溺愛も放任も手段の一つ
再登校支援事業を営んでいるToCo(トーコ)の青山と申します。
不登校のお悩みの中で、「子どもにどれくらい自由にさせるべきでしょうか?」「子どもに愛情を注いできたのに間違っていたのでしょうか?」と言った子育ての方法論についてよく質問をいただきます。
今回は児童心理学の面から子育ての正解について説明します。
子育てに「正解」を求めすぎると苦しくなる
子どもを育てるうえで、親は常に「これでいいのか?」と悩みます。
「もっと厳しくすべき?」
「甘やかしすぎ?」
「愛情は十分に伝わっている?」
「放っておいたほうが自立する?」
育児書を読んだり、先輩ママの話を聞いたり、専門家の意見を調べたりしても、結局「どれが正解なの?」と迷うことはありませんか?
なぜなら、子育てには「唯一の正解」がないからです。
よく「子どもは親を選べない」と言いますが、実は親も「子どもを選べない」のです。どんな性格の子が生まれてくるか、どんな価値観を持つ子になるか、それは親の思い通りにはなりません。
にもかかわらず、「正しい育て方があるはずだ」と思い込むと、うまくいかないときに「私のやり方が間違っているのでは?」と悩み、苦しくなります。
子育ての悩みは尽きませんが、その原因のひとつは、「子どもにとって最適な手段は一つではない」という事実を見落としがちだからです。
溺愛も放任も、それ自体が悪いのではなく、「どう使うか」「いつ使うか」が重要なのです。
目的は「子どもの幸せ」——手段が目的化していないか?
子育てにおいて、親が目指すべき目的は何でしょうか?
多くの人が「子どもが幸せに生きること」と答えるでしょう。
しかし、気づかないうちに、その目的が「手段」にすり替わってしまうことがあります。
例えば、次のようなケースを考えてみてください。
「いい学校に行けば幸せになれる」と思い込み、受験勉強を最優先にする
「自立した大人に育てたい」と考え、子どもが助けを求めてもあえて突き放す
「愛情をたっぷり注ぐことが大事」と信じ、子どもが何をしても叱らない
これらの考え方は、一見すると「子どものため」のように思えます。
しかし、実際には「いい学校に行くこと」「自立すること」「愛情をたっぷり注ぐこと」が目的になってしまっていないでしょうか?
大切なのは、それらが「子どもの幸せにつながっているかどうか」を常に問い直すことです。
たとえば、子どもが本当に求めているのは、「いい学校に行くこと」ではなく「安心して学べる環境」かもしれません。
「自立すること」ではなく「困ったときに助けてくれる存在がいること」かもしれません。
「たっぷりの愛情」ではなく「自分の力で成功体験を積むこと」かもしれません。
子どもは一人ひとり違います。親の考える「理想の育て方」が、その子にとって本当に合っているかどうかを見極めることが重要です。
そのためには、「子育ての手段は柔軟であるべき」という意識を持つことが大切なのです。
「こう育てたい」という願望が、目的を見失わせる
子どもの幸せを願うのは、すべての親に共通する思いです。しかし、その「願い方」によっては、かえって子どもを苦しめることがあります。
たとえば、次のようなケースを考えてみましょう。
ケース1:「成功してほしい」という願いが、プレッシャーになる
ある母親は、「子どもにはしっかり勉強して、いい大学に行ってほしい」と考えていました。自分自身が勉強で苦労したからこそ、「学歴があれば安定した人生が送れる」と信じていたのです。
そのため、小さな頃から習い事や塾に通わせ、テストの点数を気にするようになりました。「頑張ったね」と褒めるのは、いい成績を取ったときだけ。子どもは「ママに認めてもらうには、良い成績を取らなきゃ」と思うようになり、次第に勉強が苦しくなっていきました。
そして、中学生になった頃、突然「勉強なんてもう嫌だ」と机に向かわなくなってしまいました。
母親は「こんなに頑張ってきたのに、なぜ?」と戸惑いましたが、実はこの時点ですでに子どもは、「勉強=親の期待を満たすもの」としか考えられなくなっていたのです。
この母親は、「子どもが幸せになること」ではなく、「いい成績を取ること」が目的になってしまっていました。
ケース2:「自由に育てたい」という放任が、子どもを不安にする
また、別の家庭では、「子どもの自主性を尊重すること」を大切にしていました。親が子どもの進路や生活に口出しするのではなく、「自分で考えて行動する力をつけてほしい」と願っていました。
そのため、「宿題をやるかどうかは本人に任せる」「学校の成績も気にしない」「習い事も本人の希望がない限りやらせない」と、徹底して自主性を重んじる子育てをしました。
ところが、小学校高学年になったころ、子どもは「何をすればいいのかわからない」「自分のやりたいことがない」と言い始めました。そして、何を聞いても「どっちでもいい」「好きなことなんてない」と無気力になってしまいました。
この親は、「自由に育てること」が目的になりすぎて、子どもが本当に求めていた「適度な導き」や「安心できる枠組み」を与えられなかったのです。
親の理想と、子どもの幸せは必ずしも一致しない
どちらのケースも、「子どもを幸せにしたい」という思いから生まれています。しかし、結果的に子どもにとっては負担や不安になってしまいました。
これは、親の「こう育てたい」という願望が、いつの間にか「子どもにとって本当に必要なこと」を見失わせてしまったからです。
親の理想が悪いわけではありません。ですが、その理想が「手段の柔軟性」を奪ってしまうことは危険です。
「本当にこの方法でいいのか?」と立ち止まり、「子どもの今の状態に合わせて、育て方を変えていく柔軟性」を持つことが、子どもの幸せにつながるのです。
親が子の幸せにどう関わるか
親の理想が、時に子どもを苦しめることは前述の通りです。しかし、では「何も決めつけず、完全に自由に育てる」のが正解なのでしょうか?
答えは「場合による」です。
子どもには、それぞれ性格があります。ある子は、明確な目標があるとやる気を出し、別の子は自由度が高い方が成長するかもしれません。
例えば、中国の「顔氏家訓」という古い家訓には、「幼少期には厳しく道徳教育を施し、大人になったら好きに生きさせる」 という考え方が記されています。
これは、一見すると「厳しい教育」を推奨しているようにも見えます。しかし、その本質は、「子どもが自分の力で人生を切り開けるように、基盤をしっかり作る」というものです。
つまり、「子どもが幸せに生きられるように、必要な基礎を作ること」と、「その後は本人の意思を尊重すること」という2つのバランスを取ることが大切だということです。
この考え方は、すべての家庭に当てはまるわけではありません。しかし、「幼少期の関わり方」と「成長したあとの関わり方」を区別するという視点は、子どもの個性に応じた育て方をするうえで参考になるでしょう。
重要なのは、「親の決めつけが、子どもにとってプラスになるのか、マイナスになるのか」を考えることです。
「こうすべきだ」という考えに固執するのではなく、「この子にとって今何が必要か?」 という視点を持ち続けることが、親に求められる柔軟性なのです。
手段の柔軟性をどう持つか?
ここまで、子育てにおいて「手段の柔軟性」が重要であることを述べてきました。では、実際にどうすれば「柔軟な子育て」ができるのでしょうか?
結論から言うと、「子どもをよく観察し、その時々に応じた関わり方をする」ことが大切です。
しかし、これが簡単ではありません。親の立場からすると、子どもに対して「こういう教育をすれば、こう育つはず」という期待を持ってしまいがちだからです。
しかし、子育ては「レシピ通りに作る料理」ではありません。
子どもは、同じ親から生まれても、まったく違う個性を持っています。
そのため、「正しい育て方」ではなく、「この子に合った育て方」を探す視点が必要 なのです。
「子どもを観察する」という本当の意味
「子どもをよく観察しましょう」という言葉は、育児本や教育論でもよく言われます。
しかし、多くの親が誤解しがちなのは、「観察すること」と「評価すること」は違う という点です。
観察と評価の違い
観察:子どもの行動や言動を、そのまま受け止めること。
評価:「この子は〇〇だから良い/悪い」と、判断を下すこと。
例えば、次のような場面を考えてみましょう。
ケース1:習い事を嫌がる子ども
子どもがピアノのレッスンに行くのを嫌がったとします。
そのとき、親が「この子は根気がない」「怠けている」と評価してしまうと、親の意見が先に立ち、子どもの本当の気持ちを見落としてしまいます。
しかし、もし「なぜ嫌がるのか?」と観察を続けると、次のような理由が見えてくるかもしれません。
「先生が厳しすぎて怖い」
「他の子と比べられるのがストレスになっている」
「ピアノ自体は好きだけど、レッスンのやり方が合わない」
このように、子どもの行動の背後には、必ず「理由」があります。
「習い事が嫌なら辞めさせよう」と短絡的に決めるのではなく、
「なぜ嫌がっているのか?」「別の方法はあるか?」と考えることが、「柔軟な手段」を持つことにつながるのです。
ケース2:すぐに親に頼る子ども
「ママ、やって!」が口ぐせの子ども。
すぐに親に頼る姿を見ると、「自立心が足りないのでは?」と不安になるかもしれません。
しかし、子どもをよく観察してみると、次のような要因があるかもしれません。
「うまくできなくて自信をなくしている」
「親に甘えたい気持ちが強い」
「やり方を教えてほしいけど、どう頼んでいいかわからない」
この場合、「手伝ってほしい」と言ってくるたびに「自分でやりなさい」と突き放すのが正解とは限りません。
例えば、最初は一緒にやり、徐々に「自分でできる部分」を増やしていく ことで、自立心を育てることができます。
「この子は甘えん坊だから、もっと厳しくしなきゃ」と決めつけるのではなく、「今、この子は何を求めているのか?」を観察することが大切なのです。
親の関わり方を変えるタイミングを見極める
子育てにおいて、「どのタイミングで関わり方を変えるか」というのは、とても重要です。
例えば、子どもが成長するにつれ、親が積極的に手を貸すべき時期と、少し距離を置いて見守るべき時期 があります。
しかし、この「切り替え」がうまくできないと、次のような問題が起こりがちです。
「過保護になりすぎる」ケース
小さい頃は、親が手を貸すことが必要な場面が多いですが、そのままずっと過干渉でいると、「親がいないと何もできない子」になってしまう。
子どもが自分で決める機会を奪い、依存体質を作ってしまう。
「急に突き放してしまう」ケース
幼児期は手厚く関わっていたのに、小学校に上がると急に「もう大きくなったから自分でやりなさい」と突き放す。
これにより、子どもが「なぜ今まで助けてくれていたのに、急に放っておかれるの?」と混乱し、自信を失ってしまう。
では、どうすればいいのか?
答えは、「少しずつ移行すること」です。
例えば、「お着替えを全部やってあげる」から「一部だけ自分でやるようにする」といった 「段階的なステップ」 を意識することで、子どももスムーズに適応できます。
子どもの「できること」「できないこと」を見極め、それに合わせたサポートをする。
この視点を持つことが、「柔軟な子育て」には欠かせません。
まとめ:子育てに必要なのは手段の柔軟性
子どもは、一人ひとり違います。
「この方法が正しい」という型にはめるのではなく、「この子にとって今、何が必要か?」 を考えながら育てることが大切です。
溺愛も、放任も、どちらも「手段の一つ」 であり、それ自体が良い・悪いのではない。
大切なのは、子どもをよく観察し、その時々に応じて適切な関わり方をすること。
親の理想にこだわりすぎると、子どもの本当の気持ちを見落とすことがある。
手段を目的化せず、「子どもの幸せ」を第一に考え、柔軟に対応することが大事。
子育ては、一つのやり方に固執するのではなく、子どもの個性や成長に合わせて、親自身も変わっていくことが求められます。
「こうあるべき」に縛られるのではなく、「今、この子には何が必要か?」を常に問い続けること。
それこそが、子どもが自分の人生を幸せに生きるための、一番の土台になるのです。
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