復帰早々申し訳ないですがフルスロットルです。なるべく耐えてくださいね。
「――あたしの知らない傷だ」
行為後の気怠い空気が充満した部屋で、レアの甘えた声からいきなり感情が消えた。
徹の身体は、年齢に見合わず非常に鍛え込まれている。弟の徹也と違って絞り込む方向でトレーニングをしているため見た目には出ていないが、その実とても第二次性徴期の身体とは思えないほどの体型を誇る。
それは成長を阻害しないギリギリの範囲の激しい鍛錬の賜物であり、このところ急成長しつつある身長は170cmあるレアを早くも追い越そうとしている。
レアは、日に日に大きく逞しくなる徹の身体を恐らく本人よりもよく知っていたし、知ろうとすることを好んだ。
「また無茶したんだ……」
そのまま徹の胸板に覆いかぶさって、真新しい生傷を舌でなぞる。レアの豊満な胸が潰れ、それをむしろ押し付けるように、徹の体温を確かめるように顔を近づける。
今の徹には大きな傷跡が3つある。
関門の特級で宏美の死体に気を取られた時出来た背中の刀傷。
コトリバコ戦で体当たりされて出来た爪痕。
そして、九十九に吹っ飛ばされた左腕の回復痕だ。
回復の速さを優先して外見を妥協している徹の反転術式は、四肢欠損の即時回復という奇跡に近い芸当を可能にした代償に、こうした傷跡というべきか、回復の痕が消えずに残る。
レアは表面上、徹についた傷を愛撫しているだけに見える。
部屋の電気を消しているので、徹の目からは顔色を窺うことができない。だが、その体が小刻みに震えていることと、なにより明確に呪力の流れが乱れているのを感じ取ることはできる。
恐れている。多分、徹がある日任務から帰らないことを。
口調から何から、普段の軽薄で飄々としたクソ度胸の彼女とは似ても似つかないしおらしさ。
だが、これこそがレアの「素」であると、徹だけは理解していた。
「大丈夫」
だから徹は、ただ彼女を抱きしめるにとどめる。
「大丈夫だから」
大丈夫の根拠は何もない。"呪術廻戦"を生きると決めた時から、宏美が殺された時から徹は、常に自分が死ぬ可能性を想定して動いている。
今までに戦った特級呪霊2体は、どちらも戦法を間違えていたら死んでいた強敵だった。渋谷に現れる予定の特級呪霊たちは、どれも今の徹でも1対1で撃破できるか疑わしい強者ばかり。その前には、特級呪詛師「夏油傑」との戦いも控えている。それらを全て掻い潜ったとしても、その先に待っているのは呪いの王、両面宿儺だ。
薄々、どれかで死ぬだろうと思っている自分がいた。
生き残るための鍛錬を妥協したつもりは全くないが、鍛えれば鍛えるほど、頂点に立つ者達との差を実感する。既に徹にはなんとなくの自分の完成形が見えており、彼ら「天井」に近づけはしても、届きはしないだろうことが自分で良く分かる。
元より一度死んだ命。今の家族を守るのに全力を尽くして、原作より多少なりとも状況を好転させて死ねれば十分だと考えていた。
五条悟の封印阻止。最低限それだけこなせれば、あの脳みそは再び寿命待ちにシフトして当分は平和だろうと睨んでいる。
当初、場合によっては原作開始前の虎杖悠仁暗殺さえ視野に入れていた徹だったが、真依の土下座を見て考えを改めた。
(……死ねないなぁ)
「ビジネスライクで余裕たっぷりにこちらを揶揄ってくるレア」という仮面が完全に崩れたのは、コトリバコ戦から帰った時だ。
一番初め、関門の特級の時はそれこそ打算によるところも多くあったのだろうが、本人の分析通り、何度も身体を重ねていれば情が湧くことはある。そして、それは徹よりレアの方が早かった。
段々と「外面」が剥がれて素を見せてくれる、言い換えれば年上の彼女に甘えられて男心に悪い気はしなかった徹だったが、段々とその傾向に法則が見え始める。
実のところ、徹からレアを求めることはあまり多くない。
だが徹がレア抜きで高等級(おおむね準一級以上)の任務に行った帰りには大抵、露骨にスキンシップが増えて誘って欲しそうにしている。模擬戦などで実力を見せつけた時も同じく。当初はただ徹が昂っていそうな時を狙って誘いをかけてくれているのかと思っていたが、ベッドの上で何かを確かめるようにぺたぺた触って来るレアを見ては、なんとなく何かが違うように思っていた。
そうして仮説を立てた折、コトリバコの一件でついにレア側から誘いがあって確信した。
怖がってるんだ。この人は。
その日、いつも以上に激しかったレアにそれを指摘したのは、正直に言って早まったと徹自身も思っている。ともかくその時、初めてレアの仮面が崩れた。
彼女の本質は、ただの怖がりで内気な女の子だった。
容赦なく鍛えられたはずだ。「特別一級」は才能と努力が揃わなければ実現できない。才能があったならなおさら、レアは厳しく「調整」された。
空閑一族からの殉職は、ここ15年で3人出ている。宏美以外の2名は舞屋家の人間だ。いざと言う時は本家の人間を庇って死すべしという風潮がある以上、舞屋の人間の命は軽い。
まさか、守って欲しいなんて言い出せなかっただろう。舞屋の術式は要人警護に向いているし、空閑家はそれを期待して舞屋を飼っている。相伝を継ぎ歴代トップクラスの術式性能を有するレアは、本家の要人の盾になって死ぬことが義務付けられている。
いかなる方法でそれが「矯正」されたか徹には知る由もないが。少なくとも彼女が思春期を迎える頃には、今の仮面が完成していた。
――演習を生き残るような優秀な人物に見初められるのは大変に名誉なことだと、彼女等は産まれた時から教わって育つ。実際に家の女衆は2~3人産んではじめて一人前扱いを受けるので名誉なのは間違っていないかも知れないが、少なくともレアはそうやって男たちの前に差し出されるのを死に物狂いで拒否した。
14、16、18、20歳での演習4度生還は並大抵の記録ではない。そもそも、そんな年齢の女子は無理させてお腹が傷ついたらいけないのでこんな演習に参加しない。邪推だが、家の用意した見合い話に(実力を笠に着て)首を振っていた頃のレアに自分の立場を分からせるための懲罰人事のようなものだったのだろう。
そこまで考えて、演習明けの
レアから聞いたわけではないが、当初は徹大に差し出される予定であったということは、既に徹本人も知っている。それが最終通告的な性格を帯びていたのは想像に難くない。実際、彼女自身もう数年もしたらどこかの誰かと強制結婚になっていたと評していた。
徹大は確かにレアより強いだろうし、レアのことをきちんと気に掛けるだろうと徹は見ている。だが彼は徹以上に組織人としての忠節と非情さを持ち合わせた鋼のような人間だとも、徹は見ている。
父は恐らく、レアの
だからレアには、産まれた時から味方がいなかったはずだ。生きて行くために仮面を被って、中身を押し殺して、本当に譲れないラインだけは死守できるように、必死の抵抗だと悟られないように「気ままに掟破りをしてもヘラヘラしている」ようなキャラを作っていた。
徹は、自分がどういうものを守って、自分が誰の味方になったのかようやく自覚した。
同時に、自分が死んだ時何が起こるか、その解像度も高まることになる。
守るのが使命のレアが生き残って警護対象のはずの徹が死んだ時、その後に待っているのがどういう結末か。
真依の時と言い、狙ってやってるんだとしたら大した腕前だと、心の中で呪術界に皮肉を飛ばす。今の徹に出来ることと言えばそれくらいだった。
「大丈夫、死なないから」
それは徹の身を案じるレアを安心させるための言葉であり、徹自身が自分へ言い聞かせる言葉でもあった。
◆ ◆ ◆
この時、宿泊施設の廊下にはうっすらと霧のようなモヤが掛かっていた。
当然、異常事態である。九州の7月にそんな気象状況が起こる訳がない。局所的に涼しくなっている訳でもなく、辺りは熱帯夜特有の蒸し暑さに包まれている。
「で、コソコソ何やってんスか?」
最低限服装を整え部屋から出てきたレアは、いつもの貼り付けたような笑顔のまま問いかける。だが目は全く笑っておらず、呪力を感知できる者はその荒れ具合から怒気を推し量ることができるだろう。
「……そんなに怖い顔をしないで頂戴」
言葉と共に霧が晴れ、現れたのは30代後半ほどに見える薄着の女。高専教諭、雨宮千景である。
しかし手には何かの電子機器とビニール袋を所持しており、ここは本来演習の生還者と彼らが連れ込んだ女性しか立ち入りを許されていない階層。言い逃れできない状況であることは間違いなかった。
「何やってんのかって聞いてんスよ。事と次第によってはこの場で消す」
季節外れの霧は、雨宮家の相伝である水雲操術によるものであるとレアには既に察しがついていた。
高専所属の準一級術師である千景の得意分野は、水分と自身の呪力や気配を同化させる拡張術式「霧隠れ」。レアのゴーレムによる警戒網をすり抜けてここまで到達できる時点で、隠密性は折り紙付きである。
「あら、気づかなかっただけだったの。てっきりお目こぼししてくれたんだとばかり」
「質問に答えろ」
レアの声にドスが利いて来ると同時に、個室の玄関前とエレベーターホールに1個ずつ置かれた段ボール箱の中身がひとりでに浮き上がり、身長60センチほどの小ぶりなゴーレムを2体形作る。
「大したことじゃないわよ。
肩をすくめて、当然とでも言いたげに女は宣言する。
「別に恋人だの愛人だの言うつもりはないわ。一度情けを貰えればそれで十分。それとも、私が丸腰であれほどの術師を暗殺できるように見えるの?」
「今更分かり切った嘘つかなくてもいいッスよ。初めから抱いてもらえるなんて思ってないクセに」
こっちはあんたの事情も調べついてんスよ、とレアが吐き捨てると、千景は一瞬きょとんとしてから、忌々し気に舌打ちをひとつ。
「……貴女なら分かるはずよ」
「分かりたくもないッスよ。正直口に出したくもないんスけど――」
――あんた徹君が使ったゴム盗む気ッスよね。
千景は肯定も否定もせず、ただ眼前の女を睨みつけていた。