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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

スクーター大国日本の景色はヤマハが創った

2025年06月07日 | open



(パッソル/1977年3月登場)

1960年に発表したヤマハの
スクーターは故障が多く不
評だった。
そして、他メーカーも1960
年代末期にはスクーターの
製造をやめ、日本にはスク
ーター不在の時代が10年近
く続いた。
だが。
1977年にヤマハが起死回生
の二輪車「パッソル」を発
表した。

ターゲットは完全に女性層
だ。
それ以前に、ホンダがロー
ドパルというモペットで女
性二輪層の開拓に着手した
が、ステップスルーの足を
揃えて乗れる二輪ではなく、
爆発的普及には至らなかっ
た。
だが、ヤマハはやった。
スクーターの復活を。
しかも女性運転者に的を絞
って。
人気は空前絶後の大爆発だ
った。

どう見ても銀座のブークラ
のちゃんねーとママさんと
いう感じなのだが、新型新
機軸の新しい乗り物=パッ
ソルの発表会は新たな二輪
運転車=女性、というコン
セプトを打ち出して都内の
一流ホテルで行
われた。
極めてセンセーショナルだ
った。

パッソルが発売されたばか
の1977年3月、私が所属して
いた
ヤマハ系のレーシングチ
ムから普段の都内街乗りで
チー
ム事務所兼ガレージまで
足として、デモ車の新車の
パッソルのうち1台
をチーム
オーナーが私に無償で貸し出
してくれた。アーバンブルー
という色名の水色のパッソル。
高校1年の時だった。


ヤマハスクーター全史・1

パッソル1号機に乗った事
ある人ならば知っている
だろ
う。

実は「足を揃える」という
を謳い文句にしたパッソ
ルだ
ったが、事実上は足を
揃えて
も膝を揃えて乗るのは困難だ。

やってみると、シート前部
たりの振動が激しく、そ
れは
まるで電動バイブのよ
うなの
だ。

変な話だが、男でも脚を開
ないとちょっと無理とい
う感
じなのに、女性だと一
体どう
なってしまうのか、
というの
がパッソルの初号
機だった。
実際に、イメージキャラク
ーだった八千草薫さんも
制止
写真では膝を揃えてい
るが、
実走行映像ではやや
膝を開い
ている。

でないと、振動ビィーンのブ
ルブルプルプルで
乗れません。
電マを股間に挟んでいるよう
で(笑

いや、これ、ほんとの話。
やや膝を開くと振動はさほど
伝わらなかった。
(その後のモデルでは振動は

対策処理された)

だが、そうした痺れ電動バイ
ブ二輪のパッソルだったが、
爆発的に売れた。

そして、現代まで50年近く
く日本のスクーターブー
ム、
「買い物、通勤、通学の
足」
としては原付スクータ
ーが定
番、という日本の風
景をヤマ
ハが創出した。

1970年代後半から1980年~90
年代にかけての第二次スクー
ターブームはヤマハが
切り拓
き、構築したのは間
違いない。
21世紀の現代でも、日本で
原付1種といえばスクータ

が原付の代名詞だし、原
付2種
でもスクーターが主軸
だ。
そうしたモーターリゼーショ
ンの実体はヤマハが新たな運
転者層と市場を開拓して乗り
人環境を創り上げ、ホンダ、
スズキが
それに続いて市場参
入してき
てから国内原付大ブ
ームとなった、というのが実
相だった。

スクーターを愛するいち乗り
人として、私は歴史を創った
パイオニアであるヤマハ開発
陣の英断に、50年近く過ぎた
今でも拍手を送らずにはいら
れない。


 


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