三四三空司令・源田実大佐(左)と飛行長・志賀淑雄少佐(右)。昭和20年春、松山基地にて

79年前を振りかえって

つまり、ごく大雑把に見積もっても、この日、たった一度の空戦に消耗した機体、機銃弾、燃料の額は、あくまで昭和20年度予算をもとにした額で、全機が燃料、弾薬を全て消費したという前提で言えば、現代の150億円ほどに達する。

「全機全力をもっての出撃」が、いかに大ごとであったかがわかるだろう。そこへさらに、エンジンオイルほか消耗品の経費、被弾機の修理、戦死者、戦傷者に対する諸手当、隊員の俸給、食糧、衣糧……数えきれないほどの金額が投入されていたのだ。

昭和20年3月19日、索敵のため松山基地を発進する偵察機彩雲

しかもこれは、三四三空の空戦だけを切り取ったものにすぎず、この日の空襲で大損害を受けた呉軍港をはじめとする地上や海上の損害は含まれない。仮に米軍機の損害が三四三空と同等だとすれば、費用対効果では完敗だったともいえる。

三四三空は、源田実という、きわめてセルフプロデュース力に長けた軍人が司令を務めたこともあって、こんにち、フィクションを交えて実像以上に評価されているきらいがある。

軍令部で航空特攻を推進し、人間爆弾と呼ばれる特攻兵器「桜花」の開発にも深く関わった源田が、「三四三空から特攻を出さなかった」ことをもって「特攻に反対だった」などというのはその最たるものだ。

昭和38年の東宝映画『太平洋の翼』の台本。源田はこの映画で、自らが「特攻反対」だったという、史実とは正反対のイメージを世に広めることに成功した

源田は戦後、航空幕僚長、参議院議員となるが、その間の著書や、著書をもとにした映画『太平洋の翼』(1963)を通じて、「特攻に最後まで反対した司令」という、じっさいとは正反対の姿を世に広めることに成功した。そして、元司令自らが生み出したフィクションを土台に、紫電改と三四三空の活躍を描いた作品がこれまでにいくつも発表されてきた。

航空自衛隊時代の源田実。航空幕僚長を経て参議院議員となる
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――語り尽くされた感のある出来事でも、ときには一度立ち止まり、視点を変えて、さまざまな角度から光をあててみるといい。戦史につきものの「戦果撃墜〇機、損害未帰還〇機」や、「戦艦〇隻撃沈、損害は〇」のような数字を、「戦果〇円、損害〇円」に換算してみれば、また少し見える景色が違ってくるだろう。

また、単なる数字でなく、戦いに参加し、あるいは斃れた一人一人の人生、残された家族の思いや生き方に重きを置けば、また別の世界が開けてくる。79年前の戦争の検証も、まだまだできること、やるべきことはたくさん残っていると思う。

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