聖地巡礼の歴史から日本社会の変容を読み解く【戦前日本の「聖地」ツーリズム キリスト・日蓮・皇室】

 いま「聖地」の巡礼といえば宗教や漫画、アニメの「ご当地めぐり」を指します。しかし、昭和戦前期には同調しない人を非難し排除する強い圧力を伴ったものでした。
 日常語となった「聖地」という語の背景に、総力戦体制を支えた「空気」のルーツを探る新刊戦前日本の「聖地」ツーリズム キリスト・日蓮・皇室より、一部を抜粋して公開します。

平山 昇『戦前日本の「聖地」ツーリズム キリスト・日蓮・皇室』

平山 昇『戦前日本の「聖地」ツーリズム キリスト・日蓮・皇室』

序章『聖地』の日本化 より

『参宮のおもひで』

図序-1 『参宮のおもひで』(大日本紡績一宮工場、1936年)筆者所蔵

図序-1 『参宮のおもひで』(大日本紡績一宮工場、1936年)筆者所蔵

 ここに一枚の写真がある(図序―1)。
 列車から身を乗り出し、はちきれんばかりの笑顔を見せる女性たち。一九三六(昭和一一)年六月、愛知県の紡績工場に勤める女工たちが伊勢神宮に参拝旅行をしたときの記念写真である。

 第一次世界大戦以降、紡績大企業では女工たち(主に農村出身の若い女性)をただ働かせるだけではなく彼女たちに工場内の学校で教育機会を与えることが主流となり、この工場でも女工たちは「桜花学校」と称する工場内学校で「ミツチリ日本女性としての教養をつ」んで、「何年か経つと夫々(それぞれ)花嫁候補者になつて、故郷へ錦を飾つて帰つてゆく」ことになっていた(池田さぶろ『職場現地報告』国民工業学院、一九四一年、三六六頁)。したがってこの参拝旅行は、日々の労働から解放されるという慰安旅行であると同時に、女学校の修学旅行と同じように、仲間たちと一生に一度の思い出をつくるという意味もあったのである。『参宮のおもひで』というこのアルバムのタイトルが、何よりもそのことを物語っている。

 もしかしたら、戦後のあるとき、戦争の苦難を生き延びた旧友たちが集まった同窓会で、彼女たちはこのアルバムをひらいて思い出話に花を咲かせたのかもしれない。

「聖地」といえば「耶蘇のお墓」!?

 さて、伊勢神宮のような一部の著名神社に対して、戦前のある時期から用いられるようになった言葉がある。本書のタイトルにもある「聖地」である。
 図序―2をみてみよう。これは、近畿日本鉄道の前身となった私鉄の広告である。

図序-2 大阪電気軌道・参宮急行電鉄・関西急行電鉄の広告『大阪朝日新聞』1938年12月23日夕刊(22日発行)

図序-2 大阪電気軌道・参宮急行電鉄・関西急行電鉄の広告『大阪朝日新聞』1938年12月23日夕刊(22日発行)

鳥居のイラストのところに「三聖地」とあり、三つの神社が列挙されている。現代であれば神社を「聖地」と称するのは当たり前である。ところが実は、このような用例は大正期までは一般的ではなかった。当時の感覚をよく表す文章(児童雑誌に掲載された童話)を紹介しておこう。

パレスチナには、ふるいエルサレムの都のあとがあつて、そこに耶蘇のお墓があります。欧羅巴の人たちは、はるばる地中海の海をわたつて、耶蘇のお墓におまゐりをします。それを聖地の巡礼といつて 、日本で三十三所の観音さまや六十六〔八十八ヵ〕所の大師さまに巡礼するよりももつと大事なことでした。

(楠山正雄「大法螺」『金の船』四巻三号、一九二二年三月、五頁)

 よく読んでみると不思議に思えてこないだろうか。まず、エルサレムの「耶蘇のお墓」におまいりすることは「聖地の巡礼」だが、日本の西国三三所巡礼や四国遍路は「聖地の巡礼」ではないという書きぶりである。しかも、前者は後者よりも「もつと大事なこと」だとはっきり優劣をつけている。いずれも分け隔てなく「聖地巡礼」と称することに慣れている現代の私たちにはしっくりこない区別の仕方である。
 実は、このようにキリスト教の優位を前提として、日本国内の社寺参詣と意識的に区別して「聖地」という言葉を用いることは、当時きわめて一般的だった。しかし昭和になると、皇室ゆかりの神社や天皇陵を「聖地」と称する用法が広まっていく。それはいったいなぜだったのか。
〔中略〕

 たとえば、第一次大戦以降の工業化によって激増した労働者たちには、「修養」(正しさ)と慰安(楽しさ)の両方を求める切実な欲求があった。この欲求は、それらを得られなければ「人格」が踏みにじられたと感じるほど切実なものだった。その切実さゆえに、いざ〈正しさ〉を実践する立場になると、独特の高揚感と解放感すら得られることになる。講談社はこのような〈正しさ〉へのニーズを的確に察知したからこそ、〈楽しさ〉一辺倒ではなく「面白くて為になる」という、〈楽しさ〉と〈正しさ〉をかけあわせたモットーを打ち出したのだった。

 このように押しつけでも本音のカムフラージュでもなく、きわめて能動的に楽しみながら人びとが〈正しさ〉を求めていくとき、皮肉にもそこにはお互いの自由を奪い合う力が生じていく。

 本書では、何の公的権力もないふつうの人たちの側から、ある種の〈正しさ〉を振りかざして他者にプレッシャーを与える動きが昭和期に顕在化していくことを明らかにする。

 福沢諭吉のように庶民の無知蒙昧をこれでもかとこき下ろすスター知識人が絶大な影響力をもった文明開化期とは異なり、明治末期以降には戦争(日清戦争・日露戦争)で国家のために命をかけて戦った人たち(の家族)が社会のなかで台頭する。男子のみではあるが選挙権も拡大していき、一九二五(大正一四)年には普通選挙法が成立する。自分にも何かしらの〈正しさ〉を語る資格があるとふつうの国民が確信できる時代が到来したのである。

 そうは言っても、学歴や教養に自信をもてない人が人前で堂々と主張するのは容易なことではない。そういう人が〈正しさ〉を他者にうったえかけるとしたら、どうすればいいか。有力な回路の一つが投書だった。ちょうどこの時期に登場したラジオにおける流行歌の統制が、新聞や放送局への投書に熱を上げる「投書階級」と呼ばれる人びとの〈民意による検閲〉に強く影響されていたことはきわめて示唆的である。本書が注目するもう一つの回路が、皇室と結びつけて特権化された場所に行くという〈体験〉である。伊勢神宮参拝のような〈体験〉にある種の決まり文句を組み合わせることで、誰でも自信をもって「国体」を語ることができるようになる。ツーリズムは、〈正しさ〉の根拠を「国民大衆」に与える回路になっていくのである。
 
 戦前日本の「聖地」ツーリズムは、〈楽しさ〉だけでなく、皇室という戦前における究極の〈正しさ〉と結びついて展開していくが、〈正しさ〉は上から押し付けられたもの、〈楽しさ〉は人びとが自発的に求めたもの、という単純化だけはしないでおこう。人びとは旅行だからこそ味わえる〈楽しさ〉に胸を躍らせながら、皇室ゆかりの「聖地」へと向かっていった。そのなかには、〈正しさ〉を受け入れることと引き換えに、自力では到底手の届かない旅行のチャンスを手に入れた人たちもいた。いずれにしても「聖地」を実際に訪れたという〈体験〉があれば、その後の人生において立場や境遇の異なる他者と同じ〈気分〉を共有したり、他者に向けて堂々と〈正しさ〉を主張することもできた。だがそれは同時に、その〈正しさ〉のあり方にどうしても馴染めない人たちが息をしにくくなっていくということでもあった。
 
 このように〈正しさ〉と〈楽しさ〉が絡みあいながら「聖地」ツーリズムが展開していく過程を明治末期を起点としてみていくことによって、二〇世紀前半の日本社会にどのような変質が生じたのかということを、これから本論で考えていこう。


続きはNHKブックス『戦前日本の「聖地」ツーリズム キリスト・日蓮・皇室』でご覧ください。

著者

平山 昇(ひらやま・のぼる)
1977 年、長崎県生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。駿台予備学校講師、立教大学兼任講師、九州産業大学准教授などを経て、現在は神奈川大学国際日本学部准教授。専門は日本近現代史。
主な著書・論文に『初詣の社会史――鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』(東京大学出版会。交通図書賞受賞)、『鉄道が変えた社寺参詣――初詣は鉄道とともに生まれ育った』(交通新聞社新書)、「「体験」と「気分」の共同体――20 世紀前半の伊勢神宮・明治神宮参拝ツーリズム」(『思想』1132 号)など、編著書に『大学的神奈川ガイド――こだわりの歩き方』(昭和堂)がある。

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