なさっているはず。家康様が新たな策を講じたとしても、しばらくの間あの地に引きつけることは可能かと存じます。

その間に源頼光様の強力な騎馬隊が両翼から殺到すれば、家康様本隊を追い払うことは容易でしょう。


次に、山あいの伏兵についてですが……。

先の長篠城の戦いのように、威嚇射撃に耐えかねてすぐ撃って出るほどの愚は、もはや犯さぬでしょう。ただ伏兵だけで我が本隊を駆逐するとは、敵も考えていないかと。もしわたくしが伏兵を指揮するならば、先鋒部隊はあえてやり過ごし、最後尾や輜重(しちょう)部隊を急襲して本隊をかく乱し、その隙に城から打って出た本隊との挟撃を狙うでしょう。


もしこの見立てが正しければ、義経様の隊はあえて二つに分け、中央に武田梓様を配置して前後を挟む形で進軍していただくのがよろしいかと存じます。


先行する義経様の分隊は伏兵に構わず駿府城へ一気に進軍。中央を進む梓様は伏兵から襲撃されても無理に戦わず、巧みに応戦しながら前進を続けてください。そうすれば、伏せておいた義経様のもう一つの別働隊と梓様の隊が前後から鉄砲で威嚇射撃を集中し、一気に敵を追い散らすことができるかと……。


もし万が一、わたくしの読みが外れたとしても、義経様の別働隊さえ見つからなければ十分対応可能かと思います……」


宝は一気に考えを述べたが、やはり百戦錬磨の義経と武田梓の反応が心配でならない。


しかし梓は、あまりにも可愛らしく、そしてあまりにも賢い若き軍師を愛おしく思い、つい感極まって宝を強く抱きしめると、

「まあ! 宝様! なんて賢いお方なのでしょう!」

と、その頭を何度も撫でた。


素直に喜びつつも、宝はやはり総大将である義経の反応が気になる。


宝「あ、あの……義経様は……。わたくしのこの浅はかな考えを、どう思われますでしょうか……?」


義経「はっはっは! 実に感心したぞ、宝殿。さすが、このわしが一目で見込んだだけのことはある!」


義経は満足げにそう口にする。だがその隣には、少し冷ややかな梓の視線がちらりと向けられていた。


義経「い、いや……その、まことに大したものだぞ、宝殿。

ただ、一つだけ確認しておきたい。もし山あいの伏兵が、我らの鉄砲隊にとって厄介な、鍛えられた切り込み隊だった場合はどうする?」


義経がそう問うと、宝は迷わず答える。


宝「はい、実はその点こそご相談でございます。

武田梓様の隊の三割ほどを、今回のみ鉄砲から槍へ装備転換し、槍兵を増やしたいと考えております……」


梓「それは良い考えですね」


今度は武田梓が頷いた。


梓「駿府城、さらにその先の蒲原城(かんばらじょう)でも、広い原野での野戦はなさそうです。でしたら騎馬隊の必要数はそれほど多くありませんし、狙撃が得意でない兵には思い切って槍を持たせるのもよいでしょう」


宝「あ、ありがとうございます!」


宝は尊敬する梓からの賛同に、ほっと胸を撫でおろしたようだった。


義経は再び口を開く。


義経「うむ、そこまで考えてくれたか、宝殿。さすがだ。では急ぎ、頼光殿と道灌殿に早馬を走らせ、その基本方針を伝えてくれ。全軍、十分に警戒を払いながら進軍し、来る十五日に一斉に駿府城へ攻めかかるとしよう。

わしの隊が先鋒となり、後詰の別働隊は里に率いてもらう」


宝は義経にも梓にも作戦を受け入れてもらい、ようやく心からの笑顔を見せた。


宝「はいっ! ではすぐに伝令を、頼光様、道灌様のもとへ走らせます!」


そう言い残し、宝は陣所から飛び出していく。各部隊長への詳細な指示や、小山城に布陣している頼光・道灌への伝令の準備に向かうのだった。


源宝があわただしく部屋を出ていくと、武田梓は鋭い目線を夫・義経に向けたまま、ゆっくりと彼のそばへ近寄った。そして義経の逞(たくま)しい手をそっと握ると、表情を穏やかで優しいものへと和らげる。


梓「……あなた様。先日、頼朝様の重いご容体をお聞きになって、お悲しみからつい宝様につらく当たってしまわれたのではございませんか?

あのとき宝様は、涙で目が真っ赤に腫れておりましたよ……」


義経「……梓には、やはりかなわぬな……」


義経は苦笑する。


義経「そうだ。兄上のために一刻も早く家康殿を説得せねばと焦り、言いようのない怒りまでこみ上げて、先の長篠では徳川軍を皆殺しにしてしまうところだった。それを宝殿が涙ながらに止めてくれたのだ……。


……なあ、梓。


兄上は、いずれこの軍団をわしに継がせようとしている。だが知ってのとおり、わしは昔から人望などというものがない。兄上あってのわし、だったからな。いざ兄上に弓を引かねばならなくなったときも、結局は誰もわしに付き従ってはくれなかった……。

今そばにいてくれる里や宝殿にすら、このざまだ……」


義経は深いため息をついた。

武田梓は、弱音を吐く夫を受けとめるように、そっと抱きしめ口を開く。


梓「いいえ、あなた様。

頼朝様の代わりを務められる方など、この世におりません。

ですが……。

先の戦いで我が軍門に降った加藤清正様は、義経様のお人柄に心服してくださり、今や忠実な家臣になっております。里様も、あなた様のことを実の叔父上として深く尊敬しておいでです。

わたくしも微力ながら、ずっとあなた様を支えて参ります。そして何より、あの宝様という類まれなる名参謀がそばにいるではありませんか。足りないところは、皆で補い合っていけばよいのです。私たちには、良き人々がそばにいてくださるのですから」


そう言うと、梓は義経の胸に顔をうずめる。


梓「……ですが……。もしここで頼朝様に万が一のことがあったなら……わたくし……耐えられませぬ……」


義経を慰めようと気丈に振る舞っていた梓だったが、本当は誰よりも不安でいっぱいなのだろう。今はただ、夫のぬくもりを強く求めているようにも見えた。


義経「梓……」


義経は妻のか細い肩を、ただ強く抱きしめることしかできなかった。もはや二人の間に言葉はいらない。




[トモミクとの対面]


頼朝一行は大垣城を出発し、頼朝の体調を気遣うようにゆっくりと岐阜城へと進軍していた。途中、何度か宿場に立ち寄りながら慎重に移動を続ける。出雲阿国は、まるで何事もなかったかのように、いつもの気丈で優雅な姿を保っている。


(……自らが死を覚悟するほどの病にありながら、あのように深く、一人の女性をいとおしく想う時間がこのわしにも訪れるとは……)


頼朝は輿(こし)の中で目を閉じ、昨夜の出雲阿国――まるで神秘のように美しく、その肌のぬくもりまでも鮮やかに思い出していた。

同時に、あの「先代の頼朝」が阿国を庇(かば)い、秀長の矢に射抜かれて命を落としたという夢が、まざまざと蘇る。


(”前のわし”の気持ちが、今のわしには痛いほど分かる……)


徳川討伐軍が徳川最後の拠点である駿府城へ向け進軍を開始している頃、頼朝一行はようやく美濃国の岐阜城へ到着した。


頼朝の到着を城下の入り口まで出迎え、心待ちにしていたトモミクは、彼の輿を見つけると馬を走らせ横につく。


トモミク「頼朝様!しばらくでございました!わざわざ岐阜までお運びいただき、まことにうれしく存じます!」


トモミクはまっすぐに、再会の喜びを頼朝へ伝える。


この時代に来たばかりの頃、頼朝は何かとトモミクに依存しつつ軍を動かしていた。だが最近の彼女は、一個師団を率いる部隊長として責務を担うことが多く、ゆっくり軍団全体の作戦や進むべき道について話し合う機会がめっきり減っていた。


頼朝「岐阜にそなたがいてくれると、西でも東でも何かあっても安心だ」


トモミク「はい! どうぞお任せくださいませ!」


トモミクは力強く挨拶すると、すぐに部隊の先頭に立ち、頼朝一行を岐阜城内へと先導していく。


頼朝の乗る輿はかつて、義経やトモミク、そして桜と時を過ごし、更にこの軍団の真の目的を最初に聞かされたあの岐阜城の麓(ふもと)の森――その中にある古びた納屋の前へ静かに運ばれた。


(……桜も、わざわざ安土からここまで来てくれたのか……)


輿を警護する部隊の中に、頼朝は娘・桜の気配を感じ取っていた。


納屋の中には、トモミク、出雲阿国、頼朝の三人だけで入り、他の供回りはすべて外で待機させる。そこでトモミクは、輿から姿を現した頼朝のあまりにも変わり果てた容貌に驚き、言葉を失った。


トモミク「頼朝様……いったい……お身体が……!」


頼朝「……トモミクには心配をかけたくなかったがな。すまぬ……」


トモミクはあまりの衝撃に言葉も出ず、助けを求めるように阿国を見やる。だが阿国もまた俯(うつむ)いたまま、何も口にしない。


トモミク「……そん……な……」


そこでようやく、頼朝は気づく。

なぜ、はじめてこの納屋で会った時も、岐阜城で評定を行っている時も、どんな話題でもトモミクは笑顔を絶やさずにいられたのか――その理由を。


(あれは、”先代のわし”との別れに絶望していた時に再び“頼朝”、つまりわしに再び会えたことへの、純粋な喜びだったのか……)


トモミクはおもむろに口を開く。


トモミク「阿国様!どうか、お願いでございます!

頼朝様がお倒れになる前の時にわたくしを連れて行ってください!

頼朝様にお薬を渡すとか、あるいは無理な上洛をお止めするとか……何か手立てはございませぬか……!」


彼女の心は大きく乱れていた。だが阿国は悲しげに首を横に振る。


阿国「……トモミク様、本当に申し訳ありません。もはやわたくしには、かつてのような巫女としての力は残っておりませぬ。ただ、この時代を生きるか弱き女子(おなご)でしか……」


「…………」


トモミクは大粒の涙を流しながら、呆然とするしかなかった。


阿国は心の奥底から湧き上がる悲しみをこらえながらも、気丈に茶を点(た)てる。

その茶が振る舞われるまで、重い沈黙の時間が流れた。


(自ら悟った、この逃れられぬ宿命……今、この話をしても二人をさらに悲しませるだけかもしれぬ……

だが、いつ己の身がどうなるか分からぬ今だからこそ、聞いておかねばならぬことがある……)


頼朝「トモミクよ。わしは、そなたの“主”とやらに心から感謝している」


頼朝は静かに語り始めた。


頼朝「わしに与えられた宿命や、阿国殿の言う神の意思とやらに、思うところは多い。

だが少なくとも、こうしてこの時代に来て、かけがえのない家族や、そなた、阿国殿と時を共に過ごせたこと――それは何ものにも代えがたい有り難いことだ。

そして、そなたが、どれほど“先代のわし”を大切に思っていてくれたか、そして今のわしに対しても己のこと以上に大事に思ってくれている、感謝しておる」


トモミク「頼朝様……どうか、そのようなことを仰せにならないでくださいませ……」


トモミクの声は涙で濡れている。桜に与えた悲しみと、同様の事をトモミクにも与えている……


頼朝「……時として“何とかならぬものか”と考えてしまうこともある。

京に入ってからの短い間に、わしごときのために多くの涙をみた……。

本当に辛い……。


だが今の命を無駄だと思ったことは一度もない。

神はこのわしに残酷な運命を与えたかもしれぬが、同時に日ノ本の多くの民のために、という大きな使命を、わしと義経に託したのだと思っている。

数えきれぬ罪を犯してきたわしが地獄に落ちようとも、“鬼”と呼ばれようとも、これほど多くの人々を救った“鬼”はそうはいまい……」


寂し気な表情でありながら、かすかに苦笑いを浮かべた頼朝であった。


頼朝「トモミクよ。そなたの本当の名は、“ミク”というのだな」


トモミク「……はい……。先代の頼朝様が亡くなられたあと、勝手ながら“頼朝様のとも”という意味を込め、“トモミク”と名乗っておりました……」


頼朝「そうか。

”先代のわし”に比べ、今のわしなど未熟で病に倒れ、そなたをがっかりさせてはいないか?」


トモミク「もう……頼朝様……! なぜそんなことをおっしゃいます……!

わたくしの大好きな頼朝様は、どの時代の頼朝様も同じです……!」


トモミクは子どものように声を上げ、泣き崩れる。


頼朝「……トモミク、いや、ミクよ。もう一度会いたかった。

そして一つだけ願いがある。


仮にわしがこの世を去った後、この軍団のすべての業(ごう)を背負うのは義経だ。あの不器用で危うげな弟を、どうか支えてやってほしい。頼めるか?


義経はまことに不憫な男だ。鎌倉でも、そしてこの戦国の世でも、常に愚かな兄のために人生を翻弄(ほんろう)され続けている……」


トモミクは声にならない声で、ただ何度も頷くしかなかった。


(“先代のわし”も、最後に伝えた言葉は同じく義経のことだったと、阿国殿は言っていたな……)


頼朝はふと思い出した。


頼朝「ミク。わしは、そなたの“主”が何を本当に求めていたのか、そして今のわしが迷いながらも進んでいる道とに、大きな隔たりがないかどうか確かめたかった。


先日、帝はこう仰せられた。


『全国を統一せずとも、日ノ本の半分を我が手中に入れられたならば、その時は惣無事令を考えてもよい』と。

上洛しただけでは、やはり実現は難しかった。


日ノ本の半分を手に入れ、朝廷内で誰も文句を言えぬほどの力を示さねば、惣無事令など出せぬということだろう。しかし朝廷にも帝はじめ心あるものたちの心にも触れる事ができた。その上で日ノ本の半分は手にしなくてはならぬ。


当初は朝廷を敵視していたが、帝のお心に触れ、その苦しみも知った。畏れ多いことながら、目指す天下静謐は、帝もわしも同じだ。」


トモミクは必死に気持ちを落ち着けようとしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


トモミク「……さいきん、わたくしの“主”からは、まったくお手紙が届かなくなりました……ずっと心配しておりましたが……さきほど阿国様のお話を聞いて、ようやく分かりました……もう阿国様は時を行き来できなくなっていたのですね……阿国様もずっと、お一人で苦しまれていたのですね……」


深く息を吸い込んだトモミクは、崩れそうな心を奮い立たせるように、さらに言葉を続ける。


トモミク「頼朝様……。

以前にも申しましたとおり、わたくしの“主”が知っていた“未来”は、頼朝様がこの時代におられなかった場合の、あくまで“ひとつの可能性”に過ぎませぬ。

ですが今や、頼朝様ご自身が全く新たな時の流れをお創りになっているのです。

少なくとも、武田勝頼様をはじめ武田家は今も安泰。織田信長様もご存命です。北条家も、今なお健在。

わたくしの“主”が以前望んでいた世界を、頼朝様はすでに見事に、力強く実現してくださった。


それなのに……どうして頼朝様はご自身を“罪深い”とか“鬼”だとか、そこまで卑下なさるのです……?」


頼朝「……もし、天下静謐などという大それたことを望まず、武田や信長を守る必要性もそれほど考えず、かけがえのない家族と忠実なる家臣、心優しき領民たちと共に、ただ今のまま静かに美濃・尾張の地を守り続けることができたなら……それが一番よかった……」


頼朝は力なく言う。


頼朝「だが……。大きな罪を犯さずして、真の天下静謐など成し遂げられぬ。未来の者たちにとって最善の可能性を考えても、犠牲を払わねば道は開けぬだろう。

ならば誰かがその罪を背負わねばならない。だからこそ、わしと義経はこの時代へ呼ばれたのだ。阿国殿が言う“神”とやらも、そのために阿国殿へ力を与えたのだろう……


本当は、そなたの“主”の真の思いを聞きたかったが……


まあ、よい。

皆、ただ今を懸命に生きるだけだ。過去も未来も、神の力も、いまの我らには何の意味もないのかもしれぬ。

ただ、この“今”という時こそが、良き未来となるために最善を尽くすべき、時なのだ……」


黙って聞いていた出雲阿国が、たまらず声を上げる。


阿国「ですから、頼朝様……! だからこそ、わたくしは何としてもあなた様に生きてほしいのです……!」


先ほどまで気丈に見えた阿国も、とうとう感情を抑えきれなくなったようだ。


頼朝「そうだな……。わしさえ生きておれば、義経に余計な負担をかけずにすんだかもしれぬ。

そしていつか、皆と安らかな日々を過ごせたなら……」


頼朝は納屋からのぞく空を見上げた。


トモミクも阿国は、下を向いたまま黙り込む。すると頼朝は再び口を開いた。


頼朝「……この納屋はいい。いつ来ても心が落ち着く。

大事な話は、いつもここだったな。初めてこの時代に来たとき、ミクと義経、三人で話をしたのが、まるで昨日のことのようだ……。

さて、もう日も暮れてしまう。その前に岐阜城へ戻ろう」


トモミク「頼朝様……私の名はもう“トモミク”でございます。どうかこの岐阜城でごゆるりとお身体を休めくださいませ……」


トモミクは涙を止められず、懇願するように頭を下げる。


頼朝「……感謝する、トモミク」


頼朝は静かに頭を下げた。

そして再び輿に乗り、岐阜城の本丸へと向かう。


***


岐阜城は主だった将兵が尾張の那古野城に布陣していることもあり、先の戦で徳川方から降伏した将兵が反旗を翻(ひるがえ)すのを防ぐため、城内は静まり返っていた。


(わしの病状で多くの家臣が悲しみ心配してくれる様を、ここ数日あらためて目にしていると、何とかして生き永らえたいものだ……)


(帝に謁見してから今日に至るまで、体調が著しく悪くなることもなかった。もしかすると、もう大丈夫なのかもしれぬ……)


そんな淡い期待が頼朝の胸に芽生える。


だが、岐阜の森の納屋で見せたトモミクと阿国の悲痛な表情と言葉が、どうにも頭を離れない。その夜、頼朝はなかなか寝つけずにいた。


城内は衛兵を除き、皆すでに休んでいるはずの時間。そんな闇の中、頼朝の寝所の外で足音がかすかに聞こえた。

やがて戸がそっと開き、白絹(しろぎぬ)の衣擦れの音が暗闇の中で頼朝の耳に届く。


阿国「……頼朝様……」

低くかすれた声は、出雲阿国のものだ。


月明かりに照らされたその姿は、いつにも増して幻想的で妖艶に見える。阿国は静かに戸を閉じると、ためらわずに頼朝の寝所の傍へと進み、顔を上げる。その頬には止めどない涙が伝っていた。


しんと静まり返った夜。

阿国の帯がはらりと畳へ落ち、薄絹が白い肌にかさりと擦れる。そのささやかな音までもが、頼朝の耳に届く。


障子越しの淡い月明かりの下、阿国の滑(なめ)らかな肌は秋の夜に浮かぶ白磁のように眩しく、妖(あや)しさを帯びながら光り輝いている。

やがて阿国は涙を湛えたまま、何の装いもまとわぬ姿となり、頼朝のもとへ静かに身を寄せた。


頼朝は思わず体を起こし、その華奢(きゃしゃ)な体を抱きとめる。冷たい頬にそっと唇を触れると、阿国の熱い涙は頼朝の胸元で溶けるように落ちていった。


阿国「――たとえ、あの“大いなる神”がこのわたくしを厳しくお裁きになる日が来ようとも……それでも、今だけは……ただ、あなたのそばに……」


阿国は声を詰まらせるように言う。


頼朝は彼女の小さく震える背中をそっと撫でることしかできない。


やがて二人はもつれ合うように一つの衾(ふすま)を手繰り寄せ、淡い月光だけが寝所をぼんやりと照らす。障子に映る二つの影は、揺らり、揺らりと幻想的に重なっていた。

静寂の夜の気配に、白檀(びゃくだん)のかぐわしい香りがほのかに混じる。触れ合う指先のかすかな震え、唇に溶ける涙の味――。


生と死がいま、ここで交差しようとしている刹那。

互いを求め合う想いは静かに、しかし烈(はげ)しく燃え上がり、やがて阿国の切なげな吐息へと変わっていく。



二人の魂は深く固く結ばれ、秋の虫の声だけが遠くに細く続く夜。寝所には、ただ月光と静寂だけが残されていた。

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