日頃のご愛顧に感謝いたします。
福岡市の某高級ホテル。
地元の富裕層や議員なども用いることがある程度に格式高いここでは、政治家のパーティーや大事な商談、祝賀会などがよく行われている。
ここは同格のホテルと比べて料金がかなり高いのだが、その分従業員の"教育"が非常に行き届いていることで知られる。情報が外に漏れる可能性が低いことから、呪術界絡みに限らずワケありの人間から重宝されている場所であった。
本日のホールは、県内の名士である空閑家の貸し切り。ホテルマンや銀行員、デパートの外商担当など、地元で上流階級と関わる仕事なら一度は聞いたことのある名前だ。
福岡県南部の一帯に広大な土地を所有し、「大金持ち」というより「田舎の権力者」として存在感を放つ家柄だ。名門にありがちというか、秘密主義的で事業内容がほとんど知られていないために色々と都市伝説も飛び交っている。
とは言えホテルの従業員もプロである。後ろ暗い客の利用も受け入れる経営方針上、客の事情を詮索するような愚は犯さない。今日も貸し切りのフロアは人払いが徹底され、そもそも何のパーティーであるかも最低限の人間にしか知らされていなかった。
――この集まりの趣旨は、空閑徹と加茂日和の婚約成立を祝うものだ。
呪術界は封建的かつ伝統的な風土だ。各家の裁量による差はあれど純和風の生活を送り、祝い事があれば本家に親戚を集める。
呪術界の中でも特に伝統と格式を重んじ、やんごとなき血筋とも濃い関わりのある加茂家などは、この手の洋風なやりとりを見下している節がある。
それをあえて貸し切りの高級ホテルにしたのは、今回の主役の一人である空閑徹の発案による。
使えるものは何でも使い、伝統より合理を優先してきた空閑家である。加茂との相性は最悪に思えるが、実はそれほど仲が悪い訳ではない。
というのも、つい最近まで加茂家は空閑の存在そのものを認めておらず、禪院家が従えている有象無象の中のひとつという見解を貫いていたからだ。
争いは同レベルの者同士でしか発生しない。仮にも詔勅六家を相手にそんな態度を取れるのは流石に加茂家くらいなものだったが、「禪院にあらずんば呪術師にあらず」を掲げる禪院家などより、よほど苛烈な貴族主義であった。
その態度が翻ったのは、ひとえに「五条悟」の登場によるもの。
卓越した政治力と安定した戦闘力でその地位を守ってきた加茂家は、その安定性が故に、五条悟という規格外に対抗する術を持たない。
禪院家なら、層の厚い戦力を使って「呪霊の討伐数」や「カバー範囲の広さ」でなら五条悟の上に立てる。一方、加茂家の本領は政・官・財各方面に繋いだパイプと一般人への働きかけ、そしてそれらを押し通すために最低限必要な軍事力。それらは五条悟ひとりの暴力によって代替が利いてしまう。五条悟の登場で割を食ったのは、むしろ加茂家かもしれなかった。
だから、空閑に産まれた天才を取り込む必要性が生まれた。
当然それは、空閑家を認めるということだ。さらに加茂家当主は、空閑徹大との交渉に屈する形で「加茂日和」のカードを切った。
そう。実はこの交渉、加茂家側がお願いする身分なのだ。事情を知る者からすれば、この一件は空閑家の急激な勢力伸長を象徴する出来事である。加茂・禪院・空閑からなる五条悟包囲網の作成は順調に進んでいるのだった。
だから空閑家は、嫁に来る身といえど格上のはずの日和を試すような真似が出来たのだ。「ウチはこういうこともする家だが、やっていけそうか?」と。
果たして日和は、完璧に対応して見せた。
加茂家育ちの日和にとって洋風の立食パーティーは本領ではなかったはずだが、不快感を顔に出すでも不慣れな様子を見せるでもなく、以前の顔合わせと全く同じ笑顔であいさつ回りやらなにやらをこなしている。
空閑徹も同様……と言えれば良かったが、彼は礼法は最低限こなせる程度。客への挨拶の順番を間違えたりはしないが、見る者が見れば脇が甘い所がある。それでも徹の場合は、有り余る実績と実力で十分許される範疇にあるのだった。
言ってしまえば、プロのアスリートとタニマチの社長のような構図である。加茂家の人間としてはまだまだ及第点になく、笑顔の裏で眉をひそめる所だが、少なくとも彼が武力担当であることはよく知っており、その力を必要としての縁談である以上は何も言えないのである。
「楽しめてる?」
そうして一通りの挨拶が終わった頃、日和が一人になったタイミングを見計らって徹が声をかける。見合い当時は敬語だった徹だが、当の(外面が崩れてからの)日和に「いつも通りでいいよ~」と言われている以上、少し迷った上で崩して対応することにしていた。
「ええ、とっても」
日和はあくまで「余所行きモード」であり、その美貌を惜しみなく振りまいて徹に応対する。見合いの時とは違いドレス姿で、お嬢様然とした喋り方。同年代とは思えないほど成熟した振舞いは、色白な美貌と合わさって徹を刺激する。
ある一方向から見た美しさではそれらに劣る日和だが、日常のふとした所作一つから磨き上げられた彼女は、トータルで見た時の"飽きの来なさ"においてそれらを凌駕し、また、テレビ越しの外見だけにとどまらず触覚、嗅覚、聴覚と、総合的に本能をくすぐる色香として仕上げられている。
加茂家が威信をかけて教育した彼女は、たとえば少ししなだれかかって、その囁くような独特の声色で2、3言交わすだけで並大抵の男を骨抜きにしてしまう「魔性」を獲得するに至っていた。
現に彼女は徹が現れた瞬間、それまでの挨拶周りで見せていた笑顔から、若干紅潮した頬と泳いだ目、ほんの少し上ずった声を瞬時に調律。通常の会話の距離より15センチほど近くにすいと入り込み、さり気なくボディタッチをしつつ会話をスタートさせている。自分自身を完璧な「恋する乙女」に仕立て上げる技術が、彼女にはある。
そんな日和を前に、徹はわざとらしく周囲を確認した上で小さな声で問いかけた。
「前に会った時の感じからして、こういうのは苦手かと思って」
「あ、気を使ってくれたんだ。ありがとう、でも大丈夫だよ、むしろこういうの本職だからね!」
できるだけ気取らずに済む感じにしろとは言ったんだけども、と小声で言う徹に、日和は何ら気負いなく答えた。周りに聞こえないよう声量に気を使いつつ、あの時の「おてんばお嬢様」モードの出番だ。
日和にとって幸いなことに、空閑徹という個人はどこまでも普通。
周りの人間はその戦闘力と戦果に引っ張られて変な持ち上げ方をするけれども、その中身、人格的な部分はただの凡人に過ぎないことを、彼女は一目で理解していた。
身の丈に余る享楽や権勢は望まず、与えられた役目に粛々と取り組む生粋の仕事人間。ただ物凄く真面目なだけの、何処にでもいる普通の人。だからこそ、日和にとっては好ましかった。
自分なら容易く手玉に取れる、という自負や安心がないでもないが、少なくとも指先一つで都市まるごと細切れにできるという鬼神をおちょくる勇気は日和にはない。
それよりも、自分を踏み台にして更なる立身出世を狙おうだとか、日和の美貌に目がくらんで強引に手を付けようとして来たりだとか、物理的に上から抑え込んで来たりだとか、そういう悪い想像がことごとく外れている時点で、彼女からすれば望外の結果だった。
そも、徹と日和の婚約は既に決まったことで、両家の本気っぷりを考えればとても覆るようなものではなく。つまり徹は、既にその剛腕でもって日和を手に入れている。子が生まれなくなるような仕打ちさえ避ければ、後の事は徹の自由だった。
そういう力関係を知ってか知らずか、徹はあくまで日和を一人の人間として扱った。それはこれからの呪術界での人生を共に走ることになる"戦友"として十分以上に立派な態度であったし、ちょっとストイックすぎるところは支え所かな、などと先の事を考える程度には前向きであった。
「そりゃよかった。じゃあちょっと我儘に付き合って欲しいんだけど」
だからこの時点で、日和は十分徹のことを認めていて。身体を捧げ子を産むことにも否やはなかったのだが。
「こっそり抜け出して遊びに行かない?」
「え」
耳打ちされた情報を咀嚼できず、今日初めて日和を覆っていた外面にヒビが入った。
◆ ◆ ◆
――話が決まってからは早いもので、徹が何処からか用意してきた変装用の衣装に身を包み、十分もしない頃にはホテルの敷地外にいた。
裏口から博多の都心に出た二人は、まだ昼すぎなのをいいことに遊びまくった。
はじめはオロオロしていた日和も、「何かあったら俺が責任取るから」の言で吹っ切れたのか、彼女にとって初めての「外の世界」を満喫するに至る。
「ここからだとショッピングモールが近いな」
「わ! 行ってみたい!!」
近隣の商業施設を連れ回し。
「……味が濃い、けど美味しい!!」
人生で初めてだというマクドナルドのダブルチーズバーガーセットに舌鼓を打ち。
「よし取れた。折角だからあげるよ」
「いいの!?」
ゲームコーナーのクレーンキャッチャーに興じ、戦利品として入手した小さな猫のキーホルダーを日和に譲り。
「前、福岡の食べ物の話してたからなあ。ここいらだとここの饅頭が一番いいかと思ってさ」
これまた人生初だという路線バスで移動し、天神へ。日和がICカードを持っていないことを想定し、徹は事前に余分なカードを用意していた。
「俺は白あんだな、日和さんは?」
「え、ええっと……徹さm……徹くんのと同じので!」
いわゆる「デパ地下」に繰り出した徹が連れてきたのは、地域によって呼び方の変わる分厚い円盤状の饅頭……いわゆる今川焼を売る店。
「……!!」
出来たての饅頭を渡され、しばらくはまじまじと見つめていた日和だったが、気にせず豪快にかぶりついた徹に倣い、おずおずと齧ってみる。
この地域……というか、このデパートに出店している企業が作るものは蜂楽饅頭を名乗っているのだが、その特徴は皮が薄い割に弾力が非常に強く、もちもちとした食感であることと、餡の量が多いことだ。
当初はやや硬い皮に苦戦していたようだったが、すぐに餡にたどり着くと表情を輝かせ、女性にはやや大振りな饅頭1つをぺろりと平らげてしまった。
「おいしい……!」
「俺の分も食う?」
無心で頬張る様子をニコニコして見つめていた徹は、7割ほど残った自分の分に、一瞬だけ日和の視線が向いたことに気づいていた。
「あ゛、ごめん私ってば……さすがにはしたなかったよね」
「いやあ、気に入ってくれて嬉しいよ」
食べかけで悪いけど良かったら、といって差し出された饅頭を、日和はさらに2度ほど遠慮してから結局受け取った。
(よく食べるな……は女性には失礼か……普段ストレス溜まってんだろうなぁ……)
間接キスどうこうを気にするでもなく、満面の笑みで2個目の饅頭を食べ始めた日和の横顔は、普段の完璧な礼儀作法とは程遠いものだ。だがいまの彼女は本心から楽しそうで、つかの間とは言え自由を謳歌しているのは明らかだった。
(こうしてると……なんか、思い出すな)
徹には、かつての戦友であったラーメンに煩い親戚のことが思い起こされる。
あの時の笑顔とダブって見えるということは、きっと日和も喜んでくれているのだろう。
自分でも自覚していなかったが、徹は故・灰原よろしく、美味しそうにものを食べる女性を見るのが好きだった。
しかし、徹はいったん思考を打ち切る。
視界の端を、見覚えのある顔が通り過ぎたからだ。
「……徹さま?」
纏う空気が変わったことを敏感に察知し、日和が不安そうに問いかける。呼び方も「徹くん」から「徹さま」に戻り、現実に戻ってこようとしているのが明らかだ。
「いや、気のせいだ。それより、お腹の具合に余裕があるようなら、近くのファミレスに行ってみない?」
「おぉーファミレス! 行こう行こう!!」
おてんばモードですらない素の日和は、この通りかなり活発というかアグレッシブな所がある。
ほとんど外に出たことがなかった彼女からすれば、行きたい場所に行けて好きなように楽しめるこの時間が本当に楽しいのだろう。
見合いの時に見た日和よりさらにハイテンションで、見るもの全てに興味を示す姿を今日だけで散々見てきた徹は、彼女が満足してくれていることを喜びつつ、たかがこの程度の遊興にこれほどの
ともかく、この場は「誤魔化されてくれた」日和に感謝しつつ、徹たちはその場を後にした。
――結局、近隣のジョイフルで夕方まで時間を潰した彼らは、
そこで初めて、日和はこの逃避行そのものが、空閑徹のセッティングした「デートコース」であったことを確信した。
つまり、一定時間二人きりで外出することは、ほかならぬ空閑徹の護衛が付くからと最初から方々に連絡済みであり。
パーティーからこっそり連れ出す一連の流れは、空閑・加茂両家の微笑ましい視線の元で行われた演出だったのだ。
「……ズルいよ。こんなことされたら、私、わたし……」
裡に秘めていた願望を完全に読み切られ、肯定され、叶えられる。
それは日和にとって完全に初めてのことで、同時に、いくら鍛えあげられているといえども、14歳の乙女が相手するには刺激が強すぎるものであり。
「本当に、ありがとう。半日だけでも、わたしに"自由"をプレゼントしてくれたこと、日和は一生忘れません」
クレーンキャッチャーで取ったストラップを祈るように握りしめ、大粒の涙を溢れさせながら言った日和の表情に、「作った」ところは微塵も見られなかった。
帰りの車に同席していた徹大は、一連の大立ち回りを成功させ満足気な息子を見て、呆れ半分で「女に甘いのもここまで練り上げれば使い道もある。最早何も言うまい」と評価した。
――はい。岩田屋天神店の本館地下2階です。
"魔法少女"を発見しました。その場で連絡、後を付けさせています。
間違いありません、同じ顔と背格好でした。恐らくですが、件の認識阻害能力は「魔法少女の姿」と「本人」を結び付けさせない効果が主で、変身の前後両方の顔を見たことがある、または教えられるなどで既に「気づいた」人間には機能しないものと思われます。
はい、ある程度の情報は既に上がってます。西鉄を二日市駅で降りて、駐輪場で自転車を回収、十数分で家まで戻ったと。表札と周辺住民への聞き込みなどから、個人情報の特定もほぼ完了済です。
裏取りと人員配備が完了次第、空閑家の名のもとに"魔法少女"改め「柊このは」の捕獲作戦を開始します。
生娘蜂楽饅頭漬け戦略。ラーメンとうどんで二の矢三の矢も万全である。
立食パーティーってよっぽど気心知れた仲でもない限りほぼ何も食べられませんよね。
中学生にそんなことやらせたら、当然解放されての初手はマックで食事のし直しになります。