(パッソル/1977年3月登場)
1960年に発表したヤマハの
スクーターは故障が多く不
評だった。
そして、他メーカーも1960
年代末期にはスクーターの
製造をやめ、日本にはスク
ーター不在の時代が10年近
く続いた。
だが。
1977年にヤマハが起死回生
の二輪車「パッソル」を発
表した。
ターゲットは完全に女性層
だ。
それ以前に、ホンダがロー
ドパルというモペットで女
性二輪層の開拓に着手した
が、ステップスルーの足を
揃えて乗れる二輪ではなく、
爆発的普及には至らなかっ
た。
だが、ヤマハはやった。
スクーターの復活を。
しかも女性運転者に的を絞
って。
人気は空前絶後の大爆発だ
った。
どう見ても銀座のブークラ
のちゃんねーとママさんと
いう感じなのだが、新型新
機軸の新しい乗り物=パッ
ソルの発表会は新たな二輪
運転車=女性、というコン
セプトを打ち出して都内の
一流ホテルで行われた。
極めてセンセーショナルだ
った。
パッソルが発売されたばかり
の1977年3月、私が所属して
いたヤマハ系のレーシングチ
ームから普段の都内街乗りで
チーム事務所兼ガレージまで
の足として、デモ車の新車の
パッソルのうち1台をチーム
オーナーが私に無償で貸し出
してくれた。アーバンブルー
という色名の水色のパッソル。
高校1年の時だった。
ヤマハスクーター全史・1
パッソル1号機に乗った事が
ある人ならば知っているだろ
う。
実は「足を揃える」という事
を謳い文句にしたパッソルだ
ったが、事実上は足を揃えて
も膝を揃えて乗るのは困難だ。
やってみると、シート前部あ
たりの振動が激しく、それは
まるで電動バイブのようなの
だ。
変な話だが、男でも脚を開か
ないとちょっと無理という感
じなのに、女性だと一体どう
なってしまうのか、というの
がパッソルの初号機だった。
実際に、イメージキャラクタ
ーだった八千草薫さんも制止
写真では膝を揃えているが、
実走行映像ではやや膝を開い
ている。
でないと、振動ビィーンのブ
ルブルプルプルで乗れません。
電マを股間に挟んでいるよう
で(笑
いや、これ、ほんとの話。
やや膝を開くと振動はさほど
伝わらなかった。
(その後のモデルでは振動は
対策処理された)
だが、そうした痺れ電動バイ
ブ二輪のパッソルだったが、
爆発的に売れた。
そして、現代まで50年近く続
く日本のスクーターブーム、
「買い物、通勤、通学の足」
としては原付スクーターが定
番、という日本の風景をヤマ
ハが創出した。
1970年代後半から1980年~90
年代にかけての第二次スクー
ターブームはヤマハが切り拓
き、構築したのは間違いない。
21世紀の現代でも、日本では
原付1種といえばスクーター
が原付の代名詞だし、原付2種
でもスクーターが主軸だ。
そうしたモーターリゼーショ
ンの実体はヤマハが新たな運
転者層と市場を開拓して乗り
人環境を創り上げ、ホンダ、
スズキがそれに続いて市場参
入してきてから国内原付大ブ
ームとなった、というのが実
相だった。
スクーターを愛するいち乗り
人として、私は歴史を創った
パイオニアであるヤマハ開発
陣の英断に、50年近く過ぎた
今でも拍手を送らずにはいら
れない。