「今回の真珠湾訪問を知ったら、戦争はやるべきじゃない、と改めて思うのではないか」。大艦巨砲主義だった日本海軍内で、いち早く航空機の有用性を見いだし、真珠湾攻撃では参謀として作戦の立案に当たった源田実大佐(開戦時中佐)。その長男、健寿さん(68)は亡き父の心中を、こうおもんぱかった。
真珠湾は水深が浅く、航空機での魚雷攻撃は難しいとされていたが、鹿児島県の鹿児島湾(錦江湾)などでの猛訓練で搭乗員の練度を高め、作戦成功に導いたとされる。
もっとも、健寿さんに先の大戦の話はしなかった。「語る対象だと思っていなかったのだろう」。家庭の中で見てきたのは特攻で戦死した兵士への供養の姿だ。特攻の立案にも関わったとされる源田氏。仏壇には特攻で戦死した軍人の戒名と名前が1日から31日まで日付ごとにまとめられた過去帳があり、源田氏は毎朝めくって手を合わせていた。戦友らが訪れた際には「戦死者について『国のため立派な志を持っていた』と話していた」という。