空閑家は戦国時代末期に成立した。これは「呪術全盛の時代」と呼ばれた平安時代から存続する名門がひしめく呪術界においては「新参以上古参未満」の中途半端な立場にカテゴライズされる。
しかしそれは呪術界における役職の話であって、世間一般から見て「400年以上続く武士一族」というのはそういくつも例がない稀有な名門だ。
それは、「戦国から江戸」と「江戸から明治」、そして「戦前から戦後」とそれぞれ大きな歴史的断絶が起こっており、名門と呼ばれる中でもそれらを乗り越えた者が少ないからだ。
日本国内におけるこれらの歴史的変革は、一つの共通点に基づいている。
倫理観のアップデートを伴う、民間組織の保持する武力の減少。
近世以降の統一国家は、国家による武力の独占と、それを是とする民意を伴って初めて成立するためだ。ここが上手く行っていないと、例えば革命期のフランスや前世紀のアフリカのように何かにつけては政権が倒される不安定さを孕むことになる。
時代の移り変わりの度にその傾向は顕著になった。戦国後期まで大名と呼べる存在が生まれず、土豪たちによる統治が存続してきた空閑の本拠地にも最終的には藩が置かれ、幕府による支配の及ばない土地が存在しなくなった。
慶長から元和にかけての激動の時代を駆け抜けた空閑家初代は、時代に応じて幾度も主君を変えつつ、最終的に地元藩主に召し抱えられるに至る。
「呪術師としての」空閑家初代は女性であったため、表向き知行は夫の方に与えられることとなったが、それがお飾りであることは、少なくとも当時は公然の秘密であった。
農村の拝み屋から突如産まれた天才は、しかしそれ故に誰よりも武士たらんと欲し……そして、秘密主義の呪術界に属していた故に、明治維新の波を免れて存続を許された。
――時は流れ、現代。
熊本県某所、市街からほど近い割に緑の多いそこには、地元住民には有名な剣道場がある。
この辺りが肥後国と呼ばれていた時代から剣術道場を開き、熊本藩武術師範や警視庁撃剣世話掛を輩出し、剣道へと転向して以降も名門道場として運営を続ける歴史的大家である。
運営する一族は元熊本藩士の増崎家。そう、関門海峡の特級討伐戦の戦友・増崎宏美の実家にして、空閑家の分家に当たる一族だ。東京・福岡・佐賀・長崎の1都3県以外にはほぼ存在しないと言われる増崎姓の人間が熊本にいるのは、空閑家という福岡のルーツを持っているためである。
だが、徹の用事は「術師」増崎家へのものではなく、「剣士」増崎家へのものだった。
彼らの本拠地は剣道場であり、本家たる空閑と異なりその名は表の世界に轟いている。かつてはタイ捨流の有力な一門として、現在は剣道の名門としてだ。
空閑徹が最初にここを訪れた時、彼はかなり困惑して人見知りしていると勘違いされることになった。
剣道について警察官がよくやっていることと、熊本県代表がやたら強いらしいことくらいしか知らなかった徹だが、少なくとも徹が前世を生きた世界にこんな一族はなかったはず。妙なところで「呪術が存在しなかったことによる歴史の違い」を実感することになった。
この世界における増崎一族は、社会的には成功しているが、呪術師一族としてはほぼ没落していると言っていい。
相伝の継承が早くに途絶えた増崎家は、術師としての栄達を早々に諦め、代わりに剣術に活路を求めた。本家以上に体格に恵まれた者の多かった彼らはやがてタイ捨流を重視していた熊本藩に召し抱えられるまでに至り、剣術師範としての栄誉を用いて武家社会に太いパイプを持ったのだ。
鎖国当時から今に至るまで海外製の最新兵器を取りそろえることが出来るのは、この時に出島経由で築いた海外貴族とのコネがあってこそだという。
明治以降も武徳会に一大派閥を持ち、空閑一族の政治力の源泉として隆盛を誇ったと言うが、戦後GHQによって追放の憂き目に遭い、そして今に至る。
つまり彼らは、空閑一族におけるフロント企業的な立ち位置であり、江戸時代を通して行われた九州平定事業の功労者なのだ。だからこそ、半ば術師から足を洗った状態となった今でも、事実上の分家筆頭とも称されるほどの地位を有するのである。
とは言え、実力に比して過大な地位を持つ彼らへの反感がないとも言えず、それ故久し振りに産まれた術式持ちたる増崎宏美を巡ってあれこれ余計なことを考えていたようだが……ともかく、彼女の死をもって彼らの地位は再び後退を余儀なくされたという訳だ。
そんなところに本家の若殿が何をしに来たかと言えば、つまるところ示威である。
先刻の魔法少女事件に伴う殉職者の発生を受けて、空閑家内部では空閑徹による戦闘ドクトリンの改革が行われており、家中はせわしなく動いている。
その隙に余計な茶々を入れられないよう、本家最高戦力である空閑徹の健在と、空閑家全体の結束が揺らぎないことをアピールする意味で、この催しは行われる。
増崎家の経営する道場は広い敷地を持ち、グラウンドが併設されている。ここは古くから真剣での立会いを幾度も経験している「聖地」であり、同時に罪人を使った生き試しを繰り返して来た「忌み地」でもある。
そこにいたのは10人ほどで、広さを考慮すれば満員には程遠い人数であったが、明らかに異様な空気が漂っていた。
土地の中央に無造作に置かれた台座と、兜。今や博物館でしか見かけなくなった「本物」であり、飾り気のないテーブルの上に置かれているにもかかわらずかなりの威圧感を放っている。
兜の前で構えを取っているのは、がっしりした体格の男。身長は175センチほどで、紺色の剣道着を身にまとっている。服のサイズが大きめなので一見すると普通に見えるが、その腕の太さと首筋から見える筋肉の盛り上がりは、彼がひとかどの剣士であることを証明している。
相当な修羅場を潜ったのか、戦場やそれに近い環境……死のストレスを身近に置いた者に特有の眼光の鋭さと表情の険しさを持ち、そのせいで全体的に老けた印象であるが、彼――空閑徹は未だ15にもなっていない少年である。
この場で、かの「天覧兜割り」の偉業を再現すること。それが今日の徹の仕事であった。
同年代が中学校で遊び惚けている時間を、徹は膨大な鍛錬と数百の実戦、そして複数回の死闘に費やして来た。
その狂気じみた鍛錬に耐え得たのは、彼の精神が生まれながらに「前世」、数十年の人生経験を持つ転生者であったことは勿論、原作知識で分かっているとは言え、十何年も後に予兆もなく起きる事件への対策を大真面目に実行できる、ある種病的なストイックさを持ち合わせていたからに他ならない。
そうして「五条悟に次ぐ」と言われる実力を身に付けてなお、徹には油断や慢心の類がなかった。
それは、「好きこそ物の上手なれ」で上り詰めていく才ある術者たちとの決定的な違い。そもそも好きでやっている訳ではないから、作業的になりがちな「楽しくない部分」もいつも通り丁寧に対策する。
同時に、義務感や使命感だけで生きている訳でもない。自ら考え行動する軸を持ってはいて、個人的な幸福を目指していない訳でもないのだが、それはあくまで秩序という檻の内側でのこと、組織としての「家」が最優先されると割り切っている。
誰しもが生まれながらに自由を持つとされている現代では本来生まれ得ない発想であり、「自分の信じる大義に殉じる」夏油傑や九十九由基のような術師とも異なる。
それは一般社会では「バカ真面目」だとか「陰キャ」だとか呼ばれて蔑まれる、現行の自由主義に立脚しない旧い価値観だ。
現代ではもはや絶滅した才能、「忠義」の最後の使い手。生まれる時代を間違えた、生まれながらの侍。自由からの逃亡者。
空閑徹とは、おそらくは前世の頃からそういう人間であった。
封建社会でならひとかどの人物にまでのし上がったろう。前世の皮肉は、これ以上ない形で今に結実する。
空閑徹が刀を抜いて構えると、漂う空気がいっそう張り詰めたものに変わる。
周囲の反応と突き刺さる視線を意にも介さず、徹はゆっくりと刀を振り抜き、数秒ほどその姿勢で固まって何事かタイミングを合わせると――次の瞬間には、もう袈裟懸けに振り下ろされていた。
上段からの唐竹割ではなく、あくまでタイ捨流の作法に則っての袈裟斬りである。
尋常ならざる速度の振りであったが、この場に集められた増崎・空閑両家の精鋭には問題なく見える程度のものであった。
何故なら、一連の動作に際して徹は一切呪力を行使していない。
徹の剣の腕前は歳の割にかなりのものであるが、純粋な剣技の勝負であればこの場の誰より劣るだろう。如何に才覚に恵まれ猛烈な鍛錬を積んでいるからと言って、術式と並行してのそれは数十年の経験差を埋めるには至っていない。
しかし術師の身体能力は、呪力による強化を差し引いても明確に普通の人間より高くなる。
呪力強化を伴う人外の膂力を経験した筋肉は段々と、人体が自壊しないように掛かっているリミッターを麻痺させていく。本来なら耐えられない負荷に耐え、超回復を繰り返した筋線維はやがて、人体の限界をも超えて太く・頑強に成長していくのである。
特に反転術式習得者は、切れた筋繊維をその場で(無意識に)修復するため成長が早いといい、やがては呪力なしでも人間の領域を超えた身体能力を発揮するようになる。当然、実戦ではその上から呪力で強化することになるため、さらに強度と出力はうなぎ登りとなる。
空閑徹は、かなり早い段階から反転術式のアウトプットをも会得していた呪力操作の天才である。インパクトの瞬間だけ呪力を解放して破壊力を増す……などというせせこましい技を使わずとも、その身体能力はとうに人の範疇を超えている。
故に、袈裟懸けに真剣を打ち込まれた兜と樫材の台座、その裏に通っていた鉄パイプと、これまた金属製だったテーブルの脚までもが一太刀で両断された眼前の光景を、見届け人たちは褒め称えこそすれ、疑う者などいなかった。
「……凄いな」
残身を終え、演武の終了が宣言された後。徹は今回の偉業に使用された刀を見やる。
現代刀は製法の失伝や職人の不足によってかつて製造されていたものより性能が劣るというのが通説だが、徹の手に握られた真剣は、つい数日前に引き渡されたばかりの新品でありながら、これまでの刀の常識を根底から覆す性能を有していた。
空閑家は表舞台では失われた同田貫の刀工を秘密裏に囲っている。彼らは太平の世で美術品となっていった日本刀業界の中で、飾り気皆無の実用刀を作り続けてきた異色の職人集団である。
世間で「使うための刀」の需要がなくなり消えゆく運命にあったところを当代の空閑家当主に拾われ、以来熊本の増崎家と共同で出資、代わりに術師が呪霊と戦うための刀の製作が依頼されるようになる。
表舞台に出ることがない呪術師の性質と、実戦での取り回ししか想定していない同田貫のあり方は合致していた。
そんな彼らにある日、パトロンたる空閑本家の坊から依頼が届く。
材料、形式すべて不問。予算は言い値の青天井。
ただ、「遠慮なく振り回しても壊れない刀を作ってくれ」と。かつて名のある呪詛師が作ったという傑作呪具・竜骨の残骸と共に言い放たれたのである。
もちろん、真剣が容易く折れることは刀を使う術師の中では常識だし、徹自身力任せに扱って壊さないよう呪力で覆って守る運用を心掛けていた。
だが、彼の呪力出力と膂力は常識を超えている。かなり気を使って調整しないと刀が耐えられないし、特級の攻撃を前にすれば避け切れない事態もある。
何より今までの刀では、徹が全力で振るうと1発で刀身が刃こぼれなどの劣化を起こしていた。元より戦闘中の刃物の劣化は小刀で補うのが空閑のやり方な訳だが、それにしても当主襲名にあたって「これ」という主だった刀は持っておきたい。
それらの事情を鑑み、刀匠たちはあらゆる技術を投じて渾身の1振りを作り上げた。
徹の手に渡ったそれは、刃渡り90cm弱で、見た目こそギリギリ野太刀のカテゴリに入らない大振りな刀と言ったところだが、近くで見るとその異様な重厚さが目に入る。
通常、日本刀の重ね(厚さ)は最も高い部分で6~7mm程度、剛刀たる同田貫でも8ミリ半ほどとされるが、この刀のそれは10mmを大きく超え、もはや刀というより鉈のごとき存在感を有する。もちろんその分だけ重く、刃そのものが通常より一回り以上大きいため全体重量は並の日本刀の比ではなく、非術師が長時間腰に佩けば、重量によって骨盤と体幹に致命的な影響を及ぼすであろう。
極めつけに、白く輝く刀身の材質は、砂鉄由来の玉鋼ではない。
良質な軍刀に転用できたと伝わるトラック用のばね鋼や、「自殺者の血を吸った妖刀」という与太話と思いきや本当に良い刀を作れるというレール鋼のデータを元に最適と選定されたのは、鋼帯に特殊な焼き入れ加工を施して作られる最新鋭の工具鋼、いわゆるベーナイト鋼であった。
余談だが、チタン製やタングステンカーバイド製のものも試作されたが、前者は切れ味が落ちやすく継戦能力に難あり、後者は頑丈だが衝撃に弱く折れやすいとしてコンペ落ちしている。
この材質により刀でありながら細かな手入れは不要で、素手で触ってもサビず、雑に扱っても欠けず、刃こぼれとも無縁で、事前の試験によれば150度あたりまで曲げても何事もなく元に戻ったという尋常ならざる強度を実現している。
そして刀匠たちは徹本人の手を借り、そもそもが高等級呪具(1~特級相当)である竜骨を材料――この場合は生贄の意義が近しい――に使用し、「縛り」を用いて呪術的効果を通しやすくする暴挙に出る。
これは、工業製品でありそのままでは呪力との馴染みが悪すぎるベーナイト鋼をどうにか呪力強化しやすいようにするために行われた措置であり、刀匠たちをして「賭け」と称する行いであったが結果としてこれは成功する。
元々あった衝撃を蓄積する術式こそ失われたものの、代わりに与えられた効果が1点。
「空閑徹、またはその直系卑属のうち空閑姓の者以外は鞘から抜くことができず、呪力を通すこともできない」
完全なる空閑徹(とその子孫)専用装備とすることで、彼らは刀の機嫌を取ってのけたのだ。この刀の最も優れた点は、材質や質量ではなくこの効果であろう。この縛りがあって初めて、通常の日本刀と同程度の強化効率を確保できる程度には、工業と呪術の相性は悪い。
他の刀と同じなのは、唯一切れ味のみ。日本刀の切れ味は、コンピュータによって算出されたその材質・大きさ・強度における「理論値」とほぼ同等であり、ここだけは現代技術の粋をもってしても超えることが出来ていない。
こうして出来上がった現代最強の
兜割りを完遂してなお刃こぼれ一つない輝く刀身がその性能を、ここまでやっておいて作者の銘すら彫られていない事実が職人たちの気質を物語っていた。
7:15追記:一部表現を加筆修正。また、刀の効果を変更。