最後までわからずじまいだった「ほんとうの目的」
第二徳島基地にいる第七二三海軍航空隊司令・青木武大佐は戦闘機パイロット出身だが、大尉時代の1年間軍務を離れ、身元を偽り諜報員としてソ連のウラジオストクに潜入した経歴を持つ。ここで青木大佐から湯野川に、身分を偽り、地下に潜行する密命がくだされた。湯野川は青木大佐のアドバイスで、原爆の爆心地に近い広島市田中町十四番地を本籍地と定め、「海軍一等整備兵曹吉村実」の名で復員証明書の交付を受けて潜行生活に入った。同時に、湯野川大尉は小松基地を飛び立ったまま行方不明、自決したこととされ、大田と同じようにその存在が抹消された。
湯野川の密命はほどなく解除されたが、潜行の目的や任務の内容については最後まで明かされずじまいであった。
地下に潜った士官はほかにもいる。これを将来の日本軍再建に向けた人材温存の作戦と見る向きもあるが、そのほんとうの目的は、湯野川にも最後までわからないままだった。直接従事し、渦中にいた者でさえ全容を知らない。国家権力による「秘密任務」とは、本来そのようなものなのだろう。
兵隊上がりのノンキャリアにすぎない大田の「自決」と、海軍兵学校出身正規将校の湯野川の「自決」とでは、その意味合いは異なるかもしれない。ただ同じ桜花の部隊で、湯野川のように上層部からの命令で存在を抹消され、偽名で生きた例が現にあった以上、大田にもなんらかの指示や圧力があった可能性までは捨てきれない。
このことについて私は、文藝春秋「本の話」で「戦士の肖像」と題する連載をもっていた2002年、湯野川に直接疑問を投げかけたことがある。自らも偽名で生きた経験を持つ湯野川なら、大田のことについてもなにか知っているのではないかと考えたのだ。大田は自らの意志で自決しようとしたのか、それとも湯野川のときと同じように、自決は仕組まれた狂言だったのか。大田に出てこられると困る誰かによる「口封じ」ではなかったのか――。