最近、なんだか日本が変わってしまったような感覚がある。駅でも電車でも、目に入るのはやたらと大きなキャリーケースを引いた外国人観光客の姿。通勤ラッシュの混雑の中で彼らと鉢合わせようものなら、朝からげんなりしてしまう。渋谷の店では、外国人店員が外国人客を相手にしている光景に、ここは本当に日本なのかと錯覚すら覚える。正直に言えば、私は「外国人が嫌い」なのではなく、「その土地の文化やマナーを理解せずに振る舞う外国人」に対して強い違和感を抱いている。
そして、こうした違和感は以前どこかで感じたことがある——その既視感の正体は、かつてのインターネットだ。私はアラサー世代で、小学生の頃からネットに親しんできた。初期のインターネットは、表に出しづらい趣味を持つ者たちがひっそりと身を寄せる、いわば「教室の隅」のような空間だった。匿名性があり、二次元のキャラやゲームを愛する人々が、共感を求めて集っていた。私もそのひとりだった。
だが今や、ネットは陽キャと化した。自撮りをあげる美人、議論をふっかけ合うフェミとアンチ、風俗嬢が主役の時代である。オタクの居場所はリアルイベントにまで奪われ、匿名性の裏でささやかな共感を交わすことも、今や下手をすれば炎上の種になる。かつてのインターネット文化は、静かに死につつある。
それでも、誰もが自由にネットに触れられる今の時代には意義があるし、オタク趣味を隠さずに済む空気ができたことも、前向きな変化ではある。だが、そこにあった文化や空気を無視し、何の理解もないまま踏み込んできてルールを書き換えるような動きには、どうしても反発心が芽生える。
だから私は思う。今の日本に対して抱く違和感も、まさにこれと同じなのではないか。新たな層の参入によって文化の姿が根底から変えられようとしている。理解や住み分けがないままに価値観が塗り替えられていけば、私はまた自分の居場所を失ってしまうのではないかという、不安と寂しさがある。ただ、それを言葉にしたところで、大声にはなり得ない。だが私は記録しておきたい。好きだったものが静かに変わっていく痛みを、見て見ぬふりはしたくないのだ。
外国人アンチはやめたのけ?