第一幕 錆血

第1話 払暁

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

   方丈記 鴨長明


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 はしけが緩やかに水路を遡上する。里に張り巡らされたそれは、上下用水路に分けられており、下水は地下に埋設された管を通り、浄化水槽カラクリを通って海に排出される。

 上水路には大きな岩魚が泳いでいた。釣り人のバケツには魚が数匹跳ねていた。

 子供が、朝日を浴びながら走り回る。海岸から揚がった水産物を男たちが選り分け、市場ではすでに競りが始まっていた。


 太陽が瀬戸内海を白く切り取り、赤く焼けるような空を一羽のとびが泳ぐように翔ける。


 払暁ふつぎょう


 その言葉を生み出した昔の何者かを、平賀紡慈郎ひらがぼうじろうは美しい人間だと思う。


 自分には、そんな、綺麗で柔らかい言葉を紡ぎ出すセンスなどない。——今は。しかしやる前からその一切を諦めるほど、潔い人間ではなかった。

 カラクリはときに文学的素養がいる。祖父は、そう言っていた。


 陽に照らされ、潮風が吹く。塩害に強い檜材の家々と、石造りの近代建築が並び、和と洋、恵戸えど泰正たいしょうの、空間と時間の断層が折り重なる。

 山陰道として、この山陰の土地と西京、そして北東の「東雲国しののめのくに城都じょうと東城あずまぎ」を繋ぐ、へその緒だ。


 さてもここは弔州県ちょうしゅうけん

 その南東部の沿岸に位置する萩原はぎわらの旅館。

 萩が実る土地。その原。秋になると萩餅が売られ、昨日も、ここへ来た時若い職人から買い、食った。

 甘く、美味い。粒あんと、粒が立った餅米の食感、程よい微かな塩味が甘さを引き立て、つい、三つも食べてしまった。


 人並みに甘い物は食うほうだが、一度に萩餅を三つも食うのは、珍しいと自分でも思う。

 平和な世を見て、気が緩んだのかも知れず、けれどボケられるほどに平和な時代であるというのは、幸せに感じられた。

 おかげで、下手な文章を書いていても、鼻で笑われる程度で済む。


 ところで、五十数年前の恵戸の壊滅は多くの者を路頭に迷わせた。その後に起きた大陸東西内乱、東雲国の内乱——それも、大元は恵戸の崩壊である。


 その中でも吉原を追われた遊び女という存在は、各地で土着の流浪の娼婦として姿を変えた。要するに売春婦というやつだ。

 外ではその遊び女あそびめが、男を自宅から送り出している。

 そう言った商売を唾棄すべきという、潔癖と偏見と、極限に置かれた人間の生きる意地を知らない連中も、中にはいた。


 それ以外の生き方を知らないものから、「それ」を奪うというのは「死ね」というのと同義だ。

 そんなのはそちらの拡大解釈による極論だ、別の生き方がある——そう言えるのは、金に不自由のない、そういう人間だけである。


 紡慈郎は知っている。自分がそうだから。


 流浪人としてあちこちを渡り歩き、そして復讐者として血と泥を啜る以外の生き方など、できはしない。

 カラクリを殺しの道具にしている自覚はある。……それで、己の血族の汚名をすすげるなら構わない。他人の物差しで好き放題推しはかられて、たまるか。


 紡慈郎は万年筆を捻り、インク壺からインクを吸い上げていた。充填が終わるなり、先端の汚れを布で拭って再び思案に耽る。


 旅人に向けた宿の一室。風呂なし飯なし素泊まりで、一泊三〇〇〇働貨どうか。二人でも一万を切る、安宿だが、設備も雰囲気も、悪くない。

 何より海沿いが見える個室という時点で、最高であった。


「龍が舞うような雲を切り裂いて、朝日が海から顔を出す」


 紡慈郎は口に出した一節を、ノートに書き出す。万年筆の先端が、黒いハヰカラインキを滲ませた。

 海面から太陽が昇って、水平線を金色に切り取っている。空には龍が踊っているかのように雲が千々に浮かび、遠くから、鶏の声が響く。


 本を書きたい——そのための言葉の断片を書いている。

 そういうと、大抵はの連中は、笑う。字書きは一部の、天才的素養を持つ者だけの特権であり、お前のような二十五の青いだけが取り柄の、屁っ放り腰にできることではないと。


 知ったことではなかった。世の中の摩訶不思議で「をかしきこと」を書き留め、記した本を、いつか出したかった。

 そしてそれを「いつか叶える夢」で終わらせる気など、紡慈郎にはなかった。

 言葉を探し出す。日常のひとひらから、そのかけらを少しずつ。

 小さなそれを組み合わせれば、文章になり、物語を形作る。


 あるいは、文章や絵を描くのは、復讐ですり減らす神経を繋ぎ止めるための代償行為なのかもしれない。

 意図的に何も考えない時間を作る。そうしないと、黒い渦巻きに心を削り取られ、心や感情という機能が無くなりそうになる。


 羽根車がぐるぐる回転する、回転団扇かいてんうちわと名付けたカラクリが紡慈郎を仰いでいた。夏の終わりと秋の初めのはざま。

 紡慈郎は回転団扇に左手を向けた。


「格納」


 するとカラクリが浅葱色に輝く繊維の形状に解け、紡慈郎の手のひらに吸い込まれていく。


 ——璣巧からくり


 我が和深かずみ大陸の秘技。

 この大陸でのみ取れる璣導石きどうせき璣導木きどうぼくから作られる、特殊な繊維・「璣絲きし」を編んで構築する自動機械。

 大陸で三〇〇年にわたる支配を敷いた神楽神将国かぐらしんしょうこくの軍事力を支え、そしてその技術を打ち破った、討幕の志士たちの武器ともなった機械技術。


 それを、己の肉体から編み出し構築する——無からカラクリを生む、異能。


 ——討幕戦争は、もう半世紀も前のことだ。東雲内乱だって、もう八年も……。


 紡慈郎は、別の冊子を開いた。紐で背表紙を留めている。表には「平賀雑記帳」。

 この冊子に、その時のこと、一日の記録を書き留めるのが日課だった。

 今朝はまず、この冊子にその時考えていることをひたすらに書き出す。そうすると、脳みその余計なゴミがなくなり、スッキリするのだ。


「失礼します」

 そこへ、一人の美しい女が入ってきた。

 美しいというのは、顔の造形がというだけではなく。

 無論それもそうなのだが——何よりも静かで楚々とした振る舞いと、静かだが確かに聞こえる声という、普通に暮らしている者には出しづらいそれを、綺麗に放つことも含めて、であった。


 手にお盆を持ち、上には、豚と野菜の味噌炒めと、白飯と、野菜の味噌汁が乗っている。


「ありがとう、シエル」

「どういたしまして。夕べ狩ったキバブタの肉を譲って、女将から白飯と、野菜をもらいました」

「おかげで最高の飯にありつけるよ。風呂、行ってきていいぞ」

「主人より先に湯浴みをするとは、メイドとして、沽券に関わります。外の警備をしてきますので」

「勤勉だな」


 平賀シエルはそう言って、外へと出ていった。

 近くに、大人一五〇働貨の銭湯がある。昨日の夜、紡慈郎たちはそこで旅の疲れをとっていた。


 シエル——彼女は紡慈郎の祖父、好一郎が作ったカラクリ人形……「璣人きじん」、祖父をして傑作と言わしめた存在だ。

 精流セルという超微細な自己成長・自己修復パーツから構築される、「生きたカラクリ人形」。

 西洋列強の同盟国——エルトゥーラ王国系の名前なのは、祖父なりの、文明開花を受け入れた証ではないかと紡慈郎は思っていた。


 手を合わせた。「いただきます」と言葉に出し、箸を手にとって朝飯を食う。

 大盛りの白飯を、味噌炒めでかき込んだ。濃厚な味噌の味が、肉と、茄子とキャベツに絡まり、美味い。

 熱々の、白い湯気を吐き出している味噌汁を啜った。大根が柔らかく、シエルの料理の腕が、また上がったことを出汁のちょうどいい味わいが物語っていた。


 飯を食う時は、他のことをしない。食事とは真剣に向き合う。紡慈郎が一つ心に決めている信念だった。

 食事を終え、手を合わせる。「ご馳走様」と呟いて、息をついた。


 冷たい茶を飲んでいると、外から鐘を叩く音が響いてきた。それは、朝を告げる鐘ではなかった。

 警鐘だ。

 文字通り早鐘を打つようにガンガン鳴り響き、萩原の地に警戒を促す。

 旅館の中で、ドタドタと走り回る複数の音。


 ドアがやや激しくノックされた。紡慈郎は落ち着いた声音で「どうした」と低く問う。

「敵襲です。おそらく、盗賊団の一団かと」

「行くぞ。里の警ら隊と合流して、戦力として参加する」


 そう言って紡慈郎はダブルブレストのフロックコートを衣紋掛けから掴むと、素早く袖を通してボタンを留めた。首に、浅葱色の襟巻きを巻き付ける。

 傍に立てかけていた璣巧刀からくりとうを腰に差し、部屋を出るのだった。

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