遅くなりました。
呪術師が呪霊発生現場に入った際は、張られた"帳"により、術師たちの戦闘の痕跡が外部に漏れることはない。
呪術界における絶対原則、呪術規定の一つである「呪術の秘匿」をこの現代においても守り続ける要となっている。
帳が降りている間、効果範囲内は呪術的に隔離され、内部で起こったことが外に漏れることは無くなる。これは視覚・聴覚的な面は勿論、電波の遮断、撮影機器の都合のいい誤作動や故障、一般人の人払いなど多角的に作用し、術師であろうと直接帳の中に入らない限りは中で起こっていることは分からない。
それは呪術と呪霊の存在を一般社会から隠し、一般人に「それ」を意識させないことで負の感情に指向性が生まれることを防ぐのである。
一方、ここ10年ほどで起こったインターネットの急速な発達により、"都市伝説"や"ネットロア"という形を取ってネットに流出した呪霊の情報が今までとは比べ物にならないほど早く、広く、人々の間を駆け巡るようになった。
テレビやラジオには「放送元」があったから呪術界による統制・検閲も可能だったが、個人個人が情報を世界に発信し得るインターネット相手では呪術界の権威をもってしても手に余る。
元より新しいものを嫌う傾向にある呪術界である。黎明期には「ベールが捲られる恐れ」「情報災害・連鎖系呪術の脅威度上昇」を理由にインターネットの民間普及に断固抵抗した。
TRONプロジェクトの妨害から「47」の逮捕(実行したのは"お膝元"たる京都府警である)まであらゆる手を尽くした呪術界上層部であったが、その影響は一時的・限定的なものにとどまり、民間へ拡大していく情報の網を止めるには至らなかった。
呪術の概念がほぼ存在せず、圧力のかけようがないアメリカ発祥の技術であったことも追い討ちをかける。結局のところ突出した個人・団体を叩くことは出来ても、総体としての「技術の進歩」を丸ごと止められるほどの体力は、所詮はいち秘密結社にすぎない呪術界にはなかった。
結局、呪術界の内側としては最先端の知見を有していた五条家・空閑家と政府有識者との間で議論が持たれ「総合的に見て"インターネットの普及による呪霊パンデミック発生のリスク"は、"これから到来するネット社会に日本が置いて行かれるリスク"より小さい」と結論が出たことで30年近く続いた暗闘は終結を見る。
ユビキタス社会はすでに成り、呪術界はつまり、すでに一度「時代の流れ」に敗北している。
結論として、呪術界は今の所破綻していない。
だがその辺りの歴史的経緯を学んでいれば、1990年前後から呪霊の数と質が右肩上がりである理由が「五条悟が生まれたから」だけではないことをなんとなく察することができる。
例えば田舎の2~3級呪霊に過ぎなかった存在が、ネットを経由して大人数の悪意に晒された結果、急激に変異・強化される事例。口伝の情報や先祖伝来の儀式でもって封印されてきたものが、尾ひれがついた噂から逆説的に新たな能力を獲得し封印を破った事例。風評被害から生まれた仮想怨霊。
呪術界は相変わらず、あるいは今まで以上に深刻な人手不足のさなかにあった。
――閑話休題。インターネットの発達した現代で、呪術を隠し通せているのは、ひとえに「帳」の偏執的なまでの隠蔽性能による。
万能に見える"帳"だが、性能が「高すぎる」ことには副作用もある。
――外部との通信手段がないということは、想定外が起こっても助けが呼べないということだ。
「おぎゃああああああ!!!」
耳をつんざくような泣き声を上げながら、怪物の巨椀が振り下ろされる。
「拓斗さん!!」
「っし!」
徹の掛け声と同時、やや外れた所に陣取っていた拓斗が(ミシャグジさまを降ろした姿のまま)突進、怪物が振り下ろそうとしていた右前腕にぶつかり、強制的に軌道を変える。
「"大刀・穿"!」
そこをすかさず徹の飛ぶ斬撃が捉え、怪物は大きくのけぞる。
数分間戦い続けるうちに、彼らの中にも「徹が最前線で攻撃を誘導、隙あらば拓斗がアシスト」のフォーメーションが構築されつつあった。
この場にいる術師は4人。だが御影は初手の領域展開で術式が焼けついており未だ復活できず、楓は別行動で「本体」と思しき3体のオブジェを破壊しにかかっている。
したがって、本体の破壊を止めようとする怪物は、徹と拓斗の二人で対処するほかにない。
御影か楓を離脱させて応援を呼ぶという手もあったが、徹のとある見立てによってそれは却下されている。
(右前方振り下ろし→左副腕縦拳→瓦礫投擲!)
天性の呪力操作技術により、相手の呪力の動きが手に取るようにわかる徹をして、この精度で先読みが出来るようになるまでには数分の時間を要した。
呪力量が多すぎて、「全身に呪力を漲らせている」ようにしか見えず流れを捉えづらいのである。
徹の原作知識のギリギリ範囲外の出来事であるが、虎杖が乙骨に抱いた感想と同じもの。強化する場所どころか全身に呪力が満ちているから、力のバランスを変えるまでもなく全ての一撃が必殺たり得るし、意識せずとも呪力による防御が成立する。
殴り心地はさながら水族館のガラスの壁を叩いているようで、時折欠けたり切断されたりしても、次の瞬間には元通りに治癒されている有様。
乙骨はまだ人間だったから硬さと回復力に限界があったが、殴った際に金属音が響く超硬質な巨体、呪力をそのまま回復に回せる呪霊としての体質の上に同レベルの呪力が乗れば、呪力を使った身体能力のブーストと、砲撃じみた呪力の放出のみの基礎的な戦い方だけで特級クラスの脅威たり得る。
少なくとも、徹の攻撃が時間稼ぎにしかならない程度の防御力と、徹の呪力強化をもってしても直撃すれば無傷ですまない攻撃力、そして巨体に見合わぬ恐るべき素早さを両立した存在だ。徹と拓斗の二人がかりでなければ、それこそ特級術師すら条件次第でねじ伏せかねないほどの、シンプル故に対処の難しい純粋な暴力が荒れ狂っていた。
そのままではジリ貧は必至。
――しかし、徹たちには策がある。
「お、ぁ、ああ……っ」
暴れ狂っていた怪物が突如びくりと痙攣して動きを止め、苦し気に悶え始める。
すかさず目を凝らした徹は、それまで怪物から伸びていた呪力のパス――エネルギーを供給するパイプラインのようなもの――が消えているのを確認した。
「……っ、
それで状況を察した拓斗の問いに、徹はひとつ頷いて応える。
「ですが、死にはしなかったみたいですね」
パスが途切れたということは、本体からの呪力の供給が止まったということ。楓は役割を果たしたということだ。
この時点で怪物は崩壊するかも、という希望的観測もあったが……眼前の怪物は悶えてこそいるが健在。徹の読み通り、あくまで「本体」の破壊は呪力の供給を止めるだけで、再生の止まった本体を改めて倒さなければ殺し切ることはできない。
「なら、あたしの出番も残っていそうだね」
2人の背後から現れた老女は、先ほどまでの不完全な呪力の循環ではなく、万全からは遠いまでも最低限の術式起動を行えるだけの回復を済ませている。
「御影さん! お願いします!!」
徹の呼びかけに答えるように、御影は再び両手を掬うように動かし、持水合掌の印を結ぶ。
「領域展開――
夕暮れの沼地の風景が再び現出し、遅れて大雨が降り始める。地面のぬかるみが最初の時よりも少なく、明らかに本調子から外れているのが見て取れる。
「ごふっ……がっ……」
大量の呪力を無理にひねり出したのが祟ったか、御影は心臓を押さえてうずくまり、口から血の塊を吐き出した。
「御影さん!!」
「構うんじゃないよ……!! ここまで持ち込めば反転で治せる……!!」
それでも彼女は、一度領域を展開してしまえば反転化した雨に当たって無茶をなかったことにできる。
呪力を大量消費し一定期間術式が焼き切れるほどの負荷を伴う領域展開だが、彼女は「展開し終えるまで死ななければいい」と割り切れるのであれば、ものの数分で領域を張り直すことが可能になる。
無論、少しでも加減を間違えれば領域を展開し終える前に負荷が限界に達し、領域は不発もしくは解除。そのまま死を待つのみになるだろう。
彼女がその長い人生で培ったことと言えば、もっぱら再展開可能なギリギリの負荷を見極める勘所であった。
「見な……空閑の坊はとっくにやるべきことをやってるよ……!」
雨の力で多少はマシになったのか、口元と鼻から流れる血を拭って、もう片方の手で徹を指さす。
慌てて振り返った拓斗をよそに、徹は沼に足を取られた怪物に刀を突き立てようとしている。
突然足元が沼に変わった一瞬の戸惑いを見逃さず、徹の突き立てた刀は硬質な組織の少ない眼球へ深々と突き込まれ――再び全開の反転術式が叩き込まれた。
正の力にあてられた怪物は悲鳴を上げる間もなく爆散し、その場を覆い尽くすほどの肉塊となって散らばる。
今度こそ、それ以上復活しようと動くことはなかった。
「…………」
紫色の血だまり(ベースが受肉体だからか、死体が消滅することがない)で残心を続ける徹を見て、拓斗の胸に去来したのは頼もしさや喜びなどよりも――畏怖。
身長こそ大人並だが、高々12歳の子供が特別一級術師複数人を指揮。その上2度あったトドメは両方徹の反転術式によって行われている。
すると、数秒としないうちに立っていた徹のシルエットが崩れ、貧血でも起こしたようにフラリとその場に倒れ伏す。
「……!! 徹!!」
拓斗が慌てて変身を解除し近寄るも、肩を貸すより先に自分の刀を杖にして立ち上がる。
「すみません……流石に、ガス欠です……」
顔の下半分はとめどなく流れる鼻血で赤く染まっており、目や口からも出血している。
使用した薬剤の副作用のほかに、全開の反転術式を2度も使ったことによる呪力切れがあるのだろう。
ただでさえ、禁縁呪法は瞬間火力の高さはともかく極ノ番で順転・反転・拡張を同時発動することになる関係上呪力の燃費が悪く、長期戦に向かない。
如何に膨大な呪力を持つ徹と言えど、これだけ大盤振る舞いすれば一時的に呪力が枯渇するのは当然と言えた。
「は、は……どうにか、我々に死者は出ませんでしたね……」
徹の言う通り、突入メンバー4名は誰一人死んでいない。
突入メンバーは。
その場はそれ以上誰も何も言わず、ただ粛々と最低限の応急処置が行われ、ステージ上で放心していた楓を回収したのち応援を呼ぶため結界を離脱。
この一件については、勝利に酔うものも、生還を喜ぶ者もなく。
あれほど強大な呪霊を死者なく祓い、呪術界全土にその名が売れたにもかかわらず――勝って帰った人の顔とは思えなかったと、徹を出迎えた空閑の家人は評している。
◆ ◆ ◆
2013年 6月Δ日
最後まで、恰好をつけていられただろうか。
誰にも察されずに、終わらせられただろうか。
俺は、楓さんを助けてなんかいない。
本体が別にあると分かった瞬間、俺はもっと多くのことを想定していた。
あれは人工物だ。
呪具である「コトリバコ」が受肉した存在なのだから当然、という話ではない。自然に発生し得る呪霊や受肉体を元に、何かしら手が加えられた存在だ。そう考えなければ成立し得ない程に、「あれ」の構造は歪だった。
つまり、あの怪物にはわざわざ用意して俺達にぶつけた何者かが裏に存在する。俺はあの時、既にそこまで考えが至っていた。
その上であの怪物を、恐らく監視されていることを承知の上で犠牲なく倒さねばならなかった。
――仮に俺があの呪霊を用意するとしたら、本体に罠を仕掛ける。壊された瞬間発動して、少なくとも1人相打ちに持って行けるような、そういう罠を。
単純に爆発するとか物理的に攻撃してくるのならいい。俺が小刀で突けば一発だ。
だが、わざわざこんなものを作り上げる下手人の姿が――俺の記憶の底に居る、渋谷で五条を欺いたあの脳みそと重なった瞬間。俺は手を出せなくなった。
成り代わりの術が、精神攻撃が、超高度な結界術が、封印術が、仕掛けられている可能性があった。
だから、あの場で一番戦力価値が低い楓さんにやらせた。
自分だけが地雷原と知っている場所で、何も知らない女の子に自分の前を歩かせたんだ。
何が「呪術界はクソ」だ。
自分だって、立派にその一員だというのに。
◆ ◆ ◆
記録 2013年5月28日 23時34分
島根県松江市 Y病院跡
強奪された特級相当呪具*1の捜索のため、要注意団体「享楽倶楽部」本拠地へ術師を派遣。
人員については別表を参照*2。
2013年5月28日 23時50分
病院内に呪詛師1名を確認、交戦状態に入る。
2013年5月29日 0時13分
当該病院に潜伏していた特級呪具の受肉体と交戦。人的損害なくこれを撃破。関係者の証言を総合するに、空閑徹特別一級術師の活躍が目立つ。
なお戦闘中、以前より所在が分からなくなっていた榊美緒2級術師ら3名が発見されるが、現場判断により死亡判定となる*3。
2013年5月29日 0時48分
現場から目標の特級相当呪具が発見、回収される。
同時刻、術師たちが現場を離脱。現場は応援の術師に引き継がれる。
2013年6月1日
捜査の結果、術師たちが交戦した呪肉体を特級相当と認定。
撃破に貢献した4名に特別報酬を支給。
2013年6月7日
京都高専3年井口楓が休学を願い出、承認される。
7/15 21:35追記
あとがきに記載した記録の注釈が正常に反映されていなかったため、本文へ移動。
感想でのご指摘ありがとうございます。
24/9/23 時系列の矛盾を修正しました。