#1 術師の産まれ
2006年 XX月 〇日
ようやくまともな文字が書けるようになった。呪力の練習も兼ねて、日記をつけることにする。
一応この日記は見つからないと確信した場所に隠しているが、万が一中身を読まれた時は「そう言う年頃」で尊厳を生贄に捧げるか、それが通用しなさそうなら観念して全て吐くことにしよう。こういうの、先に決めておかないとテンパって状況が悪化するからな。
最近の物語ではよくある異世界転生、いざ自分がやってみると楽じゃない。体験した俺が言うんだから間違いない。
……
その手の小説の例に漏れず、歩けるようになった頃に高熱でぶっ倒れた所から俺の意識は始まっている。なんとなく、本来ならここで夭逝するはずだった子供に入れ替わる形で今生を手に入れた、という直感があった。
こうなる前の記憶は、朧気に残っている。それなりの大学を出て、それなりの会社に入り、サラリーマンとして生き、そしてある日電車に轢かれた。次に目が覚めたらこの姿になっており、今に至る。
ホームから落ちたのか飛び込んだのか定かではないけれど、いざ死んでみると元の暮らしに驚くほど未練が無くて自分でも少し引いた。ぼんやりとしか覚えていないが、きっとロクな人生ではなかったのだろう。
ハッキリ覚えているのは、前も男だったということと、早くに親を亡くして天涯孤独の身だったということくらいだ。幼少からずっと孤独だったからか友人も恋人も作らず(あるいは作れず)、身一つだったから「死んで生き返った」というよりは「仕事を辞めて遠方に引っ越した」感覚に近い。
今の、元の身体の持ち主には申し訳ないと思うけれど、だからと言って自分に何ができるでもなかった。ここから波風を立てたとして、俺は幼児だ。時間はいくらでもあったが、状況を受け入れること以外、何もできなかった。
この時点で大分ロクでもないが、そこから待っていたのは幼児として肉体が思うように動かない生活だ。これもかなりしんどかった。既にオムツが取れてたのが不幸中の幸いだと思うほかない。
しかもどうやら精神が肉体に引っ張られているようで、何かにつけて意志に関係なく泣きわめく羽目になり、アンパンマンの活躍に心が躍り、物を食べればすぐ眠くなって意識が途切れる。
頭の中ではこうして考えを巡らせられても、出力できるのは歳相応の舌っ足らずな言葉だけ。当時の身体では、書ける文字もクレヨンで書いた極太のきったないひらがなが限界。お陰で怪しまれたりはしていないが……生きているだけで尊厳をすり潰している気分だ。泣ける。
とは言え、泣いてどうにかなる話でもない。1ヵ月も過ぎた頃には腐っていてもしょうがないと思い直して、置かれた状況の理解に務めた。
例えば、我が家のこと。どうやら結構なお金持ちのようだ。普段過ごしていた居間――畳張りなので、リビングよりこの呼び方の方がしっくり来る――は高級料亭のような(行ったことないけど)広い屋敷の一室で、縁側を挟んで鯉の放たれた池と名前も知らない木が見える。蔵や離れもあるようで、かなりの敷地面積を立派な塀がぐるりと囲んでいる。
そして今生の母親らしい女性と別に何人かの女性が世話をしに来ることがあり、親戚か何かかと思っていたがどうやら使用人のようだった。少なくとも、貧乏暮らしの前世では想像もつかないような身の上である。「坊ちゃん」という呼び方にも、最近ようやく慣れてきた。
そんな家に住んでいる所からも分かる通り、どうやら我が家は一族の総本家に当たるらしく、盆正月には百名近い親戚が集まって大宴会の様相を呈する。
親戚付き合いすらほとんどなかった前世からは想像もつかないことだったが、何年も親戚たちにもみくちゃにされているうち、ここの常識はこうなのだと受け入れた。本家の息子として親戚中に可愛がられるので悪い気はしなかったのもある。
何だったか、前世で見た映画にこういうシーンがあった気がする。確かそう、サマー〇ォーズだ。
実際集まっているのは錚々たる面子のようで、こっそり聞き耳を立てただけでも地元の県警本部長、地方医師会の理事、消防長、市議会議員、陸将補、県庁の局長クラス、農協中央会のお偉方、高裁の裁判長、その他県庁・市役所の職員や警察官がたくさん。地域密着感があり、官僚や国会議員はいないようだ。
分からなかったのが、父親を筆頭に仕事の話題を一切出さない者達がそれなりの人数いたことだ。
父は基本的に育児を母親と使用人に任せて家を空けがちな人で、母の弁を借りれば出張が多いが父にしか出来ない仕事らしい。マイナーな言語をマスターしているITエンジニアとかだろうか? と頭をひねっていたのが5歳の頃。
分かったのはその翌年、その父親に連れ出された山奥(山そのものが一族の私有地らしい)で「うちは呪術師の家系だ」と告げられた時だ。
新興宗教の教祖でもやっているのかと納得しかけたが、続けざまに見せられた幽霊のような化物――呪霊と、それを切り刻む父親の術式、そして「おまえも将来呪術高専に行ってもらうからな」という言葉でようやく察しが付いた。
呪術廻戦だ。
テンションが上がるより先に恐怖した。何せ覚えている限り、人がロクな死に方をしない漫画である。一般人は呪霊に虐殺され、術師は呪霊になぶり殺され、遺体が残ればマシなほう。死んで生き返って金持ちに産まれたかと思えば、そういう世界に来てしまっていたのだ。
カレンダーが「2006年」だったことにも思い至った。確か、物語の時代設定は2018年だったはず。つまりその時自分は18歳、東京にしろ京都にしろ、ストレートで高専に入ったとして3年生ということになる。
まずい、と思った。順当に行けば渋谷に徴兵される。とてもじゃないがあんな魔境から生きて帰れるとは思えない。多少強くなったところで、両面宿儺のなんとかいう領域展開に巻き込まれて微塵切りにされるのが目に見えている。
しかも、俺は死滅回遊(正しい漢字が思い出せないのでこれで代用する)が始まってから先の話を知らない。
俺が読んだ当時(アニメ最終回の放送直後)はあのあたりが単行本の最新話で、その後続きを読むのを面倒がって放置していたためだ。渋谷事変が終わったら、その先崩壊しかけの日本がどうなるのか全く分からない。
そして、俺という存在がどんな影響を齎すかわからなかった。ひょっとしたら歯車がズレて渋谷が地獄にならないかも知れないし、もっと早く、あるいは別の場所で事件が起こるかも知れない。知識頼りのピンポイントな行動はきっと効果が薄いだろう。
走馬灯のようにそれらの考えが脳裏をよぎって、逆に術師としての才能がなければあるいは……と思ったのも一瞬のことだった。父の言う通り体の中に意識を向ければ、明らかにそこに"力"があるのを知覚できてしまう。
そのまま、感覚に導かれるまま渡された小刀を手に持ち、近くの木片に傷をつけると、あっと言う間に切り口が広がってバラバラになってしまった。
そして、初めての術式発動でここまでの効果が出るのはほとんどないそうだ。厳格そうな父が手放しで喜びながら教えてくれた。待機していたらしい他の術師や母親からも口々に天才だ神童だと褒め倒され、とてもくすぐったい思いをしたのが、これを書いている前日のことだ。
考えることは山ほどあった。少なくとも俺が知る限り、空閑なんて家系は呪術廻戦に登場しなかった。当然、相伝であるこの術式のことも全く知らない。俺の知っている漫画とどこまで同じで、どこから違うのか。
昨日父から聞いたところでは、この世界でも「御三家」は禪院、加茂、五条の三家だった。五条悟の登場により、五条家にバランスが偏っているらしいのも原作と同じだ。
我が家はそれらには劣るが、一応名門と呼ばれる地位にはあるらしい。術師の適性がないか、あっても弱すぎる者は堅気の仕事に就かせる方針で、そういう者達の手で表向きは地元の名士として運営されているようだ。
産まれた世界は最悪に近いが、幸いにして環境と知識と才能が今の俺にはあるらしかった。
であればこうなった以上、もう腹をくくるしかないだろう。
原作キャラの生き死にがどうとか元の歴史が変わるとか言っている場合ではない。このまま漫然としていれば、待っているのは死。もしくはより酷い結末。
奇跡があるんだ。諦めていた……家族を、意味不明な手段ながら手に入れた。
これは、いわば決意表明だ。誰に伝えるでもない、自分自身への。
俺は強くなる。
もしこの先、俺が知っている通りの地獄が訪れるとして。あるいは、その先に俺の想像を絶する事態が待ち構えているとしても。少なくとも自分と、できれば家族が生き延びられるくらいに強くなる。
大義がどうのとか言うつもりはない。ただ自分が生き残りたいだけだ。そのハードルが果てしなく高いことを俺は知っている。
俺の一生……と言うにも短い、ここからのおよそ12年間では、そのハードル一つさえ越えられるか怪しいだろう。正直、無駄な努力になってあっさり死ぬ可能性の方が高い。
それでも、やれるところまでやってみよう。どんな手でも使ってみせる。俺は今死にたくない。俺に死にたくないと思わせてくれた家族が、俺は大事なんだ。
【後から書き足されたらしい文章がある……】
この頃はまだ、純粋に家族を思えてたんだな。懐かしい。